OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

私の旅行データ 41 鉄道乗車 11

2024年07月25日 | 旅行

B-17 西批杷島の連絡線(参考)


旅94 名鉄西批杷島

 名鉄名古屋本線と犬山線の分岐部に複線の連絡線がある。ただしここを通過する定期電車はない。どうやら留置線として使われているようだ。長さ約270メートル。
 私鉄にはまだ他にもあるかもしれない。気がついたものを列記した。

 距離設定のない連絡線などを、3つのカテゴリーに分けて記してきた。最後のC のジャンルは、路面電車に関するもの。
 路面電車の分岐部や交差部に連絡する線路が設けてあるものをよく見る。私が子供の頃には、大都市には数多くの路線があって、分岐や交差も多かったし、複雑な運行系統があったからたくさんのこういった連絡レールがあったに違いない。現在あるものを北から順に調べてみよう。条件は、各路線の営業キロの合計に含まれない連絡路。だから二本以上の路線のある路面電車に限られる。一番多いのは3方向から来た複線が互いに連絡するもの(ここでは3複線三角型と呼ぶことにする)。一番複雑なのは土佐電鉄のはりまや橋交差点のもの。これらを合わせて8か所を簡単に紹介する。

C-1 富山地方鉄道市内線の富山駅前

旅95 富山地方鉄道 富山駅前

 駅ビルの中にある富山地方鉄道市内線乗り場から、富山駅前中央交差点をまっすぐ南に向かう路線と東から駅と平行に入ってくる路線が3複線三角型を作っている。以下の路面電車の記事では、記述を簡単にするために三角形の部分に方位を略記した青色の記号が付してある。
 駅に向かってくる電車は、ほとんど全てEを通って駅ビルに入り、方向転換して、来た線とは違う方に向かう。駅止まりの便もある。ごく稀に駅に寄らないでSをスルーする便がある。私が2006年6月26日に見たときには、朝一便だけ東からスルーする便があった。南からにも直行便があったと思うが確かではない。JTB時刻表には直行する便の記載は無い。地鉄ビル前の電停に掲示してあった時刻表(直行便の記載あり)の写真を撮ったはずだが、今回探してみると、その部分が欠けている。どうやら2010年に富山に行ったときの写真ファイルを誤って2006年のファイルに入れ替えてしまったようだ。残念。
 私の鉄道乗車のルールでは、複線の片方に乗ればいい。2006年の富山駅前の場合には、6月25日に富山駅に着いて、富山地方鉄道の乗り場から東に曲がる電車で地鉄ビル前に行って宿泊、翌26日朝に地鉄ビル前からスルーする便に乗車して南に行き、次の電気ビル電停で降りて駅に戻ったから結局E・S・W全部に乗車した。

C−2・C−3・C-4広島電鉄

旅96 広島電鉄1 C-2紙屋町とC-3皆実町

 広島電鉄には、3複線三角形の線が3か所ある。紙屋町の場合には、JTB時刻表に運行系統が記してあって、2号線ほかが広島駅からNを通り、1号線がやはり広島駅から来て、SEを通り南へ、3号線・7号線が西から来てSWを通るから、すべてを定期電車が通ることになる。私の記録ではNを通ったのは間違いないが、他二つのどちらかを通ったのかわからない。
 皆実町の場合は、時刻表では5号線がEを通り、1号線と3号線がSWを通るが、NWを通る系統は無い。私の乗車は、乗車した時の順序から考えると、皆実町の場合にはE・SWは乗車、NWは未乗車である。

旅97 広島電鉄C-4 十日市町

 十日市町では、Wを8号線が、NEを7号線が、SEを2号線ほかが通過する。私はSEとWは乗車しているが、NEは不明。
 なお、広島電鉄市内線の白鳥線は、私が行った時には運行系統が八丁堀で分離していた。時刻表もそうなっている(9号線)が、ネットでは白鳥停留所時刻表に掲載されている便のほとんどが八丁堀行きで、夜20時台の一本と21時台に最終便が江波行きになっている。従って、夜間には全てが車庫に引き上げられるのだろう。ここの渡り線部分(C-5)は乗車していないことになる。

私の旅行データ 40 鉄道乗車 10

2024年07月17日 | 旅行

 近鉄にはもう一か所連絡線がある。こちらは前の場所よりもずっと複雑。
B-14・B-15 近鉄大和八木駅の二つの連絡線

旅91 大和八木駅付近

 大和八木駅は、西からの大阪線と、北からの橿原線が立体交差する駅である。図のように西大寺川駅から大阪線の上り側に合流する単線で大回りの連絡線(途中に係留線cが分岐している)があって、京都から宇治山田方面に向かう特急列車が通る。ただし、列車の本数は少なくて、北から午前と午後に2本ずつ、東からそれに対応して4本が通る。京都駅の時刻表(平日)で調べた。余談だが、京都駅(近鉄)1520発の難波行き観光特急「あをによし」というのがあり、いったいどういうコースで行くのか気になった。大和西大寺から奈良に一旦入って、向きを変えて行くらしい。大和西大寺駅の錯綜した線路配置は有名だが、連絡線のようなものはなく、複線同士の並行配置と、それらをつなぐ渡り線で構成されているから、この記事の対象ではない。
 八木の話に戻って、北の新ノ口駅近くにある分岐は、これまでとは違って、aあたりで上下線からそれぞれ別れた線路が、連絡線に入ったすぐのb地点で合流する。従って、本線側に渡り線はない(もしあってもこのために使われない)。

旅92 新ノ口駅付近の拡大図

 大阪線との合流は普通の方法で、dで下り線に合流する。逆に京都方面に向かう列車は、eの渡り線で下り線に移り、dで連絡線に入る。長さ約1500メートルと長い。
 もう一本の連絡線は、大阪・難波方面から来た列車を樫原線下り方面につなぐ形をしている。こちらも単線であるが、時刻表上では定期列車は通っていない。長さは約420メートル。この線は、現・大和八木駅付近の建設途上でつくられたものらしい。なお、この二つの連絡線を続けて通過することはe の渡り線を通れば可能なように見えるが、大和八木駅を通らないで橿原線を通り抜けることになり、全く意味がない。
関係年表
大阪線から連絡線経由で八木駅(現・八木西口駅)まで 1925年3月21日大阪電気軌道の八木線として開業 
大阪線大軌八木駅(現・大和八木駅)から東の桜井駅まで 1929年1月5日桜井線として開業。畝傍線(現・樫原線)との交差に大軌八木駅(現・大和八木駅)開業。
橿原線 1923年3月21日 平端(天理線との分岐駅)から橿原神宮前(現駅とは別)まで大阪電気軌道畝傍線として開業。
大和八木駅北の連絡線 1967年12月20日開通。
私の乗車 大阪線・樫原線とも乗車しているが、時期は不明。

B-16 飯能の短絡線計画(参考)

旅93 西武鉄道飯能

 この短絡線は、計画中のものであるが現在工事が進んでいるわけでもなく、レールも敷かれていない。池袋から伸びてきた西武池袋線が、飯能までできた後、秩父線として西に延伸した時に、八高線の東飯能駅で乗り換え可能とするために飯能駅をスイッチバック構造とした。そのために秩父方面への電車をこの短絡線を通すことが企画された。上の図の薄青の線は、現在の衛星写真で見ることのできる鉄道用地の概形を記入したもの。長さ約600メートル。

私の旅行データ 39 鉄道乗車 9

2024年07月05日 | 旅行


B-12 新八代の九州新幹線連絡線(現在通過列車なし)
 九州新幹線の新八代駅から鹿児島中央駅までが開業したのは、2004年3月13日。2010年3月12日に博多から全線が開業した。その間の6年間、博多から鹿児島本線を走る「リレーつばめ」が、新八代駅の手前から連絡線に入り、新幹線新八代駅で新幹線の「つばめ」に乗り換えられるように同一ホームの対向線に着いた。ここで記すのはその連絡線について。

旅87 新八代駅の在来線・新幹線接続線

 上図のように、在来線から離れて平地を進み、次第に坂を登って新幹線に平行な線になるとホームに入る。離れている部分は約940メートル、もちろん狭軌の単線だった。図のPは下の写真の撮影位置と方向。

旅88 鹿児島本線上り普通列車から見た接続線への分岐 2011.3.18

旅89 鹿児島本線上り普通列車から見た接続線と新幹線 2011.3.18

 この写真では右から接続線が登ってきている。その向こうの線路に新幹線が写っているが見づらい。手前は鹿児島本線。
 現在の衛星写真では、坂道の大部分が標準軌に変えられて、上の地図の赤い側線を入れた部分に軌間変更のための機器が設置されているようだ。西九州新幹線の軌間変更車両の開発に関係する施設だったのだろうが、それをあきらめた今、どうなっているのだろうか。ここを通る旅客列車はない。

 JRの路線で、山登りなどの理由のために、上下線が分かれて設置されているところはかなりある。その途中に駅があるところは少なく、時刻表にも出てくることが少ない。他線通過の「=」マークでかろうじて示されているところもある。例えば、函館本線の「藤城線」、仙台付近の東北本線・仙石線連絡、東海道本線の「垂井線」。また清水トンネルなどにも、上下線がかなり離れた場所がある。これらのほとんどには、注意してちゃんと乗車した。

B−13 近鉄伊勢中川短絡線
 ここから、私鉄の連絡線に入る。数はそんなに多くないと思われるが、私が気づいたものを列記しただけで、見落としもあるだろう。まず近畿日本鉄道の中川短絡線。

旅90 近鉄伊勢中川駅付近

 伊勢中川駅から三角方向に伸びる線は、大阪線・名古屋線・山田線であるが、それぞれを結ぶ特急電車などが頻繁に行き交っている。そのうちの名阪特急がこの短絡線を通る。短絡線部分は単線、他は複線で、短絡線の大阪側、名古屋側(二か所)に渡り線がある。上の図では渡り線の位置を緑の点で示した。名古屋から大阪に行く特急は、aの渡り線で一旦反対側の線路に移った後、短絡線に入り、大阪線の下り線に入ってからbの渡り線で大阪方面への上り線に移る。逆の電車は、そういった面倒なことはない。
 私が初めてここを通った日付は分からない。1960年1月16日に、母がたの親戚と伊勢神宮に行った記録があるが、その折に近鉄で行ったのか国鉄で行ったのか不明。当時の習慣なら、国鉄利用の可能性が高いと思っていたのだが。その前年の1959年9月26日に伊勢湾台風が襲来して、近鉄名古屋線の桑名から蟹江あたりが浸水し、1か月以上も水が引かなかった。近鉄はその復旧を良い機会として、名古屋線の標準軌化を行った。その前には、大阪線と山田線が標準軌、名古屋線が狭軌であったから、名古屋からお伊勢さん参りに行く時には伊勢中川駅で乗り換える必要があった。名古屋線の復旧は意外に早かったが、すでに標準軌化の計画があったから、それを前倒ししたという。台風二か月後の11月末には工事が完成し、同年12月12日には伊勢中川駅で折り返す名阪特急の運転が開始された。だから私の親戚は、伊勢行きがが便利になったのを知って近鉄を利用した可能性もある。名阪特急が短絡線を使って、向きを変えないで通過できるようになったのは、1961年3月。短絡線の長さは約500メートル。大半は河川敷にある。
 1960年代の中頃に、一志の化石層見学会に参加した。榊原温泉口から北に向かって進み、柳谷の化石層を見たから、名古屋線と大阪線を利用したことになる。その後、2013年4月には大阪から名古屋に名阪特急で移動したので、短絡線を通過した。
関係年表
大阪線 1930年11月19日 佐田駅(現・榊原温泉口駅)・参急中川駅(現・伊勢中川駅)間が参宮急行電鉄により開業
名古屋線 1930年5月18日 参急中川駅・久居駅間が参宮急行電鉄により開業。なお、この辺りは1938年12月まで標準軌だったのを、狭軌に改造した。1959年11月19日に標準軌に。
中川短絡線 1961年3月29日 短絡線開通。
私の乗車 大阪線・名古屋線1961年ごろ 短絡線 2013年4月28日

私の旅行データ 38 鉄道乗車 8

2024年06月21日 | 旅行

B-10 瀬戸大橋線の四国側

 岡山から四国に渡る本四備讃線は、瀬戸大橋を渡ったあと、左にカーブして高松に向かう線と、まっすぐに丸亀方面に向かう線に分かれる。JTB時刻表では、高松に向かう列車(サンライズ瀬戸やマリンライナー)は岡山県の児島駅に停車したあと、香川県の宇多津駅を通過する記号が書いてあるが、実際には宇多津駅は通らないで左カーブの線に入る。時刻表で通過記号なのは、おそらく運賃計算で宇多津駅折り返しと同じ距離で計算するからだろう。

旅83 瀬戸大橋
 この高松方面の線を通る列車は特急「サンライズ瀬戸」上下各1本と「うずしお」「マリンライナー」の上下35本以上(下りは73号までの奇数、上りは70号までの偶数! JRで一番号数の大きな列車は「のぞみ」など新幹線を除けばこれだろうか?)が通過する。この部分の長さは約800メートル。瀬戸大橋・予讃線連絡の線路を通過するのは、特急「しおかぜ」「南風」それに快速の「ラ・マルことひら」で、上下約30本である。高松方面と予讃線・土讃線を結ぶのは特急「いしづち」や不定期に高松から琴平まで延長する特急「サンライズ瀬戸」などがある。
関係年表
瀬戸大橋 1988年3月20日本四備讃線として開業
予讃線 1897年2月21日 讃岐鉄道の高松・丸亀間開業。のちに予讃本線、さらに予讃線に。
私の予讃線乗車 1966年3月10日
私の瀬戸大橋線乗車 大橋から高松へ 1992年3月26日 大橋から松山方面 2004年4月19日
 いつのことはわからないが、四国に向かうときに車内で車掌さんにグリーン券をお願いした。茶屋町から宇多津の間だけである。数百円であったと思う。岡山から買うと少し高い。先頭列車がグリーン席で、正面の視界が確保されていて、通過に伴って吊り橋がたわむのが見える。橋を渡って高松に向かうが、「歌津駅で(グリーン券が切れるから)普通席に戻ります」と車掌さんに言うと、「そこまでしなくてもかまいません。」と言われる。そんなわけで四国内は不正乗車をしてしまった。

B-11 廃止された折尾短絡線

旅84 廃止された折尾駅周辺の線路

 折尾駅は鹿児島本線の下を筑豊本線が煉瓦造りのトンネルでくぐる立体交差駅であったが、筑豊本線ホームを鹿児島本線と北側に並列にして、博多方向に行ったところでトンネルにしてくぐる形に改変された。また以前あった黒崎から筑豊本線下り方向に連絡する線路は廃止された。通常「短略線」と呼ばれていたが、カーブ部分に折尾駅と別の改札口があって、「鷹見口」と名付けられ、改札を出てから鹿児島本線のホームに乗り換えることができた。連絡線の中に駅があるという珍しい形だった。1日にかなりの数の列車が通った。短略線のうち、本線と離れたところの長さは約410メートルだった。この部分の営業距離は設定されていなくて、折尾駅(本体)乗り換えと同じ運賃であった。

旅85 廃止される前の短絡線。前方に本線が見える。 2019年3月27日

関係年表 
JR鹿児島本線 1891年2月28日 九州鉄道として開通。折尾駅(九州鉄道)開業。
JR筑豊本線 1891年8月30日筑豊興業鉄道として開通。折尾駅(筑豊興業鉄道)開業。
折尾駅 1895年に共同駅となる.日本初の立体交差駅。

旅86 折尾駅の旧線の立体交差 2017年12月 21日

短絡線と「鷹見口」 1893年6月30日 貨物線として開通。1965年ごろから旅客列車が通るようになった。1988年3月13日「鷹見口」設置。2022年3月12日 短絡線と鷹見口を廃止。
私の筑豊本線乗車 1981年10月12日
私の筑豊本線新線乗車 2019年3月27日

北陸新幹線に乗ってきました 6

2024年06月17日 | 旅行

 発車に間に合い、息も治まって、車窓を見ると立山が少し見える。何度も富山に来たが、晴れ渡った立山・剱岳をみたことが無かった。今回も不満な景色である。富山では陽が差していたが、福井ではかなり雨が降っていた。敦賀で在来線にのりかえる。敦賀駅を出たところでは、これから建設される残りの北陸新幹線の準備と車両基地のための線路が見える。一瞬標準軌の新幹線のレールに狭軌のレールを足した3線軌が見えたような気がしたが、気のせいか。写真は撮れなかったし、衛星写真ではそんな新しい画像は見ることができないので、確認をできない。
 着席したのはサンダーバードの左窓側の座席であるが、敦賀を出てすぐに車窓から海が見える。そのことは前から知っていたが、やっと写真が撮れた。

31 北陸本線上り左車窓の海 2024.5.16

 敦賀から滋賀県の県境にある山地にのぼる傾斜を軽減するためのループ線である。
 向日町の客車区の新大阪よりに、転車台があるのを見つけた。これは写真が撮れた。

32 向日町の転車台 2024.5.16

 草が茂っていて、使われていないようだが状態はいい。新大阪で下車。今回の最後の目的地に向かう。
 北大阪急行の新大阪駅からいつもの御堂筋線に行くのではなく、反対の千里中央側に向かう。千里中央から先に箕面萱野までの二区間が開業した(2024.3.23)ので、ちょうど乗車の機会ができたのだ。いつも名古屋に行くからそのついでに乗ればいいようでもあるが、パック旅行では途中下車ができないから、今回のジパング倶楽部利用の機会はちょうどいい。

33 北大阪急行 箕面萱野終点

 新線部分は主に道路の下を通っていてトンネルもある。写真のように集電の第三軌条があるので、地下鉄の延長であることがよくわかる。
 今回旅行先では初めてICカードを使用。北大阪急行の乗車券に用いられている地紋を初めて見た。

34 北大阪急行のICチャージ領収書の一部

 ICカードの使用履歴は遠く離れたところの機械では駅名の表記が省略されたりすることがある。この場合北大阪急行線の乗降駅の記録を残すためには、新大阪駅で使用履歴を印字しておくのが確実なのだ。

35 新大阪(左:2024.5.16)とスペースワールド(右:2024.5.23)で印字した利用履歴。

36 二枚の履歴の対応部分を比較したもの

 緑の方は大阪地下鉄新大阪駅(同駅は地下鉄御堂筋線と北大阪急行の境界駅で、大阪地下鉄が駅を管理している)、茶色の方はJR九州スペースワールド駅で同じカードの履歴。上の見出しも全く違っている。ここでは消してあるが、カード番号は新大阪では全部書いてあり、JR九州では最後の4桁だけである。下の部分は発行駅などの記載で、スペースワールドの長い名前が居心地悪そう。
 この書類の主題である入場と出場の駅名がおもしろい。モノレール駅名はどちらもちゃんと書いてあるが、会社名「北モノモ」の理解は不能。一番異なるのは本文2・3行目の北大阪急行乗車部分で、新大阪の履歴ではちゃんと駅名が書いてあるが、JR九州では鉄道会社名しか書いてない。だから乗車した証明にしたいのなら地元で印字しないといけない。ちなみに長いこの駅名は、JR九州の履歴では「スペース」となっている。スペースが足りないのだ。今回新規乗車したところの中間駅名は「箕面船場阪大前」と長く、しかもその前に鉄道会社名を略した「北急」が入るがが、どう印字されるのだろう?
 新大阪駅に戻ってくると、計画よりもずいぶん早い。ここで、ジパング倶楽部の切符で来ていたことを思い出し、1時間早い便への乗り換えを試みた。切符は1623発の「さくら563号」指定席で、その前の1523発「さくら561号」まで20分ほどある。切符窓口は列ができていたが係員の数も多く、すぐに順番が回ってきた。しかし係員は「その号は指定席が満席。自由席に乗車するのはできるが、そのまま乗ってください」とのことで、改札に回る。ちょっとだけそのまま乗ることに抵抗があったので、係員のいる改札に行き、「このまま乗るように言われた」と言ったが、改札係員さんが首をひねり、一緒に出札窓口に行ってくれた。「予約切符の指定席から自由席への変更はできないが、変更後の列車の指定席が満席の場合には可能だ」と窓口氏に指導?があり、窓口氏も納得して自由席券に替えてくれた。私も納得。ところが指定席から自由席への変更による差額料金の払い戻しがあるという。金額は370円と、たいしたことはない。みなさん忙しい時期に仕事を増やして申し訳ない。

 乗車すると、「さくら」自由席は新大阪始発だから座れる、というよりもガラガラであった。最初からここを自由席で予約するのが正解だった。

37 さくら561号 自由席 新大阪 2024.5.16

 今回の「未乗車区間の乗車」という目的は、十分に達成できた。
JR北陸新幹線 富山・敦賀 125.1km (2024.3.17開業)
富山地方鉄道 富山港線 電鉄富山停留所・旧富山駅北停留所 0.1km (2020.3.21開業)
福井鉄道 福武線(駅支線) 福井駅前・旧福井駅前 0.1km (2016.3.27開業)
努力目標
福井鉄道 福武線 田原町駅構内 えちぜん鉄道連絡線 0km (2016.3.27開業)
えちぜん鉄道 勝山永平寺線 福井・福井口 高架化 (2018.6.24経路変更)

 この結果、私の未乗車線は私鉄1件(沖縄モノレール延長部分:4,1km 2019.10.1開業)だけとなった。2016.3.26に1か所から2か所に増えて以来、8年ぶりの少ない状態である。JRの未乗車率は0.65%から0%(125.1kmから0km)に、私鉄などの未乗車率は0.087%から0.05%(6.8kmから4.1km)になった。今のところ沖縄に行く計画はない。