私の使った切符 その26 1972年9月
北海道旅行で購入した近距離切符を紹介する。
26-1 北海道の近距離切符 その1
★ 1972.9.2 三菱鉱業大夕張鉄道✝ 大夕張炭山✝から清水沢ゆきの乗車券
大夕張鉄道には蒸気機関車の撮影に行った。国鉄の夕張線清水沢で乗り換えて客車と石炭車をつないだ混合列車に乗った。この切符は硬券で国鉄と大体同じ仕様だが、裏の券番の字体は違う。
26-2 大夕張鉄道乗車券の券番の字体
26-3 大夕張鉄道に乗車(再録) 1972.9.2
★ 1972.9.4 稚内から南稚内(ともに宗谷本線)ゆきの乗車券
★ 1972.9.7 網走駅(石北本線)の入場券
★ 1972.9.8 美深(宗谷本線)から辺渓✝(美幸線✝)ゆきの乗車券
美幸線は1985年廃止された。
26-4 北海道の近距離切符 その2
★ 1972.9.8 仁宇布駅✝(美幸線✝)の入場券
仁宇布は美幸線の終点駅。
26-5 深名線✝から見た朱鞠内湖 1972.9.5
26-6 霧多布、藻散布の昆布干し 1972.9.6
★ 1972.9.9 万字炭山駅✝(万字線✝)の入場券
万字炭山駅は万字線の終点駅。万字線も1985年に廃止。
26-7 白雲山から見た然別湖 1972.9.11
★ 1972.9.12 浦臼駅(札沼線)から30円区間の乗車券
札沼線は、この年6月に新十津川より先が廃止されて行き止まりの線になっていた。この時にはなぜか浦臼まで行って戻って来たようだ。全線に乗ったのは1975年11月。
★ 1972.9.13 松前駅✝(松前線✝)の入場券
この3枚の切符の裏面に、チェックの赤鉛筆の線がある。すでに内2枚の写真を掲載した(このシリーズ その13)。
この頃、「北海道の国鉄全乗車」を意識するようになった。この旅行が終った時点で未乗車の区間はかなり減っていたがそれでも10線以上あった。北海道全線に乗車できたのはそれから30年、2004年7月になった。
★ 1972.9.14 今別から蟹田(津軽線)ゆきの乗車券
函館山の夜景を見た後本州に戻り、津軽線の今別に行ったのは、海岸にメノウが多産するから。その後の帰路は記録がない。
北海道旅行で購入した近距離切符を紹介する。
26-1 北海道の近距離切符 その1
★ 1972.9.2 三菱鉱業大夕張鉄道✝ 大夕張炭山✝から清水沢ゆきの乗車券
大夕張鉄道には蒸気機関車の撮影に行った。国鉄の夕張線清水沢で乗り換えて客車と石炭車をつないだ混合列車に乗った。この切符は硬券で国鉄と大体同じ仕様だが、裏の券番の字体は違う。
26-2 大夕張鉄道乗車券の券番の字体
26-3 大夕張鉄道に乗車(再録) 1972.9.2
★ 1972.9.4 稚内から南稚内(ともに宗谷本線)ゆきの乗車券
★ 1972.9.7 網走駅(石北本線)の入場券
★ 1972.9.8 美深(宗谷本線)から辺渓✝(美幸線✝)ゆきの乗車券
美幸線は1985年廃止された。
26-4 北海道の近距離切符 その2
★ 1972.9.8 仁宇布駅✝(美幸線✝)の入場券
仁宇布は美幸線の終点駅。
26-5 深名線✝から見た朱鞠内湖 1972.9.5
26-6 霧多布、藻散布の昆布干し 1972.9.6
★ 1972.9.9 万字炭山駅✝(万字線✝)の入場券
万字炭山駅は万字線の終点駅。万字線も1985年に廃止。
26-7 白雲山から見た然別湖 1972.9.11
★ 1972.9.12 浦臼駅(札沼線)から30円区間の乗車券
札沼線は、この年6月に新十津川より先が廃止されて行き止まりの線になっていた。この時にはなぜか浦臼まで行って戻って来たようだ。全線に乗ったのは1975年11月。
★ 1972.9.13 松前駅✝(松前線✝)の入場券
この3枚の切符の裏面に、チェックの赤鉛筆の線がある。すでに内2枚の写真を掲載した(このシリーズ その13)。
この頃、「北海道の国鉄全乗車」を意識するようになった。この旅行が終った時点で未乗車の区間はかなり減っていたがそれでも10線以上あった。北海道全線に乗車できたのはそれから30年、2004年7月になった。
★ 1972.9.14 今別から蟹田(津軽線)ゆきの乗車券
函館山の夜景を見た後本州に戻り、津軽線の今別に行ったのは、海岸にメノウが多産するから。その後の帰路は記録がない。