OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

最後の蒸気機関車たち その11 1970

2012年05月30日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その11 1970

1970年に二度目の北海道旅行を試みる。今度は化石の発掘隊の一員として帯広の近くに出かけるついでの旅行。青函連絡船から大沼公園付近、室蘭、富良野、釧路、厚岸、摩周湖、斜里、深川、豊富、音威子府、白金温泉と飛びまわって、忠類の発掘へ、発掘後日高峠から富内線などを通って帰るという長距離旅行である。この間に4度も夜行利用をするというのも若かったから。
フィルムは5本が残っている。他は傷んで捨ててしまった。モノクロが2本、カラーが3本である。1本目のモノクロは、函館港から始まるので最初の一本である。函館港に停泊している八甲田丸の姿。


054N 函館港 1970.6.18 八甲田丸


055 函館港 1970.6.18 八甲田丸

連絡線では、貨車を引き込むためのレールがつながるようになっているが、その様子の写真もある。


056N 函館港 1970.6.18

八甲田丸は最後の連絡船のひとつ。青森港に係留されて展示施設になっている。
函館駅では、C62に出会って撮影。C62-32は、1971年6月に廃車。


057 函館駅 1970.6.18 C62-32・特急「北斗」

このホームは、現在の函館駅より南に行った所にあった。
函館から大沼公園に行って撮影。


058 函館本線大沼公園付近 1970.6.18 D51-695

D51-695は、1972年2月に廃車。
大沼公園では、駅ではなく少し離れて蒸気機関車の撮影を試みた。
登場蒸機 C62(写真57)D51(写真058)

2020.6.05 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, Ok.
The last steam locomotives in Japan. No. 11 (1970)
054-055: Hakkoda-maru†, a ship of Seikan Ferry†, Hakodate Harbor, Hokkaido
056 Hakodate Harbor, Hokkaido.
057 Hakodate line, Hakodate Station, Hokkaido.
058 Hakodate line, around Onuma-koen Station, Hokkaido

日南に行ってきましたが……その2

2012年05月26日 | 旅行
日南に行ってきましたが……その2

今日は移動日。朝の普通列車に乗って南宮崎に行き、そこから日南線の列車に乗り換えて南郷という所に行く。そしてバスに乗り換えてサルの生態研究で有名な幸島(こうじま)に行く。乗継が悪く、南宮崎と南郷でそれぞれ一時間程度の待ち合わせ。


8 幸島

幸島では15分程しかなく、最終便だから同じバスに乗って帰ってくるしかない。かねてからの「海岸線制覇」の都井岬部分が一部だけクリアできた。しかし、都井岬の南岸部分とその西の「合六鼻」付近のほんの少しの海岸線が残ってしまった。
帰りのバスを途中で降りてホテルまで徒歩。ちいさな峠越えの途中雨が降り始めたがどうしようもなくかなりぬれてホテルに到着。


9 部屋からの眺めは良い。この浜で貝拾いをした。

ホテルの部屋からの景色は良い。しかしこの季節にしては寒く、室内の温度が20度しかない。空調の設定温度を24度にしてしばらく待ったが、一向に温度が上がらない。フロントに聞くと、「全館の空調を冷房にするか暖房にするしかなく、現在冷房になっているので暖かくすることはできない」という不愉快なシステムだそうだ。仕方なく毛布を運んでもらって暖を取る。一流ホテルなのですが。
ここに宿を取ったのは、翌日の金環食を見るため。九州では食の中心線が南端をかすめるので、南、特に南東にいくほど条件が良い。都井岬は九州で最も条件が良いが、いいホテルが無い。そこで南郷に取ったのだが.....。翌日もずっと雨。金環食は全く見えず、不可抗力とはいえ高額の無駄遣いをしてしまった。
食の時刻が終わった頃、雨が上がったのでホテル前の海岸でビーチコーミングをした。ビーチは小石が多い。サンゴ類、とくにサンゴ転石が打ち上がっている。サンゴの種類が北九州とはずいぶん違う。それにタカラガイが多い。途中雨が降り始め、20分ぐらいで中止。ぬれてしまったが多少の成果はあった。


10 大きなサンゴの転石


11 これは持って帰ろう

嵐の後の小石の浜なので、貝類は擦れてしまっている。


12 イモガイ アジロイモかな? 実は反対側はかなり壊れている。


13 タカラガイ類

種類はよく知らない。ざっと調べたが左上から順に ホシキヌタ破片・コモンダカラ?・キイロダカラ・キイロダカラ・不明・メダカラ。下段は左から ヤクシマダカラ・ハツユキダカラ・コモンダカラ・ハツユキダカラ・ハツユキダカラ・ハナマルユキ かな。鑑定に自信がないので、どなたか教えていただければ幸いである。

鹿児島中央から新幹線を経由して帰る。今回の旅行距離 JR 930.4kmと鹿児島市内線6.8km。海岸線制覇はほんの少し。新たな訪問市町村は無し。
鹿児島共通乗車カードの「ラピカ」RapICaと宮崎交通のバスカード「宮交バスカ」Miyakoh Busca を入手。
新たな二万五千分の一地形図訪問は微妙で、たぶん「幸島」を訪問。最近発行の図幅は周辺を広げて隣と重複しているので、それに伴って訪問図幅が見かけ上増えた。ところが平成23年ごろから、ネットの「地形図閲覧サービス」にこの図幅境界が記入されなくなったので、重複部分の中央(=本来の区分線)しか分からない。「幸島」図幅は、幸島の陸寄りのところがその境界中心線で、私の行った対岸は隣の「本城」図幅ではあるが、十分重複部分に入ったことになるはず。なお、国道はもっと北の部分で幸島図幅を通っているが、そのあたり(贄波から石並まで)でバス路線は国道(448号線)からはずれて内陸(県道439号線・同46号線)を走り、幸島図幅を通らない。

日南に行ってきましたが……その1

2012年05月22日 | 旅行
日南に行ってきましたが……その1

2泊3日の南九州旅行に行ってきた。
まず、九州新幹線で鹿児島へ。鹿児島で時間が十分にあるので、前回あまり丁寧に見ていなかった「小川化石コレクション」を見ることにした。このコレクションは、昭和39(1964)年に建設中の鹿児島県文化センターに寄贈されたもので、アメリカに移住した小川勇吉氏の収集されたものである。当時日本にあった恐竜骨格は国立科学博物館とここだけであった。それで、大学生の頃旅行中に見学をした。最近も見に行く機会があったが、サイの標本を見に行ったので、コレクションの全容を見ていなかった。現在、展示されているのは県立博物館の分館で、「宝山ホール」というビルの中にプラネタリウムとともに収められている。


1 宝山ホールの外観

化石の展示は大きく分けて3つの部分があって、小川コレクションは2室をあててある。他は鹿児島の化石の概説と、ボリビアの化石を集めた大野コレクションである。今回は小川コレクションについて記す。入ると目に付くのが二体の恐竜骨格である。ところが前回見た時と様子が違う。恐竜の新しい概念に従って、尾を挙げた姿勢に変更されているのだ。係員の方に確認したが最近組み立て直されたという。前の写真を探して掲載する。


2 恐竜の展示


3 恐竜の旧展示 2008年12月26日撮影

奥の部屋にそれ以外のコレクションが展示・解説してある。ただ、学名が古いのと少しだがラベルが入れ替わっているのがあるので、注意を要する。中央列に三葉虫とアンモナイトの系統についての展示があり、他は壁際に反時計回りにおおよそ時代順に並べてある。解説はやや少ない。ちょっと気になったいくつかの脊椎動物化石について記す。


4 ティタノテリウム下顎骨

なかなかいい標本である。ティタノテリウムは、奇蹄類であるがサイの仲間ではなくウマの仲間。下顎臼歯の前後の部分がW字型になっているのでわかる。


5 コリフォドン?

ラベルはアセラセリウム(アセラテリウム)となっているが、臼歯の構造が違っている。たぶんコリフォドンと思う。この他にも「オレオドン」となっているものの中に別の種類が入っているのがわかる。


6 偶蹄類

ラベルはウマとなっているが、この骨(距骨)は偶蹄類(シカやキリンなど)と奇蹄類(ウマなど)を分ける一番分かりやすい骨。ウマではない。大きさが大きいのでシカではなさそう。ラクダかな?

この日は鹿児島中央駅前に宿泊。宿に向かう途中何かが顔に当たる。桜島の降灰である。この日はたいした事はなかったが、最終日には記録的な降灰とのことでJRも一部運休が出た。駅前の灰もひどかった。


7 鹿児島中央駅前の降灰 最終日に撮影

ホテルでは最上階に室を与えられた。屋上の室外機の機械音が不快で、部屋を変えてもらった。
(つづく)

最後の蒸気機関車たち その10 1970

2012年05月18日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その10 1970

クローズアップも試みている。


048N 稲沢機関庫 1970.5 C11

カラー写真も残っているが、色の劣化が激しい。モノクロに変えれば何とか見られる。


049 稲沢機関庫 1970.5 D51


050N 稲沢機関庫 1970.5 29643

前回は遠慮して望遠レンズで撮影していたが、今度は転車台のすぐそばまで近づいた。29643は1971年3月に廃車。次の写真の29657は、前にも撮影した機関車で、守門村に保管されているという。


051N 稲沢機関庫 1970.5 29657・29643


052N 稲沢機関庫 1970.5 C50-143

C50-143は、1971年9月廃車。
次の写真のC11は、あまり動いていないらしく、動輪の錆がわびしい。


053N 稲沢機関庫 1970.5 C11-265

C11-265は1970年10月に廃車された後、半田市の市民ホールに保存されている。
この「最後の蒸気機関車たち」シリーズを書き始めたが、10回を終わって8冊あるアルバムの1冊目の半分。先は長い。
登場蒸機 C11(写真048・053)D51(写真049)9600(写真050・051)C50(写真052)

2020.6.05 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

10回のまとめ:登場蒸機 C11 C12 C50 C51 C56 C57 C58 C60  C62 8620 D50 D51 D61 9600 (14型式)
ここまでで、当時動いていた型式のうちかなりの部分が登場したことになる。特殊なものを除けば、残るはC55・C59・D52など。

Trivial database of a retired curator, Ok.
The last steam locomotives in Japan. No. 10 (1970)
048-053: Inazawa SL depot†, Aichi.

最後の蒸気機関車たち その9 1970

2012年05月14日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その9 1970

稲沢に行った後、次に向かったのが大府駅。さすがに東海道本線は蒸気機関車が走っていなかったが、武豊線には残っていた。


043N 東海道本線大府駅 1970.5 C11-272

機関庫への出入りには当然許可を頂いたのだろうが、記憶が無い。C11-272は、1971年3月廃車。


044N 東海道本線大府駅 1970.5 C11

再び稲沢を訪れる。
東海道本線の駅なので、電気機関車が通り過ぎてゆく。


045N 東海道本線稲沢駅 1970.5 EF60-512


046 東海道本線稲沢駅 1970.5 EF64-1


047 東海道本線稲沢駅 1970.5 D51-72

D51-72は前回も見た機関車。
次回も稲沢機関庫。
登場蒸機 C11(写真043・044)D51(写真047)

2020.6.05 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, Ok.
The last steam locomotives in Japan. No. 9 (1970)
043-044: Tokaido line, Obu Station, Aichi.
045-047: Tokaido line, Inazawa Station, Aichi.