OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

古い本 その160 ドーバー海峡のトンネル 2

2024年02月05日 | 鉄道

2. アメリカでの講演(1878年)
 最初の文章に戻って、1878年というのは明治11年であるから、日本ではやっと鉄道が敷かれ始めたころである。その時代に既にこのような具体的な調査がされていたことに驚く。さらにこの時代には技術の進歩はヨーロッパで先行していて、アメリカはそれを取り入れる立場であったと考えられる。
 この論文には、別の著者による前書きがある。その部分はMoncure Robinson (1802−1891)によるものでフランスの出来事を紹介するに至った経緯が書いてある。Robinson氏はアメリカの鉄道建設や経営に関わる事業者・技術者であるから、この内容には特に興味があったに違いない。
Michael M. Chevalier (1806−1879)は、フランスの技術者・政治家・経済学者で、アメリカで活動した。1852年に American Philosophical Society会員に選出された。
 まず、トンネルの計画の中で、いくつかの問題点が指摘されている。例えば、地層中に海水が構造物に浸透する可能性のある複数の亀裂や裂け目、または脅威となる部分がないことや、そういう地層が海峡下に連続しているのか、そして地層自体が十分な不浸透性を備えているか、といった基本的な条件を調査する必要があること。そして実際に1875年から1876年にかけて、まず、両岸の地質調査によって地質構造を明らかにしたという。海底部については。多くの地点で測深(錘による測定)を行うとともに、その錘に付けた器具によって、底質の一部を引揚げて地質のデータを得ることができたとしている。二年間で7,671地点の測深値が得られ、そのうち3,267地点の底質のサンプルが得られたという。最後にSangatteというところで深さ130mの立坑を掘削してその実効性と実際の地層の掘削を試みている。
 その結論として、まず両岸の地質はよく対応ができ、同一の組み合わせであることが実証された。さらに、その地層のひとつ(下部白亜層)は、不透水性や堅牢性について十分な性質を持っていることから、トンネルを通すのに最も適したものであることを推測した。
 フランス人によるアメリカでの講演というのは、当時の感覚では「科学の遅れた国に啓蒙的に」行ったものだろうか?むしろこの事業に対する投資を求める宣伝なのではないだろうか。
 この講演記録を読むときにはいくつかの用語の理解が必要。まず、小文字の「cretaceous」は、時代名ではなく堆積岩名や地層名と思わねばならない。もう一つは「sounding」という言葉で、海などの水深を図るという意味。音とは関係がない。現代は水深測定に音波の反射を用いるのでつい「音響測深」とおもってしまう。これとは別に、「sound」には「入り江」や「正常な」という意味もあるのでややこしい。

3. フランスの調査(1857年)
 この講演記録は、図版を伴わない。やはり関係2国の論文を見たいと思ったので、探してみた。1992年に公表されたドーバー海峡の地質に関する論文の参考文献表を利用した。この論文表はその分野を網羅したもので、合計395論文をリストアップしている。その内19世紀の論文は9件あるが3件(フランス語が2件,英語が1件)が「海峡のトンネル」というようなタイトルだった。幸いにも2件のpdf(英仏各1)が入手できた。まず、フランスの論文で、前記の講演よりも、また二年間にわたる調査よりも20年も前のものである。。
○ Thomé de Gamond, Louis-Joseph Aimé 1857. Étude pour l'avant-projet d'un Tunnel Sous-Marin entre l'Angleterre et la France. (Paris: Libraire des Corps Impériaux des Ponts et Chaussées et des Mines.) : 1-181, Planches 1-3. (英国とフランス間の海底トンネルの予備的な草案の研究)
 全部で200ページ近いもので、第1章(序言)から第7章(結論)、それにかなり長い追加・付記から成る。地質だけではなく、経済的な影響などにも言及した総合的なものだが、多くの項目は簡単に記されていて、第2章は地質、第3章がルート、第4章が掘削、といったあたりが詳細な記述があるから主要部分なのであろう。
 46ページに、検討したトンネルの位置を示す地図がある。

599 Thomé de Gamond 1857. P.46. 計画図

600 Thomé de Gamond 1857. P.46. に現在のトンネル(青破線)を加筆

 なお、このルート図には1994年に完成したトンネルの位置を書き足した。青破線が現在のトンネルの位置、黄色は地上の線路の位置である。1857年の計画ルートは、北西—南東方向で、ドーバーの町の近くに入り口を持ち、そこから海岸線「ドーバーの白亜の崖」と並行して南西に向かって下降し、直角に曲がって海底部分に入る。このコースは海峡のほとんど最短のところを通っている。ただし、これだと良好な地質の部分を通ることのできないところが出てくる。当時の地質学データは、おそらく海底部分ではかなり不完全であったと思われる。だからこそ1875年・76年に大規模な海底地質の調査が行われたのではないか。海峡のこの付近の地質は、前にも書いたが西北西〜東南東方向の走向で、北北西に傾いた単斜構造で、同じ深さで同じ(トンネルに適した)地層を追えば、必然的に実際に完成した方向のトンネルとなる。それが南にいくほどターゲットの層は浅くなり、ついには海底に露出して危険になる。さらに南に行けばターゲット層は存在しなくなる。ただし、この「単斜構造」は、もっと広く見るとその南にある軸を介して大きな背斜構造の一部であるから、この構成が続けば南の方にここと反対に南に傾斜したターゲットの地層があるかもしれない。それがあったとしても、海峡の幅がずっと広くなって、建設には非常に不利になる。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿