OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

1993年のニュージーランド研究旅行 その33 広い公園

2017年01月31日 | 昔の旅行
1993年のニュージーランド研究旅行 その33 広い公園
Research trip to NZ, 1993: No. 33 Hagrey Park


 朝食をホテルから少し南に行ったところのサンドイッチ屋さんでとる。ケースと棚のサンドイッチや、パンから自由にとって、最後に「コーヒー」とか言いながら左端のレジに出すしくみ。道路側にカウンターテーブルもあって、手軽に安く食べられる。客は多くないので、パンが乾かないように布が掛けてあるから、開けて見ないと何があるのか分からない。

33-1 朝食を 1993.2.11
Buffet for breakfast

 今日は植物園とカンタベリー博物館の見学を予定している。クライストチャーチの市街の西側にエイボン川(Avon River)が大きく蛇行している。その内側がこの二つの施設が占めている。東西500メートル、南北300メートルぐらい。東側を道路(ロールストン通り:Rolleston Ave.)で仕切られ、他をエイボン川が囲んでいる。植物園がまだ開いていないので、川沿いを散歩。若者がカモに餌やっている。


33-2・33-3 カモに餌をやる若者 1993.2.11
Duck of Avon River

 警戒心が薄いらしく、私が近づいて写真を撮っても気にしない、カモも若者も。川の外側は広い広いハグレー公園(Hagrey Park)である。人はみあたらない。いても目立たないくらい広い。次の写真にはサッカーコートが写っているのだが、遠くて分からない。

33-4 ハグレー公園 1993.2.11
Hagrey Park

 そろそろ植物園の門が開く頃、そちらに行こう。


父の遺した写真 32 窯業工場の煙突

2017年01月28日 | 鉄道
父の遺した写真 32 窯業工場の煙突

 前回常滑の煙突を紹介したが、ほかの場所の陶器工場でも、たくさんの煙突が並んでいた。

32-1 天神橋から見た名古屋北部の陶器工場群 1958.9.27
 
 東区の矢田町の辺りに陶器工場がたくさんあった。たぶん瀬戸から名鉄瀬戸線などで粘土を運んできたのだろう。手前の川は矢田川。

32-2 耐火煉瓦工場 岡山県三石 1961.1.19

 山陽本線が岡山県に入るとすぐにある駅が三石。ここで作っている耐火煉瓦は、長い歴史を持つ。

32-3 四日市の万古焼工場群 1957.2.17

 万古焼は、土鍋が有名。近鉄名古屋線阿倉川駅付近で撮影されたもの。この時、近鉄名古屋線は狭軌であったが、二年後標準軌に改められる。それについては、次回記す。

 写真の転載はご遠慮いただきたい。


1993年のニュージーランド研究旅行 その32 グレイマウス

2017年01月26日 | 昔の旅行
1993年のニュージーランド研究旅行 その32 グレイマウス
Research trip to NZ, 1993: No. 32 Greymouth

 列車はグレイマウス駅に数十分遅れて到着。駅のすぐ東側に中新世の地層が見られるが、近づくことができない。

32-1 グレイマウス駅 1993.2.10
Greymouth Station

32-2 グレイマウスの第三紀層
Tertiary bed at greymouth

 地層の見える崖から北に川(グレイ川)(Grey River)を渡る橋が延びている。その向うに採石場があって、大きな白い岩が転がっているからそこまで行こうと考えた。ところが列車が遅れたために、一時間あるはずの待ち時間がほとんどない。いそいで少しだけ石を見てきたが、大きなウニの化石が少し見つかっただけ。立ち入り禁止の札が立っているし、採集道具がないから採れない。先ほどの川の南側に戻って、その護岸の切石におそらくその石切り場の石が使われているのを見つけた。そこで撮影したのが次の写真。

32-3 護岸にあったウニの化石 1993.2.10
Fossil sea urchin

 おそらくブンブクのなかま。写真を撮って急いで駅に向かう。乗り遅れたら一日後しか列車は無い。駅についてからだいぶん待たされた。予定は1425であったが一時間近くおくれたろうか。帰途は雨が降り出して景色も今一つ。

32-4 雨に煙るワイマカリリ川
Waumakariri River

32-5 トランツ・アルパインの乗車券
Ticket of Tranzalpine
 
 トランツ・アルパインの料金は片道41ドル(約2800円)。乗車券は往復重ねて表紙を付けて渡してくれる。なお、上の写真の最上段にある暗号のような記号列は、印刷機の故障らしく、本当はNew Zealand Rail Limited と書いてある。
 少し遅くなったが昨日からのホテルに帰ると、事務所の若い職員が「空気が悪かったから窓を開けておいたよ」という。荷物があるのになんということだ。でも逆に考えるとそのくらい安全ということか。入口のドアの錠も簡易なものであるが、ホテルの人に開けられるとは思わなかった。


佐賀県立宇宙科学館に行ってきました

2017年01月22日 | 今日このごろ
佐賀県立宇宙科学館に行ってきました

 1月20日(金)と20日(土)佐賀県に行ってきました。目的は県立宇宙科学館に寄贈された化石標本を見せていただくこと。ただし今回の記事では公開前の標本がほとんどなので、写真は出さない。写真は往復の特急だけ。
 20日(金)朝の鹿児島本線下り特急「きらめき」で博多へ。ソニックと違って小倉・博多間だけの運行だからあまり混んでいない。指定席は小倉では私だけ。

「きらめき7号」指定席 2017.1.20

 博多に着いた時には私の他一人乗っていた。自由席はどうだったのだろう?
 博多で「かもめ」に乗り継ぎ。問題はここで、時間が4分しかない上に、別のホームで、一度下の階に降りなければならない。どうして同じホームにしないのだろうか? やっと乗車して一息。
 昼頃に佐賀に着いて、まず佐賀県立博物館の標本を見学。点数は少ないが良い標本ばかり。その後武雄の県立宇宙科学館に移動。雨だったのが雪にかわり、寒い。ここに標本の大部分があって、すばらしいものが含まれている。化石の大部分は漸新世と中新世のもので、アマチュアのFさんが寄贈されたもの。その数2000点以上とのことであるから、もちろん全部は見られない。寄贈者の案内で順に見るが、きりがない。夕方まで見て武雄温泉駅前で一泊。駅前は店が少なく、夕食の場所を探すのもたいへん。数日前から携帯をスマホにしたから検索しながら歩く。
 翌21日(土)も朝から標本見学。午後、講演会ということで、1時間ほどお話させていただく。お客様の数は少なかったのだが、非常にレベルが高かったようで、適確な質問が続出。
 夕方の特急で武雄温泉から帰途につく。

「みどり24」武雄温泉駅 2017.1.21

 帰途の博多駅乗り継ぎはさらに難度が高く、3分しかない。やはり別ホームだし午後6時半という時刻だから人も多い。可能だろうが乗り継ぎをあきらめ、一旦改札外に出て、博多阪急で夕食の弁当の調達を試みる。20分程後の大分行きソニックの自由席に乗車したが、満席ではないものの各シートに乗客が一人ずつ座っているから席を取りにくい。何とか座って夕食。きれいだったソニックの車内もかなり劣化してきている。

「ソニック」のシート 2017.1.21

 好評の革張りがひび割れている。常にオイルを塗ればいいのだが、適量を超えればお客様の服を汚しかねないから難しそう。夜になって無事帰宅。おみやげは小城羊羹。


父の遺した写真 31 常滑線の車窓風景2

2017年01月19日 | 鉄道
父の遺した写真 31 常滑線の車窓風景2

 まず新舞子の水族館の写真。新舞子駅のすぐ海側に出る道の左側にあった。

31-1 新舞子の水族館 1961.9.24

 私たちは「新舞子の水族館」と思っていたが、東京大学農学部附属水産実験所」というのが正式の名称だった。夏休の宿題の調べ事で、実験室におじゃました。調べたのはウミボタルのことで、採集のしかたや、乾燥したウミボタルを潰すと光ることなどを教えてもらった。といっても教えてもらったのは姉で、小学校に上がる前の私は横で見ていただけ。父の写真には水族館の外観はなく、水槽の写真(ウミガメのこども、カブトガニ、たこつぼ)とタカアシガニ剥製の4枚だけが残っている。鯨の骨格が展示されていたという話もある。水族館は1970年に閉館した。現在結婚式場のある所にあった。

31-2 名鉄常滑駅 日時不明

 常滑は陶磁器の産地で、各地に名鉄を使って輸送していた。写真のように駅は活気に満ちていた。積んであるのは輸送される製品で、土管などが有名であった。写真に見えるのもほとんどが土管。常滑線は1982年に貨物輸送を終了。

31-3 常滑の陶器工場 日時不明

 たくさんの煙突が立ち並んでいた。ほとんどの煙突は断面が四角形の煉瓦積みのものだった。
 写真の転載はご遠慮いただきたい。