OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

1993年のニュージーランド研究旅行 その14 峠道

2016年08月31日 | 昔の旅行
1993年のニュージーランド研究旅行 その14 峠道
Research trip to NZ, 1993: No. 14. Meyers Pass.

 これまで海岸沿いに北に向って走ってきたのだが、ワイタキ川を渡ったあと、ワイハオ川を北西にさかのぼって行く。最初のポイントはワイハオ・ブリッジ(Waihao Bridge}というところ。やはり漸新世のワイカカヒ層(Waikakahi Formation)が見られる。川の中に突き出た傾いた岩棚で、サメの歯が少し見られた。

14-1 ワイハオ・ブリッジの露頭 1993.2.5
Waihao Bridge.

 ワイハオ・フォークス(Waihao Forks)という所でやっと山が見えてきた。岩層は漸新世の堆積岩で、上部には中新世の地層もあるという。

14-2 ワイハオ・フォークスの露頭 1993.2.5
Exposure at Waihao Forks.

 崖に鯨の化石があるというので見に行った。今回はじめての野外の産状のみられるところ。

14-3 鯨の化石 1993.2.5
Cetacean Fossil at Waihao Forks.

 写真の中央少し左にある茶色のものと、そこから右上に向かって点々とあるのが鯨化石。頭骨の前半を左右に切った断面らしく、両側の大きな断面が下顎骨、中央の薄い骨が吻部の断面だと思う。崖の向うに向かって鼻先があるのか、それとも脳のあるあたりがあるのかは分からない。鼻先だったら、おもしろくないが、頭骨後部だったら情報が多いからいずれ掘り出すのだそうだ。

 ここから本格的な山越えに入る。メイヤーズ・パス(Meyers Pass)という峠道であるが、メインの道ではなく、他の車も通らない。時折、牧場の境界の扉が道路を横切って設置してあり、車はこれを開けて通った後、ちゃんと閉めておかないと羊たちが逃げ出してしまう。

14-4 峠道 1993.2.5
Meyers Pass.

14-5 峠道の羊 1993.2.5
Sheep at Meyers Pass.

 ついに峠にさしかかり、むこうの盆地が見えてくる。標高は690メートルくらい。この向うには北西から南東に流れるワイタキ川(Waitaki River)に北東から直角に流れ込む支流ハカタラメア川(Hakataramea River)が盆地を作っている。盆地の中央付近にある採石場に到着。


父の遺した写真 13 大森貝塚

2016年08月28日 | 鉄道
父の遺した写真 13 大森貝塚


13-1 大森貝塚碑 品川区大井 撮影日時不明

13-2 大森貝塚碑 品川区大井 1958.5.30

 大森貝塚碑の写真が二種類ある。下の写真には木製の柵があるから別の時のものである。1877年6月に横浜に来たアメリカ人エドワード・モース氏(Edward S. Morse 1838-1925)が、横浜から乗車した鉄道の車窓から発見したのが大森貝塚。来日3日目のことであった。同年から発掘を行って報告書を出した。英語版は「Shell mounds of Omori」という題で東京大学の理学部紀要として1879年に発表された。日本語版は矢田部良吉口述「大森貝墟古物編」として同じ年に発行された。私はこの報告書を大学の図書館で見たが、その目的は骨化石の研究と関連する論文を漁っていたから。骨に関する記述は少なく、サルの骨に少し興味があったぐらい。しかし、ハイガイ(東京ではモースの時代にはすでに見られなかった。)などの二枚貝に関する論評は面白かった。なお、岩波文庫に英語版の翻訳されたものがある(岩波文庫432-1)。岩波文庫版で面白かったのは、大森貝塚の報告書に関して間違った論評が掲載されたNatureの編集者に、モース氏の論文を推薦したのが有名なダーウィン(C. Darwin)だったということ。

13-3 大森貝墟碑 大田区山王1丁目 日時不明

 大森駅は大田区にあり、前に掲載した「大森貝塚」碑はそれより東京寄りの品川区にある。「大森貝墟」碑は、大田区側にあって堂々たる縦長の碑である。長い間大森貝塚の正確な位置について分からなかったが、土地の発掘補償金支払いの文書によって大森貝塚の方が実際の位置に近いことがわかった。
 写真の転載はご遠慮いただきたい。


1993年のニュージーランド研究旅行 その13 昼食

2016年08月25日 | 昔の旅行
1993年のニュージーランド研究旅行 その13 昼食
Research trip to NZ, 1993: No. lunch

 シャグ・ポイントは白亜紀層なのでそこそこに切り上げて、第三紀層の見られる場所に急ぐ。二番目の見学地はカカヌイ・サウス(Kakanui South Head)というところ。やはり太平洋に突き出た岩場の縁で、礫質の地層が見られ、いかにもサメなどの化石がありそう。漸新世前期の地層で、ペンギンなどの化石が発見されている。

13-1 カカヌイ・サウスの露頭 1993.2.5

13-2 カカヌイ・サウスの露頭 1993.2.5
Kakanui South Head

 みんなで化石を探すが、露頭がせまく、満ち潮で足場が悪いので成果がない。
 さらに進んでキャンベルズ・ビーチ(Campbell’s beach)という所に到着。ここは漸新世から中新世の地層が見られるが、見学を早々に切り上げて、岬の上の芝生で昼食をとることになった。

13-3 キャンベルズ・ビーチ 1993.2.5
Campbell’s Beach

 乗ってきた車にはトレーラーが付けられている。ニュージーランドでは、乗用車にトレーラーを付けることが多い。車の最後部に球形の頭を持った縦の棒があって、トレーラーの牽引棒の先のソケットが球を抱き込むようになっている。それにプラスして、ブレーキとブレーキランプの連動装置があるらしいが、その仕組みは知らない。

13-4 トレーラー付きの車 1993.2.5

13-5 後から見たところ 1993.2.5
Trailer vehicle

 トレーラーに食糧が積んであって、今日の昼食はサンドイッチ。食事の後サプライズがあって、ドイツの留学生が今日誕生日ということで、ケーキでお祝いする。F博士がそっと用意したものらしい。


父の遺した写真 12 有楽町から浜松町

2016年08月22日 | 鉄道
父の遺した写真 12 有楽町から浜松町

 次の写真は、ちょっと戻って有楽町駅。

12-1 有楽町 1956.11.1
 
 左のビルは日劇だろう。そうすると山手線の内側から東を見ていることになる。駅は左にあって、新橋よりを見ている。ガードをくぐる道路は晴海通り。日劇は1981年に閉館、現在はその場所に有楽町センタービルが建っている。

12-2 東京モノレール 浜松町から 1969.1.3

 東京モノレールの開業は1959年。写真の時には、起点国鉄浜松町駅と終点羽田駅の他には、羽田整備場(現・整備場)、大井競馬場前の二つの駅があった。写真は浜松町のホームから撮ったもので、羽田行きの車両が出て、ポイントが切り替わったばかり。下を走るのは山手線。・東海道本線・同新幹線など。現在はこの視野なら東京ガスビルや東芝ビルなどの高層建築がそびえている。

12-3 東京モノレール 港区東芝浦橋 1966.10.18

 撮影場所は、「辰巳橋」となっているが、明らかに場所が違う。右に東京タワーが見え、モノレールを見上げる場所で、右に高速道路とそのランプウェイが見えるので、それに合う場所は東芝浦橋であろう。東京湾側から西やや北を見ていることになる。現在この橋は歩行者専用橋として使われている。父は浜松町駅から500メートル以上歩いてここに来たのであろうか。
 写真の転載はご遠慮いただきたい。


1993年のニュージーランド研究旅行 その12 シャグ・ポイント

2016年08月19日 | 昔の旅行
1993年のニュージーランド研究旅行 その12 シャグ・ポイント
Research trip to NZ, 1993: No. 12 Shag Point

 シャグ・ポイントで面白いのは、地層中に見られる巨大な球形のノジュールである。たくさん並んでいる。

12-1 崖に見られるノジュール 1993.2.5

12-2 岩場に見られるノジュール 1993.2.5
A nodule in Shag Point

 ここのノジュールは最大の直径が3メートル弱ぐらい。小さいのでも1メートルぐらいはありそう。大きさにも驚くが、特徴は丸いこと。普通は地層面にそって多少とも扁平なのだが、ここのは丸い。表面は内部よりも硬いらしくて、風化して外層だけが残ったものもある。

12-3 風化したノジュール 1993.2.5
A weathered nodule

 岩場には、アシカ類がねそべっている。

12-4 アシカ類
Pinniped

 近づいても余り気にすることも無く、ちょっと薄目を開けてこちらを見るくらい。