OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

箱入りのサメの歯の整理 その2

2016年02月28日 | 化石
箱入りのサメの歯の整理 その2

 モロッコのサメの歯の産地は、箱に貼ったラベルではKhourigba, Moroccoとなっている。

4 箱に貼ってあるラベル

 ネットで調べると、非常に似た綴りのKhouribgaクーリブカは、カサブランカの南東約100kmにあって、主要道がその間を直接結んでいる。綴りはこちらが正しいのだろう。後述の論文中の地図にもこの綴りで出てくる。


5・6 アランブルグの論文(次回詳細)Fig. 3 とその右上部の拡大

 なお、図の凡例によると、網のかかっている所がリン鉱石の分布域のようだが、コピーが悪いのと私がフランス語に弱いので確かではない。スケールによると、図の横幅が約100kmである。この町の産業はリン鉱石の鉱山で、そのリン鉱の中からサメの歯などが大量に出てくるらしい。購入した店はMiner Kという名のフランスの業者さんで、毎年池袋で何かしらの化石を購入しているから、店主のおじさんは顔見知り。でも、昨年からは息子さんだけが来日している。店主はほかの見本市とダブるのでそちらに行っているのだそうだ。Miner Kはセント・ジュリアという南フランスの小都市にある。トゥールーズに近い内陸で、スペイン国境まで約100キロである。テロのことを聞いたら、息子さんは「ずいぶん離れているので、関係ない。」と言っていた。

7 Miner K のお店 2014.12のミネラルショーにて

 博物館では以前からこの店から多くのサメの歯を入手して来館者へのプレゼントに用いていた。箱の内容は、初期にはずいぶんいろいろなものが入っていて面白かった。巻き貝や鳥の骨などもあった。しかし、次第に洗練されてきて(私には面白くないが)一定のものだけがセレクトされている。今回のも少なくとも60%はオドンタスピス(複数種)である。残りの40%にもオドンタスピスが入っているので、たぶん80%以上だろうか。
(つづく)


箱入りのサメの歯の整理 その1

2016年02月25日 | 化石
箱入りのサメの歯の整理 その1

 昨年12月に池袋ショーで買ってきたモロッコ産の始新世サメの歯(500グラム入りの箱)を分けることにした。

1 分ける前のサメの歯 トレーの横幅約25センチ

2 少しずつ分けていく

 これを買ってきた目的は、アマチュアの方にプレゼントするためだから、分類する目的より、まずは見かけの良し悪しでランク付けしたい。全部を見渡して、A比較的良好なサメの歯、Bまあまあのサメの歯、Cサメの歯の破片 Dエイの歯 E他の動物の骨など の5つに分けた。

3 5つのカテゴリーに分けた
 プレゼントにできそうなのは、A比較的良好なものとBまあまあのサメの歯だけである。AをA1大型のオドンタスピス A2中型のオドンタスピス A3ラムナ類(オドンタスピスの一部が混じる) A4小さなサメの歯(種類はいろいろ、主にオドンタスピス)の4つのカテゴリーに分けた。結果は、A1(大きなオドンタスピス)16個29グラム、A2(中型のオドンタスピス)100個90グラム、A3(ラムナ類)32個33グラム、A4(未分類の小型のサメの歯)163個54グラム、B(まあまあのサメ)356個194グラム、C(歯根などサメの歯の破片)約90個42グラム、D(エイ)32個27グラム。E(他)12個6グラム。合計は475グラムで25グラム足りない。
 少なくとも、A2とBを全てプレゼントに使うとすると、合計456個で、箱の値段は3,000円だったから一個あたり6.6円。これだけなら単価は安い。でも差し上げるにはポリ袋が必要だし、ラベルも印刷せねば。何と言っても池袋までの旅費を考えると1個あたり200円以上という計算もありうる。それに退職した私には大量のプレゼントを用意することのメリットはなさそうである。使う心当たりはあるのだが。
 採集標本なら、ここで「接着」という作業に入る。割れて離れている破片を合わせるのだが、今回はあまりに効率が悪そうなので省略。
(つづく)


1991年モンタナ州の訪問 その20

2016年02月22日 | 昔の旅行
1991年モンタナ州の訪問 その20
Visit to Montana for digging, 1991. Part 20

 1991年7月7日午後、発掘を終了して車でビリングス(Billings)へ向かう。

79 石油会社の看板 1991.7.7 Sign of Sinclair Corporation

 途中で見かけた石油会社の看板に恐竜があったので撮影した。ブロントサウルスだそうだ。

80 ビリングスへ 1991.7.7 Road to Billings

 途中で暗くなり、夜になってからビリングスに到着。モーテルに宿泊した。
 翌8日早朝700発のデルタ航空628便、座席は10Aでソルトレイクへ。ソルトレイク着は812(時差1時間)。ここでは、フィリピン人の研究者Oさん夫妻が私の案内役であった。まず案内されたのが, 街の東の方にあるユタ大学内のユタ自然史博物館。

81 ユタ大学構内 1991.7.8 University of Utah

82 ユタ自然史博物館

古脊椎動物のデクルテン博士と面会する。共通の話題が少ない。それに正直言って英語があまり話せない。この時が私の三度目の海外旅行で、最初は韓国(1990年10月)、次が中国(1991年1月)だったから、初めての英語圏であった。アロサウルスの脳の化石があるというので見せていただく。化石骨の中の空間につまった岩石と、穴のまま残された所にワックスを入れた標本が、壊れないように厳重に保管してある。

83 アロサウルスの脳の化石 1991.7.8 Brain endocast of Allosaurus

その後展示室へ移動する。
 (つづく)


近況

2016年02月19日 | 今日このごろ
近況

 内視鏡検査で、大腸に複数のポリープが見つかった。
 昨年11月の末に行われた同窓会の折に「体調不良」と記したが、その原因は結局分らなかったが、ポリープが原因だったのかも知れない。名古屋から帰った後、検査を行ない、その結果今月入院して、除去手術を行なった。
 一日目は自宅で飲みづらい下剤を飲み、腸がきれいになったところで、午後入院、いくつかの検査の後、内視鏡手術に入った。場所は分っているから短時間で終了。点滴で栄養補給しながら快復を待つ。といっても手術の傷は腸内だけだから本人にはあまり実感はない。
 二日目、昼食から食事が出たが塩気のない「おかゆ」でおいしくはない。

2日目夕食 おかゆが薄い

 一日休養。何の症状もないからずいぶんたいくつ。手の甲にある点滴がじゃまな点以外は家に居た時と変わりがない。

点滴は左手の甲から

3日目朝食 おかゆが濃くなった

 三日目、朝食後点滴をはずし、11時前に退院。入院3日といっても、46時間ぐらいの滞在であった。
 帰宅して3日目であるが、何の問題もなく、すでに昨日は4キロほどウォーキングをした。現在は繊維の多いもの、多量の脂肪が摂れないが、明日ぐらいからは食餌の制限もなくなる。ただし、喫煙・暴飲・暴食・激しい動作(とくにお腹の)は当分禁止。飲酒・喫煙をしないので、ストレスはなさそう。なお、ポリープは最初の検査で「つまんで」来た組織に悪性のものはなく、今回取った部分の検査結果は、まもなく出る。


私の使った切符 その28 1973年

2016年02月16日 | 鉄道
私の使った切符 その28 1973年

 この頃、木曽谷を走る中央本線の蒸気機関車が最期を迎えていたので、二回ほど撮影に行った。

28-1 木曽に行った時の切符

★ 1973.4.11 木曽福島(中央本線)から40円区間の乗車券
★ 1973.6.11 落合川から中津川(ともに中央本線)ゆきの乗車券
 興味深いのは、木曽福島の券番は5桁なのに落合川のは4桁であること。長野あたりの券番が5桁であることは前に(このシリーズ その8)記した。木曽福島と落合川の間に長野・岐阜県境があるからそこが境界だろうか?なお、JR東北とJR東海のここの境界は塩尻の名古屋側にあるのでこれとは合わない。

28-2 氷見線

★ 1973.10.27 雨晴(氷見線)・高岡(北陸本線)間乗車券
★ 1973.10.27 氷見から雨晴(ともに氷見線)ゆき乗車券
 例によって福地温泉に一週間ほど滞在した際、氷見線に乗った時購入。夜行急行「立山3号」で京都から高岡まで乗り、氷見線に乗車、なぜか上りの途中で雨晴で下車している。その後猪谷(高山本線)から神岡回りで福地温泉に行った。帰途は高山から岐阜経由で京都に帰った。



28-3~28-5 みなみ東北周遊券

★ 1973.11.4(京都駅発行)名古屋から南東北周遊券
 京都駅で購入している。だから、京都・名古屋間のX・Y券片が付いていたのだろう。B券片に途中下車印 会津若松 会津川口 長岡。行程は記録があって、京都(新幹線)東京 上野(夜行急行ざおう3号)山形(左沢線一部乗車)(仙山線)仙台(仙石線)石巻(仙石線)本塩釜 仙台(東北本線)郡山(磐越西線)会津若松(只見線)小出(上越線)長岡(信越本線)長野(篠ノ井・中央本線夜行急行「きそ5号」)名古屋 京都。石巻付近での蒸気機関車撮影と只見線に乗車すること以外に、何をしに行ったのかよくわからない旅行である。只見線は現在も最も乗車しにくい線の一つだから、これが主目的と考えていい。

28-6 特急券(車内で購入)
★ 1973.11.08 仙台から郡山までの特急「ひばり」自由席特急券

28-6 裏磐梯 1973.11

 帰途、只見線を降りた小出駅でずいぶん待ち時間があるのに改札外に出られず、夜の駅のベンチで座っていた記憶がある。周遊券で指定されている復路は数通りあって、只見線からの上越線・高崎線で東京経由、新潟方面から信越本線・中央本線経由があるが、その二つを「渡って」帰ったから、ほんとうは小出・宮内間の乗車はできなかったのだろうと思う。