OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

2002年アメリカ その5 生痕化石

2019年07月31日 | 昔の旅行
2002年アメリカ その5 生痕化石
2002 USA trip: Part 5. Trace fossils.

I found a large trace fossil, but it was too large to bring. We visited several locations along the Juan de Fuca strait.

 3月10日午後、第一地点マードック・クリークで化石を探すが、私は見つけられない。一つだけ面白かったのは、大きな生痕化石で、海底の泥の層の中を触手が探し回った跡だった。

5-1 第一地点の海岸 2002.3.10
5-1 Sea shore at Stop 1. 2002.3.10

5-2 生痕化石 2002.3.10
5-2 Trace fossil. 2002.3.10

 こんなきれいなのはこれまでに見たことが無い。採集したかったが、50センチ以上もあってとても持って帰れるものではないので写真に収める。種類はズーフィコス Zoophycos である。あいかわらず小雨の中で、突然銃声がひびく。方向は車を停めてきた方であろうか。ジムも少し緊張してその方向を見るが、何も見えない。おそらく誰かが海辺の森でピストルを撃ったのかと思う。中年のカップルとすれ違うがちょっと会釈するのみ。ジムの言うには彼らも化石探しではないかとのこと。海岸の漂着物や貝のコレクターかもしれない。


5-3・5-4 樹木やケルプの茎が漂着している。2002.3.10

5-3, 5-4 Drifting ashore. wood trunk, kelp, and others. 2002.3.10

 漂着物は木材の産出地なので樹幹や木片が多くほかにジャイアントケルプの茎というか芯が多い。さすがに本場だけあって、大きいのは長さが5メートル以上直径10センチもあろうかというベージュ色の茎があちこちにある。表面の黒いところが剥けているのだろうか。貝殻の方は全く無いと言っていいほどで、この採集期間中に数個しか見なかった。まあ高緯度地方ではこんなものかもしれない。なにしろここは北緯48.5度ぐらいで、日本最北端より高緯度。樺太の形を魚に見立てた尾の付け根ぐらいにあたる。だから、先客も漂着物や貝探しではない可能性が高いのだろう。対岸にカナダのバンクーバー島が見える。この間には幅25キロぐらいのファンデフカ海峡という海峡が東西に横切り、奥行約100キロも切れ込んでいる。この海峡は構造的なものとみえ、両側が直線的で内部に島は一つもない。当然深いのだろう。海軍港ポートタウンゼントが一番奥に位置しているのもこの関係だろう。潜水艦も通りやすそう。小雨の中で早く暗くなってきたので切り上げることになる。

Key words: Seattle Olympic Plotopterum Juan-de-Fuca Fossil Trace-fossil Zoophycos シアトル オリンピック山地 プロトプテルム ファンデフカ海峡 化石 生痕化石 ズーフィコス

戸畑渡船場付近を歩いてきました その2

2019年07月28日 | 今日このごろ
戸畑渡船場付近を歩いてきました その2

 お話によると、日本水産の戸畑ではトロール事業が中心で、捕鯨の基地ではなかった(捕鯨は神戸の事業所で行っていた)から、館の展示にもほとんど扱われていないとのこと。昔はいくつかの展示があったのだそうだが、最近は捕鯨に関する展示の評判を考慮してそういう展示をなくしたという。とはいってもたくさんある大型漁船の模型の中には、捕鯨母船や、それを改造したトロール船も見られ、キャチャーボートの姿も見られる。Sさんのご案内で、非公開の図書室を拝見できた。ここには鯨関連の図書もかなりあり、水産庁あたりがまとめた統計的な資料もありそうである。これについてはまた調べよう。そして(意外なことに)最近の鯨や環境保護に関する一般書も書棚に並んでいた。現在も資料収集を続けておられるというのは、なかなかできないことであり、敬意を表する
 ところで、館の周りには日本水産(ブランド名:ニッスイ)の施設がたくさんあってそれもおもしろい。

5 展示館遠景 2019.7.24

 上の写真は渡船場の桟橋越しに見た展示館であるが、その手前にある白い建物は日本水産の研修施設、左の青い縁取りの建物はニッスイマリン会館となっている。他にも多数の施設があって、さらに若戸大橋の北側にも日本水産関連の建物が多い。

6 館の裏手にあった古い建物 2019.7.24

 写真のレンガ造りの小さな建物は、日本水産ではないが関連する会社のものという。漁網関連の会社ニチモウだそうだ。こちら側に窓はないから倉庫とか発電とかの建物だったのだろうか。入り口は向こう側の道路に向いているらしく、棟の方向が異なる向こう側の建物の道路側に回ってみると人が働いておられた。
 ところで今日の目的はもう一つあって、近くにある旧博物館に関連するビルを見に行くことである。私が就職したころ博物館準備室が1982年まで倉庫として使っていた「海岸ビル」と呼んでいた建物で、正式には博物館準備室戸畑分室である。若戸大橋の戸畑側の付け根の下をくぐるとその向こうにある。色が塗り替えられているような気がするがビルの外形は変わっていないと思う。

7 博物館戸畑分室だった建物 2019.7.24

 40年前の話であるが、私に課せられた最初の難題のことを思い出す。それは、ここに収蔵されていたサウロロフスという草食恐竜のレプリカを、小さな展示会で公開するために移動することを検討せよ、というもので、展示場所が体育館の床であって、入り口のドアに十分な幅がなく、骨格の最大のパーツである両足から骨盤辺りを乗せた鉄枠が、明らかに搬入できないのだった。そこで、鉄枠の一部を切断して、倒した形で搬入してからなんらかの方法で固定して展示しようということになった。どこで切っても、そのままでは入らず、回転を加えながら外形のくぼんだ部分を利用して入れなければならないと考えた。結局小さな電動カッターでどの辺を下にするか、どこを切るかといろいろと考えながら2時間ほどで切ったが、実際に運搬するまでうまくいくかどうか不安だったものだ。就職して4か月ほどのころのお話である。

8 当時のサウロロフス骨格

 ごらんのように、現在の姿勢とは違っている。2002年頃に新館建設に合わせて行ったプロジェクトで改変した。前脚の指の構成も間違っていたので正した。
 ちょっと話を戻すが、ニッスイパイオニア館のSさんのお話に鉄道引き込み線のことが出てきたので、次回記録する。

戸畑渡船場付近を歩いてきました その1

2019年07月25日 | 今日このごろ
戸畑渡船場付近を歩いてきました その1

 7月24日、戸畑の港側を歩いてきました。当初の目的は二つで、最初に訪れたのはニッスイパイオニア館である。戸畑駅の南改札を出て、北側に行く公共通路のトンネルを抜けると、北口に出る。正面に若戸大橋が間近に見える。

1 戸畑駅北口から渡船場方面を見る 2019.7.24

 正面の大通りをまっすぐ行くと渡船場に着く。以前はJRの小倉から博多方面の切符で小倉方面から来た時に途中下車し、渡船で若松に渡って折尾経由で博多方面に行くことができた時代もあった。

2 若戸渡船乗り場 2019.7.24

 ここで左に曲がると、150メートルほどでニッスイパイオニア館の前につく。

3 ニッスイパイオニア館 2019.7.24

 現在は日本水産の歴史を展示する記念館である。岸壁から道路をはさんですぐの場所に立地し、遠洋トロール漁業をになってきた会社で、かつてはすぐ横に魚市場もあった。4階建ての立派なビルで、屋上の高い通信塔は、全世界に船を送ったことの証拠となっている。今日はここで昔の捕鯨の資料の有無を調べる予定。入館は無料で、入ったらすぐに解説員のSさんに話かけていただき、一時間近くいろいろなお話を伺うことができた。Sさんにお礼申し上げる。

4 正面入り口 2019.7.24

私の使った切符 その67 ICカード類 中国・四国

2019年07月22日 | 鉄道
私の使った切符 その67 
ICカード類 中国・四国


29 Hareca

 2006年10月から使用されている岡山市付近の鉄道・バスで使用できるカード。2007年2月に購入した。現在は全国相互利用のカードがこれら路線でおおよそ使用できるがHarecaは外で使用できないようだ。

30 PASPY

 PASPYは2008年から広島県の鉄道・バスで使用を始めたカード。ここで示したのは、鞆鉄道の発行したもので、2011年1月に鞆の浦を訪問した時に購入。この訪問を記録した記事は、当ブログの最初の頃に掲載されている(2011年3月5日)。PASPYは全国相互利用サービスに対応しているから、このカードも全国で使えるのだろうか。

31 DESUCA 高知

 2009年1月から開始された「株式会社ですか」が運営する路面電車・バスほかのカード。使用できるのはとさでん交通のほか、高知県内の幾つかのバス。JR四国バスでも利用できるが、JR四国では使えない。香川県内のJR四国ではICOCAが導入されている。全国共通相互利用のカードとは規格が異なるため相互利用は難しそう。
 私が入手したのは、2011年1月に高知市に学会参加のため出かけた時。