OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

名古屋に行ってきました その2

2019年05月31日 | 50年・60年
名古屋に行ってきました その2

 25日の行事は小学校卒業60年記念同窓会。二年ほど前から企画されていたもので、私が非公認幹事。地元でない私が扱ったから、三つぐらいの困難というか問題点を乗り越えた。
 最初の難関は名簿の作成。クラスの同窓会であるが、ここ50年ほど開催していない。同期生の同窓会も、学校全体の同窓会もあまり動いていないから、名簿がなかったのだ。私たちの学校では6年間クラス替えがなかった。卒業時の人数は41名で、ほかに転校生が5名いる。昨年一年間でいろいろな手段を使って連絡方法が確立したのが31名と転校生1名である。逝去された方が2名。つまり4分の3ぐらいの方々と連絡がついた。最初に考えたよりは好成績。
 二番目の難関は会場の確保。とくに参加数のわからない状態で予約するという点であった。それに私は名古屋にいない。幸い高校の同窓生に有名ホテルの関係者がおられたので、「10人と20人の間」というような大雑把な話で進めていただいた。

 最後の問題はこれと関係するが、いったいどのくらいの方々の出席がいただけるのか、という点。結果的には18名のご出席をいただいたから、面目がたった。

 写真は、プライバシーを考慮して逆光の見えにくいものを入れた。また顔には「ぼかし」を施してある。
 時間になると参加者が集まってきたが、長い方は60年会っていないからどなたかわからない。それでも30分も経つとほとんどの方々のお顔が当時の記憶と連結して分かるようになる。しかし3名ぐらいはどうしても記憶と繋がらない。そんなことも考えて、名札には卒業アルバムのお顔を切り抜いたものを印刷しておいたがあまり役には立たない。
 自己紹介と思い出で、2時間の食事と1時間半のお茶の時間があっという間に過ぎ去った。ここでも60年以上前の記憶の欠けているところや幾つかの疑問が解消された。幹事役の仕事に随分感謝していただいたが、私の知らないところで努力していた方がおられたのを後で知った。お一人は皆さんに電話をかけて出席を促していただいた。またもうお一人の方は、亡くなった当時の担任の先生の奥様に同窓会が開かれることを直前に報告しておいてくれたという。
 多くの皆さまに感謝する。おかげさまで、大きな手落ちもなかったようで3次会まで参加した。翌日帰宅。次の作業は同窓会の報告を皆さんに送ることで、今週中には送ることができそう。もう一つ、持ってきた遺骨を新しいお墓に納骨すること。

志井川のホタル(臨時投稿)

2019年05月28日 | 今日このごろ
 今年はホタルの時期がやや早い。
 家から徒歩10分の志井川にホタルがいるので、ちょっと散歩に出た。川岸の道路に照明のあるところが多く、そこでは美しくない。やっと暗いところに来ると、一目50匹位か。写真を撮ったがコンデジではなかなか難しい。投稿した写真は恥ずかしいが、風情あるものだからお許しを。

志井川のホタル 2019.5.28 午後9時頃


とまっているホタルの撮影を試みたがさらに難しい。

あと一週間ぐらいは見えるからもう一度行こうかな。

名古屋に行ってきました その1

2019年05月28日 | 今日このごろ
名古屋に行ってきました その1

 5月24日から二泊三日で名古屋に行ってきた。目的は二つあったが、二つとも私は「幹事」というか「主催」というか、そういう役だったのでやや気が重かった。初日は「墓じまい」。
 私は名古屋育ちで、家の墓は千種区の平和公園にあった。ここは戦後の名古屋の都市計画によって、多くの寺の墓地を統合してつくられた大規模な墓地。家の墓はその一角のC寺の区画にあった。昨年これを北九州に移すことになり、初めてのことだから多くの方々のご意見を伺いながらやっと大筋が決まった。そこでこの日平和公園の墓の遺骨を取りあげた上でお経を上げていただいたわけだ。
 ご住職のお経の後、家族がお墓に水をかけ、焼香。この日、名古屋は非常に暑くなるということだったが、テントを設置していただいたし、湿度が低かったので予想よりは過ごしやすかった。


 次いで、墓石を釣り上げ、納められた骨を取りあげて持ち帰るように包む。


 この後、家族一同が軽い食事をとった。昔の記憶を辿るような会話が進んだ。65年ぐらい前に関するいくつかの疑問が解けてきた。この墓に最後に入った父の死去から35年以上経っているから、湿っぽい感情はない。夕刻に散会。
 なお、次回の「名古屋に行ってきました その2」は、ジャンルを「50年・60年」に入れておく。

トランプとの出会い(臨時投稿)

2019年05月27日 | 今日このごろ

 4月頃、愛用のトランプが傷んだので、買い換えた。銘柄は決まっていて、バイシクルのライダーバック青である。小倉では手に入りにくく、やっと百貨店で見つけたのだが、サイズが違う。この銘柄は幾つかの品があって、ブリッジサイズとポーカーサイズ、そして青と赤の4種類が基本。もちろん紙製だが、表面処理が良いから扱いやすい。私はできないが、手品でも多用されるトランプ。小倉で手に入ったのは、大きい方のポーカーサイズであった。私が欲しかったのは、やや小さなブリッジサイズ。
 26日に名古屋駅で時間を持て余したから、ブリッジサイズを探してみた。トランプが何屋さんにあるのかわからないから、まず書店に入って「トランプはありますか?」と聞くと、入り口近くを指して「あのあたりに集めてあります」との答。何かおかしい。この日はちょうどトランプ大統領の訪日の日で、彼に関する本のことだとわかった。「プレイイング・カードの…」と加えると、「当書店では扱っていないが、別フロアのT Handsならあるかも知れません」ということで、THでやっと見つけた。種類が揃っていて、鍵のかかるショーケースに並べてある。

Playing cards of the Bicycle

 やっとブリッジサイズを購入できた。青だけ買った(640円+税)が、赤も買っておけばよかったかも知れない。

私の使った切符 その60 ICカード類 北海道・東北

2019年05月25日 | 鉄道
私の使った切符 その60
ICカード類 北海道・東北

 今回からICカードに入る。ICカードについては購入した時に紹介してきたが、この際もう一度見直すことにした。発売地域別に北から順に記していく。旅行時に気がついた時に購入しただけで、調べて全部揃えたわけではないことをお断りしておく。なお、2011年11月22日に一度同じような内容で記録しているから、重複する部分がずいぶんある。
 基本的に無記名の定期券でないカードを入手した。またオートチャージ(口座からの自動引き落とし)のPiTaPaは除外した。2013年3月に全国相互利用が始められた。Kitaca PASMO Suica MANACA toica (PiTaPa) ICOCA はやかけん nimoca SUGOCA (交通系ICカード全国相互利用サービスの対象:以下では「全国相互利用カード」と記す)。相互利用開始の記事は、2013年4月1日の当ブログに書いた。そこにはPiTaPaとKitaca以外の8種類のカードの写真を掲載した。その後多くのカードがこれに追加された。しかし、この全国相互利用カードのシステムを介してどこでも利用できるものと、そうでないものがあって、結構複雑である。
 ここに示すカードは、旅行時に見つけて買ったもので、調査が行き届いていないから、」以下に記した利用範囲や発売者に関しては正確な情報ではないことをお断りしておく。図示したのはカードの写真である。スキャンデータではないので、照明が不均一だし、一部に反射光が入っていることをおわびする。


1 Kitaca

 2008年10月JR北海道が発売。シンボルキャラクターはエゾモモンガ。2014年12月に北斗星に乗りに行った時に入手。その時の記事は同年12月9日の当ブログに掲載した。Kitacaは当初JR北海道の札幌を中心に西は小樽、北は北海道医療大学、東は岩見沢、南は苫小牧の範囲で使用できた。現在はこれに加えて次に述べるSAPICAの範囲でも使えるようになった。全国相互利用カードのひとつ


2 SAPICA

 2009年1月札幌総合情報センターが発売。2014年に北斗星に乗りに行った時、函館本線森駅付近を本州に向かって走行中、ロビーカーで鉄道マニアたちと談笑中、一人の方の「札幌でSAPIOは買ったのか?」という鋭い指摘で、書い忘れたことが発覚。「函館で北斗星を降りて戻ったら?」という興味ふかい提案もあったが、もちろん諦めて東京に向かった。やっと買えたのは2017年6月に北海道新幹線などに乗車しに行った時。ブログには同年6月11日に掲載。使用できるのは札幌地下鉄・JR北海道バス・じょうてつバス・北海道中央バス・札幌市営路面電車で、バスについては市内全域のほか一部の郊外バスなどである。JRで使えないし、ほかの地域で使用できないから不便だが、ポイントの還元があるのが特典である。


3 ICAS nimoca

 2018年6月函館市と函館バスが発売。2017年6月に北海道新幹線などに乗車するために訪れた時に購入した。ブログには同年6月11日に掲載。函館で使用できるのは函館市電と函館バス。西日本鉄道のnimocaのシステムを利用している。発音は「イカすニモカ」だそうだ。