OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

熊本にいってきました

2013年06月30日 | 旅行
熊本にいってきました
A short trip to Kumamoto

6月28日(金)から三日間、熊本にいってきました。目的は古生物学会に出席すること。
まず、準備の段階で不満があった。熊本に行くビジネスパック旅行をと思って旅行社に出かけたが、直通の新幹線に乗ると、高い追加料金がいるというのだ。そうなるかもしれないと、予想はしていたが、要するに小倉・博多間の新幹線がJR西日本に属するために、そうなるというのだが…
「さくら」や「みずほ」は直通で新大阪から鹿児島中央まで運行している。だれが好んで博多まで「ソニック」などに乗って乗り継ぐと言うのだろう?いろいろ相談の結果、博多からのビジネスパックを購入して小倉との間は別に買うことにした。自由席ならこの方が安いのだ。驚いたことに、旅行社の係員の話では「そういう切符をビジネスパックと同時に作成・販売するとJRがいい顔をしない」から、当日自分で買ってくれ(もちろんもっと丁寧な言葉ではあったが)というのだ。末端の係員にかみついても仕方がないので、了承した。係員は「自由席に移動しやすいように」と4号車の端に近い席を取ってくれた。JRグループが、利用者の便を第一に考えていないのは悲しいことである。
実際には、行きの博多までは、時間に大いに余裕があったので在来線の快速を利用、帰りは「さくら」で博多から乗り越して(自由席に移動)小倉で精算という方法をとった。


1 使用したビジネスパックの新幹線切符

初日、時間があまっていたので、未訪問の熊本県西原村訪問に挑戦した。阿蘇外輪山の西麓・熊本空港の東にひろがる西原村は、鉄道も主要国道も通っていないので、未訪問だった。豊肥本線の肥後大津駅近くからバスで数十分のところから、70メートルほど登った坂の上に村境がある。ところが、バスの本数が少なく、いくつかの場所で1時間以上待つ必要が生じる。これを承知で出かけた。待ち時間をつかってなるべく徒歩で移動したりして、いろいろ障害があったが、何とか村境までたどりつき、熊本にもどった。全国の村総数182中70番目の訪問(38.5%)。主要四島に限っても4割ちょっとにしか行っていない。村の全訪問は困難。西原村は、自宅から最も近い「未訪問市町村」だった。二位だった山口県平生町が繰り上がった。以下同上関町、愛媛県伊方町と瀬戸内西グループが続く。


2 白川から立野の流れ出し口を望む

阿蘇の巨大なカルデラに降った雨は、立野・瀬田間で外輪山を切る白川から熊本平野に流れ出る。この切れ口の地形を「火口瀬」という。「火口瀬」、私は「かこうらい」と習ったが、最近は「かこうせ」とするらしい。火口瀬から流れ出た白川は外輪山のふもとを幅広く削って熊本に向かう。西原村は削られていない外輪山のふもとを占めているから、白川ぞいの平地から登らなくてはならない。今回選んだ場所は70メートルほどの比較的高低差のすくないところ。
息をきらして登り切ると、上は平らで、そこに村境が走る。


3 この付近より先が西原村…のはず。

地図で村境を確認したが、道標などはない。やっとカーブミラーの鉄柱に「西原村」の文字をみつけた。


4 カーブミラーにある「西原村」の表記を確認

帰りの下り坂は快適だったが、小雨が降ってきた。梅雨時だからしかたない。バス待ちの時間が長いので雨宿りしながら待った。火口瀬近くだけあって、豊かな水量で流れの速い用水路を見かける。用水路沿いのバスで肥後大津、さらに豊肥本線で熊本へ。

参加した学会の最初の行事は、ホテルで開催された懇親会。かなりの盛況で、ひさしぶりに会う仲間と話がはずんだ。私よりも年よりは少なく、知らない若い人たちが一段と多くなった気がする。学会員に若者が多いのはめでたいこと。
翌日は熊本大学で講演を聞く。引退した身なので、自分の発表はないが、ポスター発表のひとつに共同発表者として入っている。学生時代に採集した四国のアンモナイトについて、専門のM君が発表したもので、採集者に敬意を払って?私の名が加えてある。私は主に休憩室にたむろしていて、個人講演は数個だけ勉強した。夜は古脊椎動物研究者の懇談・研究集会(要するに飲み会)に参加。若い人に昔の出来事(悪口を少し、ないし大いに含む)を伝える「語り部」として、多くの出来事を思い出しながらお伝えする。騒然とする店内なので、喉をこわしたほど。
三日目も講演少々を聞き、昼に熊大を出て、夕方帰宅。
小倉駅からモノレールの切符を券売機で買う時、ふと気づいた。今回の旅行では、券売機で切符を購入したのが少ない。行程を整理してみた。
家から小倉駅:家人の車に便乗
小倉から博多:在来線快速:SUGOCA利用
博多から熊本:九州新幹線:ビジネスパックの切符
熊本から肥後大津:豊肥本線普通列車:乗り越し、肥後大津駅でSUGOCA精算
そのあと、九州産交バスに二度乗車:車内でバスカード購入(おなじみの「くまもん」がデザインされたもの)
肥後大津から新水前寺:豊肥本線普通列車:SUGOCA
新水前寺から花畑町:熊本市営電車:先程のバスカード使用
熊本大学への往復(二回):先程のバスカード使用、最後の熊本駅に行く時に不足料金が出て200円追加
熊本から博多:九州新幹線:ビジネスパックの切符
博多から小倉:九州新幹線:乗り越して小倉駅で精算
小倉から自宅近くまで:北九州モノレール:はじめて切符を券売機で購入。

新幹線の直通で、熊本は思った以上に近くなり、懇親会・飲み会がなければ、「通勤」も可能。でも今回の主目的は懇親会・飲み会の方だったから…。ただ、西原村の往復で長距離歩いたから、旅行中ずっと脚の筋肉痛に悩まされた。


最後の蒸気機関車たち その55 1972年9月

2013年06月26日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その55 1972年9月
The last steam locomotives in Japan. No. 55 (Sep. 1972)


翌々日、千歳線で苫小牧に出てから室蘭本線で追分に向かう。この頃、蒸気機関車が最も多く残っていた場所だから、途中でもたくさんすれ違った。だから移動中も撮影にいそがしかった。


288N 室蘭本線苫小牧駅 1972. 9.2 D51-629ほか
Muroran line, Tomakomai Station, Hokkaido.

D51-629は、1972年11月廃車。この写真の2ヶ月後である。


289N 室蘭本線沼ノ端・遠浅間 1972. 9.2 D51-11 5552列車
Muroran line, between Numanohata nad Toasa Stations, Hokkaido.

D51-11は、1973年11月に廃車。


290N 室蘭本線遠浅駅 1972. 9.2 C57-168 224列車(客車)
Muroran line, Toasa Station, Hokkaido.

C57-168は、1972年12月廃車。


291N 室蘭本線追分駅 1972. 9.2 C57-144 223列車(客車)
291-292: Muroran line, Oiwake Station, Hokkaido.

C57-144は最後まで働き、1976年3月に廃車。その後岩見沢市に保管されている(前出)。


292N 室蘭本線追分駅 1972. 9.2 D51-811 278列車

追分駅でしばらく通過する列車を撮影する。D51-811は、1974年7月に廃車。
登場蒸機 D51(写真283・284・287)C57(写真285・286)

2020.6.16 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.

私の化石組標本(その3)

2013年06月22日 | 鉱物・化石組標本
私の化石組標本(その3)
My set of fossil specimens, part 3

小さすぎて紛失しそうな標本を小箱に入れようと考えた。しかし、4センチ角のきれいな小箱が手元にないので、何ヶ所かの百円均一の店をまわった。


7 小箱の準備
7 Plastic small cases

上の写真の左側は常用の薬を入れるためのもので、大きさと横の出っ張りが気になる。右の「3段式クリアーケース」は、3.5センチ角の角丸で、高さ19ミリほどであり、ちょうど仕切りの中に入る。しかし、ジョイント部が3ミリほど出て都合が悪い。しかし、こちらの方が見かけが美しいので、出っ張った所を割り落として使うことにした。


8 左の出っ張りをカットした
8 Cut the case at the left side

そしてフタがないので(三段の一番上にフタがあるがこれをつけると高さが26ミリとなって入らない)、別に作ることにした。これまた百円均一で「透明カードケース」を購入。ここから切り出したプラスチックシートを工作してフタを作成。


9 プラスチックシートをカット
9 Cut plastic sheet for cover

外周をカットし、さらに折り線にそって、軽くナイフで線を入れて、折り角がシャープになるようにする。


10 フタの完成。このあと、折り線を付けたところで曲げる。
10 Plastic cover

これで、小さなものを入れる箱ができたので、6種類の化石を封入した。


11 でき上がった小箱
11 Result of boxes for smaller fossils

 この時点で、候補標本は80個。仕切りに入るように金ノコでカットしたり、ハンマーでトリミングしたものもある。なるべく時代や分類がまんべんなくなるように、一応73標本を候補に。古生代25、中生代31、新生代19になったが、地域的にちょっと偏っているし、分類群も抜けているのがあるので後で入れ変えがあるかもしれないが、それはいつでもできるから、箱の方を完成させたい。

AKCヴォーカライズの復刻 81-90号

2013年06月19日 | 今日このごろ
AKCヴォーカライズの復刻 81-90号


音楽部バッジ

愛知県立旭丘高等学校音楽部同窓会紙「Vocalize」(ヴォーカライズ)を復刻していくプロジェクトを進めています。今回はその第二回で、同紙の81号から90号までの復刻について記します。
 私がこの会に入会し、初めて受け取ったのが80号ですから、今回配布するのは、おおよそ私の会員期間の前半にあたります。家にあったファイルに大切に保管されていました。今回の復刻分はこのファイルから行いましたが、印刷状態の悪い一冊(85号)だけは同期のSさんのものをお借りしました。


今回復刻した各号について。



81号 1965年3月20日発行 12ページ(上はそのタイトル)
  主な記事 40(1965)年度役員選挙の告示・5人の侍と大名スキーてんまつ記・18期生の修学旅行記
82号 1965年4月12日発行 2ページ
  主な記事40(1965)年度役員選挙の告示・39年度会計報告
83号 1965年6月5日発行 12ページ
  主な記事 最近の音楽会から
(これは、音楽会の報告ではなく、カップルの音楽会での情景を記したものですが、当時の演奏会と聴衆の背景を記録しています。)
84号 1965年7月18日発行 12ページ
  主な記事 会員インタビュー(A大先輩)
(ヴォーカライズをずっと作ってこられた側のAさんのインタビュー。ただ、実はかなりの部分がご本人の創作らしい。Aさんは速記をする方で、他の方にはそれができなかったから、インタビューはAさんが原稿をおこすしかなかったらしいと聞いています。他の記事に、「名古屋の電話局番が3ケタになる」というのがあって、時代を感じさせます。)
85号 1965年9月19日発行 14ページ
  主な記事 主な記事 夏のつどい報告記
(野間海岸で海水浴をしました。私も参加したことを、記憶しています。この他の号にも私が登場しています。)
86号 1965年10月7日発行 4ページ(PR版)
(ヴォーカライズは主に在校生向けの入会募集の一環として、ページ数の少ないPR版を作成・配布していました。)
87号 1965年11月1日発行 16ページ
  主な記事 十周年記念パーティーにおかあさんを・1968年文化祭、音楽部演奏会
(学校祭の一環として音楽部発表会が毎年開かれました。この年は19期生を中心に演奏した年です。)
88号 1966年3月27日発行 8ページ
  主な記事 十周年記念パーティー報告・ロンドン通信 第一報
(十周年記念パーティーは1965年11月14日に開催されました。この三月発行の号まで、ちょっと発行の中断があったので、報告に間があったことになります。十周年記念号はさらに遅れて発行されました。第一回配信のなかにありますので、ご参照下さい。
ロンドン通信は、イギリスに長期間滞在した会員の手紙で、旅行者としてではなく、仕事で滞在した話。当時は海外旅行が少なく、好評を得た。)
89号 1966年5月22日発行 14ページ
  主な記事 41(1966)年度役員選挙の告示・40年度会計報告・ロンドン通信 第二報
90号 1966年7月10日発行 12ページ
  主な記事 ロンドン通信 第三報・最近の音楽会から
(会員が聴いた音楽会の感想を記す記事はたびたび掲載されました。みなさんよく調べて、適切な批評を書いておられ、すぐ寝てしまう私にはできそうにないことでした。)

次回は7月19日に、71号~80号の復元をお知らせする予定です。その後も、一月ごとに十号をさかのぼって復元していくつもりです(入力が間に合えばいいのですが…)。全部できれば、約1000ページ、100万字ぐらいです。現在までに約58万字の入力が済んでいます。
なお、19号と20号は、現在資料がありません。お持ちの方がおられたらぜひ貸して下さい。

この復刻版ヴォーカライズのデジタルファイルは、同窓会のホームページからダウンロードできます。「カラスの広場」HPの中に同窓会HPが入っていますが、 ID、パスワードが必要です。
または、この下にあるコメント欄に記して、ご請求下さい。当方からも関係する方々にお送りすることができます。関係者とは、旭丘高校音楽部・およびその同窓会に入っている(または入っていた)方、そのご家族などです。「など」としましたが、なるべく多くの方に読んで頂きたいと思っています。

最後の蒸気機関車たち その54 1972年8月

2013年06月18日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その54 1972年8月
The last steam locomotives in Japan. No. 54 (Aug. 1972)



283N 室蘭本線沼ノ端・遠浅間 1972.8.31 C57-104 229列車(客車)
283-287: Muroran line, between Numanohata nad Toasa Stations, Hokkaido.

C57-104は、1974年11月廃車。


284N 室蘭本線沼ノ端・遠浅間 1972.8.31 D51 5792列車

流し撮りに挑戦。この機関車は煙突の形がかわっている。ギーゼルエジェクターというものである。

285N 室蘭本線沼ノ端・遠浅間 1972.8.31 D51-741 280列車

D51-741は、1973年4月廃車。


286N 室蘭本線沼ノ端・遠浅間 1972.8.31 D51 280列車


287N 室蘭本線沼ノ端・遠浅間 1972.8.31 D51+D51 280列車

植苗での撮影を終わり、一端札幌の友人S君に会って泊まった。
登場蒸機 C57(写真283)D51(写真284~287)

2020.6.15 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.