OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

忠類発掘50年

2020年06月28日 | 50年・60年
 北海道帯広の南にある忠類で、ナウマンゾウの発掘が行われてからちょうど50年になる。私は1970年6月26日に忠類に到着して、翌27日から発掘が開始されたと記憶している。その前年に予備発掘が行われて、化石が埋まっている可能性が高いことがわかっていたが、こういった発掘では予想が外れることも多く、掘ってみなければわからない。場所は、北海道幕別町の晩成現在の国土地理院地形図にも「ナウマン象発掘の地」との注記がある。なお、国道336号線の一部(広尾から浦幌)を「ナウマン国道」と呼ぶが、発掘地点は国道から300メートルほど内陸側に入ったところにある。
 当時の忠類村のご努力で、たくさんの隊員の宿泊や食事、それに現場への人員の輸送などいろいろな手はずが整えられていた。

忠類の発掘現場。道路右の崖を少し回り込んだところが発掘現場。

 発掘現場は、道路が山裾を通るところで、そのカットしたところに象の歯の化石が若い作業員によって発見された。この本発掘では、山の斜面を、埋蔵層のすぐ上まで15メートルも掘り下げて、そこから少しずつ掘って化石を探すというものだった。

発掘開始

 二日ほど経って全身の化石が確認されたが、泥炭層の中の化石はすっかり石灰分がぬけて羊羹のような柔らかいものと化していたから、発掘にはずいぶん手間がかかった。

化石が確認された。

発掘された大腿骨の前で記念写真。ここまでの写真は1970年6月末。

 報告書に掲載された発掘平面図(開拓記念館 1971)

 その後標本は大学に輸送されて夏の間にシンナーに溶かしたプラスチックを浸透させる作業を行った。
 完成した標本は型取りをして、骨格として組み上げられた。最初の骨格は費用を出した北海道開拓記念館の入口に展示された。

骨格の組み立て 1972年夏 京都市伏見区

北海道開拓記念館のナウマンゾウ骨格。1972.9.9

 この骨格レプリカは、私の勤務した博物館でも入手して展示しているから、50年間のお付き合いということになる。

北九州で展示されているナウマンゾウの骨格


「最後の蒸気機関車」の画像改善完了(臨時投稿)

2020年06月25日 | 最後の蒸気機関車
 「最後の蒸気機関車」シリーズの画像を改善したものに差し替えた。
 この作業は、6月初めから開始して、本日(6月25日)までに完了した。当初の計画よりも少しだけ早く進んだことになる。
 作業は、フィルムからスキャンしたデータを探し出して、画像処理を行った。作業枚数は499枚だった。全画像数は地図を入れて588枚ぐらいだったから写真のほとんどを入れ替えたことになる。最近のデジタルデータの画像もいくつか処理し直したが、さすがにデジタルのものはあまり手をつける必要がなかった。
 変換ミスなどの小さな誤りが10カ所ほどあったから直した。
 
 ご意見があれば「コメント」に記していただきたい。

 

私の使った切符 その110 海外旅行の搭乗券 2002年アメリカ往路

2020年06月25日 | 鉄道
私の使った切符 その110
海外旅行の搭乗券 2002年アメリカ往路


235 ANA484 福岡から関西空港 ANA 2002.3.9

236 AC0890 関西空港からVancouver カナダ航空 2002.3.9

237 AC1551 VancouverからSeattle カナダ航空2002.3.9 (再掲載)

 2002年にアメリカ西海岸のワシントン州に出張で行った時の搭乗券。旅行の詳細は昔の旅行ジャンルの「2002年アメリカ」で記した。この時関西国際空港は初めて利用した。小倉にいると、近畿地方は新幹線利用が普通だから、こういう乗り継ぎにしか使わない。236と237の搭乗券に赤字で「ITPC」と書いてあるのは、バンクーバーで飛行機を乗り換えるが、カナダ入国の手続きをせず、そのままアメリカ入国するということ。バンクーバーの空港の一角で入国手続きをして待つことになった。

238 関西国際空港のカナダ航空機 AC890 2002.3.9 (再掲)

239 Vancouver空港のカナダ航空機 AC1551 2002.3.9 (再掲)

 バンクーバーからシアトル・タコマ空港まではプロペラ機で低いところを飛ぶから地上がよく見えた。この機体はどこの航空会社のものかわからない。小さな鶴のマークが入っているがまさかルフトハンザではなかろうし。

240 Vancouver中心部 2002.3.9

 2001年のテロの後、海外出張が停止されていたのが、1月に部分的解禁となり、組んでいた予算は2001年度内でないと使えないというので寒いのに化石産地の見学をした。アメリカの入国は監視が厳しく、カメラのレンズを外して内部を見たり、CDプレーヤーはちゃんと聞こえるかどうか実演させられたりした。

古い本 その13 Zangerl 1958 別刷

2020年06月22日 | 化石
古い本 その13 Zangerl 1958 別刷

 少し時代が離れるが、次はR. Zangerl の「Die oligozänen Meerschildkröten von Glarus」(グラールスの漸新世ウミガメ類)という論文の別刷。グラールスはスイス東部にある小都市。やはりオランダの古本屋さんから購入したと記憶している。ただ、この別刷は本来の表紙を外して別の厚紙の表紙(無記入)を付けてあるようだ。元の表紙に蔵書印や図書館の受付印などの都合の悪い印でもあったのだろうか。縦32センチ、幅24センチで、本文56ページ、15図版のものである。今から62年前の論文。紙質は良く、ほとんど日焼けしていないし、図版に用いられている紙は特に良い。周りは裁断してないから裁断の目安となる線(いわゆる「とんぼ」)も残っている。

11-1 Zangerl 1958 内表紙 周りが少しトリミングしてある。

 もとのジャーナルは、Schweizerische palaeontologische Abhandlungen (スイス古生物学雑誌)Band 73、印刷はBirkhäuser Verlag Baselとなっている。この会社は現在もBaselに存在し、この雑誌の出版を続けている。
 この時から約200年前に、小さなウミガメの化石がグラールス州のマットというところのスレートから発見された。この場所は、スイスの東の端に近く、十数キロも行けばリヒテンシュタインの国境に達するところ。以前から屋根材のスレート鉱業で栄えていて、その中に魚類の化石を産し、Agassizが何種類もの魚類を記載している。スレートというのは弱い変成を受けた泥質の堆積物で、薄く平たく割れるものをいう。日本では東北地方の古生代のものが有名であるが、ここではアルプス造山で変成を受けた漸新世の岩石である。現在もMattから2kmほど北のEngiにかけて、西側の崖に幾つかの採掘場があるらしい。
 この論文を購入したのは、「漸新世のウミガメ」というところに惹かれたからなのだが、スレートの中の化石という点も種類の点でも全く異なる印象で、亀化石の研究にはほとんど役立てることができなかった。
 内容は主に二個の全身骨格の標本を記載して、前にChelonia knorri としてGray が作った種類をもとに新属 Glarichelys を提唱したもの。Knorrは採集者の名前(Georg Wolfgang Knorr)。ただし、ネットデータ(fossilworks, wikipedia)ではこの辺りが混乱している。論文では現生のウミガメ類の甲羅の構成が図示してあって、ずいぶん役に立つ。ただし、スレートの中の化石だから、それぞれの骨の立体的な形や表面がよくわかるわけではない。標本の写真とともにX線の写真もあってなかなか美しい。

11-2 Zangerl 1958 Taf. 1 ホロタイプ

11-3 Zangerl 1958 Taf. 2 ホロタイプのスケッチ

 標本の記載とともに、現生のウミガメ類との詳しい比較がおこなわれている。主に背甲・腹甲・頭蓋・それに指の構成(特に長さの比率)について述べられている。

11-4 Zangerl 1958 Abb. 22 背甲の比較の内、アオウミガメの図

11-5 Zangerl 1958 Abb. 9/10  Glarichelys knorri背甲復元図

 上の図は、二つのGlarichelys knorri標本の背甲である。二個の標本の形がずいぶん違う。ネットの「fossilworks」でこの種類の産出地にスイスが入っていないのはどうしてだろう? 「Eocene to Oligocene of Germany」という産出記録があるが、国を間違ったのだろうか? ウミガメ類の背甲は、大雑把に言って縁を作る縁骨と肋骨に表面の骨が付いた肋版、中軸を作る脊椎版の三種類から成り、縁版の内側に骨のないところ(図10-5の水平の平行な線で埋めてある部分)があるのが特徴だが、この空間は個体変異が大きいから種を決めるのには問題があろう。それに、Zangerlの標本は左のホロタイプが前後長10センチ、右が12.5センチと小さく、その上のアオウミガメの背甲は小さいもので45センチと大差がある。
 Rainer Zangerl (1912-2004) は、スイス生まれの古生物学者。シカゴのフィールド博物館の化石爬虫類担当学芸員として活躍した。サメ類・亀類などの多くの著作がある。

部分日食(臨時投稿)

2020年06月21日 | 今日このごろ
 部分日食があることは知っていたが、忘れていた。5時過ぎてからテレビで中継していたので気づいたが、準備もなかったし、最大食の時刻を過ぎてしまった。
 黒く感光したフィルムを探し、コンパクトデジカメの前に置いて撮影したのが次の写真。

部分日食 2020.6.21 小倉南区 17時45分ごろ。

 ついでに室内で窓から差し込む日光に手で小さな穴を作って撮した影が次の写真。


 一応、日食を見た」とは言えるかな?