OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

2005年 韓国恐竜シンポジウム出席6  博物館の展示2

2020年01月31日 | 昔の旅行
2005年 韓国恐竜シンポジウム出席6
 博物館の展示2

 韓国以外の無脊椎動物化石については、かなり良い標本があるのだが、特に決まったテーマに沿って集めたという感じではない。

18 アンモナイトの展示 2005.10.18

 ミネラルショーなどでよく出品されているものが目立つ。値段の高いものも多い。
 韓国のものでは、有名なオルドビス紀三葉虫が展示されている。1930年代に小林貞一先生が命名した種類もある。

19 オルドビス紀三葉虫 Parabasilicusなど 2005.10.18

20 第三紀の貝化石 2005.10.18

 第三紀の化石もあるが、充実していない。日本の第三紀化石の中には、韓国産の標本がホロタイプになっている種類もあるから面白そうなのだが、ラベルが読めず、詳しくないからほとんど素通り。これは私が無知だから。
 いくつかのジオラマがあるが、あまり面白くない。その原因としては、スペースが狭いことだろうか。

21 魚竜のジオラマ 2005.10.18

 ショップを見る。まだお金を使う機会が無いのでちょっとお土産を買う。商品は似たようなもの。ハングルなので説明が分からないのと、数字の桁数が大きいのでつい「高い」と思ってしまうことになる。実は日本よりも安いめの値段である。

22 ショップ 2005.10.18

去年読んだ本(臨時投稿)

2020年01月31日 | 今日このごろ
去年読んだ本

 昨年(2019年)12月7日・16日に、「今年読んだ本」〜前半・後半〜として読書記録を記したが、11月末までの記録だったから、12月のことを報告しよう。
 12月に購入した図書は3冊。磁石に関する本「強力磁石の発明・事業化物語」が高評価を得た。ネイジム磁石の開発と事業化に関する本で、この素材の与えた大きな効果を知ることができた。事業化に関する部分は私には難しかったが、開発の経緯に関する部分は興味を持って読んだ。2019年の購入図書の中で、最高の数冊に次ぐ85点を付けたが、11月までの25冊と同時に採点したのではないから、公平ではないかもしれない。

 ついでに、2018年に購入した図書18点も、リストを作成した。作成にあたっては、保管しているレジの領収書を見たのであるが、2019年のレジ領収書にはたいてい書名が打ち込んであり、それがない場合にはISBNが記入してあったのだが、2018年にはレジが古かったらしくて、これらの記入がないものがあったため4冊については「理工」とか「経済・経営・ビジネス」といった区分だけしか分からなかった。それで、これらを除き、さらに「読む本」でない時刻表を除外した12点を評価した。最高評価は「駅の文字・電車の文字」という本で秋などの鉄道施設や車両に掲示してある文字の配置や字体についてくわしく記した本。次点は「世界の超長距離列車」(題名略記)という本で、シベリア鉄道のような日本では考えられない距離・時間を走破する旅客列車で旅をした記録。私はやってみたいとは思わないが。「疑惑の科学者たち」も同点で2位。よく知られている近年の疑惑科学者たち以上に想像を超えるインチキをした「科学者」が列記してあって、中には私もだまされて信じている事柄も幾つかあって面白かった。

2018年に読んだ本

 気になるのはレジの記入が不完全で書名がわからない4冊の本。小倉駅の中にある書店であるが、2018年11月9日に購入したものが一番遅い記録で、2019年1月8日初めに同書店で買った時のレジには記入があるから、この2か月間にレジの仕組み(またはレジそのもの)を変えたにちがいない。私の書棚を全部見ていけば、定価と発行日から決めることができるかもしれない。残念ながら書棚は、サイズごと、分野ごとに並べる(入手時期順ではない)から不可能に近い。
 そこで、懸案の書籍リストの作成に着手することにした。まずやったのは、書棚の幅を測って、蔵書数の推定をすること。書棚幅の総延長に対して本の厚さを平均1センチと考えて推定した蔵書総数は……最初に出てきた数字は6,900冊!それから一部の棚について書名だけを入力して、冊数を数えたら、6,500冊と少し減った。つまり厚さの平均値は1センチより厚いのだろう。それでも2割以上の変更が起こりそうにないから、暫定の推定蔵書数は5,000冊ということになる。さてこの推計は正しいか??
 これができたら、一部の本を寄贈か廃棄して減らすことを考えないと、すでに棚の95%は埋まっているから限界が近い。

私の使った切符 その88 1982年から1983年

2020年01月28日 | 鉄道
私の使った切符 その88
1982年から1983年


118 八幡駅発行 北九州市内・清水間乗車券 1982.1.8

 手書きの乗車券で、窓口の横にある硬券がよく発売される既成の券であるのに対して、あまり注文がないようなものをその場で作成して発売する切符。当然ゴム印や手書きで記入する。「経由」として、手書きで 山陽・新大阪・阪和・紀勢・東海 と書いてある。出発地の「北九州市内」に「香月線を除く」と注記があるのは、この線の起点が中間市の中間駅で、西側から回り込む形で北九州市八幡西区の香月駅に入ってくる線だから。もしこの注記がなければ、途中乗車として中間駅から乗ることもできることになってしまう。香月線には中間と香月の間に新手駅と岩崎駅の2駅があったが両方とも中間市内にあったから、「香月線を除く」という注記が「香月駅を除く」としてあっても同じになる。
 この旅行は、新館建設の準備として、鯨骨格の展示方法の調査を目的として、事務系の係長と一緒に、太地の町立くじら博物館と清水の東海大学自然史博物館を調査するという出張だった。紀勢本線を途中太地で下車するものの全部乗るという大変なものだった。このころ、太地のくじら博物館は鯨の骨格が最も多数展示されていることで有名だった。下の写真はこの時のものではなく、大学の地質実習・合宿で白浜に行った時に撮ったもの。
 また東海大自然史は、日本で唯一のシロナガスクジラ骨格の展示されているところだった(現在は他にもある)。

119 太地町立くじら博物館の骨格展示 1972年6月

120 銚子駅発行 銚子・千葉間乗車券 1982.1.27

 前の切符と同じような「オーダーメード」の切符。私は千葉までの未乗車線を通って行きたいわけだから、当然ややこしい切符である。中央の「経由」というところにゴム印で「求名・本納」それに手書きで「浜野」と記入してある。前のと違って、線名ではなく通過駅名である。つまり総武本線で成東乗り換え、東金線で大網に出て、外房・内房線経由、という意味である。「求名」は「ぐみょう」と読み、成東から出る東金線の最初の駅。大網から外房線下りで行くと2番目の駅が「本納」なぜ最初の駅「永田」でないのか不明だが、おそらく永田というのが他に紛らわしい駅があるのだろう。「浜野」は房総半島をぐるっと回った千葉近くの蘇我駅の一つ手前。本納を通れば、戻らない限り浜野は必ず通るから、書かなくても良さそうなものだが、外房線・内房線と二つの「戸籍」に分かれているから書いたのかな?
 千葉駅は東京均一周遊券の境界駅だから、この時もその均一周遊券からはみ出して旅行したに違いない。東京均一周遊券は、東京や千葉の学会など何度も使った。1980年11月・1983年1月・1984年4月・1985年1月・同7月・同12月の6回についてはA券やB券が残っているが、他にもあったはず。その後は飛行機利用があったり、パック旅行の方がホテル代金との関係で安くなったりしたから均一周遊券の使用記録がない。

121 下関駅発行 長崎佐世保周遊券B券 1982.2.23

 前にも例があったが、北九州からの設定がないので、下関で購入して長崎方面に向かったもの。出発時に、まず反対方向に行くということになる。下関駅で購入してすぐに引き返す。だから帰りは小倉で途中下車するから自動的にB券が手元に残る。「既製品」の周遊券で、しかも当日から使用するから書き込みがほとんどなく、発行日の日付印だけ。もうひとつあるのは、佐世保駅の途中下車印である。
 目的は、佐世保あたりの第三紀層の化石採集である。現在なら道路が整備されたから日帰り出張しか認められそうにない。この1年後の1983年3月に福岡市地下鉄ができて、筑肥線の博多・姪浜間が国鉄でなくなった。だから出張や周遊券などでの唐津経由の経路は色々な制限が出てきたが、この時は問題はなかった。

122 西小千谷駅発行 西小千谷・北九州市内間乗車券 1983.8.1

 これも「オーダーメード」の切符。経由は「糸魚川・松本・岡谷・身延・神戸」と書いてある。今度は駅名と線名が混在している。細かく記すと、西小千谷(魚沼線)来迎寺(信越本線)直江津(北陸本線)糸魚川(大糸線)松本(篠ノ井線)塩尻(中央本線)甲府(身延線)富士(東海道本線)神戸(山陽本線)門司(鹿児島本線)小倉(実際には静岡から東海道・山陽新幹線)であるが、一目見てイメージの湧く方は少ないだろう。鉄道乗りつぶし趣味の方々以外にはちょっとフォローできそうにない。スタートの魚沼線は、1年後の1984年3月31日に廃止された。現在は衛星写真でゆるくカーブした道路を来迎寺駅からトレースすればほとんど全部のルートを推測できる。終点の西小千谷駅跡は「ぽっぽの里」という名がつけられている。
 残念ながら、この線に乗った時の記憶が全くない。小千谷に行ったのは、ある研究会での講演を頼まれたからだったが、行って見ると講師としてではなく一般参加として扱われ、大変不愉快だったという記憶がある。往路は新幹線を名古屋で乗り換え、急行「赤倉」に乗車、長野から飯山線で向かった。乗りつぶしマニアとしては十分な成果をあげたわけだ。

2005年 韓国恐竜シンポジウム出席5  博物館の展示1

2020年01月25日 | 昔の旅行
2005年 韓国恐竜シンポジウム出席5
 博物館の展示1

 話をもどして、シンポジウムのある18日の朝、朝食のホテルから車で博物館に向かう。シンポジウムは午後からなので、博物館でちょっと時間を持て余す。もう一度細かく展示を見て行くと、問題点がいくつか見つかる。脊椎動物の骨についてだけについて、一番悪いのは前に写真を出したホラアナグマの骨格で、頚椎から腰椎までの脊柱が全く逆になっている。何でこんな間違いが起こったのか想像もつかない。クジラ類の骨格は白くて化石化が進んでいないのに中新世になっているのもちょっと変。おそらく沖積平野からの出土だろうと思われる。マンモスの牙の方向も悪い。

15 ナガスクジラ類の骨 2005.10.18

16 マンモス骨格 2005.10.18

17 洞窟ライオンの骨格 2005.10.18

 「洞窟ライオン」骨格は、腰椎部分の曲がりが強く、逆に胸椎部分が腹側に曲がっているため不自然に感じる。大丈夫なんだろうか? なお、脊椎動物化石関連の学芸員は在籍しておられない。

私の使った切符 その87 1981年から1987年

2020年01月22日 | 鉄道
私の使った切符 その87
1981年から1987年


114 八幡駅発行 名古屋東京間 「出雲2号」特急・B寝台券 1981.9.10

 横幅14センチ、縦6センチのサイズ、地紋は黄緑色の国鉄マークである。左右に1.3センチ間隔で直径4ミリほどのパーフォレーションが空いている。カタカナが多いが全部発券機の印字である。B寝台の5号車下段が指定してある。発行は9月10日だが、乗車は9月15日。この時、中新世化石の調査のために群馬県に行ったが、出発が遅くて名古屋から東京までを夜行列車に乗るというあまり例のない移動をしている。名古屋発1時00分、東京着は6時半ごろ。なお、真夜中を過ぎていて、15日未明の夜行である。夜行列車の場合、列車の出発時の日付ではなく、実際の日が記載されるから注意が必要。寝台特急「出雲」は2往復が運転されていた。乗車券の方は保存されていない。たぶん東京均一周遊券を使ったと思われる。
 同じ用紙・穴の乗車券は、これを含めて4件が手元にあるが、そのうち一番古い1975年11月上野駅発行の「はつかり5号」「おおぞら1号」特急券2枚組は黒線の枠があって、全く異なる形式。この特急券は「私の使った切符 その31で掲載したが比較のため再録する。

115 上野駅発行 「はつかり5号」「おおぞら1号」特急券 1975.11.14(再録)

 残る2枚は次の写真のもの。少し時系列が崩れるが並べておこう。ご覧のようにこれら3枚は全く同じ形式である。美濃太田駅発行の券もあるから多くの駅に設置されていたことになる。

116 名古屋駅発行 名古屋・草津間乗車券 1983.12.1

 発行日のところにはさみが入って欠けているが、上の方に「12月1日カラ有効」とあるので、発行日は12月1日に違いない。この旅行の内容は記録が不完全で、11月末に阪神あたりにいたことだけが分かっている。阪神の周遊券を持っていて、何かの都合で実家のある名古屋に回り、周遊券の境界駅の草津までの切符を買い足したのだろう。切符が手元にある理由も説明がつく。

117 美濃太田駅発行 美濃太田・北九州市内間乗車券 1987.8.22

 この切符に関する記録や記憶は全くない。その頃つけていた国鉄乗車記録にもその日付の乗車がない。1987年7月末に三江線に乗車した記録の後、行を開けないで同年8月30日からの若桜線乗車が出てくる。ただし、この記録は初乗車した線の記録だから、切符の旅行(8月22日帰途の)では新しい線に乗っていないということに過ぎない。1985年ごろから1990年ごろは、乗車記録も写真記録も不完全でいつも分からないことが出てくる。忙しくてアルバムも作ってなかった。できる限り写真を集めてアルバムは作ったが、データが不備である。退職の時に手帳を捨ててしまったのがくやまれる。