OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

古い本 その107 古典的恐竜18 1905年

2022年06月29日 | 化石

1905年 Tyrannosaurus
 やっとTyrannosaurusが登場。その論文は次のもの。
⚪︎ Osborn, Henry Fairfield, 1905 Tyrannosaurus and other Cretaceous carnivorous dinosaurs. Bulletin of the American Museum of Natural History, Vol. 21, art. 14: 259-265. (Tyrannosaurus他の白亜紀肉食恐竜)
 最初に、肉食恐竜の命名の歴史から書き始め、そのあと表題にある通り、Tyrannosaurus だけではなく、下記の恐竜の新属・新種の記載が並んでいる。並べ方は、現在の「Systematic description」に近い系統的な書き方がされている。
Tyrannosaurus rex n. gen., n. sp.
Dynamosaurus imperiosus n. gen., n. sp. (Tyrannosaurus rexのシノニムとされる)
Albertosaurus sarcophagus n. gen., n. sp.
 Holotypeの標本番号の指定もある。Dynamosaurus imperiosusのholotypeである左下顎骨のスケッチが付いているが、Tyrannosaurus rexについては全身のおおざっぱな復元骨格の絵しかない。

376 Osborn, 1905. Fig. 2. Dynamosaurus imperiosus holotype 左下顎内側 前後長約90センチ

377 Osborn, 1905. Fig. 1. Tyrannosaurus rex 復元図 

 姿勢が古風なのはしかたがない。大きさの比較のため、人間の骨格が入れてあるが、この後これを真似る復元画がたくさん出てくる。「小さな前足を組み合わせたのは多分正しくない」と注記があるが、のちの骨格の発見で前肢が非常に小さいことがわかったのでよさそう。尾の上にあるのは復元画を描いたW. D. Matthewのサイン。
 William Diller Matthew (1871-1930) は、アメリカ自然史博物館のcuratorで、古生物学者。絵を描くのが上手なのは遺伝するのか、娘のMargaret Matthew Colbert は化石生物の復元画の作者として有名で、Edwin Harris Colbertの配偶者。・・・えっ!私はMargaret Matthew Colbertとは面識があることになる。1977年2月に、Colbert 夫妻は京都を数日間訪れ、そのうちの一日奈良に行った。その時大学院生だった私が案内したのだった。

378 Margaret Matthew Colbert(だと思う) 奈良公園 1977.2

 Colbert博士の奥様としてしか知らなかった。失礼なことをしていた。上の写真は昔の写真(デジタル化してファイルしてある)を引っ張り出したもの。Edwin Harris Colbert (1905-2001)もアメリカ自然史博物館で古脊椎動物の研究をした。日本では「脊椎動物の進化」(訳・田隅本生)初版1967・改定版1978(それぞれ上下2巻)で知られる。京都で田隅先生と一緒に夫妻を迎えて会食をした記憶がある。
 この「古典的」の中に、私と関係のあった方が出てくるとは思わなかった。もちろんColbert博士の生誕がTyrannosaurus命名と同じ1905年だから、間接的で、世代の違う関係だが。「古典的・・」シリーズの開始の時、Colbert原著の「脊椎動物の進化」に出てくる恐竜のリスト作りから始めたのも、何かの縁だろうか。
 Tyrannosaurusのデータは、比較的単純。
Tyrannosaurus, Osborn, 1905. 模式種: Tyrannosaurus rex Osborn, 1905.
産出地 Hell Creek, Dawson County, Montana 州 アメリカ

 なお、Tyrannosaurusは最も注目されてきた恐竜なので、多くの種類が記載され、そして消えていった。属のレベルでは、北米のTyrannosaurusに対してアジアの近縁属のTarbosaurusがある。Tarbosaurus の記載は1955年、Maleevである。調べると二つの論文が出てくる。同じジャーナルの次の号に当たるのだから、明らかに初めの方が命名にあたるのだろう。
⚪︎ Maleev, E. A., 1955. [Giant carnivorous dinosaurs of Mongolia]. Doklady Academii Nauk USSR 104(4): 634-637. (Mongoliaの巨大な肉食恐竜)
⚪︎ Maleev, E. A., 1955. [New carnosaurous dinosaurs from the Upper Cretaceous of Mongolia] . Doklady Akademii Nauk USSR 104(5): 779-783. (Mongoliaの上部白亜系からの新種肉食恐竜)
 英語翻訳したものがある。(translated by J. Alcockとしてある)しかし、図版は複製していない。ロシア語の文献は、見たことがあるような気がするが手元にはコピーを持っていない。まず、「Giant carnivorous...」論文は、短い前書きの後、Tyrannosaurus bataar n. sp.の記載がされている。Holotypeは#551-1 (Paleontological Institute of Academy of Sciences)としてあって頭蓋を含む。T. rexとの大きな違いは、鼻先が長いことと、歯の数が多いこと。
 次に「New carnosaurous...」論文は、新属新種Tarbosaurus efremovi を提唱している。標本番号は#551-2で、頭蓋を含み、先ほどのT. bataarと連番になっている。その後、Gorgosaurus lancinator n. sp., Gorgosaurus novojilovi n. sp. の記載が続く。二つの論文で出てくる4種の最近の取り扱いは「The Dinosauria」ではすべてTarbosaurus bataar (Maleev, 1955) のシノニムリストに入っている。
 Evgeny Aleksandrovich Maleev (1915-1966) はロシア(当時ソビエト)の古生物学者で恐竜ではTalarurus, Tarbosaurus, Therizinosaurusの命名で知られる。
 TyrannosaurusTarbosaurusに近い恐竜には他にもたくさんの属があったが、ほとんど消えてしまった。例えばJengiskhan 属というのがあった(Olshevski, 1995)が、あまり注目されることもなく、現在はTarbosaurus属のシノニムとされる。(冗談だが、どうせジンギスカン属を作るのなら、新種も設けて、Lambeに献名し、Jengiskhan lambeiとでもすれば、仔羊肉のジンギスカンとも読むことができて松尾さんが喜ぶのでは? lambeiが人名語尾だからそうは読めないか。)
 2001年に北九州で開催された博覧祭のモンゴル館では、Tarbosaurus efremovi の幾つかの骨が展示された。自由に触ってよい、というサービスであった。

379 Tarbosaurusの中足骨 2001.8.4 モンゴルのパビリオンで撮影 

 Tarbosaurus efremoviT. bataarのシノニムとされる。お願いしてアテンダントのAさんに持っていただいたが、そうでない時には積み上げた砂の山に置いているだけという扱いで、保管が大丈夫かと心配した。私が持っているところの写真も撮ってあるが、こちらの方が見栄えがする(令和ネット語でいうとばえる)。

古い本 その106 古典的恐竜17 1903年

2022年06月25日 | 化石

 今回から20世紀初頭に命名された主な恐竜の命名のデータを調べていく。

1903年 Brachiosaurus
 この恐竜属の命名論文は、次のもの。
⚪︎ Riggs, Elmer Samuel, 1903. Brachiosaurus altithorax, the largest known Dinosaur. American Journal of Science, Ser. 4, Vol. 15, No. 88: 299-306. (Brachiosaurus altithorax, 知られている中で最大の恐竜)1903.4 発行
 文頭で「これまでに多くの竜脚類が記載されていて、それらのどれとも異なる特徴をやっと見出したので命名に至った。最終的にMarshやCopeが記載した不明確な種類になるかもしれないが...」と、なんとなく自信のない記述がある。属の特徴として、大腿骨より上腕骨の方が長いこと、胸部の背腹高が非常に高いこと、などのいくつかの特徴をあげている。文中にスケッチがあって、問題の上腕骨・大腿骨他が図示してある。

373 Riggs, 1903. 302ページの図(一部)Brachiosaurus altithorax holotype

 図の左が右上腕骨の前側、右の大きな骨が右大腿骨の前側、中上は上腕骨の近心端、中下は大腿骨の近心端である。文中の計測値では上腕骨の長さは2.04メートル、大腿骨は2.03メートルで、上腕骨がわずかに長いというが、図はそうなっていない。図の倍率は書いてないからいいのかな。また、上記の特徴の中にはこの図にない骨のことも書いてあるから、まだまだ他の骨もあるようだ。胸部の深いことなどはそれなりの良い標本がないとわからないはず。
 著者Riggs, Elmer Samuelは、Brontosaurusのところ(古い本 その101)で登場済み。その折に引用した彼の論文(BrontosaurusApatosaurus のシノニムだとした)はここで引用したBrachiosaurus記載論文と同じ年。
 以上のことから次のように整理できる。
Brachiosaurus, Riggs, 1903. 模式種:Brachiosaurus altithorax, Riggs, 1903.
産出地 Grand River Valley, Colorado州 アメリカ

1903年 Ornitholestes
 この恐竜の記載論文は次のもの。
⚪︎ Osborn, Henry Fairfield, 1903. Ornitholestes hermanni, a new compsognathoid dinosaur from the Upper Jurassic. Bulletin of the American Museum of Natural History, vol. 19, art. 12:459-464. (Ornitholestes hermanni:上部ジュラ系からの新種compsognathoid恐竜)
 Wyoming州から産出した骨格(Amer. Mus. Coll. No. 619)をholotypeとして新属・新種を記載したもの。20世紀に入るとholotype指定、収蔵施設の明示、図示など、論文の形式が大分改善されてきている。それでも「Systematic」というような項目がないし、現代のものと比較すると情報を追跡するのに手間がかかる。それに何と言っても参考文献のリストをつける習慣がまだないから(欄外に注記することもある)文献を追いかける今回の調査は結構困難。

374 Osborn, 1903. Fig. 1. Ornitholestes hermanni, 復元骨格 全長2.22メートル

 前肢の指には特徴があって、何かをつかむことができそう。歩くには使えそうもない。

375 Osborn, 1903. Fig. 3. Ornitholestes hermanni, 左前肢指の構成 絵の横幅約14センチ

 新種名はO. hermanniで、種小名はAdam Hermann に献名されている。Adam Hermannはアメリカ自然史博物館のpreparator で、脊椎動物化石などの発掘から処理・組み立てに至る作業の論文として二番目ぐらいに早い時代に論文を記している。下記はそのうちの二つ。
⚪︎ Hermann, Adam, 1908. Modern Method of Excavating, Preparing and Mounting Fossil Skeletons.  Amer. Naturalis, vol. 42, No. 403: 43-47.(化石骨格の発掘、剖出、組立の最新技法)
⚪︎ Hermann, Adam, 1909. Modern Laboratory Methods in Vertebrate Paleontology. Bulletin of the American Museum of Natural History, Vol. 26, art. 23: 283-331. (脊椎動物古生物学の最新の室内技法)
 「二番目ぐらい」としたのは、1908年にF. A. Bather という人が「Preparation and Presentation of Fossils」という文を公表しているから。
 以上をまとめると次のようになる
Ornitholestes, Osborn, 1903. 模式種 Ornitholestes hermanni, Osborn, 1903.
産出地 Bone Cabin Quarry, near Medicine Bow, Wyoming州 アメリカ

古い本 その105 古典的恐竜16 American Journ. Sci. ・Copeの業績

2022年06月21日 | 化石

 Marshの論文の多くがThe American Journal of Science に掲載された。このジャーナルはインターネットで公開されている。言い換えればMarshの業績の80%以上を簡単に読むことができる。公開されている「Online Books Page」では、彼の著作の執筆期間にあたる部分のデジタル化原本はアメリカ地質調査所(U. S. Geological Survey)の蔵書で、元の持ち主の名「Chas. D. Walcott」を書いた紙片が貼ってある。
 Charles D. Wallcot (1850-1927)はバージェス頁岩の動物群の研究で有名で、近年発行された下記の本がスケッチや復元画が丁寧ですばらしい。Marsh, Beecher, Walcottの三人の共通点は...みんなCharlesだ!
⚪︎ Briggs, E. G., Douglas H. Ervin and Federick J. Collier, 1994. The Fossils of the Burgess Shale. 238 pp. Smithsonian Institution Press,Washington and london. (Burgess頁岩の化石)
 この本の217ページから5ページにわたって、Burgess Shaleから報告された種類のリストがあるが、Walcott が命名した種が並んでいて、壮観である。

369 Briggs et al., 1994 カバー

 デジタル化された彼の蔵書はかなり日焼けしているが十分に読むことができる。内部には数少ないが書き込みがある。

370 原本への書き込み Walcott, 1889, p. 389.

 ごらんのように、種名から引き出し線と×印が赤(多分赤インク)で控えめに書き込んである。よく見ると、命名者が「Ford」の所につけてある。Fordとは誰かを調べてみると、このジャーナルの中にも23件の論文があって、全部を見たわけではないが例えば次のもの。
⚪︎ Ford, Silas Watson, 1873. On some new species of Fossils from the Primordial or Potsdam group of Rensselaer county, N. Y. The American Journal of Science, Ser. 3, No. 28: 211-215. (New York州Rensselaer countyの太古のPotsdam group [カンブリア紀] からの化石新種)
 Silas Watson Ford(1848−1895)は、もと電信技師で、のちにWalcottに雇われて地質調査所で研究をしたという。1895年に亡くなっているから、想像だが彼の業績を調べるためにWalcottが自分の蔵書の中のFord命名の種に印を付けたのではないだろうか。このジャーナルに掲載されたFordの論文に同じような赤い小さな目印が付いているものがある。これも業績目録作成のために付けられたのだろうか。

371 Ford, 1886 論文に付けられた赤いチェック

 American Geologist. Vol. 16: p.129 (1895) に短い通知が無記名で書かれている。「Silas Watson Ford died at Salatoga, N.Y., June 25th, aged 48years. Mr. Ford’s name is familiar to American paleontologists through his papers on the fauna of the Silurian and Cambrian, which were published from 1871 to 1886.」。48歳はあまりにも若い。下記の論文に詳しい記述があるのだろう。
⚪︎ Hernick, Linda VanAller, 1999. Silas Watson Ford: A Major but Little-known Contributor to the Cambrian Paleontology of North America. Earth Sciences. Vol. 18, No. 2, 246-263. (Ford: 重要だがあまり知られていない北アメリカのカンブリア紀古生物学に貢献した研究者)(未入手)
 思いの外、本題から離れてしまった。「こだわり...」なので、ご容赦を。今回で19世紀の恐竜がおわる。「The Dinossauria」掲載の現代も使われている恐竜属(鳥類を除く)は55属(竜盤類33、鳥盤類22)だが、そのうち16属(竜盤類10、鳥盤類6)について調べた。次回から20世紀初頭の恐竜の話に進む。

Copeの業績
 Marshの業績について記したから、Copeについても記しておこう。Copeの追悼文は次のものがある。著者はOsbornである。
⚪︎ Osborn, Henry Fairfield, 1929. Bibliographical Memoir of Edward Drinker Cope. National Academy of Science of the United States of America, Biographical Memoirs. Vol. 13, 3rd Memoir: 127-317, 1 frontispiece.

372 Cope肖像とサイン Osborn, 1929. 口絵

 追悼文が190ページというのに驚くが、もっとすごいのはそのうちの140ページ以上が著作目録であること。著作総数は1,394!! 当然そのリストを読んだわけではないが、もちろん恐竜はほんの一分野にすぎない。Copeが亡くなったのは1897年4月12日だが、その最後の1897年にさえ18件の論文などが出版されている。前年の1896年の論文数は50件に上る。同一著者の同じ年の論文は年号の後にアルファベット順にa,b,c...と記号をつける習慣がある。Osborn のリストは、このa,b,c...を付けていないが、1896年の50件(ほとんどが単著)にアルファベットを付けると26では足りない。どうするのがいいのだろう?

古い本 その104 古典的恐竜15  1890年・Marshの業績

2022年06月17日 | 化石

1890年 Ornithomimus
 この恐竜属の記載は、次の論文。
⚪︎ Marsh, Charles Othniel, 1890. Description of New Dinosaurian Reptiles. The American Journal of Science, Series 3, vol. 39, No. 229: 81-86, Plate 1. (爬虫類・新種恐竜の記載)(既出)
 この論文については前回Tricerastopsに関連して書いた。図版が一枚ついているが、Ornithomimus化石とそれの参考のための現生の鳥類の骨のスケッチが示されていて、他の種類の図版はない。

364 Marsh, 1890. Plate 1(上半)Ornithomimus verox, holotype 左脛骨と趾骨 右端は現生の若いダチョウの左脛骨

365 Marsh, 1890. Plate 1(下半)Ornithomimus verox, holotype 左中足骨 右端は現生の若いシチメンチョウの左中足骨

 つまり、この図は鳥類との類似性を強調したもの。Marshはここで現代風の感覚で鳥類は恐竜の一群だと言っているのではなさそう。むしろ別個に進化したものが結果的に似た形態になった(収斂)ものの例だと思っているのではないだろうか。Ornithomimus(鳥を真似るもの)という命名は、そのことを示している。
 以上の論文から次のように判断される。
Ornithomimus, Marsh, 1890. 模式種:Ornithomimus velox, Marsh, 1890.
産出地 Colorado州 アメリカ

 年代順に紹介したが、ここまでが19世紀に記載された主な属である。ごらんのように、Marshの活躍がめざましいので、ここでまとめてみよう。Marshは19世紀が終わる一年ちょっと前の1899年3月18日に68歳で亡くなった。その死亡告知がAmerican Journal of Science, series 4, vol. 7, No. 40 の巻頭にある。

366 Marsh氏の死亡告知 1899.

 そして、彼の業績はBeecherによってまとめられ、肖像とともに同じジャーナル6月号に掲載された。
⚪︎ Beecher, Charles E., 1899. Othniel Charles Marsh, American Journal of Science, series 4, vol. 7, No. 42, 403-428, with 1 plate.

367 Marshの肖像とサイン

 Charles Emerson Beecher(1856−1904) は、Yale Peabody Museumの三葉虫など古生代無脊椎動物化石研究者。この中に、9ページにわたってMarshの論文のリストが掲載されている。総数236件なのだが、驚くことにその約80%の189件がAmerican Journal of Science に掲載されている。27ページにもわたる追悼文を乗せるだけの貢献を認められたわけだ。彼の最初の論文(1861年)も、最後の論文(1899年5月号)もこのジャーナルだった。
⚪︎ Marsh, Charles Othniel, 1899. Footprints of Jurassic Dinosaurs. The American Journal of Science, series 4, vol. 7, No. 39: 227-232, Plate 1. (ジュラ紀恐竜の足跡)
 これがMarshの恐竜関連最後の論文。

368 Marsh, 1899. Plate 5. 恐竜足跡

 分野は恐竜が最も多く、約30%を超える。化石哺乳類に関するものもそれに次いで多く、30%弱である。他の脊椎動物化石では、海棲爬虫類や鳥類に関するものが目立つ。日本の古脊椎動物の研究で、Marshの論文を引用する例は多くない。数えたわけではないが、一番多そうなのは次の論文で、Desmostylus属の命名論文である。
⚪︎ Marsh, Charles Othniel, 1888. Notice of a new Fossil Sirenian, from California. The American Journal of Science, series 4, vol. 35, No. 205: 94-96. (Californiaからの新種化石海牛類に関する報告)既出
 この論文はすでに「古い本 その77」で紹介した。

古い本 その103 古典的恐竜14 1889年

2022年06月13日 | 化石
 Marshがその次にTrieratopsのことを記すのは翌月の1890年1月の下記の論文であった。
⚪︎ Marsh, Charles Othniel, 1890. Description of New Dinosaurian Reptiles. American Journal of Science, Vol. 39, No. 229: 81-86, Plate 1. (爬虫類・新種恐竜の記載)
 この論文で下記の恐竜が記載された。カッコ内は私の注記で、この時の変更と現在の取り扱い。
Triceratops serratus n. sp. (T. horridus のシノニムとされる。)
T. prorsus n. sp. (T. horridus のシノニムとされる。)
Ceratops paucidensHadrosaurus paucidens Marshの属変更)
Ornithomimus verox n. gen., n. sp. (これについては後で述べる)
Brontosaurus lentus n. sp. (n. gen.と記されているが誤り。1879年にこの属はすでに記載されている。—前述—)
 Ceratops paucidensは「The Dinosauria」に出てこない。どうしてだろう?そしてMarshは、さらに4か月後に角竜類について、もう少し長い論文を記した。
⚪︎ Marsh, Charles Othniel, 1890. Additional Characters of the Ceratopsidae, with notice of New Cretaceous Dinosaurus. American Journal of Science, Vol. 39, No. 233: 418-426, Plates 5-7. (角竜類の特徴の追加と、新種白亜紀恐竜の報告)
 新種としてつぎのものを記載した。
Triceratops sulcatus n. sp.(疑わしい種とされる)
Trachodon longiceps n. sp.(Edmontosaurus annectensに入れられているが、年代の順序に問題がある。)
Hadrosaurus brevicepsKritosaurus に入れるという)
Claosaurus agilis n. gen.(現在もこのまま使われている)
 この論文の後にある図版に、頭の形を示す図があり、それに脳のキャストの形態と位置が表現されている。

361 Marsh, 1890. Plate 5. (一部)Triceratops flabellatus 頭蓋背面(上)とT. serratusのBrain-cast(脳の鋳型)側面観。頭蓋の前後長230センチ、キャストの前後長約24センチ。

 また、Plate 6に、Triceratops の歯のスケッチがあって、特徴がよくわかる。

362 Marsh, 1890. Plate 6 (部分)Triceratops serratusの上顎歯。歯の高さ5センチ程度。

 この歯はまだ使われていないもの。恐竜には珍しく2根だが、それらは歯列の方向にあるのではなく、それと直角の方向に分かれている。上下の歯は側面ですれ違うように擦れ合うので、中央の絵でいうと左側の面が先にすり減る。先端がすり減る頃には側方の歯根まで摩耗する。だから個々の歯には左右方向(歯根の方向)に大きな力がかかる。

363 アメリカの某博物館にあったTriceratopsの角芯など 2002.3.14

 以上から下記のようなデータが正しい。
Triceratops. Marsh 1889.8 模式種 T. horridus (Marsh)1889 (旧名Ceratops horridus, Marsh 1889)
産出地 Laramie層 Wyoming州 アメリカ

 次の恐竜は珍しく三畳紀のもの。記載論文は下記のもの。
1889年 Coelophysis
⚪︎ Cope, Edward Drinker, 1889. On a New Genus of Triassic Dinosauria. The American Naturalist. vol. 23: 621-633. (三畳紀恐竜の新属について)
 この論文は、「Geology and Palaeontology」という短報のひとつで、15行の簡単なもの。もちろん図はない。内容は、以前この著者がCoelurus属に設けた2の恐竜に他の一種を加えて、別の新属Coelophysisとしてまとめる、というもの。なお、当時の習慣で「oe」は連字「œ」で印刷されているが、面倒なのですべて「oe」にした。その「以前の論文」というのはこれ。
⚪︎ Cope, Edward Drinker, 1887. The Dinosaurian Genus Coelurus. The American Naturalist, Vol. 21, No, 4: 367-369. (恐竜Coelurus属)
 これも短報であるが、2種類の計測値なども入っていて、だいぶん詳しい。種類は、Coelurus longicollis, C. bauriである。ではもう一種類は何かと言うと、Tanystropheus willistoniだという。Tanystropheusといえば、恐竜ですらなさそう。この属にまで話を広げると、きりがないので。ここで止める。この文中で、Copeは「Marshの [Coelurusは知られているどの目にも入らない] という意見は受け入れられない」と述べていて、やはり仲が悪そう。
 模式種は Coelurus bauri であるとFossil works などに書いてあるが、新属記載の時には3.種が出てくるので、誰がこれを選んだのかは不明。
 以上からつぎのようになる。
Coelophysis Cope, 1889。模式種はCoelophysis bauri (Cope) 旧名はCoelurus bauri Cope, 1887.
産出地 New Mexico州 アメリカ