OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

私の化石組標本(その15)

2013年10月28日 | 鉱物・化石組標本
私の化石組標本(その15)
My set of fossil specimens, part 15

中生代の五回目。


45 標本41-44  scale: 5cm
Specimen 41-44: Apiotrigonia, Glycymeris, Squalicorax, Albertosaurus

標本41 アピオトリゴニア Apiotrigonia 熊本県高戸産 白亜紀 軟体動物・二枚貝類
1999年3月か、そのころに高戸で採集したもの。高戸の和田の鼻と椚島(くぐしま)は、姫浦層の化石の採集できる海岸があり、しばしば訪れた。北九州からはやっと日帰りできるくらいの距離。次の標本とともに和田の鼻の東海岸で採集したもの。そこでは、アンモナイトも採集できる。標本は博物館に寄贈したので、手元にはほとんど残っていない。
 Apiotrigoniaの命名は1952年Cox = Leslie Reginald Cox (1897-1965)、イギリス = による。Apio- の語源は難物である。福島県に「会津アピオ」という商業施設があってそこのHPに「アピオとはラテン語で結ぶ・つなぐという意味」とあるが、ラテン語辞書ではそのような意味がでてこない。あやしいなあ。ラテン語では(そしてイタリア語・フランス語でも)「蜂」とか「セロリ」とかが出てくるのみである。命名者Coxの国籍はイギリス。そうすると、apex の接頭形にapio- という形があるのかも知れない。後のtrigoniaはサンカクガイで、こちらの語源は明瞭。本家のTrigonia 属の命名は、1789年、Bruguière (Bruguiereの後から三番目の文字eに記号) = Jean Guillaume Bruguière (1750-1798) フランス =による。
 姫浦層から、何種類かのアピオトリゴニアが記載されているので、どの種類に属するかは今後勉強したい。

標本41 グリキメリス Glycymeris 熊本県高戸産 白亜紀 軟体動物・二枚貝類
産地は上の標本と同じ。小さくて丸っこいグリキメリス。種類は、Glycymeris amakusensis Nagao。
 語源は、古いギリシャ語に出てきたglykymarisという語にあるんだそうで、ただし、この語はギリシャの文献に一度しか出てこないとか書いてある。Glyky-が「甘い」という意味、merisは「部分」ということらしい。グリコーゲンというのもそうすると同じ言葉に由来するのか。こんなところに「一粒300メートル」が出てくるとは思わなかった。そういえば、現生のGlycymeris 属の貝を英語でbittersweet clamという。食べたことがないが、苦くて甘いのだろうか。日本ではこの属の貝を食べる習慣がないが、ヨーロッパではホンタマキガイGlycymeris glycymeris (Linnaeus) というのを食べるそうだ。ホンタマキガイは、リンネが名付けた由緒正しい?種(原名はArca glycymeris Linnaeus 1758)である。
 グリキメリスは、このあと何度も出てくる。現生の種類もあるから長生きの属である。


46 現生グリキメリス属のベンケイガイ。非常に大きい。スケールは5cm

 Glycymeris の命名は1778年、da Costa= Mendes da Costa, Emanuel (1717-1791)、イギリス、= による。今回出てくる標本の属名を命名した人物のうちもっとも古い人。Glycymeris amakusensis の種小名は言うまでもなく天草にちなむ。

標本41 スクアリコラックス Squalicorax アメリカ産 白亜紀 軟骨魚類
購入標本。東京で行なわれる鉱物・化石ショーは、二つあって、それぞれ「新宿ショー」「池袋ショー」と、開催場所で区別される。たぶん新宿ショーで買ったと思う。どちらにも、かなりの回数参加したが、遠いのでいつもというわけにはいかない。
 Squalicoraxは、特徴的な形の歯を持った白亜紀のサメである。命名は1935年、Whitley = Gilbert Percy Whitley (1903-1975)、イギリス→オーストラリア = による。語源は、squali- がサメの形容詞形、coraxはワタリガラスのことらしい。ワタリガラスが鮫とどう関係してくるのかわからないが、この鳥は不吉の象徴らしいから腐肉食を思わせるこの類の鮫の感じと合わせたのだろうか。鳥のウの属名がPharacrocorax で、こちらは関連が分る。烏口骨のことをcoracoid と呼ぶのは、突起がくちばしのようだからだろうと思うが、調べていないので責任は持たない。

標本41 アルバートサウルス Albertosaurus アメリカ産 白亜紀 爬虫類・竜盤類
購入標本。これもどちらかの鉱物・化石ショーで買ったもの。十年以上前のことで、ずいぶん高価だった。今なら、カルカロドントサウルスやスピノサウルスなど安い肉食恐竜の歯もある。二本の歯の縁(切縁)がちょっと寄ってきているので、前方から側方に移行するあたりの歯。ティラノサウルスに近縁であることがわかる。
 Albertosaurus は、1905年Osborn = Henry Fairfield Osborn (1857-1935)、アメリカ = の命名。カナダ、アルバータ州から産した化石をもとに名付けられたのでこの名がある。1991年に仕事でアメリカ、モンタナ州にいったときに、この恐竜の歯を発掘したことがある。


47 アルバートサウルスを見つけた時の写真。1991年モンタナ州。

オズボーンといえば、私たちは化石象の著書「Proboscidea」で記憶しているが、もっと手広く研究をしていた人。「Proboscidea」は上下二冊の大著で、Stegodonの部分を松本彦七郎が書いている。今回調べて知ったのだが、この本の刊行は彼の死後なのだ。

最後の蒸気機関車たち その65 1972年9月

2013年10月24日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その65 1972年9月
The last steam locomotives in Japan. No. 65 (Sep. 1972)


翌日、豊富駅までいって宗谷本線上り普通列車に乗り、名寄まで移動した。すでに全国の蒸気機関車の運行が数少なくなっていた。とくに旅客列車を牽くところを見られる場所は限られていた。「たぶん最後になるだろう。」と思って、この長距離の移動を試みた。列車は324列車。豊富駅に入ってきたのは、C55-47が牽く列車で、例によって前の2両は荷物車、後2両が客車であった。


341N 宗谷本線豊富駅 1972.9.5 C55-47 324列車
341-344: Soya line, Toyotomi Station, Hokkaido.
これに乗車して、停車するごとに前にまわって撮影し、時にはすれ違う列車も撮ろうした。


342N 宗谷本線豊富駅? 1972.9.5 C55-47 324列車


343N 宗谷本線豊富駅? 1972.9.5 C55-47 324列車


344N 宗谷本線豊富駅? 1972.9.5 C55-47 324列車

C55型は車輪のスポークの形が美しい、という人もいる。補強のためにスポークの中心よりと先の方を「水かき」のような板でつないでいる。C55-47は、1973年11月廃車。


345N 宗谷本線下沼駅 1972.9.5 49601 1391列車
Soya line, Shimonuma Station, Hokkaido.

宗谷本線は単線なので多くの駅で行き違いがあった。貨物列車は9600型、客車列車はC55型が牽いていた。49601は、1975年6月に廃車。

登場蒸機 C55(写真341~344)9600(写真345)

2020.6.18 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.

AKCヴォーカライズの復刻 41-50号

2013年10月21日 | 今日このごろ
AKCヴォーカライズの復刻 41-50号


音楽部バッジ

愛知県立旭丘高等学校音楽部同窓会紙「Vocalize」(ヴォーカライズ)を復刻していくプロジェクトを進めています。今回はその第六回で、同紙の41号から50号までの復刻について記します。読みたい方は「カラスの広場」にある「旭丘高等学校音楽部同窓会」ページをご覧下さい。アクセスできない方はこのブログにコメントを。善処します。
 今回の部分は、1960年3月から1661年1月に発行されたものです。復刻を行った私は17期ですから、旭丘高校に入学する以前の中学一年末から中学二年の頃ということになります。

今回の復刻分はN先輩のファイルから行いました。


今回復刻した各号について。


41号 1960年3月1日 8ページ 合唱団めぐり2:名古屋シティコーラス
(名古屋で活動するいくつかの合唱団に関する記事)
42号 1960年4月1日 4ページ AKCヴォーカライズこれまでの歩み
(29年度から六年間の記録)
43号 1960年4月1日 14ページ 35年度役員選挙告示、続・ほたる草(1)
(ほたる草は本編4回、続編3回の連載)
44号 1960年5月1日 10ページ 役員選挙結果報告
45号 1960年6月1日 8ページ 合唱団めぐり3:CBC合唱団
46号 1960年8月15日 6ページ 随筆「ひとり旅」

47号 1960年10月15日 8ページ 招待席C「魔笛」公演
48号 1960年11月1日 12ページ 35年度音楽部発表会報告
(この年には通常の舞台に加えて、オペレッタ「影をなくした男」の公演を行った。)
49号

号外 1960年12月5日
1960年12月11日 8ページ

2ページ 続・ほたる草の初回

クリスマスのつどい案内
50号 1961年1月15日 16ページ 50号記念記事




次回は11月19日に、復元した31号~40号を配信する予定です。
その後は、12月19日に21号~30号、そして来年1月19日に1号~20号を配信して、手元にある分の復元が完了します。
全部で約904ページ、103万字ぐらいです。 現在すでに入力が完了しています。少し見直しが残っているくらいです。
 この復刻版ヴォーカライズのデジタルファイルは、同窓会のホームページからダウンロードできます。「カラスの広場」HPの中に同窓会HPが入っていますが、 ID、パスワードが必要です。
または、この下にあるコメント欄に記して、ご請求下さい。当方からも関係する方々にお送りすることができます。関係者とは、旭丘高校音楽部・およびその同窓会に入っている(または入っていた)方、そのご家族などです。「など」としましたが、なるべく多くの方に読んで頂きたいと思っています。


「ヴォーカライズ」に登場する鉄道 その3

旭丘高校音楽部同窓会紙「ヴォーカライズ」の復刻についてのお知らせをしていますが、同紙の内容は同窓会ホームページからダウンロードして頂くとして、ここでは、同紙に現われた当時の鉄道に関わる記事について、いくつか記します。
今回、写真も一枚しかなく、長いですよ。

1965年8月8日に開催された夏のつどいは、当初2泊する予定だったが、参加者が少なく、日帰りで実行された。その報告記が、No. 85、 5ページにある。
参加者9人、私(当時大学生)も参加した写真があるし、記憶もかすかにある。名鉄電車利用で、知多の野間海岸に海水浴に行ったわけだ。では記事中の鉄道に関するところを拾ってみよう。
「新名古屋駅の改札口前に集合した…」
「名駅9時25分発河和行きの特急に乗る」
「河和からの満員バスを降りて海岸へ…」
「落ち着くやいなや昼めしに…」


記念写真 解像度を低くした。写真右端のヤセッポチが私。
参加した唯一の女性は、カメラを持っているので写っていない。ちなみに彼女は泳がなかったので、水着ではなかった。

現状との違いに注目して見ると、まず、駅名が変わっている。「新名古屋」駅は2005年1月に「名鉄名古屋」駅に改称された。セントレア開業(名鉄は中部国際空港駅)にともなう変更で、同時に新岐阜、新一宮もそれぞれ名鉄を冠した名に変えられた。わたしたち古い名古屋人は今でも新名古屋などの名に親しんでいる、というより「めいえき」かもしれない。
 この名鉄名古屋駅、名古屋人は身近すぎで特殊だとは思ってないが、大きな特徴がいくつかある。まず、開業時(1941年)から地下に設置されていること。地下鉄でない大鉄道の中心駅で当初から地下というのが他に思いつかない。名古屋の先進性を示す….といいたいところだが、先取りしすぎた?ために後になって線路の増設がままならず、特殊な運用を強いられている。それが最大の特徴。名古屋人ならよく親しんでいるが、外側の二つのホームはもっぱら乗車用で、中央の島ホームが降車用(ミュースカイなど一部優等電車の乗車に使用)。つまり、上り下りの二本しか線路がないのだ。乗車ホームで待っていると、本線だけではなく、途中から別れて支線に行く列車が次から次へと最少2分間隔、1分停車で続いて出ていく。さらに、特急・準急などの区別もある。だから、ホームの指示された所で待っていないと、目的地に行く電車をとらえられない。この名鉄名古屋駅のホームに流れる案内放送はいわば「名人芸」で、実に複雑な内容を伝えている。そのせいか、放送はいまだに自動化されていない。このような運転様式の鉄道を他に知らない。普通は、支線に行く時はそれぞれ接続駅で乗り換えたり、幹線が複数の時には、別線・別ホームを設ける。
 では、現在の名鉄名古屋駅から発車する電車を調べてみよう(「名鉄時刻表Vol. 26 (2011.12)」を使用。本線・常滑線・犬山線を調べた。)。例えば平日八時から八時半の30分間。
 下り(名鉄岐阜方面) 801特急新鵜沼行き 803普通岩倉行き 805急行須ケ口行き 807ミュースカイ新鵜沼行き 809快特岐阜行き 811普通岐阜行き 813快特岐阜行き、816急行(各務ケ原経由)岐阜行き 818 急行須ケ口行き 821普通新鵜沼行き 823普通弥富行き 825特急岐阜行き 827 快特新鵜沼行き 829急行岐阜行き
 上り(豊橋方面) 800快急中部国際空港行き 802特急豊橋行き 804急行東岡崎行き 806普通常滑行き 808急行内海行き 811快急豊橋行き 813特急豊橋行き 815準急中部国際空港行き 817 急行鳴海行き 819準急神宮前行き 821特急河和行き 823ミュースカイ中部国際空港行き 826普通豊川稲荷行き 828快急東岡崎行き 830急行内海行き
これをそれぞれ一本の線路でこなしているんだからすごい! その意味で、「日本一忙しい駅」だそうだ。発車ベルの音が上り下りで変えてあるそうだが、今度行ったらよく聞いてみよう。
 話を戻して、一行は改札口に集合する。当時北改札口(JRに連絡する。1976年開設)はなく、南口はさらに後の開設だから、現在の中央改札口しかなかった。改札から入って、右に回り、新名古屋駅(当時)の外側ホーム(4番線・豊橋方面)の河和行きの特急に乗ったわけだ。この「特急」にも注釈がいる。1977年に追加料金が必要な「座席特急」を「特急」に変更し、追加料金のいらないものを「高速」と変更したあたりから、ややこしくなってくる。いろいろ変更があって、現在は特急に一部特別車と全車一般車の二通りがある。乗り込んだらそこは有料という場合があるので注意が要る。
 一行は、河和行きの特急に乗って終点で降りた。知多新線はまだなくて、それが開通したのは1974年6月30日。開通後なら、終点「内海」の一つ手前が「野間」。新線は少し内陸を通っているから、野間駅から海水浴場まで約1キロでつく。河和からバスだと知多半島を横切る形で、直線でも8キロくらいあるから、満員だとちょっとつらい。私は覚えていないが。なお、現在は河和から野間に向かうバス定期路線はない。少し南の内海海岸に向かう路線があり、河和から内海まで15分くらいかかる。距離は同じくらい。当時20分ちょっとくらいで運行していたのだろう。
 では、全部でどのくらい時間がかかったのであろうか?文面から、出発は9時25分、正午直前に着いたみたいなので、二時間半弱かかったことになる。現在の時刻表では(「名鉄時刻表Vol. 26 (2011.12)」を使用)では、土・休日の名鉄名古屋9時28分発の内海行き急行に乗ると、野間駅着が10時24分。野間駅から海水浴場まで15分かかるとして(野間海水浴場HPによる)、ちょうど半分の時間で移動できることになる。

私の化石組標本(その14)

2013年10月20日 | 鉱物・化石組標本
私の化石組標本(その14)
My set of fossil specimens, part 14

中生代の後半に入る。後半はすべて白亜紀のもの。


44 標本37-40  scale: 5cm
Specimen 37-40: Cucullaea, Miyakopora, Phylloceras, Polyptychoceras

標本37 ククラエア Cucullaea 岩手県平井賀産 白亜紀 軟体動物・二枚貝類
ククラエアは、宮古層群ではよく見られる二枚貝。表面にほとんど装飾がないが、アカガイなどと親戚の種類である。
 Cucullaeaの命名は1801年、Lamarck(前出)である。フランス語でcuculleは頭巾のことなので、これが語源だろう。
 種類は Cucullaea acuticarinata Nagao であろう。長尾巧(1891-1943)は、北海道帝国大学教授で、宮古層群の二枚貝・巻貝に関しては1934年に100頁の大論文を発表した。種小名のうちacuti- は鋭い、carinata は稜の意味で、この二枚貝の鋭い放射稜を示す。なお、この文章では、人名に敬称をつけていない。論文風にしたからで、日本の研究者が出てくるとちょっと違和感がある。でもこれまでと、統一しておこう。

標本38 ミヤコポーラ Miyakopora 岩手県平井賀産 白亜紀 腔腸動物
古生代末に四射サンゴが絶滅し、中生代に入ると六射サンゴがとってかわる。Miyakoporaは、1936年にEguchiの命名となっている。江口元起(もとき)(1904-1978)は東北大学教授を勤めた方で化石・現生サンゴの研究で知られる。属名はもちろん宮古の地名・地層名に由来する。
 種類はたぶんMiyakopora miyakoensis Eguchiであろう。
標本39 フィロセラス Phylloceras 北海道産 白亜紀 軟体動物・頭足類
残念ながらラベルが失われ、産地が確かでないが、北海道のものであろう。1970年頃、某大学の廃棄標本から、許可を得て拾ったもの。
 Phyllocerasは、1865年Suess = Eduard Suess(1831-1914)、オーストリア = の命名。Phyllo- は一般的に「葉」とか「薄くはがれる」という意味だが、どう関係するのか不明。

標本40 ポリプティコセラス Polyptychoceras 白亜紀 軟体動物・頭足類
1969年7月末に北海道へ採集旅行に出かけた時のもの。たぶん頓別川流域で採集した標本。アンモナイトの中で、普通に平面らせんをえがかないものを「異常巻き」と呼ぶが、その一つ。直線的部分とヘアピンカーブの部分をくり返す。
Polyptychocerasは1927年Yabeの命名。矢部長克(1878-1969)は東北帝国大学の教授。これより先に、1842年d’Orbigny の命名した異常巻きアンモナイトにPtychocerasがある。こちらはUターンが一回か二回ぐらいであるが、Polyptychocerasでは何度もターンするので、Poly-を付けたもの。
 
自分で採集した標本について
標本37 ククラエア、標本38 ミヤコポーラ
  岩手県田野畑村平井賀
標本40 ポリプチコセラス
  北海道中頓別町頓別川流域


鉄道完全乗車1000日 その2

2013年10月16日 | 鉄道
鉄道完全乗車1000日 その2
1000days of passing all railways in Japan: Part 2


地図5 2005年末の未乗車線(赤:JR、橙:私鉄など:以下の地図も同様)
Map. 5 Railways not passed until the end of 2005 (red: JR lines, orange: privete railways)

当初の乗車目標は国鉄全線であった。しかし、全線クリアが見えてくると、対象に私鉄を含めて考えるようになった。しかし、そうすると「どこまでが鉄道か」という問題が浮かび上がってくる。線路間の連続性(乗りかえ)を考えて、モノレールまでを対象とし、ケーブルカー、ロープウェイ、リフトを除外した。バス的なものも除いた。2005年末の地図には、未乗車の私鉄が橙色で記してある。ただし、一つの丸が一線とはかぎらない。この時点でJRの未乗車線は、大湊線 境港線 芸備線(一部)と新参の東北新幹線(一部) 上越線(ガーラ)九州新幹線(第一次開通部分)の6線、約360kmで、全線の2%未満まで進んでいたが、私鉄は3,500km以上残っていて、やっと半分を超えたぐらいであった。しかし、私鉄路線は都市近郊に集まっているので、効率的に乗り潰すことが可能であり、二年後の2007年末の状況を見ると次のようになる。


地図6 2007年末の未乗車線
Map. 6 Railways not passed until the end of 2007 (red: JR lines, orange: privete railways)

JRの未乗車線は、大湊線と東北新幹線の2線、約150kmで、全線の0.8%ほど、私鉄は400km弱残っていて、約5%ぐらい。先が見えてきた。



地図7 2009年末の未乗車線
Map. 7 Railways not passed until the end of 2009 (orange: privete railways)

2008年7月に大湊線に乗車したことで、JR全線乗車を達成した。2009年末には、残る私鉄も真岡鉄道と年末に新しく開業した富山地方鉄道、それに線路の変った東京モノレールだけまで追いつめた。2010年1月に富山に旅行、そして2010年12月に真岡鉄道の乗車で全線に乗ったことになる。
 この時期に乗車に成功したのだが、現在では何度かの豪雨や東北大震災で不通区間が多くて全線乗車は事実上不可能であろう。私のころは全線運行はしていたが、季節運行の線(黒部峡谷鉄道=夏季=と上越線(ガーラ=冬季=)には苦労した。特にガーラ部分は、12月中旬に行って見たら「雪が消えてしまった」とのことで当日でまた運休という微妙な日にあたり、ガーラ湯沢駅では半分閉まった入口シャッターをくぐってやっと乗車したものだ。この列車の乗客は私一人であった。
 その後、九州新幹線と名古屋地下鉄桜通線の延伸があったが、すぐに乗車した。なぜかその後新規路線の開業が三年近く全くない。このことは最近の日本では珍しい。だから、名古屋地下鉄桜通線に乗車した2011年5月2日から「完乗」状態が900日ほど連続している。来年1月にはそれが1000日になるので、それを機会に乗りつぶしを「卒業」しようと思っている。そのころまでに開業予定の線路はないと思う。
 この先、次のような鉄道が開業や延伸・経路変更が考えられている。
1 次は北陸新幹線で、2015年春。いくつかの線が移管されるがそれらは乗り直す必要がない。
2 その時に富山地方鉄道市内線が富山駅下にまで延伸される。
3 可部線の一部復活。2015年春。ただし以前三段峡まで乗っているので、乗り直す必要はない。
4 仙台市交通局東西線。2015年度。
5 北海道新幹線(新函館まで?)。2015年度。
6 9月に報道された南大東島のシュガートレイン。行きにくそう。時期不明。
7 東北大震災で経路変更となる路線
8 八ッ場ダムで経路変更となる部分

「卒業」後のことなので、機会があれば乗ろう。

参考 最後の5線
JR、私鉄(+第三セクター)、それぞれの部門で最後に乗車した5線を記す。下記のように、新規路線がほとんどで、古くからあるのに乗っていなかったのは、JRでは大湊線、私鉄では真岡鉄道だけ。

JR
5 JR東北新幹線一部 2008.2.3
4 JR西日本おおさか東線 2008.4.23
3 JR東北大湊線 2008.7.4
2 東北新幹線延伸部 2010.12.11
最後 九州新幹線延伸部 2011.3.16

私鉄
5 富山地方鉄道市内線延長 2009.12.23
4 東京モノレール変更部 2010.12.9
3 成田新高速鉄道(名称は不正確) 2010.12.9
2 真岡鉄道 2010.12.12
最後 名古屋地下鉄桜通線延伸部 2011.5.2