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最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

私の使った切符 その106 海外旅行の搭乗券 1991アメリカ帰途

2020年05月31日 | 鉄道
私の使った切符 その106
海外旅行の搭乗券 1991アメリカ帰途


214 DL628 BillingsからSalt Lake Delta 1991.7.8

215 DL309 Salt LakeからLos Angeles  Delta 1991.7.8

216 DL79 Los Angelesから成田 Delta 1991.7.10

217 JL383 成田・福岡 JAL 1991.7.11

 1991年アメリカ・モンタナ州の帰途の搭乗券。アメリカで発行されたものは、搭乗時刻も出発時刻も書いてないようだ。ご覧のように、214と215の搭乗券は最初にチェックインしたビリングスで作成されている。  

218 ロッキーの山岳氷河地形 1991.7.8 

 写真は、ロッキー山脈を越えた時に見た氷河地形(搭乗券215)。
 旅行中に気づいたのだが、ロスアンジェルスを出発した7月11日、ハワイなどで皆既日食が見られた。ちょっとしたスケジュールの変更をできたら見られたのに。出張だったし、航空券なども私が決めることができるような旅行でなかったので、実際には不可能だったが。
 この時に乗ったロスアンジェルス・成田間が、8,762 kmあって、現在までの私の最長飛行距離である。このブログでは、グーグルの地図と「直線距離」というサイトの計測アプリを使って、空港間の距離を出している。地球表面にそった大円(最短距離)だから、航空路設定・天候・管制などのために迂回していても考慮しない。

今年もホタル(臨時投稿)

2020年05月30日 | 今日このごろ
5月末から6月初旬には毎年ホタルを見に行く。今年は29日と30日に志井川に行った。
それほど多くないが、30匹くらいは見ただろうか。見に来ている家族連れも少しだけ。とくに30日は土曜日の6時過ぎという絶好の時だったが、5組ぐらいの家族がいただけ。写真も試みたが、コンパクトデジカメでは思うようには撮れない。

敷石を歩くホタル 2020.5.30

 手に乗せるとちょっと驚いて強く光る。

手の上のホタル 2020.5.30

 一番いいところの川沿いに、新しくマンションが建ったのでそこは絶望的。次にいいところには今年からずいぶん明るい街灯が立ってしまったのでよろしくない。石をぶつけて街灯を割るわけにもいかないから、その光の来ないところで楽しんで来た。

タッチスティック(臨時投稿)

2020年05月30日 | 今日このごろ
新型コロナ第二波の来た北九州なので、行動に注意をしている。
 ICカードなどのチャージや、エレベーターの利用時に、押しボタンに触れるのを避けたいので、タッチスティックを探したが、見当たらないので自作した。

試作したタッチスティック 2020.5.30

 百均で見つけた押し出し式のカッターナイフを購入。改造前の写真を撮ってなかったが、中央の丸いところを左にスライドさせると、左の先端から刃先が出てくる仕組み。ケースを二つに分けると中が見える。バネがあって、手を離すと刃が引き込まれる。

内部構造(改造後) 2020.5.30

 刃をペンチを使って半分に折って短くし、さらに角も少しずつ折り取る。刃の先端にケーブルを接着し、その先端を接着剤で固める。ケーブルを使ったのは、柔軟性があり、折れたり押しボタンに傷をつけたりしないため。
 刃の出てくる穴は細長い狭いものだったから、ライターで炙って柔らかくしてからドライバーの軸を押し付けて円形の穴を作る。この辺りが少々手こずった。
 器具の先は斜めだったから少し削って整形。いじったところ全体にヤスリをかけて滑らかにした。

スティックを出したところ 2020.5.30

 この先端でボタンなどに触れればウイルスはそこにしか着かない。スライドを戻せば先端は中に引き込まれるからポケットに入れても安全。あり合わせのアンモナイトの付いたキーホルダーをつけてみた。本体の経費は110円で、他は廃棄物から。接着剤少々。一番高いのはアンモナイトのキーホルダー。



古い本 その9 Zdansky 1927 別刷

2020年05月28日 | 化石
古い本 その9 Zdansky 1927 別刷

 次に古い本は、Zdansky 1927 である。ドイツ語の論文で、表題は「Weitere Bemerkungen über fossile Cerviden aus China」(中国からの化石鹿類についての更なる論評)というもの。Palaeontologia Sinica (中国の地質調査所発行)第5巻に掲載された19ページと1図版の論文の別刷である。93年前の論文。

7-1  Zdansky 1927 別刷表紙

7-2  Zdansky 1927 中表紙

 私の手元に来た経緯は記録がないし、表紙などにも書き込みや蔵書印はない。たぶんオランダの古本屋産から購入したもの。高さ30センチ、幅23センチで、A4よりも2センチほど幅が広い。保存はかなり良い。
 Zdansky は、この2年前に「Fossile Hirsche Chinas」(中国の化石鹿)という論文を同じ雑誌に書いていて、その続きである。だから7行の短い前言で、前の論文に書かなかった化石について述べるという事と、これで中国産の鹿化石についての仕事が終わりだとしている。このページに続いて、すぐに分類学的な記述が始まる。記載されているのは次の種類。ただし、種未定のもの(5項目ぐらい)を除外した。
Eostyloceros Blainvillei Zdansky, 1925 中新世後期 山西省
? Eostyloceros triangularis Zdansky, 1925 中新世後期 山西省
Cervocerus Novorossiae Khomenko, 1913 中新世後期 河南省・山西省
Oricapreolus latifrons Schlosser, 1924 中新世後期 山西省
?Axis speciosus Schlosser, 1903 中新世後期 山西省
Epirusa Hilzheimeri Zdansky, 1925 中新世後期 河北省
Rusa pachygnathus Zdansky, 1925 更新世 河北省
Cervus huailaiensis sp. n.  更新世 河北省
Cervus canadensis Mongoliae (Gaudry) 1872 更新世後期 産地多数
Pseudaxis Grayi Zdansky, 1925 更新世後期 熱河省

 このように、周口店の化石を論じたものではなくて、中国の各地のものを記載した論文である。
 前に「19ページ」と記したが、実は本文と図版の間に1ページのノンブル(ページの表記)の無いページがあって、論文に出てくる35の地名のリストがある。それにはナンバーが振ってあって、省(現在とはちょっと違う)・地域などの項目がリストアップされている。しかし、これらの地名はPinyinと呼ばれるローマ字表記で、現在のローマ字表記と違うらしく、どこを示しているのかわからないものが多い。
 こんな時、わずかな望みを持って広げてみるのが Li and Ting, 1983 「The Paleogene Mammals of China」という論文で、カーネギーから出版されているもの。巻末に付録があって、付録1は研究者の中国の人名の対照表(Pinyin, English, 漢字)、付録2は地名の対照表(Pinyin, Wade-giles, “Conventional English”, 漢字)がそれぞれPinyin のアルファベット順に並んでいる。例えばおなじみの地名のBei-jing の欄は、Bei-jing, Pei-ching, Peking, 北京 となっていて便利なのだが、地名の方は7ページもあってなかなか大変。しかもこの文献では古第三紀の哺乳類の化石に関する地名しか出てこないから、他のところは調べられない。人名の方は1ページだし、漢字表記の人名はよく目にしているから分かりやすい。人名でめんどうなのは、中国に関わった西欧研究者の漢字表記で、それは慣れるしかない。例えばZdansky はここでは「師丹斯基」だが、別の表記もある。

 新種は一つだけで、大部分は先行する1925年のZdansky自身の種を使っている。例えば最初のEostyloceros Blainvillei は、1925に新属とした際の模式種である。ムンチャクの仲間。また最後のPseudaxis Grayi (Cervus grayi グレイジカ)は日本産の化石鹿類の祖先を論ずるのに重要な種類である。図版は写真で、細かい網版である。

7-3  Zdansky 1927 図版1(部分)

 一部の標本はラベルを貼ったまま撮影されている。次の写真はひとつの標本を拡大したもので。ラベルを読みやすくするために180度回転してある。網版だからモアレが出てしまった。

7-4 標本のラベル

 この別刷は、これで全部なのだが、実は本冊では中国語のテキストが添えられている。右から書かれたもので、表紙1ページと、本文2ページの短いもの。奥國師丹斯基著で、表題は「中國鹿類化石新發見之特徴」本文の翻訳は「孫雲鑄節譯」、節譯というのは一部を訳したということだろう。著者の所属は奥國(オーストラリア)となっていて、エジプトのことは書いてない。なお、本冊は京都大学理学部にあるものを見た(「読んだ」とは書かない)。もちろんその図書室には先行するZdansky 1925論文もあって、一部分だけコピーをとった。他にもZdansky 1928 「Die Säugetiere der Quartärfauna von Chou-K’ou-Tien」Zdansky 1930「Die alttertiären Säugetiere Chinas stratigraphischen Bemerkungen」といった文献も見たことがある。
 Otto Karl Josef Zdansky (1894-1988) は、オーストリアの古生物学者。中国の古脊椎動物研究で有名で、周口店の本格的発掘よりも前の1921年に北京原人の歯を発見した。

7-5 周口店の北京原人発掘地 2000.6.4

 北京原人の研究は結局カナダ人の解剖学者Davidson Blackによって1927年おこなわれた。この論文を出版した1927年には、Zdanskyはエジプト・カイロのエジプト大学の肩書であった。発見した歯の保管に関して、何かのトラブルがあった、とする書物もある。Zdansky は1928年以後中国の人類史に関する研究に戻らなかったと言われるからその間の微妙な時期の著作である。なお、北京原人の最初の頭骨は1929年の発見で、この別刷よりも後。もちろんBlackの北京原人学名の提唱は歯を基にして行われた。だから、北京原人のホロタイプはウプサラに現在も保管されていて、戦争で失われた(日本軍がかかわったとも言われる)頭骨はホロタイプではない。

「最後の蒸気機関車」の画像改善

2020年05月25日 | 最後の蒸気機関車
 「最後の蒸気機関車」シリーズは、2012年2月から2015年1月にかけてこのブログで掲載(100回+2回)したものだが、最後の掲載をしてから5年以上も経つのに、けっこう多くの方が遡ってご覧くださっているので、見返してみた。当時の私の画像処理技術は低かった。機関車の写真は足回りに黒い構造があるという宿命からそこが見えないことが多い。次の写真は、2012年4月に掲載した「その6」の例である。

029 標津線根室標津駅 1969.7.25 C11-172

 これを今使っているソフトで処理してみたのが次の写真。

029N 標津線根室標津駅 1969.7.25 C11-172
 
 そこで、次のような処理を試みて、順に変更していくことにした。
1 白黒写真 コントラスト・明度の調整。 シャドウを明るくする。 フィルム上のゴミの消去。 必要ならトリミングや水平の調整。
2 カラー写真 上記のほか色調・ホワイトの調整。
 なお、以前使っていたソフトは、Adobe Photoshop CS2、 現在は同 Photoshop Elements 13 である。もとの画像はフィルムやプリントからスキャンしたもの。後の方にはコンパクトデジカメで撮って最初からデジタルデータのものがある。特記以外は私の撮影。

 実際のブログの変更は間もなく開始し、10回分ぐらいを一区切りとしてブログに変更したことを記すつもり。全部の画像を変更するのではなく、改善できるものを選んでするが、初期のものはかなり高い率で変更するつもり。変更した画像はやや大きく表示されるようだが、画像番号(001から527)の後ろに「N」を付けて区別する。古い画像は消去する。各回の最後に改変した日付を記入する。変更を検討する写真は、464枚ぐらい。地図などもあるがこれは手をつけない。