OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

キノコのリング

2012年06月27日 | 昔の旅行
キノコのリング

キノコというと秋を感じるが、梅雨時にもキノコが多い。といっても今回の写真は梅雨には関係が無い。古い写真で、1998年2月24日の撮影。場所はニュージーランドのオークランドの中心からちょっと西に外れた住宅地の中の道路。



道路脇の緑地帯にキノコが丸く円を描いている。「妖精の踊り場」とも言われるもので、菌糸の外周に沿ってキノコが出たもの。種類は知らないが傘も真っ白なのが印象的だった。
同じようなリングを北九州でも5・6年前に見て、写真を撮ったはずだが、探しても見つからなかった。
南半球なので季節は夏の盛りということになるが、当日は晴れたり時々雨が降ったりの湿っぽい日だった。
訪れた時には大きな停電に出くわし、前日夕方着いた駅の案内所が閉まっていて、いい宿を取れなかった記憶がある。この日は中心街から西に離れた丘の上にある博物館を訪れ、収蔵庫に入り込んで、モアの骨をたくさん見せてもらった帰り道。この後案内所を見つけてアルビオンという別の小さなホテルに移った。歴史のありそうな古い建物で、翌日早朝に目の前の教会の鐘の音で目を覚ました。


蒸気機関車の記事ばかりでは飽きるので、湿っぽい天候に因んで書いてみた。

最後の蒸気機関車たち その17 1970

2012年06月23日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その17 1970
The last steam locomotives in Japan. No. 117(1970)

北海道旅行から帰って、すぐに合唱関係の合宿に出かけた。当時大学の部活の合唱と、名古屋の同窓会的な合唱、それに大学の化石関連部活の三つを掛け持ちしていたので忙しい。大学の合唱はこのあたりで引退した。だから合宿(八ケ岳山麓)に行っても、練習よりも周りを散歩ばかりしていた。最初にまっすぐに合宿地に行かず、長野あたりで撮影したらしい。


085N 信越本線豊野駅 1970.8.25 88623
085-086: Shin’etsu line, Toyono Station, Nagano Pref.

この写真では豊野駅の一番外側のホームに停車しているが、なぜか次の写真では一つ左のホームに着き直している。どんな場合にこうするのだろうか?左の列車の郵便車も今となってはめずらしい。


086N 信越本線豊野駅 1970.8.25 88623

長野から小海線を北から入ったようだが、長野駅でホームに機関車が入ってくる写真がある。飯山線の列車だろうか。しかし、C56-96は上諏訪所属の機関車で、どうして長野にいたのだろう?


087N 長野駅 1970.8.25 C56-96
Shin’etsu line, Nagano Station, Nagano Pref.


088N 小海線小海駅 1970.8.25 C56-125
088-089: Koumi line, Koumi Station, Nagano Pref.


089N 小海線小海駅 1970.8.25 C56-159



090N 小海線小海駅 1970.8.25 C56-125

C56型機関車は、後方の炭水車の左右上部をカットして、後方の視界を良くしたもので、転車台のない支線に対応している。この頃、主として小海線で使用されていたので山岳に強そうなイメージがあるが、とくに急勾配に強いというわけではない。

登場蒸機 8620(写真085・086)C 56(写真087~090)

2020.6.06 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.
The last steam locomotives in Japan. No. 17(1970)
085-086 Shin’etsu line, Toyono Station, Nagano
087 Nagano Station, Nagano
088-090 Koumi line, Koumi Station, Nagano

最後の蒸気機関車たち その16 1970

2012年06月19日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その16 1970
The last steam locomotives in Japan. No. 16 (1970)

2度目の北海道旅行の最後は、五能線を通って奥羽本線経由で帰着。その途中の写真が数枚ある。


080N 青森駅 1970.7.6 C61-19
Tohoku line, Aomori Station, Aomori Pref.


081N 奥羽本線川部駅 1970.7.6 C61-19
081-083: Ou line, Kawabe Station, Aomori Prf.


082N 奥羽本線川部駅 1970.7.6 C61-19


083N 奥羽本線川部駅 1970.7.6 C61-19

駅名の記録がないが、一枚目は電化されていることと、ホームがたくさんあって急行が停車していることから青森駅であろう。2枚目以後は電化されていない(架線を支えるビームはあるが)ことと普通列車と交換していること、降りて撮影していることから、五能線乗換駅の川部駅と考えた。奥羽本線の青森付近の電化は翌1971年8月である。C61-19は国分市城山公園に保管されているという。
最後の一枚は、五能線で撮影したもの。駅名は記録が無い。


084N 五能線 1970.7.6 28688
Gono line, Aomori or Akita Prf.

五能線は海辺の景色が良くてもう一度訪れたい線の筆頭格。北海道均一周遊券では五能線経由は認められていないが、途中検札に来た車掌さんは「降りないならいいですよ」と大目に見てくれた。
二度目の北海道旅行はこれでおしまい。
登場蒸機 C61(写真080~083)8620(写真084)

2020.6.06 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.
The last steam locomotives in Japan. No. 16(1970)
080 Tohoku line, Apmori Station, Aomori
081-083 Ou line, Kawabe Station, Aomori

最後の蒸気機関車たち その15 1970

2012年06月15日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その15 1970
The last steam locomotives in Japan. No. 15 (1970)

2度目の北海道旅行の続き。最後の一本のフィルムはモノクロで、追分駅で撮影したものから始まる。


074N 室蘭本線追分駅 1970.7.5 D51-117
Muroran line, Oiwake Station, Hokkaido.

D51-117は、比較的遅くまで動いていた機関車で、1974年8月に廃車された。
追分から美唄駅に移動。前に撮り損ねた三菱鉱業美唄鉄道の機関車を撮るために再び訪れたのだ。
函館本線の東側に多くの国鉄支線や私鉄があり、石炭の積み出し口になっていた。


075 函館本線美唄駅 石炭の積み込みホッパー
Hoppers for coal, Hakodate line, Bibai Station, Hokkaido.

その一つが三菱鉱業美唄鉄道で、1972年6月まで旅客を含めて輸送を行っていた。私は美唄駅で撮影しただけで乗車していない。特殊な機関車が有名だった。


076 三菱鉱業美唄鉄道美唄駅 1970.7.5 2号機
076-079: Mitsubishi Kogyo (Material) line (private) †, Bibai Station†, Hokkaido.


077 三菱鉱業美唄鉄道美唄駅 1970.7.5 2号機


078 三菱鉱業美唄鉄道美唄駅 1970.7.5 2号機

特徴は、タンク車で動輪が5つあること。固定された前後の動輪の距離(固定軸距)が長いので、真ん中の動輪のフランジがないそうだが、拡大写真を見てもよく判らない。動輪を増やしたのは、急勾配に強くするため。


079N 三菱鉱業美唄鉄道美唄駅 1970.7.5 2号機

写真を撮った2号機は、国鉄から来たのではなく美唄向けに製作されたもので、現在美唄市東明駅跡に静態保存されている。
登場蒸機 D51(写真074)4110型に近いもの(写真075~079)

2020.6.06 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, Ok.
The last steam locomotives in Japan. No. 15 (1970)
074 Muroran line, Oiwake Station, Hpkkaido
076-079 Mitsubishi Kogyo (Material) line (private) †, Bibai Station†, Hokkaido.

なお、今回から表題と写真キャプションに英文を追加した。これまでの「最後の蒸気機関車」シリーズにも順次書き込むつもり。
The title and captions for pictures in English are added to this series; The last steam locomotives of Japan. Older numbers of the series will be re-written.

最後の蒸気機関車たち その14 1970

2012年06月12日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その14 1970

少々トラブルがあってアップが一日遅れた。

釧網本線の蒸気機関車牽引の普通列車で網走へ。


069N 釧網本線普通列車 1970.6.23

普通列車は貨車を連結した混合列車。車内にはだるまストーブが残っていた。


070N 石北本線 1970.6.23 C58?


071N 羽幌線築別駅 1970.6.24 D61-6 + D61-4

D61型は最後に製作された型式で、D51を改造して造られた。6両だけしか製作されなかった。1975年6月に写真の4号機を最後として廃車(動輪だけが苗穂のJR工場に保管されている。)。3号機は1973年4月に廃車された後、留萌で静態保存されている。
蒸気機関車写真はあちこちで撮影しているが、とくに事前の調査も無いようで、車内からの撮影が多い。
次の写真は、天北線小頓別駅で撮影したもの。車両とバスの間にある錆びた駅名標に「しょうとんべつ」の文字が読める。歌登町営歌登線のもので、同線はこの年10月に運行を停止した(1971年廃止)ので、この時はまだ動いていたはずだが、このディーゼル車両は、番号も行き先標も無く、営業中のものには見えない。すでに保存状態だったのだろうか。軌間762mmのナローゲージで、現在ディーゼル機関車の保存があるようだが、客車はどこにも保存されていないようだ。貴重な写真かも知れない。


072 天北線小頓別駅 1970.6.25 歌登町営歌登線


073N 上の写真の駅名標の拡大:画像処理してある。

歌登町営歌登線は、小頓別・歌登間16.2km。これには乗る機会がなかった。下は駅名標を見やすく加工した写真。駅名標には上に「しょうとんべつ」中段に「小頓別」下段左は空欄、右はおそらく「けとべつ」。参考書によると、始発小頓別駅と毛登別駅との間に吉田駅があるはずだが、吉田駅はキロ数の設定の無い扱い。この線には当時11の駅があったが、その内5つの駅(小頓別・毛登別・上幌別・中央・歌登)にキロ数の設定があり、他の駅は臨時駅扱いで距離設定が無かった。バスは宗谷バスで、行き先は「枝幸」だろう。

登場蒸機 C58(写真070?)D61(写真071)

2020.6.05 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.
The last steam locomotives in Japan. No. 14 (1970)
069-070: On a local train, Semmo line, Hokkaido
071 Haboro line†, Chikubetsu Station†, Hokkaido.
072-073: Utanobori line (municipal) †, Shotombetsu Station†, Hokkaido.