OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

西伊豆に行ってきました その1

2012年10月29日 | 旅行
西伊豆に行ってきました その1
A short trip to west coast of Izu

10月26日から親戚のお祝い事で名古屋に行ったついでに、西伊豆を回ってきました。といっても伊豆は1泊2日だったから、ほとんど新幹線やバスに乗っていたことになる。
日本の主要4島はほとんど回ったが、鉄道のない半島部は抜けている。伊豆半島もその一つで、東側には伊豆急行が走っているから行ったことがあるが、西側は未訪問地帯。だから行ってみた。使った切符は名古屋からの「こだま&伊豆フリーきっぷ」というもの。新幹線で三島か熱海を出入り口として伊豆半島の交通機関がだいたい使えるというもの。21,410円だったが十分に使えるかどうか分からぬまま購入。


1 こだま&伊豆フリーきっぷ
Tickets to Izu Peninsula

朝の新幹線で三島へ。天候は曇りで、富士山は上半分が見えない。三島では新幹線からの乗り換えに時間がかかったが東海道線でちょっと戻って沼津着。沼津から沼津港にバスを利用する。


2 沼津駅前の蒸気機関車モニュメント
A monument of steam locomotive at Numazu Station

予定していた循環バスではないコースのバスであったが、沼津港魚市場に到着。もちろんフリーパスが使えた。最初の目的は、ここに昔あった貨物線「蛇松線」(じゃまつせん)の遺構を歩くこと。さっそく千本港町の交差点に残されたレールを見つけた。


3 「蛇松線」レール
Rail of abandoned Jamatsu line

南を見ると港に向かって行き止まりだから、ここから北に向って沼津駅方面にたどることにした。レールは舗装道路に埋め込んだようになっていて、住宅地の間にかなり残っている。踏切跡も見える。
蛇松線は東海道本線の建設工事の資材を港から運搬するために、明治20年に設置された2.7kmの貨物線。もちろんその当時の「東海道本線」だから、沼津から東は現在の御殿場線である。1974年まで海産物の運搬などに使用されていたという。


4 踏切痕跡?
Remnant of road cross

途中の公園で線路が途切れる。ここからもう1本南東に向かってカーブして狩野川の方向に向く線があったはず。こちらの方はレールが撤去され、緑道として緩く曲がった痕跡が続く。


5 線路跡の緑道。左にカーブするのが緑道。右の駐車の右にあるガードレールの下に、魚市場に向かう線のレールが見える。
Remnant of space for two branches

堤防の手前で終わりとなって、車輪と腕木式信号のモニュメントがある。


6 腕木式信号
Monument of an old signal

堤防に上ると狩野川の「港大橋」が目の前。二つ目の目的地である。
日本の一級河川は109ある。これまでにほとんどを渡ったのだが、狩野川だけは渡ったことが無かった。これを渡って一級河川全制覇。


7 狩野川港大橋
Kanogawa bridge

制覇したといっても、青森県の高瀬川にはちょっと問題があって、河口付近では渡っておらず、小川原湖より上流でしかお目にかかっていない「悪い制覇」。狩野川は、港大橋よりも下流に橋が無いから、最もよい制覇である。河口から数えて10番目よりも上流の橋しか渡っていない一級河川が3本あって、静岡県の菊川、長崎県の本明川、福井県の北川 である。9番目というのも4本ある。「狩野川だけが未制覇」という状態になったのは2004年4月に愛媛県の重信川と肱川を渡った時だから、久しぶりの進展。
港大橋を渡ってから魚市場へ。
(つづく)
2時間ほど前に帰宅したばかりで、内容に手落ちがありそうです。次回補います。

折尾駅トンネルウォーク その4

2012年10月25日 | 今日このごろ
折尾駅トンネルウォーク その4
New Tunnel walk at Orio Station: part 4

10月13日(土)JR九州の主催する「ありがとう折尾駅舎」ウォーキングに参加している。
折尾東口に到着。かかった時間は1時間半ぐらい。ゴールで、完歩証をいただく。3分の1ぐらいしか歩いていないので「完歩」でないのだがお許しを。スタンプカードに二つの印を捺してもらう。このイベントは「ポイント2倍」にあたるというのだ。


20 スタンプカード 裏面がスタンプ帳になっている。

このあと、折尾駅周辺の変化を見るため、そして遅い昼食のため。結局適当な昼食場所はなかった。駅前のイベント広場では各種のB級?グルメが販売されていたが、ゆっくり座れなかったので遠慮した。
折尾駅には、これまで3つの入口があった。メインの東口にはバスターミナルやタクシー乗り場があった。その反対側に、短絡線専用の「鷹見口」があった。本駅と離れているので、近距離切符でも途中下車のできるめずらしい駅である。その他、筑豊本線ホームに直結する西口がある。鷹見口と西口は1988年頃の設置。
駅の改築に伴って、東口は少々縮小し、代わって北口を開設した(10月7日)。東口から鹿児島本線上りの4・5番ホームにいくレンガ造りのトンネルの途中で北に抜ける通路を作り、その北に改札を設けたのだ。北口はメインとなるつくりで、バスターミナルもその前に移転した。
しかし、トンネルを掘り直したたわけではなさそう。以前の写真(前にこのブログで掲載)でも、ここに開口部があり、板塀で塞がれていた。


21 一年ちょっと前の「北口」2011年4月26日撮影(再掲)

それで、現在の折尾駅には4つの入口があることになる。これほど入口の多い駅は、都心を除いたら少ないだろう。小倉駅でも改札は新幹線を除いて4つあるが、一つの小倉駅ビルの中にあって、入口は南北の2つである。
さて、私の散歩だが、まず旧西鉄の折尾駅跡に行った。ねじりまんぽのトンネルは遠慮した。


22 折尾のねじりまんぽトンネル(再掲)

ところが「折尾隧道」の銘板(解説パネルでは名板)があるのに気付いた。最近発見されたもので、旧西鉄北九州線をくぐる道路のトンネルの銘板だったらしい。しかし、表面にコンクリートがこびりついて汚いし何ともわびしい。もう少しきれいに清掃したらいいのに。銘板は花崗岩(開設パネルでは御影石)だから、塩酸などの酸を使えばきれいになるのに。


23 「折尾隧道」銘板

鷹見口前を通って、北口へ。


24 折尾駅北口

新しい入口だが仮のものだろうから風情はない。バスターミナルを通って、もう一度鹿児島本線をくぐり、駅弁で有名な東築軒のある西口へ。これで全部の入口を見たことになる。


25 折尾駅西口

戻って、北口からホームに上がった。折尾駅のこの景色も大分変わるだろう。


26 鹿児島本線4番ホームから見た3番ホーム


27 歩いたところ(青点線)と撮影場所(赤)桃色は折尾駅

ちょうど来た快速に乗って小倉まで行って食事。
折尾駅周辺の新線が使用されるようになると、「全国鉄道制覇」のタイトルを保持するためにはここに乗りに行かねばならないだろう。「線の増設」・「駅構内の線路移動」・「橋やトンネルの付け替えによる平行移動」は新線としないつもりだが、これらにはあたらない。昨年3月27日の名古屋地下鉄桜通線延伸以来、1年半以上新線の営業開始がなかった。これは最近としては長い。次の開業計画は可部線廃止部分の一部復活(2012年度)だが、踏切問題で延期されそう。それに可部線は三段峡まであった頃に乗ったので、開業しても既乗車であろう。そうすると2013年度の大阪の二つの路線の開業までタイトルが保持できそう。折尾の新線使用の時期がはっきりしないが、乗りに行くのは簡単。大阪も日帰りで十分。そうすると、その次の北陸新幹線の開通がおもしろそう。北海道新幹線も続く。その前に震災復旧の線路変更があるかも知れない。
参考のために、5年前の2007年からの新線営業開始をリストアップする(移管を除く)。鉄道名は正式名ではない。
2007年3月18日 仙台空港鉄道 7.1km (翌年7月6日)
2007年3月19日 大阪モノレール彩都線 4.2km (5月16日)
2008年1月16日 京都地下鉄東西線 2.4km (2月12日)
2008年3月15日 JRおおさか東線 9.2km (4月23日)
2008年3月30日 横浜地下鉄4号線 13.1km (6月13日)
2008年3月30日 舎人ライナー 9.7km (6月9日)
2008年6月14日 東京メトロ副都心線 8.9km (開業日)
2008年10月19日 京阪中之島線 3.0km (翌年3月20日)
2009年3月20日 阪神なんば線 3.4km (開業日)
2009年4月26日 門司港レトロライン 2.1km (8月9日)
2009年12月23日 富山地方鉄道富山都心線 0.9km (翌年1月31日)
2010年7月17日 成田新高速鉄道 19.1km (12月9日)
2010年12月4日 東北新幹線 81.8km (同月11日)
2010年4月11日 東京モノレール径路変更 0.9km (12月9日)
2011年3月12日 九州新幹線 130.0km (同月16日)
2011年3月27日 名古屋地下鉄桜通線 4.2km (5月2日)
2012年 いまのところ無し。
ご覧のように一年半の「開業無し」は稀なのだ。この5年間に約300kmの新線ができた。逆に主に地方路線が200km以上廃止された。
(この項おわり)

講演をいたします

2012年10月24日 | 今日このごろ
はやいもので、北九州市立自然史・歴史博物館が開館して10年が経ちました。
これを記念する講演会で、私が講演をいたします。

演題:北九州で発見されたヒゲクジラの祖先
―ヤマトクジラとその意義-

シロナガスクジラなどの現在のヒゲ鯨類には、歯がありません。しかし、その祖先の化石には歯が見られます。今から3000万年前の北九州にいたヤマトクジラは、ヒゲ鯨類の歯が無くなる過程を見ることのできる重要な化石種です。

日時:11月3日(土・祝)13:00~14:00
場所:同博物館1階 ガイド館
入場無料 先着順

今回は「宣伝」の臨時投稿です。

折尾駅トンネルウォーク その3

2012年10月21日 | 今日このごろ
折尾駅トンネルウォーク その3
New Tunnel walk at Orio Station: part 3

10月13日(土)JR九州の主催する「ありがとう折尾駅舎」ウォーキングに参加している。お目当ての未使用の鉄道トンネルの見学地に着いた。


14 短絡線入口

入った所に解説パネルが置かれていて、質問に答える人も配置されている。


15 解説コーナー

では、いつからここを列車が走るのかと聞いたが「工事の進み具合で….。」とあまりはっきりしない答え。この新設線はともかく、折尾駅の高架化(現在は築堤)には、まだ問題も残っているのだろうか?
トンネル内部に入って、100メートルほど歩く。路面はコンクリートの平面で、まだ線路や路床ができていない。おそらくコンクリートスラブを置いてその上にレールを引くのだろう。後で黒崎駅にかなり大量の新レールが、レール運搬車に積載されているのが見えたが、ここに使われるのだろうか?ちょっと早すぎるようだが。トンネルウォークは、向こうの出口の光が見えるあたりでバリアーフェンスが置かれていて、そこまでしか行けない。


16 ここまでしか行けない。

向こうの開口部は地図上のどのあたりか分からないが、たぶん本線と合流するあたりだろう。路面はわずかに下りのように感じた。この線路は黒崎への短絡線にあたるもので、トンネルを出た後、鹿児島本線と平行して、折尾駅の一番南のホームに向かう。筑豊本線は、写真14のすぐそばで鹿児島本線をくぐり、その後レベルを上げて折尾駅の一番北のホームへ向かう。新本線の箱形の出口が見える。


17 新本線のトンネル口 鹿児島本線をくぐるため、やや低い位置にある。

さらに鹿児島本線をくぐる所もできている。しかし、鹿児島本線は筑豊本線を越えるためには現在よりも高い位置を通る必要がある。


18 鹿児島本線をくぐる新筑豊本線

写真はちょっと分かりにくいが、中央左の緑のネットでふさがれているのが新筑豊本線の通る空間。この上に鹿児島本線(現在の線が見える)が来るのだから、だいぶんかさ上げする必要があろう。


19 歩いたところ(青点線)と撮影場所(赤)黄色は新設線(推定)

なお、上の地図の鹿児島本線のレールの位置は工事のため変わっている。具体的には南側に寄せてあるようだ。
一般道に戻って、ここからはウォーキングルートをたどる。愛進学園の間の峠道を越え、ゴールの折尾駅東口をめざす。
(つづく)


アサリの模様

2012年10月19日 | 今日このごろ
アサリの模様

ここで投稿しておかないと、機会を失いそうなので臨時投稿する。
10月11日、季節外れのアサリが食卓に出た。近くのモノレール沿線にある産地直売型の小さな店にあったという。売り場の行橋の箕島の人が「採ったばかりで、砂が多いよ。」と言っていたというから、そこのものだろう。ずっと前には春に箕島に潮干狩りに行っていたのだが、最近はあまり行っていない。箕島の潮干狩りの砂浜は、バカガイの仲間のシオフキや、変わった採り方をするマテガイが多いが、以前はアサリも多かった。それは稚貝をまいて「養殖」したものらしく、入場料をとっていた。
その日のアサリは、すこし様子が違う。殻の一部に黒いしみがついていて、還元性の底質にいたことがわかる。つまり、水の循環しやすい砂の中ではなく、石混じりの泥のところにいたのだろう。そういえば、多くの人が潮干狩りをしている砂浜ではなく、岩場近くの石混じりのところで貝掘りをしている人を見た。私も試みたが、掘りにくくて砂浜の方に戻った記憶がある。

さて、この日のアサリの写真がこれ。


箕島?産アサリ スケールは5cm

調理したものなので、緑・黒系の殻の色が消えて茶色系の色だけが残っている。右下のようなほとんど白いものもある。上と左下のを見ると、茶色になりやすい放射状の線が左右それぞれ4本あることが分かる。左右で多少模様が違うところもあるが、よく似ている。
ところが、一番後の部分の帯だけは例外で、暗い色が左にだけ現れる。右下の貝の左の殻にある褐色のもようがそれ。上の貝ではその帯は現れていない。左下の貝では、その帯が少し現れている。これまでに多くのアサリを見てきたが、この非対称模様が右に出ているのは見たことが無い。
この色を出す遺伝情報が違うところに乗っているのだろうか?
もし、右にこの色が出た貝があれば、それは鏡像の個体で非常に稀な現象ではないかと思われる。
巻貝の巻き方はほとんどが右巻き。「右巻き」というのは、いろいろな表現の方法があるが、尖っている方を上にして、口が見えるようにした時に右側に口が見えるのが右巻き。左巻きのものには、次のような場合がある。
1 科レベル:キセルガイ科はすべて左巻き。微小貝のキリオレガイ科も。
2 種レベル:ヒダリマキマイマイやサカマキボラ等、いくつかの種類は左巻き。しかし、同じ属の別の種類は右巻き。


テキサス州産のサカマキボラ スケールは5cm
同じ個体を二方向からとって合成した写真。

3 個体レベル:種全体は右巻きだが、異常な個体として左巻き(鏡像)が現れることがあるという。非常に稀。ただし次の例外がある。
4 陸貝のいくつかの種:同じ種類なのにしばしば左巻きのものが見られる。
私は3の異常個体は見たことが無い。4にあたるのはお土産物屋さんでも注意していると見つけることがある(下の写真)。


インドネシア産のマレーマイマイ スケールは5cm

話を戻して、もし二枚貝の鏡像個体が現れても、よほど噛み合わせの「歯」をよく見ない限り見つからない。しかし、アサリに限って上記の模様を見つければ……と言うのが、私の夢。

学名
アサリ Ruditapes philippinarum (A. Adams et Reeve)
サカマキボラの一種 Busycon perversum (Linnaeus) というラベル(注)
マレーマイマイ Amphidromus perversus (Linnaeus)
下の二つの種類の種小名がよく似ているのは偶然ではない。perverse は「つむじ曲がりの」などの意味で、逆巻きを示している。リンネの見たマレーマイマイは左巻きの個体だったのだろう。
(注)Busycon perversum (Linnaeus, 1758)(最初の属は Murex) は、B. contrarium Conrad, 1840 のシノニム、とされているHPがある。どうして古い方が新しい方のシノニムなんだろう?
Busycon属の貝はメキシコ湾に生息する食用になる大型の巻貝。現生の10種近くが知られる他第三紀の化石種も多い。この属の種には、(陸貝の一部と同じように)鏡像個体が現れることがある。鏡像個体は右巻きの種にも左巻きの種にも現れるのでややこしい。鏡像個体や異常個体に種名が与えられたことが多く、私には学名の変遷は追跡困難。
文献 Purrey, T. E. 1959 Busycon perversum (Linne) and some related species.