OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

私の使った切符 その26 1972年9月

2016年01月31日 | 鉄道
私の使った切符 その26 1972年9月

 北海道旅行で購入した近距離切符を紹介する。

26-1 北海道の近距離切符 その1

★ 1972.9.2 三菱鉱業大夕張鉄道✝ 大夕張炭山✝から清水沢ゆきの乗車券
 大夕張鉄道には蒸気機関車の撮影に行った。国鉄の夕張線清水沢で乗り換えて客車と石炭車をつないだ混合列車に乗った。この切符は硬券で国鉄と大体同じ仕様だが、裏の券番の字体は違う。

26-2 大夕張鉄道乗車券の券番の字体

26-3 大夕張鉄道に乗車(再録) 1972.9.2

★ 1972.9.4 稚内から南稚内(ともに宗谷本線)ゆきの乗車券
★ 1972.9.7 網走駅(石北本線)の入場券
★ 1972.9.8 美深(宗谷本線)から辺渓✝(美幸線✝)ゆきの乗車券
 美幸線は1985年廃止された。


26-4 北海道の近距離切符 その2

★ 1972.9.8 仁宇布駅✝(美幸線✝)の入場券
 仁宇布は美幸線の終点駅。

26-5 深名線✝から見た朱鞠内湖 1972.9.5

26-6 霧多布、藻散布の昆布干し 1972.9.6

★ 1972.9.9 万字炭山駅✝(万字線✝)の入場券
 万字炭山駅は万字線の終点駅。万字線も1985年に廃止。

26-7 白雲山から見た然別湖 1972.9.11

★ 1972.9.12 浦臼駅(札沼線)から30円区間の乗車券
 札沼線は、この年6月に新十津川より先が廃止されて行き止まりの線になっていた。この時にはなぜか浦臼まで行って戻って来たようだ。全線に乗ったのは1975年11月。
★ 1972.9.13 松前駅✝(松前線✝)の入場券
 この3枚の切符の裏面に、チェックの赤鉛筆の線がある。すでに内2枚の写真を掲載した(このシリーズ その13)。
 この頃、「北海道の国鉄全乗車」を意識するようになった。この旅行が終った時点で未乗車の区間はかなり減っていたがそれでも10線以上あった。北海道全線に乗車できたのはそれから30年、2004年7月になった。
★ 1972.9.14 今別から蟹田(津軽線)ゆきの乗車券
 函館山の夜景を見た後本州に戻り、津軽線の今別に行ったのは、海岸にメノウが多産するから。その後の帰路は記録がない。


1991年モンタナ州の訪問 その17

2016年01月28日 | 昔の旅行
1991年モンタナ州の訪問 その17
Visit to Montana for digging, 1991. Part 17

 ちょっと旅行の話からはずれて、標本がどうなったのかを記す。1991年の発掘で採集された恐竜などの化石は、結局購入することになったが、結果的には全身の骨の10%から20%ぐらいしか発掘できなかった。1991年の秋にアメリカから化石骨が到着した。アルミ箔に包まれ、テープで巻いた大量の骨が積み上がったが、形のわかる骨がどのくらいあるのか開けて見るまで分からない。

67 標本到着 博物館分室 1991年秋 Arrived specimens

 さっそくその年の秋の特別展で一部を公開した。

68 泥岩の付いたままの右上顎骨 1991.秋 Corythosaurus: Right maxilla

69 胸椎 1991.秋 Corythosaurus: Thoracic vertebra

 この時点では着いたばかりの化石の中から形が分りやすくてきれいなものを数点展示しただけだった。「運んできたばかり」という演出もあって、アルミ箔を付けたままで展示した。
 それからすべての標本をクリーニングする必要がある。ところが大きな問題があった。現地で化石の保護のために大量の瞬間接着剤をしみ込ませてあった。しかし一部の「根のマット」が付着したままのものがあった。これは取り除かねばならないが、普通のカッターでは力不足で、クラフトナイフ(O社製)を使った「力技」であった。替刃十枚位を使い潰した。

70 クリーニング前の尺骨 Ulna before cleaning

 骨ごとに状態を確かめて、接着をして行く必要があった。
(つづく)


降雪 (臨時投稿)

2016年01月25日 | 今日このごろ
降雪
 「今冬一番の寒波」と脅されて迎えた日曜日(24日)家の付近の積雪はそれほどでもない。芝生の上で5センチぐらいか。

 夕刻になって、さらに少し積っていた。翌朝の氷結をおそれて、出勤・登校する家人のために歩く幅だけの除雪を行った。道具は床用のブラシ。家の玄関から門扉を通って、家の前の路地を通り、近くの市道までの間。

路地の奥の方の家までの通路も少しだけサービス。かかった時間は15分ほど。

写真はいずれも2016.1.24撮影
 暗くなって外に出てみると、せっかく作った通り道が真白になっていたので再び除雪。夜間は風もおさまって、あまり荒天ではなかった。
 月曜日(25日)の朝には通り道はほんの少しの積雪があるだけで、一安心。それでもひととおり除雪した。自家用車の屋根もついでに除雪。月曜日は一日中雪が舞っていたが、それ以上積雪することはなく、午後には解けつつあった。結局、寒さも積雪も大したことはなかった。


私の使った切符 その25 1970年8月

2016年01月25日 | 鉄道
私の使った切符 その25 1972年8月

 1972年も北海道に行った。その時の周遊券はいままでのものとそっくりだが表紙の記載が「交通公社」ではなく「日本国有鉄道」となっている。






25-1~25-5 1972年の北海道周遊券

★ 1972.8.29(発行)京都発の北海道周遊券
 京都からのセットはないらしく、京都名古屋間の往復(X券片とY券片)と名古屋からの周遊券の合計4枚のセットになっている。径路の記録は次の通り。29日出発:京都(新幹線)東京 上野(東北本線夜行十和田4号)青森(青函連絡✝)函館(函館本線)大沼(同・室蘭本線)植苗(千歳線)札幌:大夕張など日帰り:(宗谷本線夜行利尻51号)南稚内 豊富など 名寄(深名線✝)深川(函館本線)札幌(根室本線夜行狩勝4号)厚床(釧網本線)釧路(同)網走 常呂(湧網線✝)中湧別(名寄本線✝)名寄(夜行)札幌(根室本線)帯広 然別 池田(根室本線など)函館。B券片にたくさんの途中下車印がある。これらを径路順にすると次の通り。青森 函館 植苗 札幌 万字炭山 栗丘 浦臼 稚内 南稚内 兜沼 釧路 中標津 標茶 塘路 網走 一ノ橋 名寄 札幌 帯広 池田 野幌 倶知安 不明1。B券片にもうひとつ名古屋駅の無効印が捺してある。「記念にほしい」と申し出るとこれを捺した上で持たせてくれることがあったのだ。


25-6 札幌駅発行の指定席券

★ 1972.9.5 札幌から釧路までの「狩勝4号」急行券・指定席券
 均一周遊券では急行の自由席に乗ることができたが、混雑が予想されるときに急行の指定席を取ることもあった。私はほとんどしたことはない。この切符は札幌駅発行で硬券では無い。機械で印字されているのに、一部はゴム印で中途半端な物である。


1991年モンタナ州の訪問 その16

2016年01月22日 | 昔の旅行
1991年モンタナ州の訪問 その16
Visit to Montana for digging, 1991. Part 16

 1991年7月6日、宿舎に帰って、予備発掘での成果を調べることにした。すでに左下顎骨などが取り上げられて、宿舎の一軒家に保存してある。

63 左下顎骨頬側面 1991.7.6 Corythosaurus: Buccal view of right dentary

64 左下顎骨舌側面 1991.7.6 Corythosaurus: Lingual view of right dentary

 この下顎骨は、破損も少なくてあまり割れていないが、歯は保存されていない。歯槽をカバーする舌側(内側)の薄い骨も失われている。

65 中足骨 1991.7.6 Corythosaurus: Metatarsal

 この中足骨は、中央部がかなり壊れているが、修復は可能だろう。

66 部位不明 1991.7.6 Corythosaurus?: An unidentified bone

 この時点では、ハドロサウルス類ということしか決めていなかったが、後に早稲田大学のN君との研究でコリトサウルスであることが確定した。標本はアルミ箔に包まれていて、点数が少ないから、全身骨格の復元には至らないものだった。これからの発掘でどのくらい追加できるか、とくに頭骨、脊椎骨の列や大腿骨などが発見できるかがカギとなりそうだった。
 この時に上がっていた骨は、地表から浅い所にあった骨である。乾燥地帯の浅い所に多孔質の骨が埋もれている、ということは、骨が地下水の通路や保持場所になっていたことになる。従って、植物の根がたくさんからみつき、ひどいときには骨の周りを厚さ1センチくらいの根の「マット」が覆っていることさえあった。だから、発掘していく時に根のマットに当ったら、その下に骨があると考えて発掘していった。
(つづく)