OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

2023年6月のカレンダー

2023年05月29日 | 今日このごろ

6月 Kekenodon onamata Hecter
文献:Hector, James 1881. Notes on New Zealand Cetacea, Recent and Fossil. Transactions and Proceedings of the New Zealand Institute, vol. 13: 434-436, pl. 18.(ニュージーランドの現生および化石鯨類に関するノート)
 New Zealand, Otagoのワイタキ川の谷から1880年ごろに発見された標本で、一部の骨も残っていたようだが・歯だけしか図示されていない。犬歯かと思われる単根、円錐形の歯冠の歯と、前後に副咬頭の並んだ平たい歯がある。その形からHectorはZeuglodonの仲間(原鯨類)と考えた。それに伴って地質年代を始新世とした。Kelloggの「Review of the Archaeoceti」ではこの種をArchaeocetiの一員と考えたが、時代については中新世最初期とした。産出層は現在漸新世のものとされる。
 独特の形の歯根が特徴であるが、現在も分類群が確定したとは思えない。ひげ鯨類、歯鯨類それに原鯨類のいずれともつかないし、地質年代も漸新世とされるがやや疑問もある。

Kekenodon onamata のholotype オタゴ大学 1993年2月撮影

 ホロタイプはDunedinのオタゴ大学に保管されている。何本かの歯とその破片、それに岩様骨の一部がある。産出地はカンタベリー平原の南縁を区切るワイタキ川の中流で、川を遡って山間に入ったすぐにある人造湖Aviemore湖のあたり。私はその近くのKurowという町から右岸に登ったAwahokomoという化石産出地を訪れたが、眼下にAviemore湖を望むことができた。

Awahokomo から見たAviemore湖(遠景)。1993.2.6

 写真の向こうの山の手前に見える水面がAviemore湖。
 James Hector (1834−1907)は、スコットランド出身でニュージーランドの地質学者。

古い本 その143 古典的論文 モササウルス類3

2023年05月25日 | 化石

 二番目に記載されたモササウルス類の属はActeosaurusである。論文は次のもの。
⚪︎ Meyer, H. von. 1860. Acteosaurus Tommasinii aus dem schwarzen Kreide-Schiefer von Comen am Karste. Palaeontographica, 7: 223–231, Taf. 24.(KarsteにあるComenの黒色チョークからのActeosaurus Tommasinii
 原始的なモササウルス類の属で、ここに入れていいのかわからない。産出地はスロベニアのComenというところで、カルスト地形の語源となった地域。図版一枚を伴う。

531 Meyer, 1860. Tafel 24. Acteosaurus Tommasinii holotype

 頭部を欠くので分類上の位置が不明確である。この地域のモササウルス類は、このあといくつかの属が報告されていく。
Acteosaurus Meyer, 1860. 模式種:Acteosaurus Tommasinii Meyer, 1860.
産出地:Comen スロベニア

 三番目はClidastes属で、論文は次のもの。
⚪︎ Cope, Edward Drinker. 1868. On new species of extinct reptiles. Proceedings of the Academy of Natural Sciences of Philadelphia. vol. 20: 181.(絶滅した爬虫類の新種について)
 これは学会の記録のようなもので、簡単な記載があるだけ。New JerseyのGreen sand 層の中部から産出したもの。Clidastes igunavusと名付けている。
 Copeは、この論文に引き続いてもう一つの論文を出している。これの日付は1868年となっているが実際の発行は1869年らしい(Cope Bibliography参考)。
⚪︎ Cope, Edward Drinker, 1868. On some Cretaceous Reptilia. Proceedings of the Academy of Natural Sciences of Philadelphia. vol. 20: 233-242.(幾つかの白亜紀爬虫類について)
 この論文では、ヘビやカメについても記録しているが、最初(p. 233)に書かれているのがMosasaurus類のClidastesである。「標本は友人のMarshによって発見された」としているが、何か言いたいことがあるような気がする。属名の見出しには、「Clidastes Cope」と書いてある。すぐ下の種名のところは「Clidastes iguanavus Cope, sp. nov.」として、その種が新種であることを明記している。新属であることはなぜか主張が明確でない。標本は1個の胴椎で、その産出地はNew Jersey州のGloucesterという。図は示されていない。ところが、Wikiなどの資料では模式種がClidastes propython Cope, 1869となっている。さすがに一個の脊椎では情報が足りないというので、次の論文で模式種の改訂を行った。
⚪︎ Kiernan, Caitlin R. 1992. Clidastes Cope, 1868 (Reptilia, Sauria): proposed designation of Clidastes propython Cope, 1869 as the type species. Bulletin of Zoological Nomenclature vol. 49: 137-139.(Clidastes Cope, 1868 (Reptilia, Sauria): Clidastes propythonを模式種に指定することの提唱)
 C. iguanavusのholotypeは十分な特徴を示すといえないので、疑問名となるのだが、Clidastes属は長い間使われてきたので活かす。というのだが、ではこれまでの種の特徴はどうなっていたのかなど、ちょっと矛盾があるような気がする。
 Clidastes属の新しい模式種について調べてみよう。模式種Clidastes propythonの記載は次の論文。
⚪︎ Cope, Edoward Drinker, 1869. On the reptilian Orders Pythonomorpha and Streptosauria. Proceedings of the Boston Society of Natural History, vol. 12: 250-266.
 (爬虫類のPythonomorphaと Streptosauriaについて)
 Pythonomorphaは、Mosasaurus類とヘビとが近縁であるというCope の考えから設けられた目であるが、ヘビ類が陸上で穴を掘ることからその形態を持つようになったという推定のために否定されてきた。ところが近年、分岐分類学で、これを見直し、一つのCladeとして「生きて」いる。Streptosauria の方はよくわからなかった。
 主題のClidastes属は、Cope, 1869の258ページからに記載されている。これらの論文に図がないので、寂しいから別の論文に掲載されていたClidastesの図を掲載する。

532 Clidastes verox Williston 頭蓋背面 Williston, 1898 による

533 Clidastes verox Williston 頭蓋左側面 Williston, 1898 による

 図の原典は次のもの。
⚪︎ Williston, Samuel Wendell, 1898. “Birds”. in Reptiles of the Kansas Cretaceous Ocean, Paleontology. The University, Geological Survey of Kansas, vol. 4. 41-56, Plates 5-8. (Kansasの白亜紀の海の爬虫類, Part 2、鳥)(既出)

Clidastes Cope 1868. 模式種:Clidastes propython Cope, 1869.
産出地:Alabama州Uniontown アメリカ Rotten石灰岩
(旧模式種:C. iguanavus Cope, 1868. New Jersey州Gloucester アメリカ)

私の旅行データ 12 空白域 K

2023年05月21日 | 旅行


20km−23 月山
凡例:緑:10km 黄色:20km 青線 私の旅行経路
地名 大文字:町・集落 Ts鶴岡 Sh新庄 Ya山形 Mu村上
小文字:行政区 [山形県] ts鶴岡市 sh庄内町 to戸沢村 ok大蔵村 fu船形町 oi大石田町 mu村山市 sa寒河江市 ni西川町 oe大江町 as朝日町 ya山辺町 na長井市og小国町 [新潟県] mu村上市 se関川村

この地域もあまり訪問していない。学生時代に乗り残した全国の国鉄の未乗車部分は、東北地方が目立って多かった。例えば1985年の夏休み前の未乗車距離は、長い県から岩手・兵庫・秋田・山形・福島で、ワースト5のうち4県までが東北地方だった。
この区域の外縁は、北側が陸羽西線(1986年9月乗車)、東側が奥羽本線(南半分は1967年8月、北のほうは1970年7月)、南側は米坂線(1986年9月)、西側は羽越本線(1969年8月)を通過した。これらよりも内側に入ったのは、1986年9月の左沢線と、同じ旅行で乗った長井線(のちに山形鉄道)である。

月山のデータ 10km以上の未接近地 [山形県] 4市8町2村 [新潟県] 1市1村 (これらのうち大蔵村・西川町・朝日町は未訪問)
面積は10km以上 約2504平方km
20km以上 [山形県] 鶴岡市・庄内町・大蔵村・西川町・小国町 [新潟県] 村上市。約840平方km

 次は阿武隈山地の北半分にあたる。

20km−24 阿武隈
凡例:緑:10km 黄色:20km 青線 私の旅行経路 青字のPは写真撮影の場所。
地名 大文字:町・集落 In岩沼 Fu福島 So相馬 Ko 郡山 Iwいわき
小文字:行政区 [宮城県] ma丸森町 [福島県] so相馬市 da伊達市 ii飯館村 kw川俣町 ms南相馬市 na浪江町 ni二本松市 ka葛尾村 ta田村市 ok大熊町 ka川内村 nr楢葉町 iwいわき市

東の太平洋側は常磐線(1967年7月乗車)、南側は陸羽東線(1973年4月)、西側は東北新幹線(1986年2月)、北西側は阿武隈急行(2008年7月)で通過した。常磐線の一部は、大震災で内陸側に付け替えられたから、2019年12月に乗り直した。

20km-25 乗り直した常磐線新地駅 2019.12

阿武隈のデータ 10km以上の未接近地 [宮城県] 1町 [福島県] 6市4町3村 (これらのうち川俣町・川内村・飯館村は未訪問)
面積は10km以上 約999平方km
20km以上 [福島県] 飯館村・川俣町・浪江町・川内村。約53平方km

古い本 その142 古典的論文 モササウルス類2

2023年05月17日 | 化石
 ずっと前に戻って、Conybeare, 1822の見出しをもとに、Mosasaurusの命名をConybeareとする、というわけ。「それまでは」の意味がよくわからないが。論文の著者が他の誰かの言明や手紙を、(名前を公表して)引用したときには学名の著者はもとの言明や手紙の著者になったという例は他にもある。この後、形態やサイズについての特徴が示されているが、だからといって属の著者をParkinsonにするのもおかしいから、仕方がないのかな。なお、「Oryctology」の巻末には10枚の図版があるが、脊椎動物関連はPlate 10だけで、Mosasaurusの図はない。この見出しに出てくるMeuseというのは先ほどの川のフランスの名前。ただしこの川は北に向かって流れ、ベルギーやオランダを通って北海に達する。化石の産地はMaastrichtであろう。
 Cuvierは命名していないようだが、もう一つの種とした“Soëmering”のものはどうなっているのだろう。まず、著者名の綴りが間違っている。正しい綴りはSömmerring (von Sömmerring, Samuel Thomas) である。まさか似た名前の別人がいるということはないだろう。1816年に「Lacerta gigantea」を記している。論文は次のもの。
⚪︎ Von Sömmerring, Samuel Thomas, 1816. Ueber die Lacerta gigantea der Vorwelt. Denkschriften der Königlichen Akademie der Wissenschaften zu Münch. Band 6: Classe der Mathematik und Naturwissenschaften 37-59, 1 Taf.(太古のLacerta giganteaについて)
 確かにこの文献の本文の最後(p. 54)にLacerta giganteaが出てくる。図版が一枚あって、それらしい頭骨などが描かれている。

528 Sömmerring, 1816. Tafel. Lacerta giganteaの頭骨など

 この種類について調べると、現在の種名はGeosaurus giganteus (Sömmerring)となっている。Geosaurus属は、1824年Cuvierの記載でその論文は次のものとされる。
⚪︎ Cuvier, Georges, 1824. Recherches sur les ossements fossiles. Dufour, D'Occagne, eds. 2. Paris: Dufour & d'Occagne, 1 – 547, pls. 1-32.(骨化石の研究)(一部を入手)
 この論文はなかなかの難物で、全部で600ページを超える大作。動物群ごとに、現生のものの骨学と化石の解説が詳しく述べられている。図版が多くて興味深い。ただし、これまでの図版を再版しただけのものもある。例えばこの論文のPl. 18はCuvier, 1808b.のPl. 19と同一のものである。美しい一枚を紹介しておこう。

529 Cuvier, 1824. Pl. 1. 現生ワニ各種の頭部

 ところが、この文章を検索しても「géosaurus」という単語は一度しか出てこないし、最初が大文字でない。命名論文が違っているのだろうか。どっちにしてもGeosaurusは現在ワニに近い海生のMetriorhynchidaeに含められている。先ほどの頭骨を見ると、とてもワニ類には見えないが。最近の見解に合わせてMosasaurではないから除外しよう。なお、属の変更に伴って種小名の語尾が変化している。
 ここまでMosasaurus属の属名について記したが、模式種はどうなるのか? Conybeareは、そしてParkinsonも属名だけを提示したから、模式種の設定は遅れて、1829年の次の論文だという。
⚪︎ Mantell, Gideon Algernon, 1829. A Tabular Arrangement of the Organic Remains of the County of Sussex. Transactions of the Geological Society, Second Series vol. 3, 201–216.(表として配置したSassex州の化石)
 これは論文ではあるが、それまでの知見をまとめたレビューのようなもの。地質時代をさかのぼる形で表になっている。最初の項目は沖積層(p. 201)。202ページに洪積層が数行あって、すぐに第三紀層に入る。ただし、注意を要するのは現在の概念の第三紀ではなくて、やや柔らかい堆積層、ぐらいに思っておく必要がある。第三紀層の最初の中項目は、London Clayで、始新世に当たる。2番目はPlastic Clay(暁新世)、3番目がChalk Formation(白亜紀)で、その大分後の方(p. 207)にReptileとしてMososaurus Hoffmanniiが出てくる。今度はMoso. ! この属名はミスプリの山。脚注に胴椎と尾椎としているだけで、特徴などの説明も、もちろん図もない。これが新種の提示、しかも属名だけしかなかったところに模式の提示とされるというから驚き。Holotypeの産出地すら書いてないことになる。面白いのは、その下の行で、「Iuloidcopros」としてある。この単語の意味はインターネットで出てこない。たぶん糞の化石のことだろう。それについては1835年にBucklandが次の論文を書いている。この類の化石の記載としては随分早いものと思う。
⚪︎ Buckland, William, 1835. On the Discovery of Coprolite, or Fossil Fæces, Transactions of the Geological Society, Second Series vol. 3, 223-236, pls. 29-31.(Coprolite または糞の化石の発見)

530  Buckland, 1835. Plate 28. Coprolite

 なお、種小名hoffmanniiをhoffmanniとしている文献があるが、末尾のiがダブルのが正しい。Mosasaurusには大分手こずったが、まとめておこう。
Mosasaurus Conybeare, 1822. 模式種:Mosasaurus hoffmannii Mantell, 1829
模式種の産地:Maastricht オランダ 白亜紀後期

私の旅行データ 11 空白域 J

2023年05月13日 | 旅行


20km-18 田沢湖
凡例:緑:10km 黄色:20km 青線 私の旅行経路 P(青)写真の撮影場所。
 地名 大文字:町・集落・湖 Od大館 Ko小坂 LT田沢湖 Mo盛岡
    小文字:行政区 [秋田県] Od大館市 ki北秋田市 ka鹿角市 se仙北市 [岩手県] ha八幡平市 ta滝沢市 sh雫石町

 この区域の北東側は花輪線(1988年9月)、南側は秋田新幹線であるが、前身の田沢湖線だった1986年2月に通った。新幹線になってから通ったのは2005年1月、なぜか真冬にしか通ったことがない。

20km-19 秋田新幹線の冬景色 雫石付近 2005.1

 西側は秋田内陸縦貫鉄道で、通った記憶はあるが日付は記録されていない。

田沢湖のデータ 10km以上の未接近地 [秋田県] 4市 [岩手県] 2市1町(全て訪問済み)
面積は10km以上 約223平方km
20km以上  [秋田県]  仙北市 [岩手県] 雫石町。約0.5平方km

しばらく東北地方の空白域が続く。この地方はやや鉄道網が粗いのでしかたがない。基本的に両側の海岸と数本の南北方向の谷に鉄道があって、それらをハシゴ状の東西路線が繋いでいる。まず花巻の西の山地。

20km-20 花巻西
凡例:緑:10km 黄色:20km 青線 私の旅行経路
地名 大文字:町・集落 Mo盛岡 Ha花巻 Yo横手
小文字:行政区 [秋田県] se仙北市 da大仙市 mi美郷町 yo横手市 [岩手県] ni西和賀町 sh雫石町 sb紫波町 ha花巻市 ki北上市

周りの私の旅行経路は、北側が田沢湖線(1986年2月乗車=秋田新幹線:2005年1月)、東側は東北新幹線(北側:1986年2月)と東北本線(南側:1969年7月)南側が北上線(1986年9月)、西側は奥羽本線(1970年7月)。この空白域には上記の鉄道よりも内側に入ったことがないのだから、縁遠い区域である。

花巻西のデータ 10km以上の未接近地 [秋田県] 3市1町 [岩手県] 2市3町 (全て訪問済み)
面積は10km以上 約720平方km
20km以上 [岩手県] 西和賀町・北上市・花巻市。約8.9平方km

 東北地方もやっと南の方に入ってきた。

20km−21栗駒山
凡例:緑:10km 黄色:20km 青線 私の旅行経路 P(青)写真の撮影場所。
地名 大文字:町・集落 Yo横手 Ki北上 Ic一関 Sh新庄
小文字:行政区 [秋田県] hn東成瀬村 yo横手市 yu湯沢町 [山形県] ka金山町 sh新庄市 mo最上町 [岩手県] nw西和賀町 ki北上市 ka金ヶ崎町 os奥州市 sh一関市 [宮城県] oh大崎市 ku栗原市

この区域もほとんど内部に入っていないが、ただ一か所、平泉の中尊寺を訪れた(1965年7月)。

20km−22 平泉駅から中尊寺までの観光馬車

空白域の北側は北上線(1986年9月乗車)、東側は東北本線(南側:1969年7月)、南側は陸羽東線(1973年4月)、西側は奥羽本線(1970年7月)を通った。

栗駒山のデータ 10km以上の未接近地 [秋田県] 1市1町1村 [山形県] 1市2町 [岩手県] 3市2町 [宮城県] 2市(これらのうち東成瀬村・金山町は未訪問)
面積は10km以上 約1,664平方km
20km以上 [秋田県] 東成瀬村・湯沢町 [岩手県] 奥州市・一関市 [宮城県] 栗原市。約387平方km