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最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

古い本 その127 古典的論文 翼竜類5

2022年10月29日 | 化石

 そしてCuvierは次の文で、問題の標本について初めて言及した。この「古典的恐竜」ブログで出てくる論文の中で2番目に古い。19世紀最初の年である。
⚪︎ Cuvier, George, 1801. Extrait d'un ouvrage sur les espèces de quadrupèdes dont on a trouvé les ossemens dans l'intérieur de la terre. Journal de Physique, de Chimie et d'Histoire Naturelle et des Arts, avec des Planches en Taille-douce. Tome 52: 253–267. (世界中で発見された四足動物の骨の種類についての研究から抜粋)

465 Cuvier, 1801.  ジャーナルのタイトル

 まず、この長いジャーナル名の最後の単語「Taille-douce」というのは凹版ということで、図版の印刷方法である。基本的には銅板に彫刻またはエッチングして溝を作り、インクを塗ってから拭き取り、溝に残ったインクを紙に写し取る方法。なぜそれが表題にするほど重要なのだろう?ちなみにリトグラフ技法は、1798年の発明だからこの時利用できた可能性はある。ただし、翼竜に関する図版はない。インターネットで入手できるが、pdfは画像であってtext としての処理はできない。検索や翻訳のためにはフランス語を自分で打ち込まないといけない。

466 Cuvier, 1801. 論文のタイトル

 それはいいとして、この文はいろいろな研究情報をまとめたものである。「今日、地球上のあらゆるところに最も大きな革命の反論できない痕跡があることを誰でも知っている。」という文章からはじまる。えっ?キュビエは進化論に反対していたのでは?よく読むと、革命という言葉を使っていて、進化とは言っていない。大きな天変地異で絶滅と再生を繰り返した、ということらしい。
 「最近の多くの研究の抜粋」は262ページからはじまる。シベリアの象牙の発見の話である。ここでは発見者や研究者について触れられていない。Cuvier自身の研究だとも言っていない。2番目もマンモスの話だが、場所が違ってイギリスとアメリカ。3番目はシベリアのサイ、他にメガテリウム、洞窟の骨、さらにMaestrichtのワニ(後のMosasaurus)と進み、翼竜の件は11番目に短く出てくる。ここでは研究者としてColliniが挙げられている。1784年の論文のことだろう。短いから全部を翻訳しておこう。「11番目は、非常に特異な爬虫類で、Eichstättの近郊の頁岩に含まれていた。それについてはCollini氏がほぼ完全な骨格を記載した。標本はManheimの収蔵庫にある。その動物は小さくて現在の竜と名付けられた爬虫類のように飛ぶことができた。」小さな現在の竜というのは、おそらくトビトカゲのことで、胸に翼を持って滑空できる。属名はDracoである。そんなわけで、Cuvier, 1801の翼竜に関する部分は自身の研究に関するものではないし、もちろん命名はしていない。
 復原の歴史を追った最近の論文(下記)によると、同じころにPterodactylusの復原画を描いた人がいる。
⚪︎ Taquet, Philippe and Kelvin Padian, 2004. The earliest known restoration of a pterosaur and the philosophical origins of Cuvier’s Ossemens Fossiles. Compte Rendus Palevol, 3 (2004): 157-175. (知られている最初の翼竜の復原とCuvierの「Ossemens Fossiles」の哲学的起源)
 「Ossemens Fossiles」というのは、「化石骨」という意味だが、ここではずっと頼りにしてきた1812年の論文全体のタイトルの一部でもある。Taquet and Padian の論文にProfessor Hermannが1800年にCuvierに送った二枚の複原画のひとつが次のもの。

467 HermannによるPterodactylusの復原 Taquet and Padian, 2004

 長く伸びた指骨(第IV指)が足首の近くまで回り込んでいる。左の翼が広がっているのは、おそらくCuvierによる改訂案だろう。元の形は異様に見えるが、現生のトビトカゲの「翼」の縁にはやや分厚いところがあるように見え、似ている。ただ、翼竜の化石ではこの部分がもっと直線的な指骨で構成されていて、矛盾する。トビトカゲの「翼」は肋骨で支えられているから全く別のもの。この図は当時公表されなかった。

まだ調べが足りないようだが、一応まとめておこう。
Pterodactylus 1812, Cuvier (この時にはptero-dactyle: のちにラテン語化): 模式種 Pterodactylus antiquus (Sömmerring, 1812) 命名の時にはOrnithocephalus antiquus。Holotype:MS629V, Bibliothèque centrale du Muséum national d’Histoire naturelle, Paris):
産出地 Eichstättか? ドイツ ジュラ紀

468  Holotype:MS629V, インターネットから

 翼竜のスタートで、ずいぶん手間取ってしまった。命名史がややこしかったためだが、時代があまりにも古いので仕方がないし、むしろ私にとっては興味ふかく、また勉強になった。

古い本 その126 古典的論文 翼竜類4

2022年10月25日 | 化石
 三番目の材料のfossilworks では、ウィキと同じくCuvier, 1809が命名論文としているが、その論文のデータは記されていない。種・Pterodactylus antiquusの初出論文がSömmerring, 1812であることは、ここにも書いてあるが、この論文ではOrnithocephalus antiquusとしてあることは明記されていない。
 のちの話だが、Cuvierは下記の論文で(たぶん初めて)ラテン語化した属名 Pterodactylusを用いて、新種Pterodactylus longirostrisを記載した。
⚪︎ Cuvier, Georges, 1819. Pterodactylus longirostris. In Oken, Lorenz (ed.). Isis (oder Encyclopädische Zeitung) von Oken (in German). Jena : Expedition der Isis. pp. 1788-1795, Tafel 20. (Pterodactylus longirostris:in Oken, Lorenz 編、Isis (または百科時報) )

460 Cuvier, 1819 が掲載された「Isis」タイトル

461 Cuv1er, 1819. Pterodactylusの記されている1787ページ

 これは百科辞典のようなもので、かなり詳しい記載があるものの学術報告と言えるかどうか....。本文のデジタルファイルはドラッグできるがドイツ語のひげ文字なので、翻訳処理するには大幅に打ち直す必要があり、解読は時間がかかる。

462 Cuvier, 1819. P. 1787 ひげ文字で記された記述

463 Cuvier, 1819. Pterodactylusの見出し。一部を解読して打ち直したもの。下の方は原文で、画像処理して薄くしてある。そうしておいてその上に現代風に打ち込んでゆく。

 翼竜ではPterodactylus longirostrisP. brevirostris(後にCtenochasma elegansのシノニムとされた)の2種類が出てくる。この2種類のテキストに対応して1枚の図版があるが、デジタル化がうまくいっていないのでよく見えない。

 Pterodactylus属の命名についてここまででわかったことは、次のこと。
1. 1809年にCuvierが記した論文にはこの属名またはその起源となる名称は提示されていない。
2. 1812年に、Sömmerringによって種Ornithocephalus antiquusが記載された。この種は後にPterodactylus属の模式種とされている。
3. (2.とどちらが先かは不明)1812年にCuvierはPtero-dactyleという名称を使用したが、1809年の論文との命名上の関連は示していない。
4. 1815年にRafinesqueは分類表にPterodactylusを挙げた。命名者をCuvierとしたが、命名年は示していない。
3. 1819年にCuvierはPterodactylus longirostrisという新名を提唱した。ここでCuvierは初めてラテン語化した(属の名称として妥当な)名称を用いたことになる。

 では、属の命名の歴史から離れて、もとになった標本について研究史を追いかけてみよう。Cuvier, 1809 よりも前にこの標本に関する論文がある。
⚪︎ Collini, Cosimo Alessandro, 1784. Sur quelques Zoolithes du Cabinet d'Histoire naturelle de S. A. S. E. Palatine & de Bavière, à Mannheim. Acta Theodoro-Palatinae Mannheim (in French). 5 Physicum: 58–103 (1 plate). (Bavariaのファルツ選帝侯カール・テオドールのコレクション中のいくつかの動物化石について)(未入手)
 Cosimo Alessandro Collini (1727-1806) は、イタリア人の博物学者で、ドイツで研究を行っていた。この時にはファルツ選帝侯カール・テオドールのコレクション管理を任せられていた。この論文の1784年という発行年は非常に古く、この恐竜他の文献調査で出てきた中で唯一の1700年代のもの。この文献はインターネットで入手できなかったが、Cuvier, 1812 に6ページ以上にわたって長い記載部分の引用がされている。この記載はほぼ完全に保存された一体の翼竜の各構成骨に記号を付しており、その記号の入った線画も引用されている。以下、記述の順に図にある記号と骨の名前(または部位)の対応を記しておく。

464 Cuvier, 1812. Colliniによる標本スケッチ。左右反転。

AB: 吻部を伴う頭骨。C: 眼窩。HK: 尾。O: 最長の骨(脛骨)。P: 後肢の3番目の骨(中足骨)。Q: 足の骨(足根骨・趾骨)。R: 足の骨(足根骨・趾骨)。T: 大腿骨。N: 後肢の構成骨(不明)。U: 後肢の構成骨(不明)。1〜7: 翼の構成骨。X: 鎖骨(不明)。Y: 不明。リスト中のカッコ内の名称は私が加えた。なお、左下の足の線画は、そこだけを拡大して付けたもの。スケッチにはスケールが記してないが、文中に幾つかの計測値が記されている。例えば顎の開口部の長さは3 inchi+3 linesとされている。Lineというのは12分の1 inchだから、開口部の長さが8.25センチぐらいということになる。上の図の枠外には、これを基にしておおよそのスケールを書き込んである。思ったよりも小さい。

 Colliniの判定に対して、Cuvierは幾つかの改訂を行った。一つは、「足の第1節」というような言い方をやめて、大腿骨・脛骨というような名称(上のカッコ内の名称)に改めた。また足の骨(中足骨など)が他から来たものではなく同一個体で矛盾がないとした。確かにこちらの方が適切である。
 標本の来歴についての記事がウィキにある。その情報の根拠は示されていないが、Collini, 1784 にもとづいている可能性はある。「標本はゾルンホーフェン近くのパッペンハイムという街に住むフリードリッヒ・フェルディナント伯爵から送られたものであり、アイヒシュテット産と言われているが発見と贈与の正確な日時は不明である。」 Friedrich Ferdinandという人物は何人かいて年代の合致する人はわからなかった。標本はこの人物からKurfürstentum Pfalz (ファルツ選帝侯)のKarl Theodor (1724-1799)に贈られたもので、ゾルンホーフェン石灰岩のものだが、産地は明らかではない。CuvierはAichstedt(Eichstätt)産としている。

古い本 その125 古典的論文 翼竜類3

2022年10月21日 | 今日このごろ

 Wikiでは、Pterodactylus の模式種をPterodactylus antiquusとし、その命名はSömmerring, 1812となっている。文献表には次のように書いてある。
⚪︎ von Sömmerring, Samuel Thomas, 1812. Über einen Ornithocephalus. Denkschriften der Königlichen Akademie der Wissenschaften zu München 3:89-158, Taf. 5-7. und Nachtrag vorgelesen am 8. April 1811(Ornithocephalusについて)

455 Sömmerring, 1812. ジャーナルのタイトル

 この文は学会の講演録で、1810年1月の会議と1811年4月の追加講演の記録である。論文のタイトルは実はずっと長いから、翻訳では省略した。文中にPterodactylusという属名は出てこないが、P.126 にOrnithocephalus antiquusが出てくる。文末の図はCuvierが1809年に報告したものと同じもの。Taf.V.は線画、Taf.VI. は復元図、Taf.V.は標本のスケッチである。このように、この化石は非常に早い時期に発見され、なおかつ現生生物に似たものがないのにもかかわらず、最初の標本が良好なものであったために当初から整った全形の復原が発表された。その点で恐竜とは大きく異なる。なお、ついでに記すと、肩から手首までの骨は肘が後方に位置するように曲がっている。だから、翼の膜は手首より先では骨の後方についているが、肘部分では前側にもあったことが推測される。大型の翼竜類標本には、手首から肩の方向に伸びる細くて尖った骨が見られる。この骨の起源はおそらく手根骨だろう。この構造によって、翼が一枚の構造ではなくて、一部を上方に反らせることができたのではないだろうか。現代のジェット旅客機では、離着陸時に翼の後ろ側にその面よりも下方に伸びるフラップを引き出す構造があるが、それに近い役割をしたのかもしれない。飛行方向を変更する補助翼のようなものかもしれない。

456 Sömmerring, 1812. Tab. 5. Ornithocephalus antiquus Sömmerring. 現在はPterodactylus antiquus (Sömmerring). 骨格化石線画

457 Sömmerring, 1812. Tab. 6. Ornithocephalus antiquus Sömmerring. 全身の復元図

458 Sömmerring, 1812. Tab. 7. Ornithocephalus antiquus Sömmerring. 化石標本のスケッチ

 気付くのは、標本のスケッチが、Cuvier, 1809のものと左右反転していること。ゾルンホーフェンの石板石の場合、石板の両方が保存されることもあるから、それぞれ別の側のものを描いたかとも思ったが、その場合には重なった骨が上下逆になるはずだが、そうはなっていない。標本は現在も見ることができるが、Sömmerringの図が正しく、Cuvierの図は反転している。たぶん印刷版の作成技法上の問題なのではないだろうか。複原画(Tab. 6)の下には左右に書き込みがある。左は「Christ Keeck del」、右には「J. S. Walvert Sculps」という書き込み、そして化石スケッチ(Tab. 7)の標本下の左に「Christ Keeck del」側にそれぞれ2つの少し読みにくいので確かではないが、そのうちの一つは「Christ Keeck  」(3つ目の単語不明:複原画と化石スケッチで別の単語)、もう一つは「J. A. Manz. Sculps」らしい。Christ Keekは原画の作成者、あとの二人は版の製作者、かな。
 Sömmerring, 1812 の取り扱いではPtrodactylus属を認めていないことになる。認めていないのに命名者とするわけにはいかない。また、P. 134にCuvier, 1809の標題が引用されている(引用はフランス語のまま)のだが、興味深いことにpetro-のところが、Ptero-に変えられている。勝手に変えるな!

459  Sömmerring, 1812に引用されているCuvier, 1809の標題。赤下線は私がつけた。

 なお、Sömmerring, 1812の標題の最後にある「45」というのは脚注の表記で、下にはCuvier論文の掲載されたジャーナルが明記されている。Cuvier, 1809では二名法を用いていないので、属名だけがのこり、模式種はSömmerring, 1812の種が選ばれるというのだが、後に誰かが「antiquusPterodactylusに属する」と書いたのだろうか。ではその論文は? いずれにしても、Sömmerring, 1812 はPterodactylus属を提唱する論文ではない。
 1812年に、CuvierはColliniの研究を引用する形で、この標本について記した。その論文が次のもの。
⚪︎ Cuvier, Georges 1812.  Sur le squelette fossile d'un reptile volant des environs d'Aichstedt, que quelques naturalistes ont pris pour un oiseau, et dont nous fornions un genre de sauriens, sous le nom de ptero-dactyle.  Recherches sur les ossemens fossiles de quadrupèdes : où l'on rétablit les caractères de plusieurs espèces d'animaux que les révolutions du globe paroissent avoir détruites. Tome 4. Article V. 24-37, 2 plates Paris: Deterville. (Aichstedt近郊産の飛行性爬虫類の化石の骨格について。一部の自然研究者は鳥と見なしたが、爬虫類のptero-dactyleという名のものである)

 この論文は、命名に関わる記述が本文には全くなくて、本質的名部分はCollini(既に亡くなっていた)の記載を再録したもの。さらにその判断についてかなり批判的にCuvier自身の意見を記している。命名に関しては「sous le nom de ptero-dactyle」(ptero-dactyleの名で)という言葉が表題に(そして表題だけに)出てくる。この扱いは1809年の論文と非常によく似ている。ただpetro-ではなくptero-に改訂?されている。引用文献が記されていないので自身の1809年との関わりについては触れられていない。好意的に見れば、その論文の訂正を表明している、と見ることができるかもしれない。そして、語尾の読み替えが許されるなら、この論文こそがPteridactylusの初出論文であるという可能性もある。文末に二枚のスケッチ図版が添えられていて、その二枚目はCuvier, 1809年のものとほとんど同じである。このスケッチはColliniによるものだと明記されている。Cuvier自身は標本を見ていない。
 なお、この論文の発行時期については1812年という記載しかなく、Sömmerring, 1812 の発行との前後関係は分からなかった。

古い本 その124 古典的論文 翼竜類2

2022年10月17日 | 化石

 「Petro-」の問題は、その後しばらく論じられなかったが、100年近く後にアメリカの論文で取り上げられている。それが下記のもの。
⚪︎ Hay, Oliver Perry, 1902. Bibliography and Catalogue of the Fossil Vertebrata of North America. United States Geological Survey, No. 179: 7-868.  (北アメリカの化石脊椎動物の論文目録と(種類の)目録)
 860ページにもわたる詳細なリストであるが、その507ページにOrnithocephalus Sömm. の項がある。この属の模式種をO. antiquus Sömm.としている。最初の論文にSömmering, 1812があって、そこにやや長い記述がある。抄訳しておこう。「多くの著者の用いているPterodactylusという名称は、Cuvierが1809年に命名したとされている。しかしその論文にはフランス語のpetro-dactyleしかない。誤植であるとしても属名として認められない。」
 ということで、Ornithocephalusを有効な属名としている。この意見はかなりの部分で正しいのだが、当時古生物学の後進国?のアメリカでの発言だったし、Pterodactylusはヨーロッパではすでに広く使われてきたのであまり注目されなかった。
 Oliver Perry Hay (1846-1930) はアメリカの古生物学者。カーネギーの研究所に在籍したが、国立博物館などにも仕事場を持ち、第四紀の哺乳類や亀類などの化石について多くの論文がある。

 前回、ウィキ(日本語のWikipedia)を調べたのだが、驚いたことにWiki(英語のWikipedia)ではこれと異なる判断がされている。属Pterodactylusの命名者はRafinesque, 1815、type speciesはP. antiquus, Sömmerring, 1812 (Ornithocephalus antiquus)だという。では、その論文を調べてみよう。
⚪︎ Rafinesque, Constantine Samuel, 1815. Analyse de la nature, ou tableau de l'univers et des corps organisés (L'Imprimerie de Jean Barravecchia ed.). 1- 224. (自然の分析、または宇宙と組織化された全容の表)(部分的に入手)

452 Rafinesque, 1815. タイトルページ

 中央の蔵書印?は「裏写り」で、画像を左右反転してみたが読めなかった。
 Constantine Samuel Rafinesque-Schmaltz. (1783-1840) は、フランスの天才的知識人であるが、世間に認められていたとは言えない。知識の分野は広く、生物学や地質学だけではなかった。

453 Rafinesque 肖像 1815. タイトルページの前ページ。

 この本は、224ページという長いもの。インターネットで見ることができるが、画像ファイルで保存されているので、取り扱いはめんどう。
 巻末の215ページに目次がある。第一部の最初の章の表題はl’homme et la nature (人と自然)次いで II. 宇宙または博物学 III. 空と天文学...と大きな話から始まるから、翼竜の出てきそうなところを探そう。それは第二部II.の「動物と動物学」のあるV. Classe Erpetia. Les Reptiles. にありそう。73ページから始まって、次の分類群である魚類が79ページから始まるから6ページほどしかない。
 最初のページに「爬虫類」の特徴が記してあって、残り5ページが属までの分類表である。まず「爬虫類」全体をPodosia として、それを4つのOrderに分けてある。Perostia, Sauria, Ophostia, Batrachia の四つ。Perostiaは亀類、Sauriaがほかの爬虫類に、Ophostia はヘビ類に、 Batrachiaは現在のカエル・サンショウウオにあたるので、ここではSauriaを調べる。Subfamilyよりも上位の分類群には短い記事がある。属のレベルには命名者が記してあるだけで、特徴などの記事はない。大部分がRafinesque自身の「命名」で、その一部には先行する名称とその命名者が記されている。すでに命名されているのに新しい名前を提唱している理由はよく分からないが、分類のもとになった形態を示したり、語尾を統一するといった意味があるのだろうか。彼が名付けた名称の多くはその後使われないので、解読は面倒。なにしろ日本なら明治維新よりも50年以上前のできごとなのだ。
 いずれにしてもPterodactylusは、75ページの下の方に出てくる。その上位の分類群は、Family Chondronia で、その科には他にIguanaなど現生・化石の計7属が入れられている。ただし、Pterodactylusは他とは区別されているようで、属の前に「App.」という記号が入っている。「追加」という意味だろうが、他とどう違うのかは不明。

454 Rafinesque, 1815. Pterodactylus の項. 赤下線は私が引いた。

 なお。Chondronia科の特徴として背中の鱗などが記してあるが、Prterodactylus化石のその部分が分かるとは思えない。何の説明もなく、ただ「Pterodactylus Cuv.」としか書いてない。Cuv.はもちろんCuvier で(217ページに引用した著者の略号の表がある。)ある。年号はないが、属名はCuvier の命名だと明記してあるではないか。これをRafinesque の命名だと解釈できるわけがない。本人がそう言っているのだから。たぶんRafinesqueが見たのはSömmerring, 1812なのではないだろうか。Cuvier, 1809にはpetro-としてあるから、それを見たのならPetro- としただろう。なぜWiki(英語)は命名者をRafinesqueとしたのだろう? 無駄なことに労力を使ってしまった。

宮若市で恐竜のお話をしました(臨時投稿)

2022年10月17日 | 今日このごろ
15日(土)に宮若市で「恐竜発見!」という題でお話をした。
多くの方々が熱心に聞いてくださった。一度延期されたこともあって、ずいぶん多くの話題を詰め込んだので、作ったパワーポイントが60ページ近くとなり、早口になってしまったのは申し訳なかった。
 一つ訂正がある。終盤で時間がなくなったので、ある受賞スピーチでは与えられた時間が切れる頃に少女が出てきて時間切れを告げるが、飴などで買収できる、という話題をお話したが、そのスピーチはノーベル賞受賞のスピーチではなく、イグノーベル賞が正しい。お詫びして訂正する。結局私のお話は5分ほど延長してしまった。ご質問も少しだけしか頂けなかった。陳謝する。