OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

「東海の象化石」ふたたび

2013年05月29日 | 化石
「東海の象化石」ふたたび

ずっと昔、名古屋の「東海化石研究会」会紙に、「東海の象化石」というシリーズを連載していた。名古屋とその周辺から報告された長鼻類の化石を、時代の新しいものから順に解説したものであった。
 その第一回は1981年8月の同会紙22号に掲載された記事で、名古屋東別院で、江戸時代(たぶん1854年)に発見された標本について記したものだった。この標本を見せて頂いたのを機会に、シリーズの開始をしたので、第一回には象全体の解説を含めている。
 その後、ブスクが研究した関東地方の標本(その結果をアダムスが報告した)について記した第二回、三河菱池などのものについて記した第三回がある。


ブスクが研究した関東地方産の象化石(Adams, 1868)

 第四回から第八回まではナウマンゾウについて解説し、第九回(1988年7月)のステゴドン類を記したところで、連載を中止した。理由は仕事が忙しくなったためだが、その第九回にちょっとしたミズがあっとことと、予告せずに救済したことこと、さらに、まだ全部の化石が登場していないことが、ずっと気になっていた。
 2011年に、大分県姫島でゾウの牙の化石を見付け、それについて同会紙に書く気になった。ついでに「東海の象化石」シリーズを再開することにした。ちょうど、途切れたあたりの種類の象の牙だったから、良い機会であった。退職後の暇な毎日だから、最後まで一気に原稿を書いてしまった。
 さすがにそのまま続けた形にするのは気が引けたので、「東海の象化石・ふたたび」という連載題にして、六回分の原稿ができた。同会紙は年一回の発行だから、六年分である。2012年に姫島のゾウの牙(当ブログで報告済)について、「ふたたび」第一回を記したが、この回は「東海の…」とするのとはちょっと違ったものだった。
 そして、東海シリーズにふさわしい内容を再開する、ふたたび・第二回が先日発行された。もちろんステゴドン類のアケボノゾウあたりからの再開である。「アケボノゾウ」として慣れ親しんでいるこの名称は、実は「アカツキゾウ」が正しいのかも知れない。


松本彦七郎が命名したアケボノゾウ(松本, 1915)

このままいけば、2017年に第六回が終るが、なにしろ四分の一世紀の中断だったから(第一回から数えれば三分の一世紀を超える!)、以前のシリーズに訂正や追加がしたいところがあるので、それを第七回(補遺)として記すかも知れない。それは2017年に決めよう。

追記;「ふたたび・第二回」の別刷りは、非常に限られた方にしかお送りしていないので、お読みになりたい方は当方までご連絡を。


最後の蒸気機関車たち その51 1972年8月

2013年05月26日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その51 1972年8月
The last steam locomotives in Japan. No. 51 (Aug. 1972)


大沼駅に移動。ここにも撮影に良い場所がある。


267N 大沼駅付近 1972.8.31 D52-136
267-269: Hakodate line, near Onuma Station, Hokkaido.


268N 大沼駅付近 1972.8.31 D52-136


269N 大沼駅付近 1972.8.31 D52-136

大沼から南に行った所で、道路からの撮影だがバックに小沼が入って良い場所である。バックに駒ヶ岳を写したかったのだが、ちょっと曇って惜しかった。


270N 大沼公園駅付近 1972.8.31 D52-136
Hakodate line, near Onuma-Koen Station, Hokkaido.

湖越しの撮影が出来る所は、大沼公園駅の北にある。手前は小沼だろう。D52-136は、1973年5月に廃車の後、沼津市で保管されているが、D52-235の部品が混じっているようだ。この撮影の後、室蘭本線にまわって、苫小牧に向かった。


271N 室蘭本線苫小牧・沼ノ端間 1972.8.31 C57-144 226列車
Muroran line, between Tomakomai and Numanohata Stations, Hokkaido.

C57-144は、1976年3月に廃車された。例外的に遅い廃車である。その後岩見沢市に保管されている。
登場蒸機 D52(写真267~270)C57(写真271)

2020.6.15 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.

古い鉱物標本(その16)最終回

2013年05月21日 | 鉱物・化石組標本
古い鉱物標本(その16)最終回
An old set of mineral specimens: part 16 (last)

「鉱物標本」シリーズも最終回。全体をみて、いくつかのコメントを記しておこう。「目録」に父の字でいくつかの書き込みがある。インクが漂白されて読めないところもあるが、おおよそ下記の通り。

4 「石英粗面岩」の下に「流紋岩」。既述。
9 「珪岩」の珪と岩の間に「板?」。意味不明。
10 「粘板岩」の上に「黒イ粘土マジル」。意味不明。
35 「青玉」の青の下に「鋼」。妥当な訂正。
38 「蛇紋岩」の紋が「絞」と印刷されていたのを上から紋に訂正。本文は蛇紋岩に直して書いた。
38 地名の後に「蛇灰岩」「鳩糞石」と記入。
蛇灰岩というのは、蛇紋岩と方解石が混じったような石で、現在の地質学では余り使われない。ビルなどの装飾石名にあるかもしれない。鳩糞石(きゅうふんせき)も同じような石で、やはりビルなどの装飾石名で用いられる。


Fig. 45 標本産出場所(範囲外に、小笠原父島とドイツがある。)
Location of specimens: 25,27: Bonin Island, 42: Germany

図は、標本の産地。一部の地点は重複しているので、合計70か所にはならない。
地点は中部・関東地方に多い。矢橋製作所の支店が東京にあったわけだから、両地方に多いのは当然。北海道と中国地方はそれぞれ1件だけ、四国・九州も2件だけ。以下近畿地方5件、東北地方6件と少ない。中部地方はちょうど半数の35件。なかでも岐阜県が13件を占めるのも当然。
現在天然記念物に指定されている場所から産出した標本がかなりある。また関連する鉱山はほとんど閉山しているし、国立公園などの関係もあるから、今後入手は困難だろう。
半分以上の産地はかなり近いところを通ったことがある。遠いのはドイツ。小笠原島はもちろん、佐渡島も行ったことがない。逆にその場所で採集や地学見学をしたことがあるのは、次のところ。

6 玄武岩 兵庫県豊岡市玄武洞
8 砂岩 千葉県銚子市
12・13・14・16・60 各種石灰岩・鍾乳石・赤鉄鉱 岐阜県大垣市赤坂
17 緑泥片岩他 埼玉県秩父市野上 他(見学のみ)
22・29・34・65 烟水晶他 岐阜県中津川市苗木
46 貝殻化石 岐阜県瑞浪市月吉

2割くらいあるからずいぶん高率。標本は有名産地を選んであるのだ。私は鉱物採集に出かけたことは少なく、化石採集が主である。
産地の選択はよいし、種類の選択もまあまあ。前にも記したが、変成鉱物の紅柱石や菫青石など、またバラ輝石のような赤いマンガン鉱物、化石ではアンモナイトなどの中生代化石、岩石では半深成岩があると良かった。安定した品質のものを、安価に購入できることと、一定のサイズにする作業の効率などを元に選定したのだろう。

この組標本が家にあったのが、私が化石屋になったきっかけの一つなのだろう。化石で定年までご飯を食べてこられたのだから、父の深い読みがあったのだろうか。
組標本というのはなかなか面白い。これにならって、「私の化石組標本」を作ってみようと、現在検討中。同じような小さなサイズの標本を揃えるのが難しい。また、小さい化石を入れる小箱(か小ビン)の問題もある。
(おわり:もしかしたら「私の化石組標本」シリーズに継承?)

AKCヴォーカライズの復刻 91-100号

2013年05月19日 | 今日このごろ
AKCヴォーカライズの復刻 91-100号(5月19日アップ)

音楽部バッジ

前にもこの件について記しましたが、1968年頃まで刊行された、愛知県立旭丘高等学校音楽部同窓会紙「Vocalize」(ヴォーカライズ)を復刻していくプロジェクトを始めました。今回はその第一回で、同紙の91号から100号までの復刻について記します。
 100号は、実際には発行されませんでしたが、大先輩Aさんの刻んだ原紙が残っていましたので、それから読み取ってできる限り再現したものです。復刻に当たり、100号原紙を保管してこられたN先輩、原紙が残っていることに注目された同期のSさん他、同窓会の皆さんに感謝いたします。

 復刻には次の資料を用いました。
1号から79号 N先輩のファイル
80号から98号 私のファイル
85号と99号 Sさんのファイル
100号 残されていた原紙
(19号と20号 現在資料がありません。お持ちの方、ぜひ貸して下さい。)

今回復刻した各号について。



91号 1966年9月7日発行 14ページ(上はそのタイトル)
  主な記事 1966年夏のつどい(恵那峡)の報告
この夏のつどいは、記録的な盛大なもので、29人が参加しました。
92号 欠号 ヴォーカライズには3回の欠号があります。
93号 1966年11月3日発行 12ページ
  主な記事 ロンドン通信4・合唱団のこと
ロンドン通信は、イギリスに長期間滞在した会員の手紙で、旅行者としてではなく、仕事で滞在した話。当時は海外旅行が少なく、好評を得ました。
合唱団は、音楽部卒業生を中心として創立された混声合唱団のことで、後の「コールコラーレ」。この時にはまだ不安定な状態でした。
94号 1967年5月14日発行 12ページ
  主な記事 41(1966)年度回顧座談会
長期にわたって休刊した後の号。どうも年度の後半になると、休む事が多いようでした。
95号 1967年7月2日発行 6ページ
  主な記事 42(1967)年度事業計画
96号 1967年8月13日発行 16ページ
  主な記事 音楽部20年史1(1948~1955年)
20年史は、創成期の音楽部の歴史を記した興味深いもので、続編が期待されましたが、この一回しか発行されませんでした。
号外 1967年10月4日発行 2ページ
  主な記事 旭丘高校文化祭の音楽部演奏会の告知
十周年記念号 発行日記載無し 1967年10月4日号外と同封 24ページ
  主な記事 記念パーティー報告・同窓会の歴史・規約・他
記念パーティーは1965年11月14日に開催されました。参加53人の盛大な会合でした。24ページという力作ですが、そのためか発行に二年近くもかかったのは皮肉です。
97号 1967年11月5日発行 12ページ
  主な記事 秋のハイキング/クリスマスのつどいの募集・教育実習報告記
98号 1968年3月10日発行 12ページ
  主な記事 ロンドン特派員の帰国
ロンドンに滞在した会員が帰国されたので、「ロンドン通信」は終了。帰途のシベリア鉄道の記録が読みたかったのですが、「シベリア鉄道で帰った」というだけ。
99号 1968年4月15日発行 12ページ
  主な記事 43年度役員選挙公示
いよいよ迎える100号を待つ言葉が各所に見られる期待に満ちた号。しかし100号が発送される事はありませんでした。
100号 未発行 少なくとも60ページ
  今回原紙から復元できたのは約20ページ。座談会や、バックナンバーのダイジェストが見られます。

次回は6月19日に、81号~90号の復元をお知らせする予定です。その後も、一月ごとに十号をさかのぼって復元していくつもりです(入力が間に合えばいいのですが…)。後期の号ほどページ数が多いので大変です。全部できれば、約1000ページ、100万字ぐらいです。

この復刻版ヴォーカライズのデジタルファイルは、同窓会のホームページからダウンロードできます。「カラスの広場」HPの中に同窓会HPが入っていますが、 ID、パスワードが必要です。
または、この下にあるコメント欄に記して、ご請求下さい。当方からも関係する方々にお送りすることができます。関係者とは、旭丘高校音楽部・およびその同窓会に入っている(または入っていた)方、そのご家族などです。

最後の蒸気機関車たち その50 1972年8月

2013年05月17日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その50 1972年8月
The last steam locomotives in Japan. No. 50 (Aug. 1972)


夏休みは、卒論でお世話になった上宝村(現在高山市)の温泉旅館で化石ガイドのアルバイトをしていた。それが一段落した8月29日から9月15日まで、北海道に撮影旅行に出かけた。コースは夜行で青森に着いたあと、大沼公園で一泊、札幌で友人と会って3泊、夜行で稚内へ、豊富温泉で泊まってまた夜行で釧路へ、厚床から標津線回りで標茶泊、釧路に戻り、釧網本線で常呂泊、名寄線、美幸線、深名線を通り、その後、宿泊地が確かではないが、函館本線、そして帰途に松前線に乗車した。74年秋・75年秋にもでかけたので、その後の未乗車線は留萠本線の留萌・増毛間(1998年乗車)、夕張線の清水沢・夕張間(同)、江差線の木古内から先(2004年乗車)の3か所だけになった。モノクロフィルムは12番まで残っているが、10番目がないので11本ある。他にカラーフィルムが1本。
最初は大沼公園付近。


261N 大沼公園駅付近 1972.8.30 D52-235 5552列車
261-266: Hakodate line, near Onuma-Koen Station, Hokkaido.


262N 大沼公園駅付近 1972.8.30 D52-235 5552列車

この場所は、大沼公園駅から南東に400m程の陸橋で、海岸回りの線と、山回りの線が合流する所に近く、両方の列車が撮影できて好都合。D52-235は、1973年5月に廃車の後、相模原市に保管。


263N 大沼公園駅付近 1972.8.30 D51-237 2153列車

この写真は、後に山があるので南に向かって撮影していることになる。大沼駅を出た列車が本線を北に向かっているところ。向こうを砂原線が通っていることになるが見えていない。
D51-237は、1974年3月に廃車。


264N 大沼公園駅付近 1972.8.30 D51?

265N 大沼公園駅付近 1972.8.31 D52-138

D52-138は、1972年12月に廃車。この日は暗くなるまで撮影して、翌朝も撮影。

266N 大沼駅付近 1972.8.31 D51-340

D51-340は、1973年11月に廃車。
登場蒸機 D52(写真261・262・265)D51(写真263・264?・266)
50回を終わった。このシリーズは95回まで続く予定。この10回で新しく登場した機種はD52だけ。合計20型式。1972年3月末現在の在籍型式のリスト(別冊週刊読売 最後の蒸気機関車 1972年5月)によると、残るのは鹿児島で1両が入れ替えをしていたB20型式のみ。これにはとうとう出会えなかったので、今後は型式数は増えない。
50回まで:登場蒸機 C11 C12 C50 C51 C55 C56 C57 C58 C59 C60 C61 C62 8620 D50 D51 D52 D60 D61 9600 4110(20型式)

2020.6.14 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.