OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

古い本 その74 19世紀の日本の文献 1

2021年09月29日 | 化石
 日本人の研究が始まると、脊椎動物化石に関する記述も出てくるが、最初はちゃんとした物はなくて「記事」「短報」に類するものばかりである。まずそれにあたるものを列記しておく。いずれも地質学雑誌(JGSJと略記)に掲載された記事である。
A 1894 山崎直方 馴鹿嘗て日本の野に遊ぶ. JGSJ, vol. 1: 241
B 1895 篠元(おそらく二郎) 肥前國北松浦郡江里村江里峠の第三紀砂岩上に印せるPalaeotherium magnum (?) の足跡.  JGSJ, vol. 2: 116-117
C 1896 値賀威一郎 第三紀層中より哺乳類の化石出づ.  JGSJ, vol. 3: 63-64.
D 1897 神保(小虎) 信濃國第三紀の海獣.  JGSJ, vol. 4: 355.
E 1899 吉原(重康) 犀骨の發見. JGSJ, vol. 6: 236.
F 1900 矢部(長克) 布袋石は鯨の耳骨なり. JGSJ, vol. 7: 118-119.
G 1900 横山(又次郎) 海牛の化石. JGSJ, vol. 7: 363.
 ここまでが19世紀中に発表されたものだが、現在インターネットで公開されている地質学雑誌の論文中には姿を現さず、いずれも「雑報」などとして扱われている。
 まず、A の報告、山崎直方, 1894 「馴鹿嘗て日本の野に遊ぶ」について。「馴鹿」はトナカイで、「じゅんろく」とも読みどちらを意図して書かれたのかは分からない。報文はそれに似た角の化石があることを報じたもの。2か所の標本について記述がある。まず「陸奥国上北郡の沼崎停車場より一里ばかり西北の貝塚村字貝盛の貝墟」を調査した若林勝邦が、人類遺物と共に数多くの鹿角中「一種偉大にして扁平なる馴鹿の角二個を採集して、報告書に記したという。報告書は、「陸奧國上北郡貝塚村貝塚調査報告」として東洋学藝雑誌 No. 146: p584~591(1893年11月発行)に掲載されているという。残念ながらこの原文はインターネットで閲覧できなかったが、標本の図が山崎の論文に再録されている。「扁平」というからには、トナカイではない可能性がある。産出地は沼崎駅(当時日本鉄道東北本線。その後国有化され1959年に上北町駅に改称。場所はJR東日本を経て現在は青い森鉄道に所属)から4km西北の七戸町二ツ森貝塚(縄文時代)。
 別の場所の標本がこれと近いものであるとしている。「上毛私記」という書物に、1797年黒岩山(上野)陰に竜骨が出たという記録があって、角や歯などの図を提示しているがその図は不十分だ、というのだ。黒岩の標本については、Shikama and Tsugawa, 1962で英文報告が出された。産出地は群馬県富岡市上黒岩で、文中にある「上野」は「こうづけ」のこと。現在群馬県立自然史博物館のあるあたり。学名はSinomegaceros (Sinomegaceroides) yabei (Shikama) としている。もとの名は、1938年にShikamaが提示したCervus (Sinomegaceros) yabei Shikamaである。また。江戸時代に発見された標本の保管に関する経緯などについては、鹿間・長谷川, 1962 の日本語論文もある。なお、Megaceros 属はヨーロッパのもの、「Sino-」はもちろん「中国の」の意。「yabei」は東北帝国大学の矢部長克教授に献名したもの。またCervus属にはニホンジカなども属している。

229 Shikama and Tsugawa, 1962, Plate 3

 そして山崎は比較した図を出している。

230 山崎, 1894の図

 左の二つ(一・二)が黒岩山のもの、右の三・四が若林の図から「許諾を得て」写したもの、としている。黒岩の標本は、当然ながら平たい広い部分があることがはっきりしているが、七戸のものがこれと同じとは思えない。前方に分岐する枝(眉枝)が掌状になっていないのだ。角座の大きさを比較すると縮尺が異なる可能性も高い。もしも七戸のものが化石なら、日本人が西欧の学問の形で記した脊椎動物化石として最初のものだったかもしれないが、そうではないだろう。
 登場人物を調べてみよう。山崎直方(1870−1929):高知県生まれの地理学者。東京帝国大学教授などを務めた。若林勝邦(1862−1904)は、東京理科大学にいた人類学者で、初期の静岡県蜆塚貝塚の研究などで知られる。鹿間時夫についてはこのブログで何度も登場された大御所であるので、ここでは触れない。Shuichi Tsugawa については論文の中に東京都の住所が記してあるだけで、勤務先などを調べたが分からなかった。津川主一といえば、合唱に関する有名人がいるが、別人だろう。

 Bの報告 篠元(おそらく二郎),1895 肥前國北松浦郡江里村江里峠の第三紀砂岩上に印せるPalaeotherium magnum (?) の足跡. 
 これについては、古い話だが当ブログに現地を訪問して探した(結局なかったが)記録を掲載した。2012年3月21日から4月7日までのうち3回の連載だった。文献の詳細と場所の現状についてはそれをご覧いただきたい。

231 江里峠付近の転石 2012.3.19 足跡は発見できなかった

 文中に足跡の写真はなく、サイズは前後径が4寸5分(15センチ弱)で、全形は前方に0を左右に三つ並べ、後方にもう一つの0を活字で並べて形容している。足跡は1個ではなく「群れをなして歩行したるものゝ如く・・夥しき印痕」があったという。表題には「Palaeotherium magnum (?) の足跡」となっているが、文中では「右足跡印痕の如きは果して表題に於ける動物に属するや否未だ詳かならざれば」と言っている。
 Palaeotherium magnum は1804年にCuvier が提唱したバクに近い奇蹄類で、ヨーロッパ(フランス・ギリシャ・ポルトガル・スペイン・イギリス)の始新世の地層から化石が知られる。ずっと後の1980年に、Ellenberger (1980) がこの類の足跡として「Palaeotheriipus」というichnigenusを提唱した(Ellenberger, Paul, 1980. Sur les Empreintes de pas Gros mammiferes de l’Eocene Superieur de Garrigues-ste-eulalie (Gard). Palaeovertebrata, Montpellier, Mém. Jubil. R. Lavocat: 37-78,14 fig., 2 pl. (フランス ガリーク・サン・デュアリーの始新統上部の大型哺乳類足跡について)。ここでは新(生痕)種 Palaeotheriipus similimedius を提唱した(p. 59)が、図示された後ろ足の足跡は丸を4つ(3つ+ひとつ)並べたようには見えない。

232 Ellenberg, 1980 60ページの図(図番号なし)一部 Palaeotheriipus similimedius

 日本でもいくつかのバク類足跡(またはそれに近いもの)の報告があるが、中新世のものが多い。

2002年SECAD at Dunedin 出席 その11 自然観察ツアー

2021年09月25日 | 昔の旅行
Meeting of SECAD in New Zealand, 2002. Part 11. Wildlife tour

 12月11日は学会の一日休み。オプションで、自然観察ツアーにでかけた。マイクロバスを使った業者のツアーである。

11-1 ツアーのマイクロバス 2002.12.11
Micro-bus of the Wildlife tour

 セントマーガレットの下で多くの参加者と待っていると、バスが来る。これなら歩かなくていいかな、と思ったがそうではなかった。

11-2 バスを待つ参加者 2002.12.11
Attendants

 ごらんのように初夏だというのに寒いから、皆さん着込んでいる。バスはオタゴ半島に向かい、丘の上にある牧場の広場に停車。そこから海岸まで歩いて、生物を見るという。
 岬の崖の上に展望台があって、手摺り越しに下の海と岩棚が見える。岩棚には鰭脚類がたくさんいて体を休めている。ニュージーランドアシカとミナミオットセイがいる、という解説だが見分けはつかない。

11-3 鰭脚類 2002.12.11
Pinnipeds

11-4 カモメ 2002.12.11
Seagull

 横手にカモメの巣があって卵を温めている。カモメは慣れたもので、十数人の参加者が来ても知らんぷり。上の写真も標準レンズで撮ったものである。

11-5 観察する参加者 2002.12.11
Observation

 左手前の男性が運転手兼解説者。
Keywords: SECAD Dunedin Otago Sea-lion Fur-seal 二次適応学会 ダニーディン オタゴ大学 アシカ オットセイ

Abstract. Part 11. Wildlife tour.
The 11th December was a holiday of the meeting. We joined in a observation tour to the Otago Peninsula. It was a commercial micro-bus tour, and I thought I would not have to walk. But actually main part of the tour was walking around the coastal hills. The season of Otago, in Southern Hemisphere, was early summer, but it was somewhat cold. The bus stopped in a farm, and we must walk to the end of hill to see coastal wildlife., such as pinnipeds and seagulls.

古い本 その73 Archaeoceti 2

2021年09月21日 | 化石
 次の論文は下記のもの。
Andrews, Charles William, 1907 Note on the Cervical Vertebra of a Zeuglodon from the Barton Clay of Barton Cliff (Hampshire). Quterly Journal of Geological Society, Vol. 63: 124-127. (Hampshire のBarton の崖のBarton泥層からのZeuglodon頚椎について)
 Barton Cliffは、イギリスの南部にあってSouthamptonの外海側。有名な化石の聖地Waight島の西側の海岸にある。付近には「Highcliffe」などという地名もあって、いかにも化石が出そう。標本は一個の頚椎で、文中には種名が明記してない。文中で「おそらく第6頚椎」としている。サイズは軛突起の最大幅が10センチちょっと。意外に小さい。Kellpgg, 1936のBasilosaurus cetoides第6頚椎のこれに当たる距離は23センチぐらい。

224 Andrews, 1907 Figure 頚椎の尾側

 Andrewsの挿図を示した。ここで頚椎に注目したのは、現生の鯨類では頚椎が短縮してかなりの部分が癒合しているから。これに対してArchaeocetiでは7個の頚椎が互いに関節運動が可能な形だからであろう。のちにKellogg, 1936では、Basilosaurus cetoidesの見事な頚椎の図を示しているが、頚椎の椎体のラインはかなり曲線を描いた形で復元している。つまり首の上下運動がかなりの可動範囲を持っていたと考えている。先ほどのDames, 1894でも頚椎の記載がしっかり行われているのはそのためか。でも、第二頚椎に主眼が置かれているが、現生の鯨でも第一頚椎と第二頚椎の間の可動性は他よりも大きい。この関節雨運動は、首の左右回旋、つまり「イヤイヤ」をする運動である。これにプラスして頭骨と第一頚椎の間の運動つまり「フンフン」とうなずく動きは残っている。

225 Kellogg 1936 Fig. 10. B. cetoides 頚椎(左が前)(再録)

 Archaeocetiの運動機能について、これと別に注目されるのは肘関節の可動性が高いことで、この仲間の動物は鰭脚類のように陸上で出産したのではないかと私は思っている。Basilosaurus cetoidesの異常に長い体形を見るとそうではないような気もするが。

 ついでにもう一つ同じ著者のArchaeiceti 関連のものを。
Andrews, Charles William, 1908 Note on a Model of the Skull and Mandible of Prozeuglodon atrox, Andrews. Geological Magazine, Vol. 5: 209-212, Pl. 9.
 表題のProzeuglodon atroxと言う種類は、1906年にAndrews自身が記載した種類で、エジプト、Fayum(原文ではFayȗm)の始新世中期のもの。その文献は次のもの。
Andrews, Charles William, 1906 A descriptive Catalogue of the Tertiary Vertebrata of the Fayȗm, Egypt. British Museum (Natural History) . 324 pp.  26 pls.
 Prozeuglodon (新属)の記載は243ページから始まり、Prozeuglodon atrox(新種)の記載は255ページから257ページ。頭骨の復元図がある。

226 Andrews, 1906 Text-figure 80 Prozeuglodon atrox, skull

 標本のスケッチも図版がある。Plate 21に頭骨の図があるが、その作成方法・製版方法があまり上手でなくて、線画の文中図の方がわかりやすい。この論文は有名なもので、始新世の陸生・海生の多くの種類の記載がある。できれば手に入れたいものの一つ。現在、インターネットで見ることができる。
 もとの1908年のものに戻るが、この頭骨の復元を行ったという論文。本文の前のページに図版があって、コピーを試みる方は取り忘れないようにご注意のこと。

227 Andrews, 1908, pl. 9 頭骨の復元

 Charles William Andrews (1866-1924)大英博物館の古脊椎動物研究者。ファユムの多くの脊椎動物の記載で知られる。なお、ゴビ砂漠の恐竜探険隊で知られるアンドリュースはアメリカのRoy Chapman Andrews (1884−1960)で別人。
 ついでに、ちょっと出版年が前後するが、悪名高い?Kochの論文も秘湯上げておこう。
Koch, Albert, 1851 Das Skelet des Zeuglodon macrospondylus. Heidinger's Naturwiss. Abhandl., Wien, vol. 4, pt. 1, pp. 53-64, pl. 7. (Zeuglodon macrospondylusの骨格)
 あまり、というかほとんど読んでないので、内容は知らない。KochはHydrarchos とかの属をたてたのではなかったけ?文中にZeuglodon Hydrarchus という種名らしきものがあるようだが、それとの関連は?と、いろいろな疑問があるが、興味のある方にお任せする。この文ではZeuglodon macrospondylusという種を扱っていることは確か。全身骨格復元図が図版にある。

228 Koch, 1851 Tab. 7. Zeuglodon macrospondylus.

 なお、発行年を1850とする文献もあるようだが、Kellogg のデータに従って1851とした。

2002年SECAD at Dunedin 出席 その10 キガシラペンギン

2021年09月17日 | 昔の旅行
Meeting of SECAD in New Zealand, 2002. Part 10. Yellow-eyed penguin

 12月10日、サンドフライの砂浜をずっと歩いて、1.2km先のペンギン観察小屋に入る。小屋の前にある急傾斜の草地に、海から上がってきたペンギンが何つがいか営巣している。小屋の裏側のドアから入ると、内部は暗くて横長の狭い窓があり、数人の先客が外を覗いている。「シーッ」と注意されつつ、私たちも椅子に座って外のペンギンを観察する。種類はキガシラペンギン(Megadyptes antipodes)。種小名のantipodesは「地球の反対側の」という意味だから、欧米から見たニュージーランドの位置に由来するのだろう。

10-1 キガシラペンギン 2002.12.10
Yellow-eyed penguin

10-2 キガシラペンギンのつがい 2002.12.10
A pair of Yellow-eyed penguin

 しばらく小屋で過ごしたが、日没が近づいたので車に戻ることにする。

10-3 サンドフライの砂浜 2002.12.10
Beach of Sandfly

 この湾は南に向いていて、波は荒い。この海の向こうは南極大陸である。砂浜に少しぐらい貝殻があるかと探したが、カキの破片ぐらいで、持って帰るような貝が無い。そういえば、これまで3回のニュージーランド訪問で何か所かタイプの違う海岸を歩いたが、採集して帰った貝殻はほとんど無い。1993年にはダニーディン北のシャグ・ポイントの岩棚、1998年には北東ハウェラの巨礫のころがる段丘下の浜、今回は長い砂浜、いずれもほとんど貝殻は無い。確かに北海道でも貝殻採集は収穫が少ないから緯度が高いとそうなのかなとも思う。

10-4 サンドフライの日没 2002.12.10
Sunset at Sandfly

 砂浜で日没を迎える。南半球だから写真に見える太陽は、この後左下に沈んでゆく。右下ではない。

Keywords: SECAD Dunedin Otago Sandfly Penguin Yellow-eyed Magadyptes 二次適応学会 ダニーディン オタゴ大学 サンドフライ キガシラペンギン

Abstract. Part 10. Yellow-eyed penguin.
We walked along the long sand beach to the other end. There was a penguin colony and an observation hut beside the nest. We took time to see the Yellow-eyed penguin about 10 m distance. We came back to the parked car along the beach. The sunset was beautiful. The opposite side of the sea was Antarctica!

古い本 その72 Kelloggのメモ

2021年09月13日 | 化石

 前回Müller, 1849について記したが、このpdfのスキャン原本は、製本された表紙に「Smithsonian Library」という箔押しがある。そして表紙裏の「見返し」は「Smithsonian Libraries」・「Smithsonian Institution」などを図案化した地模様の用紙が使われている。

216 Müller, 1849 の製本に使われた見返しの地模様

 さらにタイトルページの上部に「REMINGTON KELLOGG」というゴム印が押してある。つまり、Kelloggの蔵書となっていた資料をスミソニアンに移管し、その時に製本し直したものがpdfの原本になっていることがわかる。そして、このpdfには、3ページと4ページの間に1枚のメモが挟まっている。他に、図版の7の後ろにも小さな紙片がある(図の中の用語に関するメモのようだ)。
手書きのところは読みづらいが、こういう時には固有名詞がヒントになる。

217 Müllerの本に挟まっているKelloggの筆跡? 1枚の紙片の裏表

 この挟まった紙には、片方の面に[A]:11行ほどのインクで書いたメモ(英語)、続いて[B]:2行の鉛筆のメモ(英語・ドイツ語)、その下には[C]逆向きにタイプで打ったHydrarchos(例の見世物にされた骨格のことかな?)の出てくるドイツ語の5行の文章がある。そしてその裏側にも{D}:4行ほどの英語のインクのメモがある。端が切れていて全部は読めない。まず、AからDがどの順序で書かれたか考えると、たぶんタイプで打った[C]が最初ではないだろうか。その内容は、「Müller, 1849の2ページ:幾つかの個体から組み合わされたHydrarchosの復元は、秩序も計測もなく一列に並べられたものであることは、Lyellなどが議論した」といったもの。この部分はタイプだから文字の読み間違いはない。これ以外は手書き。たぶん[A]が二番目にかかれていて、出てくる固有名詞は、次のもの。Koch, Washington County, Clarksville, Carus。この組み合わせなら、ほぼ間違いなくこの紙片はKellogg, 1936「The Archaeoceti」の原稿、と言うか材料集めの断片だろう。Kellogg, 1936の101ページから102ページにこれに当たる文章が出てくる。 Zygorhyza kochii (Reichenbach)の記載の内、「referred specimens」の、specimen 1から2のあたりで、主に頭骨の破片の配置や別個体の組み合わせの話をしている。タイプの打ってある紙片の余白に書いたから、スペースが無くなって、紙を裏返し、[D]を加えたのか? その内容は、Kochのコレクションのヨーロッパでの所在のようだ。Koch のコレクションというのはHydrarchosのことだろう。それについてはこのシリーズ「古い本 その63」ですでに記した。Koch の標本はプロイセンのヴィルヘルム4世に買い上げられ、ベルリンの博物館の所蔵になったというが、そのことに関してのメモであろう。そして、最後に書かれたのが鉛筆書きの[B]の部分で、ここは非常に読みづらいが、標本の産出地に関することらしい。

218 Kelloggのメモ[A] [B]

219 Kellog のメモ(タイプ打ち)[C]

220 Kellog のメモ [D]

 Kellogg, 1936「The Archaeoceti」は、異常なほどの豊富なデータで埋められている。例えば、文献リストでは、各著者項目の後に生年・没年が記入してある。著者本人の項にも [1892--] とされている(もちろん没年はまだ。 1969年)。ついでに調べてみると、「The Archaeoceti」のリストに出てくる日本人による文献はMatsumoto, Hikoshichirô[1887--] (1926:FayumのHyracoideaに関する論文)ただ一つ。FayumのMoerithriumなどに関する一連の著作の一つ。その論文がどのようにArchaeocetiに関連するのかまで調べてないが、論文自体はネットで全部読むことができる。
 私はこの「The Archaeoceti」を、かけだしの頃に全ページのコピーを手に入れた。横浜のH先生の蔵書をお借りしたのだ。それを京都の大学の近くにあった(今でもある)製本屋さんで製本してもらって読んだ。のちにオランダの古本屋さんで実物を購入することができた。価格は記録がない。
 アメリカの科学的な出版物は、日本の主要大学の図書室に結構寄贈されている。例えばHayの「The Fossil Turtles of North America」(北アメリカのカメ化石:1908)は、Carnegie Institute の出版物だが、京都大学には1917年に寄贈されている。私はこの本が本学の図書室にあることを知って、これまた全ページコピーして目次を付けて製本した。

221 Hay, 1908 左:タイトルページの印(左下)とPreface前のページの大学受付印・蔵書印

 上のコピー(左)は、「Carnegie Inst. 寄贈本」という印が押してある。このサインは日本人風ではないが、Carnegieで押し(てサインし)たものだろうか。(右)は上の楕円印が受付印で、42.3.20というのは1942年のことだろう。下は蔵書印で、「京都帝國大學圖書室」である。「帝国」とある以上先ほどの42が昭和では合わない。
 同じように私が駆け出しの頃、Smithsonian Institute に別刷りの請求をした。何を求めたのかわからないが、その回答として、要求した別刷りのほか、海生哺乳類化石に関する幾つかの別刷りを送っていただいた。望外のもので、おおいに勇気付けられた。その別刷りには、美しいエンボス印が押してあった。

222 Kellogg Library のエンボス印

 エンボス印というのは、機械で紙に凹凸のマークをつけるもの。型押し印ともいう。機械はエンボッサーという。Kellogg Library のエンボス印は。中央にBasilosaurus cetoides (Owen)の頭蓋を配置し、周りの文字は下に「Smithsonian Institution」を2行に、左から右までの周弧に「Gift of Remington Kellogg Library of Marine Mammalogy」(全大文字)とかいてある。

223  Kellogg, 1936 Fig. 3 (23 p.) Basilosaurus cetoides (Owen) 頭蓋

 この いただいた別刷りというのは、次のもの。
Ray, Clayton and John K. Ling, 1981. Archives of Natural History 10(1): 155-171. A well documented early record of the Australian sea lion. Archives of Natural History, 10(1): 155-171.
 残念ながら、私は鰭脚類、それも南半球となると全く知識がないので、現在に至るまで役だてる機会がなかった。