OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

10月の馬島 その1

2015年10月31日 | 今日このごろ
10月の馬島 その1

 藍島行きの24日の後、一日間を空けて馬島にも出かけた。良い天候の続く間に、と思ってのことだが、ちょっと潮が引くのが遅くなるので、通れない所があるかも知れない。30日までの運行は代行船の「しいがる」である。いつもの「こくら丸」より定員が少ないが、平日だからいいだろう。船着場に着くと、何と整理券発行をしている。でも私が着いた時にはもう全員乗れる見込みがついたのか、整理券は渡されずすぐに切符購入ができた。

1 今日もしいがる 2015.10.26 小倉浅野渡船場

2 馬島船着場 2015.10.26

 馬島で下船。ここで降りる乗客はわずかである。潮は引き始めである。南の海岸を西にたどる。心配していた引かないと通れない所は何とか渡れる状態。

3 引き始めでやっと通れる状態 2015.10.26 11時頃

4 1時間ほどでこんなに引く 2015.10.26 12時過ぎ

 この日は大潮で干潮は14時44分(下関市南風泊)である。帰りにここを通ったのは12時ちょっと過ぎだったが、ずいぶん潮が引いていた。
 (つづく)


10月の藍島 その2

2015年10月28日 | 今日このごろ
10月の藍島 その2
 24日(土)藍島に来ている。千畳敷で一休みの後、縦貫道を戻って、港近くの岩場に行く。ここで数枚撮影して、本日の予定は終了。帰りの船の出港には数時間あるから、化石採集を試みる。

5 化石の見える転石 2015.10.24

6 層面に沿って割る 2015.10.24

7 化石が見えた 2015.10.24

 岩場を這い回るのは大変なので、石浜の転石を探すことにする。この方が良い化石に出会える。上の写真にはグリキメリス、モロポフォルスなどかなり良いものが写っている。ちょっと大きいのでトリミングして持ち帰る。
 港に戻る。船着場の横で大きな作業台船が浚渫をしている。

8 港の浚渫 2015.10.24

 海底の岩を割っているらしく、ドッドッという地響きが伝わってくる。「水中バックホー」と言うべき機械である。
 時間が余っているので瀬崎の方を見て戻る。小倉から帰って来る「しいがる」号が逆光の海をこちらに向かってくる。

9 しいがる 2015.10.24

 藍島の写真撮影は計画通りできたが、続いて馬島も数枚撮影する計画。間を置かないで出かけるつもりである。


10月の藍島 その1

2015年10月25日 | 今日このごろ
10月の藍島 その1
 24日(土)に藍島に渡った。目的は友の会の印刷物に使う写真の撮影。Kさんと出かけたが、最初から問題が生じた。小倉・浅野の船着場に着いたら、今日は混雑するので整理券を出しており、それが今終了した、というのだ。島が混雑する季節は終わったと、油断していた。でも、「乗船してみて、数人程度追加するから並ぶように。」と言われたので、待つことに。混雑の原因は、乗りたい人が突然多かったのではなくて、いつもの「こくら丸」がドック入りで代船「しいがる」が運用されているからというのだ。

1 「しいがる」号 2015.10.24 藍島港で

 結局追加分にすべり込んで乗船できたのは私だけ。撮るべき写真のイメージのあるのは私だから。Kさんは泣く泣く帰宅された。追加切符の発売時に列を乱す輩が居て少々トラブった。乗りこんで見ると乗客には私以外に三つのタイプがあり、島の住人や里帰りの方、釣り客、それに近年増えたネコ写真ねらいのカップルまたは若い女性の数人連れ。
 撮影計画通り、縦貫道を北に向かい、寄瀬浦の港へ。

2 寄瀬浦に降りる道 2015.10.24

 港から海岸を時計回りにたどって、いくつかの撮影をする。ぐるっと回って島の北端の千畳敷へ。今日は良く潮が引いている。

3 千畳敷を遠望 2015.10.24

 写真のずっと向こうに見えるのが千畳敷。手前にも広い岩棚がある。ここまでずっと歩いてきたから小休止する。メノウを探したが良いのがない。

4 縞メノウ 2015.10.24 遠くは貝島

 民家から一番遠いこんな所にまでネコ好きカップルが現われる。ここにはいないのに。北の方の撮影が終ったので、縦貫道を戻ることにする。


私の使った切符 その17 1969年7月・8月

2015年10月22日 | 昔の旅行
私の使った切符 その17 1969年7月・8月

 北海道の旅行は、記録が確かでなく、往路の仙台から青森の夜行にも何度か夜行列車に乗っているはずだが、はっきりとしない。1973年以降の夜行列車は記録がしっかりしているのだが。1973年4月の東北学会に行く時の夜行列車がNo.42としてある。それ以前41回のうち25回は何かの記録があるが、残り16回は不明である。北海道内で夜行を利用して長期間旅行する若者が、リュックが大きくて車内を横歩きしたことから「カニ族」と呼んだ頃である。私もカニ族の一人で、大きなキスリングで旅行していた。


17-1 襟裳岬で撮影。1969年7月

17-2 この服装で旅行をした。頓別川流域の蕗の下で。1969年7月

 ところで、B券片の裏に見慣れない印が捺してある。

16-2 「上野迂回承認」の印
これは「上野迂回承認」または、「迂回承認上野」。北海道から名古屋へのルートは5通りから選択することができた。
1 東北本線(常磐線を含む)・東海道本線 
2 奥羽本線・東北本線・東海道本線
3 奥羽本線・羽越本線(白新線を含む)・信越本線・上越線・高崎線・東海道本線
4 奥羽本線・羽越本線(白新線を含む)・信越本線・篠ノ井線・中央本線
5 奥羽本線・羽越本線(白新線を含む)・信越本線・北陸本線・東海道本線
 このうち、3を選んで夜行列車で帰ったのだが、それなら「上野迂回承認」を受ける必要はなさそう。どんな意味があるのだろう。
 まだ切符を買い集める趣味がなかったらしく、入場券や近距離切符が一枚も無い。
 8月11日に名古屋の実家に帰った後、中旬に準部員をしていた名古屋の合唱団の合宿、さらに22日から郡上八幡(越美南線=長良川鉄道)でグリークラブの合宿と忙しい夏休みだった。

16- 1969年夏休み後半の切符

★ 1969.8.14  名古屋から30円区間の乗車券
 「私の使った切符 その16」で、同じ名古屋から30円区間の乗車券(1968.10.1)を紹介したが、その時から一年も経っていない。しかし前回は行先が熱田・清州・鶴舞・千種 であったのに、今回は枇杷島・金山・八田 と書いてある。前年は8kmまで、1969年は5kmまでといったところか(関西本線春田駅は2001年開業)。ずいぶん値上がりしたようだ。
★ 1969.8.22 名古屋から郡上八幡・大中(越美南線)間乗車券(裏面にチェックのボールペン書き込みあり)
 グリークラブ合宿への往路。岐阜で途中下車しているのは、京都から来る本隊と合流するためか。切符が手元に残っているわけは、大中が郡上八幡の数駅先だから、郡上八幡で途中下車したのだ。合宿は寺で行われたらしい。


路上の虫

2015年10月19日 | 今日このごろ
路上の虫

 秋になると路上に虫をよく見る。ウォーキングで見かけた虫たちを紹介しよう。いずれも小倉南区の路上で撮影。
1 クスサン 

上石田で撮影 2015.10.03
段差のある住宅街で、傾斜部には森が残っている。その中に楠があるのだろうか。

2 セスジスズメ 幼虫

横代で撮影 2015.10.11
どこかへ急いで歩行中。たぶんサナギになる場所を探しているんだろう。

3 センチコガネ? 

横代で撮影 2015.10.11
こちらも急いでいる。アスファルトの上では居心地が悪かろう。色があざやかでないのが残念。

4 ショウリョウバッタ

横代で撮影 2015.10.11
これは雄で小さい。羽根の色は緑から薄茶色などいろいろあるが、これはベージュで緑の模様がある。路傍の草むらにいたのが飛び出してきた。

5 オオカマキリ?

横代で撮影 2015.10.11

6 コカマキリ?

守恒で撮影 2015.9.20
カマキリも周りの様子に合わせた色のものがいる。こちらは茶色のコカマキリ(だと思う)。