北海道帯広の南にある忠類で、ナウマンゾウの発掘が行われてからちょうど50年になる。私は1970年6月26日に忠類に到着して、翌27日から発掘が開始されたと記憶している。その前年に予備発掘が行われて、化石が埋まっている可能性が高いことがわかっていたが、こういった発掘では予想が外れることも多く、掘ってみなければわからない。場所は、北海道幕別町の晩成現在の国土地理院地形図にも「ナウマン象発掘の地」との注記がある。なお、国道336号線の一部(広尾から浦幌)を「ナウマン国道」と呼ぶが、発掘地点は国道から300メートルほど内陸側に入ったところにある。
当時の忠類村のご努力で、たくさんの隊員の宿泊や食事、それに現場への人員の輸送などいろいろな手はずが整えられていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/ba/f179fa16d1935c48472caea4bcc3db81.jpg)
忠類の発掘現場。道路右の崖を少し回り込んだところが発掘現場。
発掘現場は、道路が山裾を通るところで、そのカットしたところに象の歯の化石が若い作業員によって発見された。この本発掘では、山の斜面を、埋蔵層のすぐ上まで15メートルも掘り下げて、そこから少しずつ掘って化石を探すというものだった。
発掘開始
二日ほど経って全身の化石が確認されたが、泥炭層の中の化石はすっかり石灰分がぬけて羊羹のような柔らかいものと化していたから、発掘にはずいぶん手間がかかった。
化石が確認された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/17/354ea26ad019c38dafee0478bad7bb40.jpg)
発掘された大腿骨の前で記念写真。ここまでの写真は1970年6月末。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/e5/ff14936a339d1c4e542d6a45dc3e659d.jpg)
報告書に掲載された発掘平面図(開拓記念館 1971)
その後標本は大学に輸送されて夏の間にシンナーに溶かしたプラスチックを浸透させる作業を行った。
完成した標本は型取りをして、骨格として組み上げられた。最初の骨格は費用を出した北海道開拓記念館の入口に展示された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/bb/ed0f2fb47af80237ee0f7b054d6fd8c1.jpg)
骨格の組み立て 1972年夏 京都市伏見区
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/d3/63d796e04260888112094088824c9cc6.jpg)
北海道開拓記念館のナウマンゾウ骨格。1972.9.9
この骨格レプリカは、私の勤務した博物館でも入手して展示しているから、50年間のお付き合いということになる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/82/0a0d64453f05c6ffa561f7dc2c61c7c2.jpg)
北九州で展示されているナウマンゾウの骨格
当時の忠類村のご努力で、たくさんの隊員の宿泊や食事、それに現場への人員の輸送などいろいろな手はずが整えられていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/ba/f179fa16d1935c48472caea4bcc3db81.jpg)
忠類の発掘現場。道路右の崖を少し回り込んだところが発掘現場。
発掘現場は、道路が山裾を通るところで、そのカットしたところに象の歯の化石が若い作業員によって発見された。この本発掘では、山の斜面を、埋蔵層のすぐ上まで15メートルも掘り下げて、そこから少しずつ掘って化石を探すというものだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/2c/daa755ba00333913f272c5cd6ca18fd5.jpg)
発掘開始
二日ほど経って全身の化石が確認されたが、泥炭層の中の化石はすっかり石灰分がぬけて羊羹のような柔らかいものと化していたから、発掘にはずいぶん手間がかかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/f1/e4daa7a2f4260b94f3e18c2c4878eab2.jpg)
化石が確認された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/17/354ea26ad019c38dafee0478bad7bb40.jpg)
発掘された大腿骨の前で記念写真。ここまでの写真は1970年6月末。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/e5/ff14936a339d1c4e542d6a45dc3e659d.jpg)
報告書に掲載された発掘平面図(開拓記念館 1971)
その後標本は大学に輸送されて夏の間にシンナーに溶かしたプラスチックを浸透させる作業を行った。
完成した標本は型取りをして、骨格として組み上げられた。最初の骨格は費用を出した北海道開拓記念館の入口に展示された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/bb/ed0f2fb47af80237ee0f7b054d6fd8c1.jpg)
骨格の組み立て 1972年夏 京都市伏見区
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/d3/63d796e04260888112094088824c9cc6.jpg)
北海道開拓記念館のナウマンゾウ骨格。1972.9.9
この骨格レプリカは、私の勤務した博物館でも入手して展示しているから、50年間のお付き合いということになる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/82/0a0d64453f05c6ffa561f7dc2c61c7c2.jpg)
北九州で展示されているナウマンゾウの骨格