OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

私の使った切符 その115  国内旅行の搭乗券 羽田からのJAS

2020年08月07日 | 今日このごろ
私の使った切符 その115
国内旅行の搭乗券 羽田からのJAS

 東京出張の帰りは、普通午後の便となる。JAS347(1725発)やJAS349(1855発)(後には時刻が改定されるがそれに対応する便)やもう少し遅い便に乗って帰宅する。搭乗時にもうすでに暗いことが多い。だから景色の写真は羽田行き、夜景は北九州行きで撮ることになる。

264 JAS347 羽田から北九州 JAS 2001.6.2

265 名古屋の夜景 JASから 2000.9.26

266 明石大橋 JAS北九州から羽田へ 2001.1.16

267 富士山と三保半島 JAS北九州から羽田へ 2001.1.16

268 三宅島の噴煙(遠景) JAS340から撮影 2002.8.13

 機上からいろいろなものを撮影したが、このころのデジカメの性能が低くてなかなかいい写真は撮れなかった。
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古い本 その18 Shikama 1966b

2020年08月04日 | 化石
古い本 その18 Shikama 1966b

 鹿間先生のもう一つの論文もデスモスチルスに関するもの。「On Some Desmostylian Teeth in Japan, with Stratigraphical Remarks on the Keton and Izumi Desmostylids」(日本のいくつかのデスモスチルス類の歯と気屯と泉のデスモスチルス類に関する層位学的意見)というもので、国立科学博物館から出版された。サイズはB5、52ページ、6図版。

15-1 Shikama 1966b 表紙

 この別刷は、1970年代(1974年から1978年の間)に鹿間先生の教授室で先生からいただいたたくさんの別刷の中の一つ。先生は私が古脊椎動物の勉強を始めたとご挨拶すると、本棚からその関連のものを揃えてくださった。「次回には軟体動物関連など他のものをあげるから」と言ってくださった。残念ながら「次回」はなかった。ご退職後まもなく先生が逝去されたから。お願いして二つの別刷にサインをいただいた。上の写真がその一つで、私の名前のところは消してある。大切な文献だから、他の多数の別刷と一緒に製本したので、周辺が少し裁断されたのが残念。上の表紙写真の左端が暗いのも製本のために十分に広げられなかったためである。先生は1974年に台湾で脳出血のため倒れられ、そのためにお手元が不自由だったが、私の無理を聞いていただいた。
 サインをいただいたもう一つは、「明石層群に就いて」という1936年の別刷。こちらは大分小さいA5サイズで、地質学雑誌に掲載されたもの。鹿間先生の卒業論文「明石海峡附近新生代地史」のうち明石層群の部分を公表されたもの。

15-2 鹿間時夫 1936 表紙

 卒業論文で扱われたのは、この明石層群の他神戸層群と播磨層群である。先に述べた鹿間先生の退職を記念して発行された論文集(1978)に明石層群のものと神戸層群のものが復刻されている。私がいただいた明石層群の論文は、明石海峡に船を出してスケッチされた崖の図がご自慢のものと聞いていた。論文中に折り込みになっている。復刻版では、他と揃えるために本文はA5からB5に拡大されたが、この折り込み図は逆に小さくされてしまった。

15-3 鹿間時夫 1936 PL. 25

 上の図がその折り込み図(オリジナルの方)で、表題は「兵庫県明石海岸自林至東二見海岸圖」。この他に二枚の写真図版があって、PL. 26はアカシゾウの頭蓋の一部。上の写真は頭蓋の腹側(下側)で、右が前方であるが、下の写真は同じ標本を左側方から撮影したもので、頭蓋の前方が下を向いている。写真の左右の幅が同じなのは、紙面上で調整したためで、そのために写真の倍率も別々である(キャプションによると上は6分の1、下は7分の1に近いという)。学名はParastegodon akashiensis Takai となっているが、この命名に際しても相当な軋轢があった。それについては長くなるのでここでは記さない。PL. 27は昆虫、植物とともに鹿類の角の破片が示されている。これらは直良信夫氏のコレクションとしてある。直良氏の明石原人発掘は1931年で、鹿間氏はこの論文のときもちろんそれを知っていたが、文中には出てこない。また崖のスケッチにも記入はない。鹿間先生は卒業直後でこれに意見を述べる立場になかっと考えられるが、これも長くなるのでここでは記さない。
 鹿間先生からいただいた別刷は大切に保管しているが、中でも正倉院薬物の調査(1955)とかTeilhardsaurus足跡とEndotherium記載(1947)は貴重。

15-4 Shikama 1947 表紙

 後者は「Teilhardosaurus and Endotherium, New Jurassic Reptilia and Mammalia from the Hushin Coal-Field, South Manchuria」(南満州阜新炭田からのジュラ紀爬虫類及び哺乳類新種TeilhardosaurusEndotherium)というもので、学士院紀事に掲載された。戦後すぐ(昭和22年)の発行だから文中の標本写真は網が粗くてよく見えない。鹿間先生は一時満州の国立中央博物館で化石の研究をしておられ、その折に見出された標本である。原標本は大連の満蒙資源館にあったものを、K. Niinomi 学芸部長(head-curator)が矢部教授に連絡したものらしい。その後の標本の行方はわからない。ただし大連自然博物館にはこの標本の反対側の岩石が現存するというから、どこかに本体が存在している可能性もある。K. Niinomi というのは新帯国太郎氏(1882-1971)で、愛知県知多郡生まれ。1904年東京高等師範学校入学(博物学専攻)、同年蹴球部入部。二年後にイギリスの参考書を基にして「Football」という書物を発行して日本にサッカーを広めることに貢献した。1924年から1947年まで満鉄に勤め、地質調査技士として働いた。1952年には愛知学芸大学地質学講師をしておられたという。私の父は私が小学校に入学する直前まで知多郡で小学校校長をしていて、それと関連して、「知多郡出身の新帯国太郎という偉い先生がいる。」と言っていた記憶がある。その時の話題は「鳴き砂」だったと思うが他と混乱した記憶かもしれない。父は教職に長くいたから、新帯氏と面識があった可能性がある。それに私も学芸大附属中学校に通っていた。化石に興味を持ち始めたときで、大学の地学教室に見学に行ったこともあったから、すれ違ったかもしれない。
 これより前、鹿間先生は矢部先生と共著で同じく満州からのジュラ紀哺乳類Manchurodon新種記載を同じジャーナル(の先行誌・帝国学士院紀事)に掲載している。「A New Jurassic Mammalia from South Manchuria」(Yabe, H. and T. Shikama, 1938)(南満州からのジュラ紀哺乳類の新種)という題で、標本は「一時的に東北帝国大学にあるが、将来は満州国立中央博物館に置かれる」としているから、失われた可能性が高い。この博物館の破壊の様子は、遠藤隆次著「原人発掘」春秋社1965 に書かれている。
 私のいただいた1947年の別刷は、右上に「謹呈 田山様」と鹿間先生が記入されたもの。この人はおそらく田山利三郎氏で、鹿間先生から見て東北帝国大学の矢部教授門下の兄弟子。16年ほど先輩にあたる人だろう。海洋底の地形の研究者であったが、1952年明神礁の噴火調査に赴いた際に突然の噴火に遭い亡くなった。何かの都合で差し上げないまま鹿間先生の書棚に残っていたものをいただいたのだろう。
 デスモスチルスの歯の別刷に戻って、Desmostylusは、文中に33か所の産出リストがあって、その中の8つの標本の計測値などがある。デスモスチルスは、歯の交換様式が特殊で、順に使われる歯の形の変化が少ないから歯種の判定が難しい。下の図はそれを小平蘂標本について図示したもの。

15-5  Shikama 1966b Fig. 6

 写真図版は網版印刷。下の写真の右側の3方向からの標本(たぶん左下のも)は岩手標本、左側は塩釜標本(どちらも上顎臼歯)。

15-6  Shikama 1966b Plate 3(一部)

 鹿間時夫(1912−1978)は、京都市生まれ。長く横浜国立大学教授を務めた。古脊椎動物関連の論文が数多い。著作リストは上に記した「鹿間時夫論文選集」(1978)に246件が掲載されているが、少なくとも上に記した1947年のEndotherium 他の記載、1962年のオオサンショウウオの化石 は抜けている。またリストより後のShikama, Kamei and Murata, 1978 のUtatsusaurus 命名、Otsuka and Shikama 1978の台湾の鹿類、の論文は追加が必要。他にもありそうだが調べていない。
 鹿間先生と最初にお話ししたのは1974年ごろ。亀井先生の教授室でご挨拶し、瑞浪産の鰭脚類標本についてご指導をいただいた。当時この標本は陸生の食肉類という判定であった。1974年の私の(共著)論文や1976年の修士論文では「イヌ科に近い」としたが、1977年には「鰭脚類の可能性がある」と変更した。現在はカリフォルニアからすでに報告されたていたNeotheriumという鰭脚類のものとわかった。標本の一つは、高等学校卒業前に友人二人と一緒に土岐市穴洞で採集した思い出深いもの。古生物学会では何度も先生をお見かけし、ご挨拶もした。横浜国立大学の教授室におじゃましたことは上にも記した。
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傘の骨(臨時投稿)

2020年08月04日 | 今日このごろ
傘の骨(臨時投稿)

 今回は私の遭遇した危険の話。
 発端は、家族の依頼で傘を捨てるために幾つかに折ろうとしたことであった。傘の布を外している時、羽を撫でたら指に痛みが走った。骨の金属の削りクズでもあったのかな、と思っていた。その後骨をペンチで折った時に後で述べる違和感を感じたがそのまま続けた。すると両手の幾つかの場所に痛みが出てきた。昔レプリカ作成の時グラスファイバーを手に刺したことがあったがその痛みであった。傘の処理を終わってネットで調べると、「ガラス繊維強化プラスチック」のうち、経年劣化または作成時のミスでファイバーが突き出しているものがあって、多くの被害が出ていることが記してあった。
http://www.kokusen.go.jp/pdf/n-20150319_2.pdf
上記を参考にされたい。
 ファイバーは細く(直径10から20μm)ほとんど見えないから家庭で抜くことは無理だという。先ほど感じた違和感というのは、骨を折った時に、金属ならぽっきりと折れるのに、一旦折れても何か外皮のようなものが繋がっているようだったこと。後から考えるとこれが表面で強化しているプラスチックで、その中に多数のガラス繊維が含まれていたことになる。私は骨を折り取っていたから劣化と関係はないが、その前にすでに痛みを一度感じていたからそこで注意が必要だった。傘にそのような注意が記入されていたとは思えない。傘を壊す時は習慣で眼を保護していたからその点はよかった。手袋をしていればもう少し被害が減ったかもしれない。
 痛みは何もしなければ感じないが、皮膚のその場所に他の物が触った時にチクリとして不愉快。先ほどの記事によると、できることはガムテープなどで痛いところに刺さっているファイバーを取ることと、手などを洗ってそこからの感染を防ぐことだそうだ。私もそうしたが、ガムテープで処理した後も時々痛むところがある。数日ぐらいで残ったファイバーは抜けるというが、しばらくは不愉快だろう。
 皆さんご注意を。
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2020年7月のアクセス数

2020年08月01日 | 今日このごろ
2020年7月のアクセス数
Access analysis of this blog: July 2020

7月の当ブログの状況をご報告する。

P:投稿数13。定期投稿(3日に一度)11回と臨時投稿2回を行った。
 1年以上「OK元学芸員」で検索すると「ゆらゆら…」「RSS」「たまごの…」というようなサイトが出てくるが、当方とは関係がない。現在も検索で出てくる。不完全なコピーをしているのでアクセスしないように。もちろん当方は了解していない。当ブログの内容を参考に記述しているブログはたくさんあるようだが、大半は引用元が「OK元…」であることを引用していない。できたら参考にしていると書いていただきたいし、内容を正確に記してほしい。
 当ブログのアクセス数の統計記録をとっている。記録項目は、閲覧回数 訪問人数 同一プロバイダー中の訪問人数順位 同一プロバイダーにあるブログの総数 の各数字で、土曜日毎に一週間の集計もされている。なお「PV:閲覧回数」はその日のアクセス総数、IV:訪問人数は同一の方の重複を除いた数字。
PV:閲覧回数 501.6 (420.2 )
IV:訪問人数 249.6 (213.3 )
R:同一プロバイダー中の訪問人数順位 7,870 (9,542)
以上は平均値
TB:そのブログ総数(平均ではなく月末) 2,942,623 (2,936,953 )
R/TB:訪問人数の順位比率平均値 0.268% (0.325%)

グラフ:先月のアクセス数。青:閲覧回数 赤:訪問人数
傾向線を記入した。

 いずれの数値も好調であった。月の中頃に閲覧回数が多いときがあった。12日(日)には、ブログ順位が全体の上位0.149%という好成績の日があった。かなり好成績であるが、過去には0.1%を切ったことも4回あった、昨年(2019年)と一昨年(2018年)に2回ずつである。その中でも最高位だったのは、昨年の3月8日の0.072%(2,062位:これも最高記録)である。

D:開設後の日数 3,815日  
TP:投稿総数 1,260回 
TPV:総閲覧回数 1,219,360
TIP:延べ訪問人数 429,179
投稿総文字数概算 1,241,897字 7月7日に、これまでの投稿を調べ直して総文字数を訂正したので前回の数字を引き継いでいない。
投稿総写真数概数 5001枚 同日これも修正した。7月31日にのべ5,000枚に達した。

 7月7日の文字数と写真数の修正は「最後の蒸気機関車」シリーズの画像を改善したことに伴って行った。以前の投稿に書き足したので、チェックしなおした。投稿文字数の増加は10,888字、写真数は13枚の増加。
 鉄道ジャンルの「私の使った切符」はまだまだ続く。書棚にある古い本の記事も書き進めている。作成してストックしてある記事はたくさんあって、来年2月初めまでの「在庫」が積み上がっている。旅行などの新しい話題があれば、これらに優先して掲載するが、ご時世でしばらく旅行はできそうにない。逆に外に出ないから記事を書きためる時間が十分にある。
 皆さんがバックナンバーをずいぶん見ていただいているのが励みになる。皆さんのコメントを期待している。ご本名でなく私に分る程度の「ペンネーム」で記入戴くとありがたい。

7月の記録: 家の近くで見た生物


ニホントカゲ 2020.7.1 小倉南区の自宅

 自宅の芝生に時々いるトカゲ。ニホントカゲとニホンカナヘビの両方がいるようだ。この個体はまだ幼い。

クマゼミ 2020.7.20 志徳公団

 公団の歩道に落ちていた羽化し損ねたクマゼミの死体。このころまだ梅雨が明けていなくて、雨が多かったからうまく羽化できなかったのだろうか。翅が曲がって伸びきっていない。

アオバハゴロモ 2020.7.22 志徳公団

 草にとまっているが、カメラを寄せると茎の裏に回り込むので、なかなか写真が撮れない。拡大してみると可愛い顔をしている。スケールは正確ではない。

オオヨツスジハナカミキリ 2020.7.30 小倉南区徳力

 道路に落ちていた死体。この種類は初めて見た。ネットで種名を調べた。違っていたらご教示いただければ幸いである。
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私の使った切符 その114  国内旅行の搭乗券 羽田へのJAS

2020年07月31日 | 鉄道
 今回から国内線の搭乗券に移る。前回まで国外旅行に関わるものを記したが、結局34枚が保管されていて(保管率87%)、うち29枚を紹介した。国内線のものは、ざっと数えて60枚弱が保管されているが、北九州・羽田間のJASなどたくさんあるものが多いので大部分を省略する予定。
 国内線の搭乗券は2000年ごろから保管するようにした。飛行機に乗った回数はこれまで135回と記録されている。それには海外旅行分の39回が含まれているから、国内線は98回で、保管率は約60%である。いずれにしても「ちょっと硬い紙の搭乗券」というものが2010年ごろを最後にして無くなってしまったので、今後増えることもない。

258 JAS340 北九州から羽田 JAS 2000.9.23

 保管されている中で最初の国内搭乗券。東京で開催されたセトロジー研究会という学会の鯨シンポジウムに出席するために行った。ニュージーランドでお世話になったF博士が来日しておられたから、是非と思って出席した。

259 鯨シンポジウム 2000.9.24 新宿

 北九州空港としているが、2006年3月まで曽根にあった古い方。近くて良かったのだが、足立山の麓にあって霧が多く、騒音の問題などもあって海上の新空港に移転した。JASは、2004年まであった航空会社「日本エアシステム」で、2000年から2003年に東京出張が重なって、少なくともこの路線を10回ぐらい往復した。中でもJAS340便は、朝の出発にちょうどいい時刻で(2003年には時刻改定・便名変更があってJAS320に変更)6回ぐらい乗った。使っていた機体は記憶にないが、たぶんMD87ではなかろうか。羽田での出発・到着はバス送迎だったが、そのうち二回ほどは機体尾部の底面に開く搭乗口から降りたと記憶している。

260 日本エアシステム機 1998.7.1 札幌(千歳)で撮影

 札幌で撮影した写真に似た機体が写っていた。主翼にエンジンがなく、機体後部の両側にあるところが似ている。手前の機体もJASのものだが機種は別。

261 JAS340 北九州から羽田 JAS 2001.5.31

 半年後の同じ便の搭乗券。デザインが変わっている。東京での博物館新館の展示打ち合わせに出張。

262 JAS340 北九州から羽田 JAS 2003.3.17

 同じJAS340便だが出発時刻が830から805に変わっている。東京の化石商を訪問して、講座用の標本の調査・購入をした。マンモスの臼歯をたくさん見て、歯種の異なるものを揃えるようにした。大きな歯はほぼ揃えることができたからこれより後の講座では説明しやすくなった。

263 JAS320 北九州から羽田 JAS 2003.6.5

 前のJAS340とほぼ同時国にJAS320便が設定された。この時は出張ではなく私的な旅行。東武鬼怒川線や野岩鉄道などの鉄道に乗るのと、新宿の化石ショーに行った。
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