OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

ガガーリン(臨時投稿)

2022年05月28日 | 50年・60年
ガガーリン(臨時投稿)

 この投稿が数日遅れてしまったが、60年前の1962年5月25日に私はガガーリン氏と握手(といってもこちらから勝手に手を伸ばしたのだが)した。その前年に人工衛星で人類最初の地球周回をした彼は、世界各地を回ってパレードや集会に参加してソビエトの国威発揚に努めた。
 日本でも東京ばかりではなく幾つかの都市を訪れた。私が見たのはそのうちの名古屋・金山体育館で行われたものだった。私は当時親しくしていた同窓生のM君とともに行った。M君は物理・天文・宇宙といったところに詳しく、その影響は現在の私にも強く働いている。観客席の中央に前後方向の赤絨毯が敷かれ、彼は後ろの出入り口から入って中央を通って壇上に上る手順だった。警備はゆるくて、絨毯を歩く彼に多くの人たちが手を差し伸べていた。私はその一人。握った手はやや湿っていて暖かく、分厚かった。意外にも巨漢ではなく、軍服に包まれた体は筋肉質の印象があったが、記憶はあいまい。
 会場は政治的色彩が強くて、私はそういう場に慣れていなかったから戸惑った。ガガーリン氏は数年後に戦闘機の事故で亡くなった。

 記憶しているのはこの程度。後に私は日本の宇宙飛行士の毛利 衛氏とお話しする機会があった。この時、ガガーリン氏と「握手」したことを告げると、大変に羨ましがられた。「ガガーリンの手のぬくもりをお伝えします。」などと、柄にもあわないことを言って毛利氏と握手させていただいた。こんどは双方の意識があっての握手であった。毛利氏は、「私はアームストロング氏と握手をしたことがあるので、(そのぬくもりを)お返しします。」と答えてくださった。
 そんなわけで、「私と握手した人がそれ以前に握手した人」のリストには、たぶん次のような方々が含まれる(敬称略)。宇宙飛行士のチトフ・テレシコワ・アームストロング(ニール)・コリンズ・オルドリン。他ケネディー・フルシチョフを含む当時の各国首脳(今年在位70年のエリザベス女王とガガーリン氏は会っているが握手しただろうか?)。

古い本 その54 地磁気・太陽

2021年04月22日 | 50年・60年

 地磁気などの地球物理学関連の入門書を幾つか挙げる。

132 なぜ磁石は北をさす 1970 カバー

 まず、古い本から。「なぜ磁石は北をさす」は、ブルーバックス(講談社)で、1970.1.16発行、255ページ。著者は力武常次(1921−2004)、東大の地球物理学者。副題があって「地球電磁気学入門」となっている。磁石の話から始まって、地球の核のダイナモ説が解説されているが、よくわからない。地磁気の逆転に関しても十分なデータが蓄積されるのはこれより後のこと。この頃までに磁化の比較的強い火山岩の測定はされていたが、正確な年代ごとの地磁気が復元されるためには堆積岩の帯磁が簡単に測定でき、なおかつ絶対年代についてもデータが取れるようになってから。

133 地磁気の逆転 2019 カバー

 「地磁気の逆転」は光文社2019.2.25発行のB5版単行本、346ページ。翻訳本で、原著者はAlanna Mitchell(カナダの科学ジャーナリスト)、原題は「The Spinning Magnet: The Force That Created the Modern World – and Could Destroy It」(回転する磁石:現代の世界を作り出した、そして破壊しうる力)というもので、2018年に出版された。日本語翻訳は熊谷玲美、日本版にも副題があって「地球最大の謎に挑んだ科学者たち、そして何が起こるのか」というもの。原題には、将来起こるであろう地磁気の逆転のときの危機を警告した副題が付いているが、日本版副題にはそういう危機感がない。本文は、第一部の地磁気の逆転と言う概念を提唱したブリュン(Bernard Brunhes: フランス。日本では普通ブリュンヌと表記することが多い)の研究した地層を見に行く話から始まる。地磁気の観測や経年変化などの詳しい解説があり、そして巻末には地磁気の逆転を基にした地質時代名の変遷や命名に移り、チバニアンの命名という日本でも興味を持たれたニュースに及ぶ。それなら松山基範の話ももう少し詳しく記してほしかったなあ。

133-2 松山博士が逆転期を見出した玄武洞 1968.3.8


134 太陽に何が起きているか 2013 カバー

 地磁気の次の反転時はいつなのか? そしてその時に何が起こるのかは大問題なのだが、同時に太陽からのいろいろな影響の危険性が最近になって注目されてきた。「太陽に何が起きているか」は文春文庫2013.1.20発行の204ページの本。著者は常田佐久(つねだ・さく)(1954−)は東京大学の天文学者(太陽物理学)。この本は、2006年に打ち上げられた太陽観測衛星「ひので」の成果を紹介するもの。私たちにとって太陽は安定した存在であるが、近年の観測によって大規模なものを含めて変動の多いものであることがわかってきた。地球軌道付近における面積あたりの太陽放射のエネルギーを「太陽定数」と呼ぶが、どこが「定数」だったのだ、という時代が来るかもしれない。

135 太陽は地球と人類にどう影響を与えているか 2019 カバー

 「太陽は地球と人類にどう影響を与えているか」は光文社新書2019.6.30初版発行、253ページ。手元の本は第2刷(2019.7.15)。
 太陽のおこす出来事についてさらに危険性を強調したのが、この本。歴史的に見て地球に多くの影響を与えた変動の記録が記されている。例えば、1967年のフレアは、太陽から15時間程度で地球に到達し、その影響で当時のベトナム戦争で敷設された機雷が多数誤爆発したという。機雷は接近した船舶による磁気を感じるようになっているのだが、フレアの起こした磁気変化を機雷が感じ取ったらしい。
 1859年に起こった太陽嵐は、世界にほとんど電気器具というものがなかったから損害はあまりなかったが、現在起こればその影響は膨大だろう。人工衛星は大気圏の変化で軌道を狂わせるとか、積載している電子機器が破壊されるといったことがおこりそうである。とくに、もし地磁気が反転などのために弱くなっている時には、地球の「磁気シールド」が非常に弱くなるだろうから、それと重なり合えば大変なことが起こる。GPSも働かないし、地上のパソコンも破壊されそう。自動車の無人運転などの突然の停止も考えられ、対処していなければ大惨事となろう。
 最近の本の中では面白く読んだものの一つ。

136 ベテルギウスの超新星爆発 2011 カバー

 ちょっと別の話題だがここに含めよう。「ベテルギウスの超新星爆発」、副題「加速膨張する宇宙の発見」は幻冬舎新書で2011.11.30初版発行、221ページ。手元の本は第3刷(2011.12.25)。著者は野本陽代(サイエンスライター)。第1章だけがベテルギウスの挙動に関する記事で、たった25ページほど。その話題に興味があった私としては、騙されたような気がした。それだからこういう副題が付いていたのかと、今になって気付いた次第である。副題のように最近の宇宙論に関わることが主に(ページ数では9割近い)記されている。帯に書かれている「2012年、人類史上最大の天体ショーが始まる!?」というセンセーショナルなキャッチコピーが虚しい。2012年どころか2020年が終わってもベテルギウスは大きな変化を起こしていない。2020年の末の研究グループの発表でも「爆発はまだ遠い」としている。2019年には急激な減光が観測されたが、どうやら地球との間に向かって何かが放出されたことによって光が妨げられたということらしい。

古い本 その53 木星と彗星

2021年04月16日 | 50年・60年
 1994年の7月に彗星が木星と衝突することが予報された。この彗星は、1993年3月に見出されたものだが、よく見ると一つの彗星ではなく、多くの核が列を作って移動しているものだった。そして軌道計算の結果、木星と衝突するというのだ。実際にこの衝突は7月17日に起こったのだが、軌道計算が進むと地球から見えない側にぶつかることが分かった。そのために、衝突そのものが見えるわけではなく、次の本の出版時にはアマチュアの小さな望遠鏡では何も見えない可能性が高いとされていた。

129 ジュピター・クラッシュ 1994

 この本「ジュピター・クラッシュ」は、衝突1ヶ月ほど前の1994.6.15に発行された。「朝日ワンテーママガジン」という朝日新聞社の雑誌で、A5、85ページの本である。宮本 貢・編集となっている。著者は9名、ほかにイラスト2名が記されている。この頃までにわかっていることや、衝突に際して観測されそうなこと、それに続いて起こる出来事が予想されているが、はっきり言ってそれほど当たっていない。

130 Jupiter Impact CD 1995

 これは本ではなく、画像を収録したCDで、「パシフィック・ハイテック」というところから1995年1月に発売された。言葉遊びではないが、「インパクト」のあるものが多数入っている、と記憶している。
 私が現在使っているデスクトップでも、ノートパソコンでもCDを見るときには、外付けのCDドライブをUSBに繋ぐことになる。これの発売された頃はパソコン本体に必ずCDドライブが付いていたのを思い出す。「アプリケーションを購入する」というのは「CDを買ってくる」ことだった。私の持っているCDドライブは、USBポートにつなぐだけという簡易なもの。このブログを記す際につないでみたが、デスクトップの方はCDドライブが対応しない。電力の問題があるようだ。ノートの方では動いたので、とりあえず画像の一部をUSBメモリーに移して、デスクトップにコピーしてみた。一応見えるが解像度が低いから、なにかサムネイルのようなものを取り込んだのかもしれない。またやってみよう。

131 彗星の木星衝突を追って 1995 カバー

 シューメーカー・レヴィー彗星9の木星衝突に関する本は、衝突後も出版された。専門的な論文ではなく一般書が、こういった一過性の出来事に関して発行されるのはそんなに多くない。前回このブログでは彗星に関する本を幾つか挙げたが、アマチュア天文好きに人気のある彗星でも、事前の出版はあっても「結果報告」のような本は出版されることが少ない。天文好きを対象とする雑誌や次年度の天文年間などで短い記事がある程度である。「彗星の木星衝突を追って」は、出来事の後で結果を記している。1994年7月の衝突後8ヶ月後(1995.3.10)誠文堂新光社から発行されたB6、175ページの単行本。著者は彗星に関して多くの一般向けの本を書いている渡辺潤一で、時系列でいうとこのとき(1994年)のマスコミ対応などで「名を上げて」、百武彗星やヘール・ボップ彗星の本を出版された、ということ。
 では、衝突前の「ジュピター・クラッシュ」の本で予想された事項がどうなったのだろうか。まず、衝突そのものはもう少しというところではあるが、向こう側で起こった。これはもちろん予想通り。その際の閃光は考えられていたよりも強い光が木星の縁に見えた。衝突の「キノコ雲」は見えないと予想されたが、ハッブル望遠鏡他で観測できた。これは人工衛星であるハッブルから見たのだから、「はずれ」ではない。閃光が木星の大きな衛星を照らして、それが見えるのではなかという予想は、わずかにしか検出されなかったから「ややはずれ」。赤外線とか専門的な観測は大きな成果を挙げた。これは観測自体が予想に基づいて行われたわけなので、「あたり」。一番予想外れだったのは、裏側でおこった衝突の痕が、木星の自転でこちらを向いた時に大きな模様として長く残ったこと。

131-2 彗星の木星衝突を追って 1995 巻頭写真の中の1枚

 他に、衝突で巻き上げられた雲からいろいろな元素・分子が検出されたそうだが、衝突で起こった振動(木星震?)を観測するという話はどうなったのだろうか。
 ややこしいのは、上の写真の衝突痕の位置関係がぶつかる前の彗星破片の順序(前-木星に近い方-からアルファベット順)と違うこと。というのは木星の自転は地球よりも早くて、約10時間で回る。一方衝突は先頭のA核が17日午前6時前、最後尾のW核は22日の17時と、数日に渡るから、その間に木星は10回以上自転したことになる。木星の自転がこのように早いために、衝突の痕跡が衝突後速やかにこっち側に出てきてくれたのだ。衝突の大きさは、その前の核の明るさと必ずしも比例しなかったようだ。

131-3 彗星の木星衝突を追って 1995 91ページの写真

 この彗星は、遡った軌道計算によると1992年の7月に木星に接近して、そこで強い潮汐力によって分裂したらしいという。分裂したら、ほぼ軌道上に並ぶんですね。その写真が掲載されている。ほぼ一直線上に、少なくとも9個の核が並んでいる。軌道方向の運動量は分裂時の加速度と比べて非常に大きいということだろうか。わかりません。運動量と加速度を比較するような非科学的記述ですみません。彗星の特徴である「尾」が左の方向に流れているのがわずかに見える。彗星群は進行方向に並んでいるから、「尾」がそれとは違う方向に向いていることがよくわかる。

古い本 その52 彗星

2021年04月10日 | 50年・60年

 天文現象の中で、日・月食はあらかじめ日時や場所がわかるから、よほど稀な(例えば本土を皆既帯が通るとか)ことでなければ多数の本が出版されたりしない。一方、大きな流星などは突発的だから本にはなりにくい。彗星の回帰は、あらかじめある程度の明るさなどの予想ができ(といっても、結構外れるのだが)しかも今回のハレー彗星などは一般に名前が知られているから、出版の対象となる。また、新規に発見された彗星でも、発見から肉眼で見えるくらいに結構時間があるのでときおり書籍が発行される。

123 ハレー彗星 1985 カバー

 「ハレー彗星1985-86」は平凡社のB6版、246ページで、1985.7.17発行。手元の本は、1985.10.15発行の第4刷。3ヶ月で4刷まで行ったのだから当時の注目度がわかる。著者は草下英明(1924−1991)、科学ジャーナリスト。この回帰が最初に確認されたのは、最接近の1,000日以上前!の1982年10月のこと。これまでに30回近くも出現が歴史上記録されているという「信頼の置ける」彗星だから、準備の期間はたっぷりあった。だからハレー彗星の観測を目的とする人工衛星の打ち上げなどもあって、そのニュースも実際に目で見えるようになる前に気分を盛り上げた。最も接近したのは1986年になってからで、私の記憶では、実際には以前の出現のような大規模な姿を夜空に描くことはなかったが、空を見上げるきっかけにはなった。74年を周期として太陽に近づくのだから、次回は2060年。この周期も「絶妙」で、ほとんどの人類は一度しかチャンスがない。この前の出現は1910年で、その記憶のある人は1986年におそらく80歳以上になっていたことになる。次回は2060年ごろで、私には次がない。

124 彗星、地球へ大接近 1996 カバー

 「彗星、地球へ大接近」は、1996年に接近した百武彗星の本で、1996.3.20に誠文堂新光社から出版されたB5, 177ページの単行本。著者は渡部潤一(1960−)、国立天文台職員などを経て、天文関連の著作がある。百武彗星が最もよく見えたのはこの年の3月下旬だったから、発行された日付はずいぶんギリギリだったことになる。最も発行日付よりも早く書店に並ぶ本はたくさんあって、昨年末の2020.12.22に購入した鉄道関連の本の奥付は「2021.1.20出版」となっていた。「彗星、地球へ大接近」の内表紙の写真は1996.2.22撮影となっていて、すでに彗星の周りにハロが写っているから「引きつけて打った」本なのだろうか。ところでこの写真、大きなミスプリがあって、写真キャプションの見出しに「1966年2月22日の百武彗星」とある。次の行にデータがあって1996年となっているし、この直前に発見された彗星だから間違いはすぐわかるのだが。百武彗星は、1996年1月31日に鹿児島のアマチュア天文家百武裕司さんが発見した。これがよく見える彗星になることが分かるには少し時間がかかったはずだから、本の執筆・発行には1ヶ月ほどしかない。「引きつけて打った」のではなく、「素早く反応した」とする方が良さそう。
 私は、この彗星を肉眼で見ることができた。「長い尾を引いていた」とする人が多いが空の暗いところで観察できたのだろう。職場からの帰宅中に、坂道の、街中ではあるが暗いところで見上げた記憶があって、尾は見えず、ぼんやりとした満月よりも大きな円形の姿だったと記憶している。現在のデジカメなら十分に写すことができたのだろうが、10年ほど早すぎた。

125 ヘール・ボップ彗星がやってくる 1997カバー

 百武彗星の翌年のヘール・ボップ彗星に関する本。誠文堂新光社1997.2.15.発行、B5, 240ページの単行本。著者は前の本と同じ渡部潤一である。
 あまりこの彗星のことを覚えていない。前宣伝に比べて拍子抜けだったのだろうか。

126 これがヘール・ボップ彗星だ!! 1997 カバー

 同じ誠文堂新光社から1997.2.15(前の本と同日)に発行されたA4変形版、127ページの本。「天文ガイド編集部・編」となっている。前の本よりもずっとくだけた本で、それだけに私にとっては面白くなかった。
 次に紹介する2冊はちょっとジャンルが異なるもの。他に入れるところがないので、ここで。

127 しし座流星群を追え! 1998 カバー

 世界文化社1998.11.10発行の[別冊家庭画報]B5版、95ページの本。「しし座流星群を追え!」と題しているが、この流星群に関する記述は少なくて、他の天文現象を広く扱っている。月食・彗星・隕石・隕石孔・近日中の天文現象 などなど、初歩的な記述が多い。この流星群の記憶もほとんどない。大流星群といっても、一時間に60個、つまり1分間に平均1個ぐらいだと、「多かったな」という記憶に残るがそれ以下だと感激しないというのが実際のところ。一つの視野に複数個が流れる、というような流星群は見たことがない。私が夜明けに(流星は夜明けに多い)見ないのと都会からしか見ていないというズボラな似非天文ファンだからやむを得ない。
 次はまた違うジャンル。印刷物としての稀少性があるので挙げる。

128 月をめざすアポロ計画 1969 表紙

 これは書籍ではなくパンフレットのようなもの。1969.4.15にアメリカ大使館広報文化局報道出版部発行のB5、表紙を入れて16ページの冊子。どうやって手に入れたのかは記憶がない。発行の3ヶ月後の1969.7.16にアポロ11号によってアームストロング船長らが月面に降りたのだから、その直前の宣伝紙である。もう50年以上前なのだ。
 内容は表紙写真が月面の地平線(月平線?)上にかかる地球で、有名な写真。たぶん月を10周して帰ってきたアポロ8号の撮ったもの。本文は「人間生活に恩恵をもたらす宇宙研究」から始まる。膨大な予算を獲得するためにこういった宣伝を日本でまで行ったのだろう。すでに11号の乗員も、そして月に降りる最初の飛行士も決まっていて顔写真が並んでいる。

古い本 その51 島

2021年04月04日 | 50年・60年

 最近の本ばかりだが、島に関する本がいくつかあるので紹介する。

119 日本の島ガイド SHIMADAS 2004 表紙

 「日本の島ガイド SHIMADAS (シマダス)」 は、2004.7.31に、第2版が日本離島センターによって発行された.A5変形版。第1版は1998年8月1日発行。手元にあるのは第2販第3刷で、2005年9月1日発行。現在は新版が出ている。ページ数も掲載している島の数も多いようだから買い直さねば。発行後島の自治体の合併などが相次いだのも大きな変化である。私の持っている第2版は1327ページで情報量の多いデータブックである。実は初版本も購入したが新しいのを買ったので初版の方を寄贈した。
 この本の「島」の定義は、自然にできた陸地で水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるもの」としている。逆に収録されていないものは、埋め立てなどによって地続きになったもの(例外あり)、人工島、河川の中の島、などである。収録しているのは1,100島。北から地域別にまとめてあるが、これだけあると目的の島を探すのは結構大変である。名前が分かっている場合には巻末の索引を、場所が分かっている場合にば、各章の最初にある地図を見る。
 データブックであるから、知っている島をいくつか拾い読みした程度。私が行ったことがある島は数少ない。宮城県の金華山、神奈川県の江ノ島(不確実)愛知県の前島(不確実)三重県の真珠島・賢島、兵庫県の淡路島、広島県の倉橋島・宮島、山口県の角島など4島、香川県の櫃石島・岩黒島・与島(この3島は「行った」というより『通った』という方が良い。瀬戸大橋の通過島で、車やバスで行くことができる。さらに羽佐島に至っては橋脚があるが降りることはできない)、福岡県の馬島・藍島など計5島、長崎県の壱岐島など11島、熊本県の御所浦島など11島、大分県の姫島、鹿児島県の桜島・獅子島、沖縄県の沖縄本島(日本の島ガイドでは対象外)。私は鉄道マニアだから島にはほとんど行かなかった。ちなみに現在鉄道のある島は沖縄本島以外に、彦島と瀬戸大橋関連3島(いずれも鉄道で訪れることはできない。)と近鉄賢島線で行くことができる賢島だけ。廃止された鉄道には淡路島・屋久島・大東島などがあった。

120 日本《島旅》紀行 2005 カバー

 「日本《島旅》紀行」は光文社新書、2005.3.20発行、284ページ。著者は斎藤 潤(1954-)、島への旅をテーマとしたライターで、全国の南鳥島以外の有人島を全て訪れたという。ちなみに南鳥島には自衛隊・気象庁・それに関東地方整備局職員だけが常駐していて一般人はいない。この本では全国約40島を取り上げて地元の人たちとの交流を記している。

121 秘島図鑑 2015 カバー

 「秘島図鑑」は、河出書房新社2015.7.30出版のA5単行本、221ページ。日本全国の31の島を扱っている。いや、最後の一項目は「北方四島・竹島・尖閣諸島」をひとまとめにしているから、合計40近い島。「秘島」の条件は、カバー見返しに記載されていて、遠く離れた島、周囲に他の島がない、形が個性的、アクセスがない、無人、知られざる歴史 という6つの条件(いずれか、としている)を挙げている。これだけ厳しい条件だから、私が見た島はほとんどない。一つだけ長崎市香焼の「横島」という岩礁は、ホテルのチャーターした船で伊王島に渡った時に香焼の港を出たすぐ後正面にみえていたはずだが、意識して見ていない。
 この本を見て行ってみようと思うような島はないが、読み物としてはおもしろい。

122 幻島図鑑 2019 カバー

 「幻島図鑑」「不思議な島の物語」は、河出書房新社2019.7.30出版のA5単行本、287ページ。日本全国の17の島を訪問した記録である。「幻島」といっているのは、人口が少ないか無人島、珍しい形や名称、面積が小さいといった条件で選んでいる。
 最初の島からすでに存在自体が疑問の島、「北海道エサンベ鼻北小島」。当時地形図に掲載され、名称も記載されていた。しかしこの著者の調査で事実上存在していないことがわかったという。島の存在の調査と言うが、至って簡単ではないだろうか。ましてや北海道のオホーツク海沿岸たった500メートルほどの近距離、それも道路の通っている海岸の、である。しかし事実はその通りで、やはりお役所(どこだろう)の怠慢なんだろう。驚いたことに、インターネットで見ることのできる現在の地理院地図(電子国土Web)でも、「エサンベ鼻北小島が」掲載されている。海上保安庁は、2019年9月24日付の文書で、「本年4月〜5月にかけて…推進測量等を実施しました。この結果、エサンベ鼻北小島の位置付近では島は存在せず、非常に水深の浅い浅瀬が存在することが判明しました。追加的な調査を行い、最終的な判断を行うこととしています。」(一部の文言を省略)この文章の後に解説図が描かれているが、「非常に浅い」としている水深を推測できるような絵は描かれていないし、もちろん具体的な数値は記されていない。要するに最も潮が引いた時に岩が出るのなら、領海の基準点となるから、簡単に「島はない」とは言いたくないのだろう。色々と大変ですね。
 それにしても、一つ前の本「秘島図鑑」と間違いそうな本。著者は同一の清水浩史(1971-)(ライター)、出版社も同じ。カバーの印象も、下半分の幅の帯が付いているとよく似ている。海に浮かんだ孤島の写真が帯いっぱいにあるのだが、その水平線の位置も同じ。題字の配置も英文があるところも同じ。片方には副題があるところが異なる。帯を取ると大分違う雰囲気だが。なお、カバーを取ると全く同じデザインの英文表題が白抜きで印刷されている。地の色が異なるが。