OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

最後の蒸気機関車たち その86 1973年4月

2014年08月29日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その86 1973年4月
The last steam locomotives in Japan. No. 86 (April 1973)


木曽福島駅の機関区が見える。


454N 中央本線木曽福島駅 1973.4.11 D51-775
454-456: Chuo line, Kiso-Fukushima Station, Nagano Pref.

転車台の向こうにD51-775が見える。


455N 中央本線木曽福島駅 1973.4.11 EF64-61

既に電化されているので、電気機関車も通過する。


456N 中央本線木曽福島駅 1973.4.11 三線軌条

木曽谷は、林業の盛んな場所。多くの森林鉄道が活躍していた。この写真は、その一つが762mmの軌間で、左から来て1067mmの国鉄と合流し、3本のレールが敷かれている様子。現在木曽福島では見られない。三線軌条は奥羽本線や箱根登山鉄道、三浦半島にわずかに残っている。


457N 中央本線中津川駅? 1973.4.11 D51-688
Chuo line, Nakatsugawa Station?, Gifu Pref.


458N 中央本線中津川駅 1973.4.11 C12-69
Chuo line, Nakatsugawa Station, Gifu Pref.

C12-69は、前出のように愛知県安城市に保存されている。

登場蒸機 D51(写真454・457)C12(写真458)

2020.6.22 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.

地鉱部会でお話をいたします

2014年08月27日 | 今日このごろ
宣伝です

8月31日(日)午後(14時10分~15時10分)、北九州市立自然史・歴史博物館において友の会地鉱部会の例会でお話をいたします。
今回は私の40年以上前の鉱物経験などをお話する予定です。当時、化石と鉱物を調べる部活に入っていたことなどプライベートなことを含みます。

鉱物部会に入っていない方もお聞きになれます。化石研の方、歓迎いたします。
このページをご覧になっておいでになる方は、できましたら下の「コメント欄」にご記入下さい。お名前のご記入は必要ありませんが、できたら私にどなたが書かれたかのヒントをいただけますと幸いです。



孔子鳥化石産出地をたずねて その14 魚類化石産地呉家屯の見学

2014年08月25日 | 昔の旅行
孔子鳥化石産出地をたずねて その14 魚類化石産地呉家屯の見学
Visit to the Locality of Confuciusornis: Part 14. Stop 3: Fossil site of Xierhuqiao-Wujiatun, Yizhou City.


27 錦州から朝陽へ ルートは推定。
27 Route around Jinzhou and Caoyang

2000年5月28日、今回の巡検の最初の観察地点である義県市の西、二虎橋―呉家屯(Xierhuqiao-Wujiatun)に着く。畑の中に凹んだ地形があってその中で発掘が行われている。高さ5メートルほどの崖が発掘を進めているところで、向かい側に掘りだした岩片が高く積み上げてある。周りに家は見えないのだが、崖の前で解説が始まるころにはどこから現れたのか数十人の子供達が崖の上に並んで見物している。


28 呉家屯の化石産出地 2000.5.28 義県市呉家屯
28 Fossil site at Wujiatun, Yizhou City.

 岩片には化石があるというので懸命に探すが意外に少なく、植物の破片が少々あるぐらい。ごくまれに魚類の化石がある。少し不満を残して出発する。義県にも博物館があって見学する。義県から朝陽に向かう行程は少し疲れてきたこともあって眠い。峠道などの市の境界で先導のパトカーが交代する。こうやって引き継いでいくようだ。よい地図が配られていないので自分がいる場所の情報がない。Mさんが地図のコピーを持ってきておられたので見るが、等高線の無いものなのでやはりよくわからない。朝陽に近くなって大きな河のほとりに出る。この川は大凌河で、やっと満蒙報告書のルートマップと一致する地形が現れてほっとする。事前に満蒙報告書他の文献を見て、必要部分のコピーを持参していた。
 

29 満蒙報告の朝陽付近ルートマップ
29 Geological route map around Caoyang, published in the Expedition Report.

 対岸に先カンブリア系の山がけわしい稜線を見せている。これも60年以上前のルートマップと一致する。少し予定より遅れて暗くなるころ朝陽市のホテルに到着する。ジーンズに白いブラウス、ネクタイ姿の若い娘さん達が部屋に案内してくれる。部屋の前の廊下の要所には赤い制服のホテル従業員の女性が鍵を管理している。白ブラウスの方は地元の学生で、我々の歓迎のために来ているのだそうで、また彼女達はこれを英語の訓練のチャンスと考えているようであり、何かと話しかけてくる。ホテルで昼食と同じような食事をとる。タイから来たというプーンスワッド(Pilai Poonswad)さん=マヒドール大学=と話す。彼女は現生のサイチョウを研究する生態学者で、他の学会で北京に来られたついでにこの巡検に参加しているという。育ちのよさの伺われる落ち着いた物腰である。


最後の蒸気機関車たち その85 1973年4月

2014年08月21日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その85 1973年4月
The last steam locomotives in Japan. No. 85 (April 1973)


機関車の撮影のために、中央本線の木曽福島あたりを訪れている。


449N 中央本線上松・木曽福島間 1973.4.11 D51-245
449-450: Chuo line, between Agematsu and Kiso-Fukushima Stations, Nagano Pref.

場所の記録が無いが、木曽福島駅の近く。南に行くとこの地形がある。


450N 中央本線上松・木曽福島間 1973.4.11 D51-245


451N 中央本線木曽福島駅 1973.4. 11 D51-245
451-453: Chuo line, Kiso-Fukushima Station, Nagano Pref.


452N 中央本線木曽福島駅 1973.4. 11 D51-245


453N 中央本線木曽福島駅 1973.4. 11 D51-245

撮影してから木曽福島駅に戻ると、まだこの列車が停まっていた。D51-245は、前出のように1973年7月に廃車、長野県坂城町に保管されている。
登場蒸機 D51(写真449~453)

2020.6.21 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.

孔子鳥化石産出地をたずねて その13 カメラの故障

2014年08月17日 | 昔の旅行
孔子鳥化石産出地をたずねて その13 カメラの故障
Visit to the Locality of Confuciusornis: Part 13. Accident of my camera.

2000年5月28日、錦州博物館。孔子鳥の研究で一躍名を挙げた侯連海(Hou Lianghai)先生=IVPP=が、いつもの白いシャツを着てテレビの取材攻勢にあっている。


25 テレビ局のインタビューを受ける侯連海氏。 2000.5.28 錦州博物館
25 Interview of Dr. Hou Lianghai.

その写真を撮っていて、困ったことを発見した。カメラ内蔵のストロボが光っていない!これはストロボの故障かと思い、外付けのストロボをつけてみる。しかし、これも数回に一回しか点かない。とすると、接点の故障であろうと考えてスローシャッターでいくつかの標本の写真を撮影する。この故障は旅行中ずっと続き、撮影に不安があったので、要所では少し多めに撮影することにした。帰ってから分かったが、故障はシャッター幕がスポンジの劣化で粘り着いていることで、同機種のカメラでしばしば起こっているのだそうだ。先に教えてくれていたらよかったのに。この事故のために室内ばかりではなく野外の写真もかなり撮影できていなかった。本当に必要な写真はほとんど撮れていたが、シャッターを押したうちの半分程が不調であったのは残念だった。カメラの故障は帰宅後に修理したし、リスクを感じて新しいカメラも購入したのだが、このころから2年間あまりでたちまちのうちにデジタルカメラの時代に移ってしまったので、その後の旅行ではあまり銀塩カメラは用いなくなった。


26 故障したカメラの画像 2000.5.30 波羅赤で撮影 上半分が暗い。
26 Camera accident.

上の画像を修整したもの。

 小休憩の後バスに戻り、北に向かう。海岸から離れていくのだが、最初はアカシアなどの花の咲く地域を通過してゆく。ところどころに養蜂の箱が並べてある。かなり高低差のある峠を越えるとはっきりと乾燥地の植生になる。トウモロコシ畑が続くがあまり育っていない。畑を除草のため耕している人が、柄の長い農具にあごをのせてバスを見送るが、畑の畝は長く、今日耕したらしい跡のあるのはせいぜい6畝ほど。全体として乾いたなだらかな丘の起伏の上を行く。河川はほとんどなく、あっても水は流れていない。