古い本 その162 ドーバー海峡のトンネル 4
4. イギリスの調査(1872年)
最後に、イギリスの文献を当たってみよう。
○ Topley, William. 1872. The Geology of the Straits of Dover. The Quarterly Journal of Science, and Annals of Mining, Metallurgy. Engineering, Industrial Arts, Manufactures and Technology, New series. vol, 2: 208-223, pls. 3-5.(Dover 海峡の地質)
この論文には、前のフランスのものと違って地質に関することだけが記述されている。各層について、分布と層厚などの側方変化、透水の程度などが順に記載され、結論としてChalk-without-Flint 層だけがトンネルを通すのに適した層であるとした。この結論はそのまま実際のトンネルに適用された。各地層の特徴などの知見は現在もあまり変更されていない。ただ、断層の存在については、フランスの海岸付近のものが見落とされているようだ。文中に3枚の図版ページ(Pls. 3-5)が挟まれている図版3は、地層断面図で、3か所の断面図がある。
606 Topley, 1872. Pl. 3. 地質断面図
それぞれ、イギリス側の海岸線に沿ったもの、フランス側、それに海峡を横断する線のものである。残念ながら、ディジタル化がうまくいっていないので、細部が読み取れない。
図版4は柱状図で、イギリス海岸とフランス海岸の地層の重なりを図示している。
607 Topley, 1872. Pl. 4. 地質柱状図
これもきれいでないので、少々直線を書き直した。Gray Chalk層よりも上は、両海岸でよく一致した層序を見せているのに対して、それよりも下位ではフランス側で急激に層厚が薄くなっていくのが分かる。
図版5は、海峡付近の地質図である。当時は海面下の部分の地質調査は困難であったから、海の部分の地質は上部層の境界だけが示してある。それに加えて水深が等深線の形で書き込んである。等深線の間隔は10 Fathom(尋)=18 m。さらにトンネルのルートが2本書き込んであるが、しかし北側の線では上部のフリントを伴う白亜層よりも上位の地層中を通ることになり、そこでは地下水が多くなりそう。これに対して南の線では。一番好適なフリントを伴う白亜層よりも下位の層を通ることになり、いずれも本文の主張とは異なる。
608 Topley, 1872. Pl. 5. 地質図とトンネル計画線
試しに、この図に完成したトンネルのルートを重ねてみた。
609 Topley, 1872. Pl. 5. に1994年完成したトンネルのルートを書き込んだもの。
ご覧のように、二つの案のちょうど中間に建設されたことがわかる。これであれば、(当時の海底地質の推定と合わせても)深さを選べば好適な地層を通ることができる。いずれにしてもこの100年以上の歴史によってトンネルに必要な条件が変化しているので、その点も興味ぶかい。
当時の計画と異なる条件については、次のようなことが指摘できる。
1. 鉄道が電車または電気機関車で運行できるようになったこと。
これによって、勾配の制限がゆるくなったことや、電車であれば路床にかかる重量がずっと少なくなった。さらに大きな利点として、換気の問題が大幅に軽減された。中間に換気口を設ける必要が無くなったので、海峡中程にある浅瀬に関わらずにルートの設定をすることができた。
2. シールド工法が開発されたこと
これによって工期が短縮できたこと。途中に立坑などを設ける必要がなくなったことで、困難が減少した。
3. (これを先に書くべきだったかもしれない)海底下の地質を調査できるようになったこと
現在では、海上の船から強い音波を発生させ、その反射から海面下の地質構造を推定できる。当時のように岩石を採取する方法では調査できる地点が限られることや、標本の採取位置や状況に不確定な要素があった。
William Topley (1841−1894)はイギリスの地質学者で、英国地質学会会長を務めた。全部で16ページほどだからそれほど長い文ではないが、章立てがないから全容が明瞭ではない。
Topley. 1872 で面白かったのは(内容と無関係なのだが)、活字の中に見たことのない合字があったので紹介しておこう。アルファベットのcとtが続いたときに下のような活字を使っていた。二つの文字cとtが「connect」されているのだ。見たところ、すべてのctの連続場所で使われていた。
610 cとtの合字
面白そうなので、機会を改めてこの件を追跡するつもり。
4. イギリスの調査(1872年)
最後に、イギリスの文献を当たってみよう。
○ Topley, William. 1872. The Geology of the Straits of Dover. The Quarterly Journal of Science, and Annals of Mining, Metallurgy. Engineering, Industrial Arts, Manufactures and Technology, New series. vol, 2: 208-223, pls. 3-5.(Dover 海峡の地質)
この論文には、前のフランスのものと違って地質に関することだけが記述されている。各層について、分布と層厚などの側方変化、透水の程度などが順に記載され、結論としてChalk-without-Flint 層だけがトンネルを通すのに適した層であるとした。この結論はそのまま実際のトンネルに適用された。各地層の特徴などの知見は現在もあまり変更されていない。ただ、断層の存在については、フランスの海岸付近のものが見落とされているようだ。文中に3枚の図版ページ(Pls. 3-5)が挟まれている図版3は、地層断面図で、3か所の断面図がある。
606 Topley, 1872. Pl. 3. 地質断面図
それぞれ、イギリス側の海岸線に沿ったもの、フランス側、それに海峡を横断する線のものである。残念ながら、ディジタル化がうまくいっていないので、細部が読み取れない。
図版4は柱状図で、イギリス海岸とフランス海岸の地層の重なりを図示している。
607 Topley, 1872. Pl. 4. 地質柱状図
これもきれいでないので、少々直線を書き直した。Gray Chalk層よりも上は、両海岸でよく一致した層序を見せているのに対して、それよりも下位ではフランス側で急激に層厚が薄くなっていくのが分かる。
図版5は、海峡付近の地質図である。当時は海面下の部分の地質調査は困難であったから、海の部分の地質は上部層の境界だけが示してある。それに加えて水深が等深線の形で書き込んである。等深線の間隔は10 Fathom(尋)=18 m。さらにトンネルのルートが2本書き込んであるが、しかし北側の線では上部のフリントを伴う白亜層よりも上位の地層中を通ることになり、そこでは地下水が多くなりそう。これに対して南の線では。一番好適なフリントを伴う白亜層よりも下位の層を通ることになり、いずれも本文の主張とは異なる。
608 Topley, 1872. Pl. 5. 地質図とトンネル計画線
試しに、この図に完成したトンネルのルートを重ねてみた。
609 Topley, 1872. Pl. 5. に1994年完成したトンネルのルートを書き込んだもの。
ご覧のように、二つの案のちょうど中間に建設されたことがわかる。これであれば、(当時の海底地質の推定と合わせても)深さを選べば好適な地層を通ることができる。いずれにしてもこの100年以上の歴史によってトンネルに必要な条件が変化しているので、その点も興味ぶかい。
当時の計画と異なる条件については、次のようなことが指摘できる。
1. 鉄道が電車または電気機関車で運行できるようになったこと。
これによって、勾配の制限がゆるくなったことや、電車であれば路床にかかる重量がずっと少なくなった。さらに大きな利点として、換気の問題が大幅に軽減された。中間に換気口を設ける必要が無くなったので、海峡中程にある浅瀬に関わらずにルートの設定をすることができた。
2. シールド工法が開発されたこと
これによって工期が短縮できたこと。途中に立坑などを設ける必要がなくなったことで、困難が減少した。
3. (これを先に書くべきだったかもしれない)海底下の地質を調査できるようになったこと
現在では、海上の船から強い音波を発生させ、その反射から海面下の地質構造を推定できる。当時のように岩石を採取する方法では調査できる地点が限られることや、標本の採取位置や状況に不確定な要素があった。
William Topley (1841−1894)はイギリスの地質学者で、英国地質学会会長を務めた。全部で16ページほどだからそれほど長い文ではないが、章立てがないから全容が明瞭ではない。
Topley. 1872 で面白かったのは(内容と無関係なのだが)、活字の中に見たことのない合字があったので紹介しておこう。アルファベットのcとtが続いたときに下のような活字を使っていた。二つの文字cとtが「connect」されているのだ。見たところ、すべてのctの連続場所で使われていた。
610 cとtの合字
面白そうなので、機会を改めてこの件を追跡するつもり。