OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

2002年SECAD at Dunedin 出席 その8 開拓博物館

2021年08月31日 | 昔の旅行
Meeting of SECAD in New Zealand, 2002. Part 8. Settlers Museum.

 駅と、その400メートル西にあるオクタゴンOctagonあたりが中心街で、見るものが多い。オクタゴンは駅の正面300mほど西にある八角形のロータリーである。

8-1 ダニーディン駅 2002.12.10
Dunedin Station

 駅に向かって右手にあるのが「オタゴ入植者博物館(Otago Settlers Museum)」である。「開拓博物館」の方がわかりやすいかな。

8-2 オタゴ入植者博物館 開拓時代の晴れ着 2002.12.10
Otago Settlers Museum

8-3 オタゴ入植者博物館 開拓者たち 2002.12.10
Otago Settlers Museum

 さらに近代美術に関する施設を見たという記憶がある。帰途は少し歩いて街の中心にあるオクタゴンで記念写真。オクタゴンは斜面にあるので、写真は撮りにくい。

8-4 オクタゴン 2002.12.10
The Octagon

 道路が八角形になっているので、オクタゴンと名付けられているのだが、「Octagon」という綴りには「Otago」が含まれていることは知られているのだろうか?そしてこれは偶然なんだろうか?

Keywords: SECAD Dunedin Otago Station Settlers Octagon 二次適応学会 ダニーディン オタゴ大学 オタゴ駅 入植者博物館 オクタゴン

Abstract. Part 8. Settlers Museum.
After looking settlers Museum, We went to walk around the Town of Dunedin. We moved about 400 m west from the Station, called as “the Octagon”. It is difficult to take photos of Octagon, because tat rotary is on slope. I found the spelling “Octagon” includes “Otago”. Is it intentional?

古い本 その70 Woodwardによる1892年の2つの論文

2021年08月28日 | 化石
 ギンザメ化石についての、二つの古い論文を紹介する。
Woodward, A. Smith, 1892a On the Skeleton of a Chimaeroid Fish (Ischyodus) from the Oxford Clay of Christian Malford, Wiltshire. Ann. Mag. Nat. Hist. Ser. 6 vol.9: 94-96.  イギリス・ウィルトシャー(州)Christian Malford のOxford泥岩層からのギンザメ類(Ischyodus)の骨格について)
 Sir Arthur Smith Woodward (1864-1944) は、ロンドンの自然史博物館にいた魚類化石を専門とする古生物学者。古人類化石ピルとダウン人の捏造にだまされた研究者として有名。この論文は、ギンザメ類の骨格化石がみつかったという記事。軟骨魚類に属するギンザメ類は、ほとんどの場合に「歯板」だけの化石が発見される。ここではジュラ紀の地層から出てきた30センチほどの化石だが、歯板のダメージがあって、Ischyodus属かGanodus属かは判定しにくい、としている(その割には表題は「Ischyodus」とはっきり書いている)。図はないからどんなものか分からない。

208  Woodward, 1892a のタイトル(p.94)

 関係のない話だが、この雑誌の同じ号の412-413ページに、WoodwardによるDiplomystus の解説が掲載されている。後で読んでおこう。
 もう一つの論文は著者が同じで、この雑誌の次の号に掲載されている。
Woodward, A. Smith, 1892b On some teeth of new Chimaeroid Fishes from the Oxford and Kimmeridge Clays of England.  Ann. Mag. Nat. Hist. Ser. 6 vol. 10: 13-16, pl.3. (イギリスのOxford とKimmeridge の泥岩からの新種ギンザメ類のいくつかの歯について)
 こちらには一枚の図版があって、3個の歯板が示されている。

209 Woodward 1892b Plate 3.

 上の標本と、その下の三角形の3方向から見た図が第1の標本で、Pachymerus Leedsi。上顎の両側の歯板。下の標本は同種の下顎歯板で、この種類はこの時新属・新種として提示されたから、両方がホロタイプなんだろう。
 上の標本の右下の小さな二方向からの図が、やはり新種のElasmodectes secans で、こちらはすでにあったElasmodectes 属に置かれた。この属は1888年に同じ著者Woodwardによって提出されたのだが、文中では1878年にNewonが置いた属(Elasmognathus)としている。この辺りはよくわからない。たぶん、Elasmognathus 属は、Gillがバクの属名として1865年につかっていたから、Woodwardが置き換えたのだろう。確かめるためにはWoodward, 1888という論文を探すことになるが、まだやっていない。
 これらの論文は、芦屋層群の化石研究のために1990年頃にコピーしたもの。

209 芦屋層群産のギンザメ類下顎歯板 

 写真は北九州市立自然史・歴史博物館で展示されている標本。この化石を初めて見た時に、何だかわからず、Zittelのテキストブックに似たような絵があったのを思い出して決めることができた。

210 ギンザメ類下顎歯板 ロシア産 白亜紀

 この標本は、ずいぶん前に新宿の化石ショーで見かけたもので、ロシア産。目立たぬところに売り出されていたので、数個を購入した。

211 ギンザメ類下顎歯板 ドイツ産 ジュラ紀

 こちらは、2016年の池袋ショーで展示されていたもの、ジュラ紀のゾルンホーフェン産石版石に入っている。大変いい標本だが、私の小遣いでは買えなかったので了解を得て撮影した。左右の歯板が揃っている。

魚(臨時投稿)

2021年08月26日 | 今日このごろ

 散歩、というか一日おきに行く喫茶店への道は、志井川沿い。この前の雨続きがなんとか治まって、水が澄んできた。歩きながら川面を見ると、時々キラリと光るものがある。細長い形をしているから小魚かなと思っていた。半分くらいは護岸に当たった流れの表面の波だろう。そういうのは決まった所に何度も出る。光り方が少し違っているのがあって、よく見ると10センチ以下ぐらいの魚影が見えるから、護岸に付いた藻類などを搔き取っているのだろう。
 写真撮影を試みた。光ってからシャッターを押しても遅いから、場所だけを決めて何枚も取るしかない。日を変えて延べ100枚以上である。もちろん大半のものには何も写っていない。デジカメでは撮影のコストはほとんどゼロだが、帰ってからパソコンに取り込んで捨てる作業は面倒。やっと数枚撮れたので、掲載する。

1 志井川の魚 体長10センチぐらい 2021.8.25 (以下も)

 これが一番よく写ったもので、撮影した画面をトリミングしないで色調だけ修正したもの。下はその一部をトリミングしたもの。

2 上のカットをトリミングしたもの

3 二番目によく写ったもの。トリミングした。

4 反射のないもの

 体を捻って、護岸をかじっている時に光るようだ。光っていない所の写っているものもある。撮影は、川岸の歩道(水面から約5メートル)からかなり高角度で。斜めに撮ると表面の反射がじゃまをする。100枚以上撮影したが、保存したのは数枚。魚の種類は知らない。

2002年SECAD at Dunedin 出席 その7 ポスター発表

2021年08月25日 | 昔の旅行
Meeting of SECAD in New Zealand, 2002. Part 7. Poster sessions.

 12月10日午前も、個人講演が続いた。午後からポスター発表の時間が取られた。ポスター発表は、地質学教室の端にある小さな展示室で行われた。

7-1 展示室でポスター発表 2002.12.10
Poster presentation

7-2 日本の研究者のポスター発表 2002.12.10
Poster presentations by Japanese attendants

 日本人発表者の多くはポスター発表を選択していた。たしかにその方が事前に準備しやすいのだが、やはり口頭発表が本道ではないだろうか。といっても2008年のSECAD新宿では私もポスター発表をした。
 ポスターの前に発表者が立って、参加者の質問や討論に応えるやり方である。会場にはお茶やコーヒーとクッキーがたくさん用意されていて、それを取りながらの討論だった。

7-3 ポスター会場のお茶 2002.12.10
Tea prepared in the room

 昼食後、車に分乗して市内の観光に出かける。行き先はダニーディン駅付近。

7-3 ダニーディン駅 2002.12.10
Dunedin Station

 前に鉄道で来たから駅は利用していたが、Fordyce博士が迎えに来てくれたから駅の写真は撮っていなかった。サザナー号が来なくなったが、貨物列車が来るし、登山鉄道も発着しているから駅の機能は残っている。非常に美しい駅なので、保存運動も起こって市が安い価格で買い取り、文化事業に活用している。

Keywords: SECAD Dunedin Poster Station二次適応学会 ダニーディン オタゴ大学 ポスター

Abstract. Part 7. Poster sessions.
Explanation time of the poster session was 10th, December. The place was the exhibition room of the Geological Department. There was preparation of tea and cookies.
After lunch, we went to sight seeing to Dunedin town. The Dunedin Station is of an imposing building. The Southerner train had been already abolished but there was freight trains and sightseeing train used the station.

古い本 その69 Brauns, 1883・Martin, 1886

2021年08月22日 | 化石

 Naumann以降、二つの日本の脊椎動物化石に関する論文がヨーロッパで発表されたが、どちらも化石の報告が主な目的ではない。日本やさらに広げて東アジアの新生代の地質がテーマであるから、脊椎動物化石に関する情報はあまり多くない。図版から読み取れることを記しておく。
 まずBrauns,1883。
Brauns, D. 1883 Ueber japanische diluviale Säugethiere. Zeitschrift der Deutschen geologischen Gesellschaft. Band 35, Heft 1: 1-58, 1 Tafel. (日本の洪積世の哺乳類について)

202 Brauns, 1883 タイトルページ(一部)

 最近手に入れたが、ドイツ語は難しいし、長い論文で読んでいない。著者David August Brauns (1827-1893) は、Naumannの後任の東京大学教授で地質学者。在任期間は短く、1880年から1881年の2年間。私の興味のある脊椎動物化石に関する部分は少ない、と思う。一枚の図版を伴っていて脊椎動物化石だけが図示されている。

203  Brauns, 1883 Taf. 1

 図示されているのは、大阪産のゾウ臼歯、茨城県稲敷郡木原村産のナウマンゾウ上顎臼歯。それに香川県の瀬戸内海産のヤギュウ前頭骨である。
 まず大阪の化石は、側面と咬合面が図示されている。ゾウの右下顎臼歯で、前から5枚くらいの咬板が咬耗を始めているが後6枚程度はまだ生えだしていない。減り始めたところを見ると咬頭が分離している。また未咬耗のところも咬頭数が少ない。これらから考えると一番ありそうなのはElephas paramammonteus shigensis (Matsumoto et Ozaki) ではないだろうか。
 右上の標本は、左上顎の臼歯でナウマンゾウPalaeoloxodon naumanni (Makiyama) だろう。下の角芯を伴うウシの頭骨はBison priscus Bojanus となっている。のちにMatsumoto, 1918は瀬戸内海のヤギュウをBison occidentalis Lucas とした。

 その次の論文は以下のもの。
Fossile Säugethierreste von Java und Japan Martin, K. 1886. Samml. Geol. Reichsmus. Leiden. Beiträge Geol. Ost-Asiens u. Australiens, (1), IV, Heft II, pp. 25-69, Tab. II-IX. (ジャワと日本の化石獣類遺物)
 大学院生の頃とったコピーは全部が揃っていなくてpp. 46-63, Tab. IV-VIIが欠けていた。当時内容のうち、日本に関するところだけをコピーしたのだ。原本がどこにあったのか記録がないが、K先生のコピーから再複写したものと思われる。原本の1ページ目に「by Dr. de Vos, J.」」と書いてあるが心当たりはない。欠けていた部分はこのブログを記すに当たってダウンロードして補充した。それとは別に最近(2011年)復刻版が発売されている。
 古い論文なので、現在の感覚とは異なる。1886年には「インドネシア」という国家はなく、オランダ領東インドと呼んでいて。「インドネシア」というのはポリネシアと同じような地域名だった。ジャワの化石といえば現在最も有名なのはもちろん「ジャワ原人」だが、その発見は4年後の1891年、論文の発行はさらに3年経った1894年である。ジャワ原人の発見者Dubois は、この1887年ごろから人類の祖先をジャワ島などで探し始めたのだから、Martin の論文が大きな励みとなったに違いない。Duboisの論文については、この「古い本」シリーズ5のDal Piaz 1916年のところですでに記した。ジャワ原人の発見場所のヒントもMartin論文が元になっていることも間違いない。
 この論文に出てくる動物名は次のもの。
Stegodon trigonocephalus n. sp.
Stegodon bombifrons Falc. Caut. – Siwalik
Stegodon Cliftii Falc. Caut. – Siwalik
Euelephas namadicus Falc. Caut. – Narmada
Euelephas hysudricus Falc. Caut. – Siwalik
Sus hysudricus Falc. Caut. – Ober und Unter Siwalik
Bison sivalensis Falc. (?) -- Siwalik
Bos sp.
Cervuis Lydekkeri n. sp.

 後に書いてある地名は、インド北部のシワリク丘陵とインド西部のナルバダ河のこと。命名したFalc. Caut. 論文は(前回も出てきた)「Fauna Antiqua Sivalensis」1847と言うもので、有名な古典。私は見たことはあるがコピーしていない。Hugh Falconer(1808−1865)とProby Thomas Cautley, Sir (1802−1871)の著作で、最近部分的に復刻版が出ているようだ。買おうかな。
 図は8枚(第2図から第9図)あって、きれいなリトグラフ。第2図がStegodon trigonocephalusの頭蓋右側面と右上顎第2・第3臼歯の咬合面。この臼歯ということは、まだ成長しきっていない個体である。第3図は同じ頭蓋の前面観とStegodon Cliftiiの臼歯。第4図はStegodon trigonocephalusの成長した個体の頭蓋前面観とStegodonの二個の臼歯の破片。第5図はStegodon trigonocephalusの成獣の頭蓋の前面観と臼歯。第6図は幾つかの種類のゾウの化石と偶蹄類の角芯の図。第7図はシカ・イノシシで、ここまでがジャワの化石である。
 第8図と第9図は、二個の日本産の化石で、種類はEuelephas antiquus やE. namadicusに似ているとされている。いずれも「Yasiro-sima」産の下顎臼歯破片である。「やしろ-しま」は山口県周防大島(屋代島)と思われる。

204 Martin, 1886. Tab. 8.

205 Martin, 1886. Tab. 9.

 Johann Karl Ludwig Martin (1851-1942) は、ドイツの地質学・古生物学者でLaiden地質学博物館館長を勤めた。

 日本の脊椎動物化石、特にゾウ化石を西欧に報告した初期の論文では、Naumann, 1881論文に言及されることが多いが、前に記したAdams, 1868の報告とここで記したBrauns, 1883 やMartin, 1886はあまり話題にならない。
 ここで、古脊椎動物に関する日本の初期の研究を年代別に調べてみよう。ここまでに記したように、ゾウの化石が最も注目されてきた。そこで、私が保存している参考文献コピー(1476件)に加えて、長鼻類化石の文献リストとして最も充実している「日本の長鼻類化石」(亀井節夫・編著)の文献リスト(548件)を元にして調べよう。その中から、1945年までのもので、日本の脊椎動物化石に関するもの(樺太は入れたが、台湾・韓半島は除いた)がそれぞれ48件・82件。これから重複を除いて114件あった。分類群は明らかに偏っていて、例えば魚類化石に関するものはほとんど無視した。また地域的にも西に偏っている。18世紀の論文は、11件しかなく、ここまでに記した外国人による、主に象化石の報告4件と、地質学雑誌の「短報」のようなもの7件で、しかも前者は1887年まで、後者は1894年から後と限定されている。

206 日本の初期の古脊椎動物論文数1(1868−1909)

207 日本の初期の古脊椎動物論文数2(1910−1945)
おもに長鼻類に関するものを▲、それ以外を■で表した。日本人によるものを黒、外国人によるものを茶色で示した。

 この年代分布から何を読み取るかはおまかせするが、当初研究論文はヨーロッパの研究者が日本の産出を西欧に知らせていたものだった。日本人は西欧の科学を当初は簡単に書いていたのが、本格的な論文となり、さらに急激な公表論文の増加をみたが、大戦で大きく落ち込んだことがわかる。この辺りまでの論文は日本人にしても少数のエリートだけが出版していた。名前を列記してもおもしろそうだ。この後、日本人による初期の報告について記す。