OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

2015年の旅行データ

2015年12月31日 | 旅行
2015年の旅行データ
2015年12月31日 | 旅行

 今年も最後の日となった。今年の旅行をまとめておこう。
 今年は次の旅行をした。4月高崎・富山・京都 6月つくば・宮城 11月名古屋 12月東京・仙台・高崎。どれもこのブログで報告した。

2015年の旅行コース 空路なし

 これらの旅行などで、JR乗車距離は10,029.1km(久しぶりに1万kmを超えた。この前超えたのは2007年。) 私鉄乗車距離は228.8km。2014年よりもJR乗車距離は長いが私鉄は短い。JR乗車距離は積算37万6000kmを超えた。ただし積算距離には、通勤(少なくとも12万km)が含まれていないし、古いところに記録の無い期間が相当ある。目標は月までの距離約38万km。通勤を入れればすでに超えている。2015年の鉄道乗車距離が長かったのは、「ジパングクラブ」に入会したから。京都に行くついでに高崎に行ったり、つくばのついでに仙台に向かったりした。
 年初めに全線乗車には残り1線(万葉線延伸部分0.1km)の状態だったのが、3月14日に北陸新幹線の延伸(191.0km)と富山地方鉄道市内線の富山駅乗り入れ(0.6km)で残3線、3月21日に石巻線の震災復旧付け替え(2.3km)、さらに仙石線の復旧付け替え(5.2km)・東北本線仙石線連絡線の新設(0.3km)で残り6線となった。
 これらの未乗車線を4月と6月の旅行で制覇したので、6月26日に「完乗」の状態を復旧することができた。
 12月6日に仙台市交通局の地下鉄東西線(14.4km)が開業。同日ちょうど東京にいたから行って乗車した。開業当日に乗るのは混みあうからあまり好きではない。開業当日乗車した線は3線目。「完乗」状態は維持したが、12月20日に札幌市交通局路面電車のループ化延伸部(0.4km)が開業したので、結局この1線が未乗車で年を越す。私鉄総営業距離の0.005%だけである。これに乗車できる機会は北海道新幹線の開業以後になるかな。


2015年の訪問県(ピンク)と2011年~2014年訪問県(黄色)

 旅行で県境を越えた回数は121回。120を超えたのは2007年以来。積算で4,361回。これも昔の記録が不完全。訪問21県(45%)。長い間行っていない県は1位山形県で、2005年1月以来(山形のみ10年以上訪問していない)。2位・3位は山陰2県、次いで愛媛県・山梨県・和歌山県・秋田県・沖縄県・と続いて、これら8県以外はこの5年間に一度以上訪問した。
 市町村の訪問は、2015年に次の更新があった。4月24日群馬県南牧村・上野村・神流町訪問。未訪問区市町村数は260(島を除くと189)。目標は、島でない市全訪問 (残り9市)と、島を除く訪問率90%(残り0.39%:7市町村)。島を除かない訪問率90%(残り68市町村)は困難か。大きな市町村は大体訪問したので、人口比ならすでに訪問率97.7%を超えている。面積比で も90.03%になる。
 これまでにすべての都道府県に宿泊したことがある、と思っていた。そのうち、奈良県には1958年に宿泊したと考えていたが、最近当時の資料が出てきて、その時泊ったのは京都であることがわかった。従って奈良県だけは泊ったことがないらしい。この件については精査中。

未訪問市(19) 島でない:稲敷市・神栖市・行方市(茨城県) 富里市(千葉県) 南アルプス市(山梨県) 御前崎市(静岡県) 宍粟市(兵庫県) 阿波市(徳島県) 南さつま市(鹿児島県) 島:佐渡市(新潟県) 対馬市・五島市(長崎県) 西之表市・奄美市(鹿児島県) 石垣市・糸満市・沖縄市・豊見城市・宮古島市(沖縄県)市訪問の項目は今年の進展無し。未訪問の市は意外にも関東から西南日本に分布している。最北の未訪問市は佐渡市、島を除くと行方市。

 うざったいデータの羅列に2015年もおつきあい頂きありがとうございました。20来年もめげずに掲載を続けます。日ごろ起った出来事を記して行きますが、何ごともない日々にそなえて、昔のことを記した原稿が数か月分書いてあります。来訪の方の「コメント」をお寄せ頂ければ幸いです。皆様に読んでいただいていることを信じていますが、コメントを戴くと確認できます。
 なお、投稿日は1日 4日 7日... と[3の倍数+1]日の計画で進めます。事情によっては間隔を変更します。
 2016年が皆様にとって、また私にもよい年になることを願っております。


私の使った切符 その21 1971年3月

2015年12月29日 | 鉄道
私の使った切符 その21 1971年3月

 1971年春には、九州の壱岐で象化石の発掘に参加した。発掘の後九州各地を回ったのだが、行程の記録がない。





21-1~21-5 九州旅行の切符

★ 1971.3.24(発行)京都発九州周遊券
 大阪発のA・B券片の前後に、京都・大阪間のX券片とY券片を加えたもの。おもしろいのは、B券片だけにハサミが入っていて、他には入っていないこと。どうして四枚とも手元にあるのだろうか。下車印はB券片に博多・佐賀・瀬高の三つがあるだけで、大阪・京都あたりで下車した形跡は無い。京都で別の近距離切符を買って乗り込み、XとAを自分ではずして、博多でBで途中下車、まではいいのだが、京都のあたりはわからない。ところで、ここまでの周遊券で、「均一周遊」のものは記名されていた(普通周遊券は無記名)が、この九州周遊券は無記名。これより後の「均一」もざっと見たところ無記名のようだ。何か規則が変ったに違いない。
 行程については、記憶ではまず夜行列車で博多に着いて、壱岐航路(博州丸に乗ったという記録がある)で壱岐に入った。船は島の南西側の郷ノ浦に入ったと思う。7km程北にある勝本で発掘が行われ、合宿は国民宿舎だった。数日間象化石を発掘した。

21-6 壱岐で行われた発掘 1971.3

 最後の一日は東端の長者原崎で魚化石発掘を手伝った。南端の印通寺から島を離れ、呼子にあがった。その後博多から肥薩線の吉松まで夜行普通列車に乗車、鹿児島・枕崎・鰻池を見た。最後に門司港で関門橋の建設を見て帰ったようだ。

21-7 建設中の関門橋 1971.4.1


モノレールの乗車券 臨時投稿

2015年12月28日 | 鉄道
モノレールの乗車券

 10月1日から、北九州モノレールのIC化に伴って、運賃も上がった。ささやかな抵抗として、9月28日に回数券を購入していたが、12月27日で有効期限が終る。そこで、最後に残った回数券を使って年末の買い出しに出かけた。この磁気回数券は、現在の自動改札機を通らないから、係員のいる通路で印を入れてもらい、出口でまた渡すしくみ。なお、IC化で回数券という制度もなくなってしまった。

赤鉛筆の印をつけた回数券 2015.12.27 志井駅

 原始的な方法である。これも最後の姿と思い写真を撮影。
 乗車した列車が、二つ目の駅「徳力公団前」に入線したところで突然停電。非常灯だけの薄暗い車内となった。

非常灯の車内 2015.12.27 11時40分ごろ

 アナウンスによれば、さらに二つ先の「競馬場前」駅で、ホームから落ちた乗客がいて。救助中とのこと。ホームの下は数メートルもあってかなり高いから危険。それに動力用の電流が流れているから、救助時には通電を止める必要があるのだろう。私の乗っていた列車はちょうど駅にいたから、一部の乗客は別の便を求めて降りて行った。私は急いでいないからそのまま。15分ほど経って「救助が終った」という放送。ほどなく運転が再開されたから、実害はなかった。競馬場駅は、有馬記念とかで混雑していた。北九州モノレールは通勤で20年以上使ったが、乗車中に運行が止まったのは二度目。前の時には雪でスリップしてしばらく動けなかった。ほかに乗る前に車両故障で動いていなかったことが二度ほどあった。

干し柿

2015年12月27日 | 今日このごろ
干し柿

今年も干し柿に挑戦した。例年より少し遅い12月13日晴れた日を選んで柿剥き。

1 柿剥き 12月13日

 剥いたあと熱湯で消毒して外に干す。

2 干し始め 12月14日

 ところが、少しだけ青カビが出てしまった。

3 青カビ 12月18日

 そこで、カビの部分を除去したあと、コップに入れた焼酎で再消毒した。

4 消毒 12月18日

 今日までにだいたい完成したのでそろそろ食べてみよう。今年の収穫は13個。

5 できあがり 12月25日


池袋ショーに行ってきました その8

2015年12月25日 | 旅行
池袋ショーに行ってきました その8 最終回

 12月8日(火)東京駅の静かな良い喫茶店を出て、再び正面へ。東京駅の正面玄関前に、東京駅と刻んだ石碑があって、観光客が記念写真を撮っている。正面玄関は駅の建物の中央にあって皇室専用。

31 東京駅丸ノ内駅舎正面玄関 2015.12.08

32 東京駅外観 2015.12.08

 正面広場は工事中で通路が狭く、目隠しのフェンスが続いている。実はこの日は皇居の通り抜けのできる日だったから、皇居方面への道標が目立った。


33 皇居方面を見る 2015.12.08

 北口の近くから地下鉄丸ノ内線に乗り、銀座で日比谷線に乗り換えて築地に。場外市場で海鮮丼を食べる。築地から八重洲口にタクシーでもどる。

34 東京駅八重洲口 2015.12.08

 八重洲口は表と対照的な現代風ビルである。まだ時間があるので、八重洲地下街のカフェへ。カフェだからしかたがないが、雰囲気が落ち着かない。コーヒーもまずく感じる。カフェを出て、大丸百貨店の食料品売場へ。帰りの新幹線は途中で夕食の時刻を迎えるので、ここで弁当を仕入れる。駅ナカと違っておいしそうな弁当が多いし、値段もまあまあ。夜に入って無事帰着。
(おわり)