OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

私の旅行データ 54 鉄道乗車 24

2025年01月21日 | 旅行

九州

旅176 乗車後に廃止された鉄道 北九州・筑豊

北九州・筑豊の乗車後廃止路線表
1 北九州市内の路面電車 4線 43.6km 2000.4.26廃止(全線乗車済み)
   後で詳細を記す
19 鹿児島本線 枝光・八幡(JR)3.2km 1999.7.2廃止移動 (1968.7.27乗車)
   新日鉄跡地を通る短絡線に経路変更。スペースワールド駅新設。
9 香月線 中間・香月(国鉄)3.5km 1985.4.1廃止(1981.10.12乗車)
8 室木線 遠賀川・室木(国鉄)11.2km 1985.4.1廃止(1982.6乗車)
20 宮地岳線 西鉄新宮・津屋崎(西日本鉄道)9.9km 2007.4.1廃止(2000年ごろ乗車)西鉄新宮までは貝塚線に改称。
18 宮田線 勝野・筑前宮田(JR)5.3km 1989.12.23廃止(1982.6乗車)
6 添田線 香春・添田(国鉄)12.1km 1985.4.1廃止(1984.5.17乗車)
23 日田彦山線 添田・夜明(JR)29.2km 2023.8.28廃止BRT化(1981.10.8乗車)
11 漆生線 下鴨生・下山田(国鉄)7.9km 1986.4.1廃止(1982.6乗車)
17 上山田線 飯塚・豊前川崎(JR)25.9km 1989.9.1廃止(1981.10.8乗車)
7 勝田線 吉塚・筑前勝田(国鉄)13.8km 1985.4.1廃止(1981.10.22乗車)

北九州市路面電車(西日本鉄道)
 次の各線があった。いずれも1979年ごろに乗車した。
1-1 北方線 魚町・北方 4.6km 1980.11.3廃止 

旅177 西鉄北方線の連接車 1980年 北方付近
 他線は標準軌だがこれだけが狭軌。モノレールに置き換えられた。
1-2 枝光線 幸町・中央町 4.8km 1985.10.20廃止
1-3 戸畑線 大門・戸畑 5.5km 1985.11.2廃止

旅178  北九州路面電車 小倉八幡間
1-4 北九州線 門司・折尾 28.7km 2000.11.26廃止


旅179 北九州路面電車 門司小倉間

旅180 北九州路面電車 八幡折尾間

 門司から折尾までの長い距離の路線。一部(黒崎・熊西)を筑豊電鉄と共用していた。折尾駅の直前の築堤にはトンネルが残されていて、「旧西鉄折尾駅高架橋ねじりまんぽ」と言う名前で保存されている。もともと複数のトンネルや架橋で南北の交通が確保されていたが、現在は築堤もほとんどが取り払われてこれだけが存在する。

旅181 西鉄旧折尾駅付近のねじりまんぽ 2011.4.26

 ねじりまんぽというのは斜めに掘られたトンネルのレンガ巻きにとられる工法で、トンネル口付近のレンガを坑口で下から支えるように斜めに積むもの。私が訪れた鉄道関連のトンネルでは、ここの他にえちぜん鉄道三国港駅手前のもの、それに京都蹴上インクライン(これも鉄道)を蹴上側から南禅寺側に抜ける歩道のものがある。

旅182 えちぜん鉄道三国港駅付近のねじりまんぽ 2007.5.15

旅183 京都蹴上インクラインのねじりまんぽ 2015.4.26

古い本 その184 平牧動物群 19

2025年01月17日 | 化石

 Brachypotheriumの特徴が書いてあるかと思ったが新属記載論文にはなかった。 従って、Brachypotherium の特徴を知るためには、Rhinoceros brachypus の記載を見る必要がある。Roger, 1904にはこの種類が出てくるが引用文献の記述はない。他の資料では、R. brchypusはLartetの命名としているが、その発行年は1837年と1948年の二つが出てくる。1837年のは掲載誌も書いてあるから、まずそれを見よう。
⚪︎  Lartet Edouard, (de Blainville) 1837: Rapport Sur un nouvel envoi de fossiles provenant du dépôt de Sansan. Compte Rendu des Séances de l‘Académie des Sciences, Tome 5, (18 Sept.): 418. (Sansanの堆積物からの化石の新しい搬出の報告)
 すでにこの時点で引用が間違っていて、推測を加えて実在するものを記した。Compte Rendu des Séances de l‘Académie des Sciences (表紙の種別によってこの名称は少しずつ異なる)は、会議の報告といった意味で、Académie des Sciences という広い範囲の学会誌だから数学や天文学などだけではなく、実用的な工学などが扱われている。各論文の頭にはこういった分野名が書かれているから、ここでは「Paléontologie」という目標を探した。5巻(Tome 5)となっていて、この号の号数は書いてないが、9月18日発行である。その前の号は9月11日発行だから、週刊誌(毎週だったとは限らない)。この号の初頭の「報告」にde Blainville が非常に短い各種の「ニュース」を列記している。その第3項目からの約20項目(p. 418-420)がLartetの化石脊椎動物に関するところ。その中にはサイに関する記述は見当たらない。

696 Compte Renduの卷の表紙(上)と号の表紙(下)

 ジャーナルの名称がこのように違う時にはどちらの名前で引用するのが正しいのだろう?

 最近の別の論文では、引用リストに次の文献が出てくる。
⚪︎ Lartet, Edouard, 1837. Note sur les ossements fossiles des terrains tertiaires de Simorre, de Sansan, etc., dans le département du Gers, et sur la découverte récente d’une mâchoire de singe fossile. Compte Rendu des Séabces de l’Académie des Sciences, Tome 4 (16 Jan.): 85–93. (Simorre, Sansan 他の第三紀調査地点からの骨化石についての報告、またGer 県の部局、最近の化石猿の顎について)
 87ページの中央付近からサイについての記述がある。まず、骨や歯から3種類が区別できる。という一行があるが、具体的な種名はない。少し開けて、このページの最後の項目、次ページの少し長い一項目だけがサイに関する記述である。このどちらにもbrachypusという種名も、サイの属名も出てこない。結局模式種も、初出論文も確認できなかった。念のため1848年の同誌もざっと調べて見つけられなかったが確かではない、なにしろこの二年間で2,400ページほどもあり、pdfを取り込むことはできても検索はできないのだ。
 Edouard Lartet (1801-1871)はフランスの地質学者・人類学者・古生物学者。

 次に調べるのはChilotherium属である。
⚪︎ Ringström, Torsten Jonas. 1924. Nashorner der Hipparion-fauna Nord-Chinas. Palaeontologia Sinica. vol. 1, Fasc. 4: 1–159. [中國北部三趾馬動物羣中之犀類化石.] (北部中国のHipparion動物群のサイ類)<未入手>
 瑞浪の大部分のサイの標本は、一度はこの属のものまたはこの属と比較されるものとして取り扱われた。だから、現在もそのままになっている解説が多い。前に記したように最も後の次の論文ではChilotheriumであることを否定した。
⚪︎ Fukuchi, Akira and Kouji Kawai, 2011. Revision of fossil rhinoceroses from the Miocene Mizunami Group, Japan. Palaeontological Research, vol. 15, no. 4: 247-257. (瑞浪層群からの化石サイ類の改訂)(前出)
 この論文では瑞浪から産するサイ類の種類をBrachypotherium ? pugnator (Matsumoto) と、疑問符付きで扱った。Brachypotherium属の提唱、さらにはその属の模式種の記載論文は入手できなかったこともあり、このブログでも不適当であることを承知で Chilotherium属のまま表記したことが多い。
 瑞浪のサイ類をChilotherium属として最初に扱ったのは、次の論文。
⚪︎ Takai, Fuyuji, 1949. Fossil mammals from Katabira-mura, Kani-gun, Gifu Prefecture, Japan. Japanese Journal of Geology and Geography, vol. 21, nos. 1-4, pp. 285-290, pl. 12, figs. 2a-2c. (岐阜県可児郡帷子村からの化石哺乳類)

697 Takai, 1949. Chilotherium pugnator 左下顎第2から第3前臼歯

 この論文でTakaiは、まずここで報告するサイとバクの化石を帷子村(現・可児市)の地層をヨーロッパのBurdigalian 並びにアメリカのHarrisonianの年代のものとした。Harrisonianというのはあまり馴染みがないが、漸新世から中新世にかけて(24.8−20.6 Ma)のアメリカで使われた年代。そして東アジアの動物群として2目、2科、2属(Serridentinus = GomphotheriumBaluchitherium)を挙げた。しかし、この中には報告する標本にあたるものがないので、次に中期中新世の5目、26科、62属のリストを示した。サイ科の8属は次の諸属。Takaiの文にはないが、各属の命名者と命名年を添えておく。
Aceratherium Kaup, 1832
Baluchitherium Forster-Cooper, 1913
Bugtitherium Pilgrim, 1908
Chilotherium Ringstrom, 1924
Diceratherium Marsh, 1875
Paracerathrium Forster-Cooper, 1911
Phyllotillon Pilgrim, 1910
Plesiaceratherium Young, 1937
 そしてその下の文章であまり理由を示すことなく報告する標本をChillotheriumのものとしている。図版は1枚あって、Palaeotapirus yagii (写真は前出)とChilitherium pugnator の写真が掲載されている。
 サイの化石骨は多数産出している。全ての写真が公表されているわけではない。ここでは、下顎後部の形態のわかる標本を紹介しておこう。

698 帷子報告書 Plate 3. (一部)Chilotherium pugnator 左下顎後部 頬側

699 帷子報告書 Plate 2. (一部)Chilotherium pugnator 上の標本の一部 上咬合面、下舌側

 この標本は、可児市帷子菅刈から産出したもの。それぞれスケールを書き込んだ。

私の旅行データ 53 鉄道乗車 23

2025年01月13日 | 旅行

中国地方と瀬戸内海

旅168 乗車後に廃止された鉄道 中国地方と瀬戸内海

中国地方の乗車後廃止路線表
C1 大社線 出雲市・大社(JR)7.5km 1990.4.1廃止 (1970.9.20乗車)
   出雲大社への参拝線。
C6 三江線 三次・江津(JR)108.1km 2018.3.31廃止 (1987.7.26乗車)
   広島と島根を結んでいた路線で、近畿・中国・四国で最長の廃止路線。
C4 可部線 あき亀山・三段峡(JR)44.6km 2003.12.1廃止 (1984.1.23乗車)
   2003年に可部から先の非電化区間を廃止したが、2017年3月4日に可部・あき亀山間1.6kmを電化し、復活した。この駅は廃止部分にあった安芸亀山駅とは別の駅で、廃止時には駅はなかった。このような災害復旧でない廃線の復活は他に見当たらない。
C3 美祢線 南大嶺・大嶺(JR)2.8km 1997.4.1廃止 (1985.1.5乗車)
   石炭輸送のための短い枝線。
C5 宮島航路 宮島口・宮島(JR)1.8km 2009.4.1移管 (1964.3.10乗船)
   2009年にJR西日本宮島フェリーに移管された。私のリストではこの時に鉄道から外した。
C7 スカイレール みどり口・みどり中央 1.3km 2024.4.30廃止 (2010.12.3乗車)
   山の上のニュータウンと麓のJR駅を結ぶ交通機関。
C2 下津井電鉄 茶屋町・下津井 21.0km 1991.1.1廃止 (1979年以前に乗車)
   茶屋町と漁港の下津井を結ぶ狭軌(762mm)の鉄道。

大社線

旅169 国鉄大社線 1970.9.19 出雲市駅 確かでないが大社線に向かう列車。

スカイレール

旅170 スカイレールの経路
標高を100メートルごとに色分けした。駅の横に記した数字は駅付近の地面の標高。レールはそれぞれそれよりも高い所にある。

 スカイレールは、標高差が大きいために通常のモノレールシステムではなく、荷重をレールで支えた上でレール内に設置された牽引ケーブルをつかんだり離したりして動くという特殊な機構のものであった。

旅171 スカイレールと山陽本線瀬野駅 帰りのゴンドラ?から撮影 2010.12.3

 出発するとすぐに急傾斜を登ることがわかる。

旅172 スカイレールの車両 2010.12.3

旅173 終点の転回施設 2010.12.3

 終点では転回のためのループが設置されている。
 地図で示したように、標高差が160メートルほど(駅前の地表の標高差)あるから、123パーミルという相当な傾斜である。

四国に渡る廃止連絡船
S3 仁堀連絡 仁方・堀江(国鉄)38.0km 1982.7.1廃止 (1980.5.26乗船)
   あまり有名でない連絡線だった。
S2 宇高連絡 宇野・高松(JR)21.0km 1991.3.16廃止 (1964.3.8乗船)
   瀬戸大橋の架橋で廃止された。現在は鉄道車両を乗せる連絡船はない。

仁堀連絡と松山市
 愛媛県に初めて入ったのは1966年3月のことで、尾道から船で今治に向かった。コースはほぼ現在の「しまなみ海道」に近い狭い海峡をたどるものだった。今治から国鉄を利用して多度津に行った。この旅行は化石採集と合唱団の演奏旅行を組み合わせたものだった。
二度目の愛媛県入りの時に使ったのが仁堀連絡だった。広島県の呉から少し東にある仁方の港は、駅からすぐだったが、四国側の堀江の駅は港からずいぶんはなれていて、狭い路地を抜けると小さな駅に着いた。

旅174 堀江港と堀江駅予讃本線 1971.2.28発行の地形図

 堀江駅から今度も多度津方面に移動した。2004.4.19に松山に行く機会があったが、堀江・松山間の予讃線に乗車する機会がなくなるのをおそれ、松山観光港から堀江駅までタクシーで移動して松山に向かった。

宇高連絡

旅175 国鉄宇高連絡船 1962.3.13 宇野港 父の撮影

 初めて宇高連絡船に乗ったのは1964.3.8で、その後何度も利用したが、写真をあまり撮影していない。ここでは父が撮影したもっと古い写真を紹介した。

 近畿から四国まででは、廃止された鉄道は少ない。目立つのは連絡線航路の廃止。近畿地方の乗車後廃線距離は57.3km、中国地方187.1km、四国62.4km。最も長いのは三江線で、108.1kmで、これは北海道以外で唯一の100km超え。

古い本 その183 平牧動物群 18

2025年01月09日 | 化石

 ここまでに出てきた属名、亜属名は、Teleoceras, Brachypotherium, Chilotherium, それにFukuchi and Kawai, 2011で出てきたPlesiaceratheriumの4属(または亜属)ということになる。それらについて調べてみよう。
 まず、Teleoceras属の命名は、Hatcherで、次の論文。
⚪︎ Hatcher, John Bell, 1894. A median horned Rhinoceros from the Loup Fork Beds of Nebraska. The American Geologist vol. 13, no. 3: 149-150. (NebraskaのLoup Fork層からの中央の角をもったサイ)

693 Hatcher, 1894. Title

 2ページの短い論文で、図はない。NebraskaではAsh Hollow Formation (中新世)という火山灰層から多くのこの種類の化石が産出している。上顎臼歯と頭蓋の特徴から、新属・新種を提唱している。それまでに知られていた属との違いとして次の点を挙げている。1 上顎の前臼歯及び大臼歯にcrochetがない、2 上顎の前臼歯及び大臼歯にanticrochetがある、3. Saggital crest(?)がある。また「median horn」 が、鼻骨の先端にある。「median horn」というのは、サイの角に違いないが先にあるというからには一番大きな角だろうか。これがあるから、「完全に角が揃っている」というような意味でTeleoceras (perfect horn)と名付けたらしい。これがこの属に限った特徴というのは、ありそうにない。
 ここで、臼歯のcrochet 及びanticrochet というのは、サイの歯に使われる形態の名である。元の意味はフックのことで、釣針もcrochetである。

694 サイの臼歯の模式図 左上顎臼歯咬合面
凡例 anticro; anticrocet cro; crochet ect; ectoloph pro; protoloph me; metaloph灰色のところは象牙質が露出したところ、その周囲の二重線はエナメル質を示す。

 この図はサイの磨耗が始まっている上顎臼歯のもの。基本的に、3つの稜で構成されていて、頬側を前後に走るectolophと左右方向のprotoploph・metalophがギリシャ文字のπの字を作る。舌側から二つの谷が入り込み、そのうちの中央のものが一番奥で深くなっている(medisinus)。その深いところの出口を狭めるようにエナメル質が出っ張っているが、それをcrochet 及びanticrochet と呼ぶ。この絵はあまりすり減っていない左上顎第1大臼歯を想定していて、第2大臼歯ではこの四角形が遠心側で狭くなり、第3大臼歯では遠心端が尖る。

695 参考:Chilotherium sp. 左上顎第2大臼歯? ロシア産詳細産地不明 鮮新世

 この写真は未萌出の第2大臼歯かな? 未萌出だから象牙質の露出はないから、大分感じが違う。
 Teleoceras major の学名は、現在も使われている。この種類の頭骨の図をネットで探した。Hagge, M. D. という人の修士論文?のデジタルファイルがあるが、引用できるものかどうか分からなかったので、ここでは示さない。これには Teleoceras major の完全な頭骨(USNM所蔵)の側面写真がある。
 John Bell Hatcher (1861-1904) はアメリカの古生物学者でMarshの標本収集に雇われ、またカーネギー博物館の研究者だった。Carnegieの研究報告のひとつ、Memoirs of the Carnegie Museumの創刊号初頭論文はHatcherによる有名なDiplodocus骨格の記載だった。
 Matumotoは、このTeleocerasに岐阜県の化石を入れたのだが、当時Teleocerasの歯の図版が手に入ったのだろうか? というよりもその時代に提示されていたサイの属はどのくらいあったのだろうか? それを調べないとここに入れた理由も推測できそうにない。

 次の属はBrachypotheriumである。属の記載論文とされるのは次のもの。
⚪︎ Roger, Otto, 1904. Wiebeltierreste aus dem Obermiocän der bayerisch-schwäbischen Hochebene. V. Teil. Bericht des naturwissenschaftlichen Vereines für Schgwaben und Neuburg, vol. 36: 1-22. Taf. 1-4. (Bavaria-Schwaben高地の上部中新統からの脊椎動物化石)
 Gomphotherium angustidens (この論文ではMatodon angustidens)などの多くの脊椎動物の産出部位などが記されている。奇蹄類が出てくるのは12ページから14ページで、 13ページの最初に次の文がある。「私の印刷していない前の文で、Rhinoceros brachypus に対して新しい属名Brachypotheriumを示唆した。」ここでは、別属を作ることは正当であると主張しているが、その違いは体型が低くて不恰好だというようなことを言っているだけで、骨格の相違点を記していない。また論文には4枚の図版を伴うが、サイ類の図は含まれていない。
 この属の提唱の時、前の属の中の特定の種の種小名を用いて新しい属名を作ることは、珍しいことではない。種小名brachypus(短い足の)からBrachypotherium (短い足の獣)としたわけであろう。足の部分を生かしたがBrachypustheriumとしないで、Brachypotheriumとしたわけ。ここでpusがpoにしたのは形容詞形にしたかったからだろう。Brachytheriumとできれば、問題はなかったのだが、その名前は1883年に南米の哺乳類に先取されていた。
 Otto Roger (1841−1915)はドイツの古生物学者・考古学者。

2024年池袋ショーに行ってきました 4

2025年01月05日 | 化石
腕足類

106 標本3 Xystostrophia sp. Alnif, Morocco デボン紀中期

 お店では、幾つかの腕足類が売られていて、全部に「Atrypha sp.」というラベルが付いていた(Atrypa属の誤り)。この標本以外は確かにアトリパ類であったが。1種類ではなく幾つかの属であった。これは全く別のグループで、Chilidiopsidae 科のXystostrophia 属ではないだろうか。参考にしたのは次の論文。
○ Halamski, Adam T. and Andrzej Baliński 2013. Middle Devonian Brachiopods from the Southern Maïder (Eastern Anti-Atlas, Morocco). Annales Societatis Geologorum Poloniae, vol. 83: 243–307. (南部Maïder (東部小アトラス山脈)からのデボン紀中期腕足類)
 小アトラス山脈は、アトラス山脈の一部で約500kmの長さがある。この論文にはXystostrophia umbraculum (von Schlotheim, 1820) という、今回の標本によく似た腕足類が報告されている。

107 Halamski and Baliński 2013. p. 255. Fig. 6. (一部)Xystostrophia umbraculum (von Schlotheim)

 属Xystostrophia は次の論文で記載されたという。
○ Havliček, Vladimír 1965. Superfamily Orthotetacea (Brachiopoda) in the Bohemian and Moravian Palaeozoic. Ústredího Ústavu Geologickéo, Vestník 40: 291-294. (ボヘミアとモラビア(チェコ)の古生層のOrthotetacea 超科腕足類)<未入手>
 資料によって雑誌名等にいくつかあるから間違いが含まれている可能性がある。Vladimír Havliček (生没年不明)はチェコの古生物学者)
 種 Xystostrophia umbraculum の記載は古く、1820年の次の論文。
○ Schlotheim, Ernst Friedrich, Freiherr von, 1820. Die Petrefactenkunde auf ihrem jetzigen Standpunkte durch die Beschreibung seiner Sammlung versteinerter und fossiler Überreste des Thier- und Pflanzenreichs der Vorwelt erläutert. Becker’schen Buchhandlung, Gotha, LXII + 437 pp. (先史世界の動植物界の化石の遺物のコレクションの説明を通じた、現在の観点からの岩石・化石学の解説)
 独特の概念に基づいた動植物の分類で、ここでは化石の種類を列記している。第1章は人類、第2章が哺乳類にあたる。問題の種類は42ページから始まる第8章 軟体動物 で、現生属のある化石の属には「-ites」という語尾をつけて区別しているようだ。ここではTerebratulites umbraculum (250ページ)としているが、この属には60種以上が並んでいる。前に触れたHalamski and Baliński 2013 の記載には、その後この種類がどう取り扱われたかのリスト(シノニムリスト)があるが、次の属に入れられたことがあるという。
Terebratulites, Streptorhynchus, Schellwienella Orthotetes, Schellwienella, Schuchertella, そしてXystostrophia。ずいぶんあちこちに転職した履歴書である。私にとっては知らない属が多く、聞いたことのあるのはOrthotetesSchuchertellaだけである。Orthotetesは大きなグループ名(Order Orthotetida など)で出てくる。Schuchertellaは、岐阜県の福地層群からコーテーション付きで報告されている。
○ Ohno, Terufumi 1977. Lower Devonian Brachiopods from the Fukuji Formation, Cenral Japan. Memoirs of the Faculty of Science, Kyoto University, Series of Geology & Mineralogy, vol. 44, No. 1: 79-126, pls. 1-11.  (大野照文:中部日本、福地層群からの下部デボン系腕足類)
 この論文は大野(後の京都大学教授;1951− )の卒業論文。