OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

古い本 その31 原色化石図鑑 下

2020年10月31日 | 化石
 保育社の「原色化石図鑑」について、前回は函や表紙のことを記した。今回は内容。なお、今回の投稿にあたって前回の誤りを見つけたので先ほど訂正した。
 ページ数は268ページ、サイズはA5よりわずかに大きい。化石を全部網羅するというわけにはいかないので、当然トピックをとりあげて解説するもの。「はじめに」から「目次」までを別ノンブル(I-X)とし、図版とその解説部分が1から192ページなのだが、図版はノンブルが打ってない。図版は1-96まで。そのあと「概説」(193-247)索引(249-268)で、総計374ページという長いものである。
 初版と10版とはほとんど同一である。表紙などの浜田博士の肩書きについては前回記した。他にも肩書きの変化は改訂してあるようで、例えば42ページの亀井助教授が亀井教授に変わっている。そういうところ以外には本文はほとんど変わっていないようだ。巻頭のXページの「装丁説明」は、初版ではカバーバックなども詳しく書いてあるが、10版ではかなり省略されている。なお、函のカエルの学名に誤りがあり、初版も10版も間違っている。
 図版部分は、1-3が「生きている化石」、4からは時代順で先カンブリア代から順に古生代末が36図版、中生代が71まで、最後の図が「日本列島のサンゴ礁」で終わる。原色図鑑と言っているが、半数の図版だけがカラーで残りは白黒写真である。図版ページだけが紙質が良いから、カラーと白黒の図が裏表になっている。このブログでは内容についてくわしく書くことを避けている。今回は西南日本のシルル系に関係する二つの図版についてのみ記す。この本に掲載されている化石は外国のものがほとんどで、国内産のものは少ない。収蔵している機関は大学が多い。この時代では当然であるが、現在は外国の化石がアマチュアにも容易に手に入ることと、博物館が良い標本をたくさん持つようになった点が大きく違ってきている。
 1枚目は図版13のコロノセファルスCoronocephalus kobayashii Hamada(三葉虫)で、宮崎県祇園山の標本。凝灰岩?中に保存された不完全な頭部である。

31-1 原色化石図鑑 第13図 祇園山の三葉虫コロノセファルス

 この標本は本の著者の一人の浜田隆士博士が採集したもので、1959年に英文で新種記載した。九州の三葉虫の中でも最初の記録であろう。産出地は論文中にもあまり細かく記録されていないが、祇園山の西を回る道路の山側のカッティングだと言われている。現在は植生にだいぶん覆われてしまった。祇園山の化石は、石灰岩を探すのが普通だから、その中では異色のもの。私も30年ほど前にそこを探してみたが、何も見つからなかった。

31-2 1968年に北から見た祇園山

 化石図鑑にもう一つある日本のシルル紀層についての記事は、最後の第96図版にある。

31-3 原色化石図鑑 第96図 横倉山遠景

 この写真は、高知県の横倉山をずっと東の方の越知町甲あたりから撮影したもの。中央の鋭い山が横倉山で、石灰岩の採掘をしていた。ここの石灰岩は薄桃色を帯びた石材で、「土佐桜」の商品名で販売されていた。図版の写真で化石標本でなく「景色」のものは、これとその下にある千葉県沼のサンゴ化石礁だけ。浜田先生は、西南日本のシルル紀の地層の総括をした論文「西南日本外帯ゴトランド系の層序と分帯」で博士号を取られたから、祇園山と横倉山のことが記してあるのは頷ける。なお、「原色図鑑」では浜の字を新字で書いてあるが、ここからは本来の濱の字にする。
 濱田隆士博士(1933−2011)は東京大学教養部教授として長く研究をしておられた。三葉虫研究の縁でお付き合いがあり、何度か採集にも同行した。私が北九州に移ってからも、お会いして、藍島などの化石調査に同行した。

31-4 濱田先生と私 

 写真は濱田先生とどこかの海岸で撮ったものだが、残念ながら日付も場所も記録がない。私のマフラーの色から1993年よりも後、持っているのがデジカメなら2000年よりも前ということになる。海岸は北九州ではない。
 益富壽之助博士(1901-1993)は、日本鉱物趣味の会を主催し、日本地学研究会館館長を勤められた。薬学博士で、正倉院の薬物、特に化石鉱物関係のものの研究で有名。

31-5 益富・鹿間 1955 「正倉院薬物」別刷

 写真は「正倉院薬物」植物文献刊行會・発行 朝比奈泰彦・編修 の「龍骨」の最初の部分。この後鹿間時夫の論考が続く。
 京都の益富先生のご自宅に何度もお邪魔したが、一介の学生の私を専門家(ほんとうはひいき目に見てもその卵)として扱っていただいた。大学院生のときには、岐阜県の福地温泉にお迎えした。当時私はここの「ひだ自然館」のお手伝いをしていて、そこの山腰館長さんのお世話になっていた。

31-6 上宝村(現・高山市)福地にあったひだ自然館の入り口で 1971.11.19

 写真向かって左端が私、二人おいて中央が山腰館長、一人おいて益富夫妻。いつも奥様と一緒に旅行しておられた。

芦屋の貝拾い

2020年10月28日 | 今日このごろ
 写真撮影のために芦屋町を訪れた。27日(火)のことで、この日を選んだのは汐の時刻と潮位が良いこと。もちろん天候と気温も考慮したが、結果的にかなり快適な日であった。
 山鹿バス停で北九州市営バスを下りて、遠賀川右岸を海の方に向かう。ここは芦屋層群山鹿層の模式地であるが、残念ながら海岸の遊歩道の山側はコンクリートで巻かれていて地層が見えない。景勝の地であるからみっともないと考えたのかコンクリートを緑色に塗るという暴挙が行われたがそれも年月が経って少しだけみっともなさが軽減した(かな?)。遠賀川河口近くに「なみかけ大橋」が建設されたのも景観を損ねているが、これについて私が批判するのはどうかな。

1 なみかけ大橋山鹿側 2020.10.27

 撮影のテーマは今回記さないが、穏やかな良い日なのでこの先で貝拾いを試みる。そこは波懸ノ岸というところ。引き潮だから打ち上げ物のラインが3本ほどあるが、波が荒いらしくて破片ばかりである。それでも堂山に近いところで厚みのある巻貝をいくつか採集できた。

2 左からビワガイ ミクリガイ? ムシロガイ類(キヌボラかな)

 ここの貝は一部が黒く変色しているものがある。写真右のキヌボラ?の殻頂に見られる。だから軟弱な貝拾いの私は黒が多いのは敬遠して拾わない。シドロなどによく見られる。貝の分類に詳しくないので種名は違うこともあろうから参考にしないように。詳しい方正しい種名をコメントしていただければ幸いである。

3 タマガイ類 左はツメタガイ 右の二つはフタスジガイかな

4 バイ これは確か

 黒く変色しているということは、この付近の海底が低酸素状態なのだろうか。砂浜の何か所かに砂鉄の堆積が見られるのもその原因の一つかもしれない。

5 砂浜の砂鉄

 これと同じものかどうかは知らないが、海岸の砂鉄を用いて作られたのが「芦屋釜」。その記念館に近いところである。
 このあと。海に突き出た半島の「堂山」「洞山」を訪れて、今日の課題の写真撮影をおこなった。この岬は二つの芦屋層群の丘陵が「直列」に並んで、周りに海食台(こちらも芦屋層群)が取り囲んだ形で、陸よりの山には神社などがあるので「堂山」、海側の山は大きな海食洞が貫いているので「洞山」と呼ばれる。同じ発音で、不便でないのだろうか。期待する写真は一応撮影できたが少々不満が残った。折尾駅まで市営バスに乗って帰宅。折尾駅はまだまだ改良工事が続いていて、改札内が非常に不便である。改札内のトイレを探すのに手間をとった。駅前は大分整備された。特に駅から若松に向かう筑豊本線が地平から高架に移ったので交通の障害が減った。

6 折尾駅改良工事の看板。

 まだまだ工事は続く。黒崎から筑豊本線に直行する現在の「短絡線」は将来廃止されて鹿児島本線と並行するホームを使うようになるのだが、そうなると飯塚方面に行く乗客は若松からくる列車と黒崎からくる列車の発車ホームが異なることになり、注意が必要であろう。これは現在の鷹見ホームが一旦改札外に出た別の「駅」であることと比べると大分近い。

 

北九州市に拳銃が...(臨時投稿)

2020年10月27日 | 変なもの
Googleの地図を見ていたら、自宅近くにこんなものが。


小倉競馬場の駐車場ビル Google Map から


同 衛星写真

トリガーガードにあたる部分は、二階以上に車を進めるための斜路。
そういえば、八幡東区には水道工事によく使われる工具にそっくりな外形の建物がある。

八幡東生涯学習センターなどのビル

 こちらは衛星写真でもMapでもあまりはっきりしないので、ちょっと画像加工した。複合施設で、八幡東生涯学習センターの他、四角いところはコンサートホールの「響ホール」、国際村交流センターなどが入っている。

私の使った切符 その127  押印いろは

2020年10月25日 | 鉄道
私の使った切符 その127
押印いろは

 車内検札の際に切符に押し印を入れることがあった。小さなホッチキスのような道具で、インクはなくて、紙に凹凸(エンボス)を残す方法である。ここでは「押印」と呼んでおく。一番多いのはひらがな一文字を梅のような5弁の花びら型で囲んだ図案である。まず、典型的な例。

320 押印「は」 1968.7.20発行の九州周遊券

 何しろ切符の凹凸だけで色がないから、この写真では、切符の裏からスキャンして反転してある。

321 押印 いろはにほと

 「い」だけは表からスキャン、地紋を薄く処理した。他は裏からスキャンして反転。「へ」は見当たらない。切符は「い」1970.8.25発行の信州周遊券、「ろ」・「は」・「に」1968.7.20発行の九州周遊券、「ほ」1972.3.11発行の能登・加賀温泉ミニ周遊券、「と」1970.9.17発行の山陰周遊券。
 存在する文字の種類から判断して、「いろは順」を基準にしていたに違いない。ほとんどの押印の道具には手前側に突起があって、エンボスを作ると同時に小さな穴を切符に開けるようになっていた。

322 押印と小穴の位置関係」 1968.7.20発行の九州周遊券

 上の写真では3つの押印が見られるが左の二つの印の手前に穴が見られる。切れ味が悪いらしくて切りくずが付いたままである。この例のように、ほとんどの押印は周遊券のもので、他に薄い紙の手書き券にもあるが、硬券に押されたものが二つだけ見つかった。

323 硬券の押印「ほ」 1965.12.19 二条発熱田行き乗車券

 なお、このころは「200km以上は特定の都市の中心駅発着」という切符のルールは無かったようだ。今なら「京都市内発名古屋市内行き」の切符が発売される。なぜ私が熱田行きを購入したかというと、記憶がないがおそらく名古屋駅で途中下車して切符を持ち帰ろうとしたのだろう。そうすると保存されている中で一番古いこの時から切符コレクションを目指していたことになる。「二条発」の方は、単純に山陰線方面に行くのに京都路面電車で二条まで行った方が安いからだろう。

324 硬券の押印「い」(かな?) 1968.5.24 京都発朝来行き乗車券

 朝来は紀勢本線の白浜の手前の駅。大学の地質学鉱物学教室実習で白浜の臨海実験所に行ったのだが、初日の集合はおそらくだいぶん手前の南部駅だったと思う。海岸の四万十層の続きである 牟婁(むろ)層の生痕化石や堆積構造を見に行った。切符入手のため少し先の駅「朝来」まで買ったのかな。ちなみに紀勢本線の朝来駅は、「あっそ」と読む。兵庫県の朝来市は「あさご市」である。その中心駅は和田山駅で朝来の名の鉄道駅はない。

古い本 その30 原色化石図鑑 (上)

2020年10月22日 | 化石
 続いて、1966年発行の益富壽之助・浜田隆士・著の「原色化石図鑑」保育社 を紹介する。このブログの「その25」で、「原色日本蝶類図鑑」を紹介したが、それは当時の保育社の宣伝によると24巻の「原色図鑑シリーズ」として出発した。「蝶類」は栄光ある第1番である。24巻のなかに「化石」は含まれていない。「原色化石図鑑」巻末に掲載された「保育社の原色図鑑一覧表」では、「化石」に48番の番号が振ってある。

30-1 原色化石図鑑 函 第10刷

 函の2つの面には、それぞれ化石の写真が貼り付けてある。一つの面の写真は長野県兜岩のカエル化石(更新世)。標本は京都大学・蔵。1937年にOkada(岡田彌一郎)は地学雑誌にここのカエル化石を新種Rana architemporaria として記載した。エゾアカガエルと比べて頭蓋の大きさが小さいことと、前肢が短いことを特徴としてあげている。函の化石はホロタイプで、京都帝国大学の槇山次郎博士と君塚康治郎学士が採集したもの。雑誌「地球」(1934)に記録がある(1930ではない)。「地球」は京都帝国大学理学部地質学鉱物学教室が発行していた雑誌で、1巻1号(1924)から27巻6号(1937)の間発行された。化石の地質時代は京都大学のラベルでは鮮新世となっているが、原色化石図鑑では更新世前期としている。
 兜岩からカエル化石が複数個産出していて、1998年に野苅家・長谷川が記載を(とくに化石に残るカラーパターンを)行った(論文は英文)。京都大学のとは別の標本である。

30-2 群馬県立自然史博物館研究報告第2号 1998 表紙

 この論文では、カラーパターンの見られる標本は岡田のRana architemporariaと似ているとしているが、種の判定は避けている。地質時代は、鮮新世とした。この前には中新世とする意見もあったが採用していない。

30-3 原色化石図鑑 函 もう一つの面 第10刷

 函のもう一つの面にはジュラ紀のトンボ写真が示されている。巻頭の別ページXに<装丁説明>があって、このトンボの学名「Aechna gigantea」が記されているが誤り。正しい学名はAeschna giganteaである。東京大学研究総合博物館のHP(学名は誤りの方が掲載されている)にこの標本の原ラベルの写真が掲載されていて、そこには正しい学名が記されている。ラベルは緑色で印刷されたラベル用紙に書かれていて、ラベルの機関名は書いてないが、分野名の「PALAEONTOLOGY」が見える。綴りからアメリカではない。書かれたインクの文字は古いヨーロッパ風である。だからおそらく標本を購入したヨーロッパの商社が書いたラベルだろう。有名な化石商クランツのラベルとは雰囲気が違う。産地はドイツ・ゾルンホーフェンで、有名な石版石のもの。ラベルの綴りは「Sohlenhofen」となっていて、現在使われている「Solnhofen」と異なる。この地名は他にも後半を「-hoven」とすることがある。石版石の化石は、保存が素晴らしいので、この図鑑でも多くの標本が取り上げられている。尾部後半が欠けているのが残念。
 実は私が持っているこの図鑑は2冊あって、一つ目は1966年発行の初版、もう一つは1978年の第10刷である。二つの本はほとんど同一であるが、いくつかの違いに気づく。一つは、第10刷では奥付のページに著者の略歴が掲載されていること。もう一つは、函の背と内表紙の浜田博士の肩書きが「東京大学」から「東京大学助教授」に変えられていること。調べてみると、浜田博士は1966年当時同大学助手で、1969年に助教授になっておられるから、それを反映したもの。
 一つ気になるのは表紙の中央の写真で、私の持っている第10刷が上下逆になっていること。この写真は、装丁の後で貼り付けたもの。ネットのオークション画像を見ても、両者が共存している。表紙の色は第1刷では赤系で、10刷では紺色と、変えられている。

30-4 原色化石図鑑 第1刷 表紙

30-5 原色化石図鑑 第10刷 表紙

 写真の化石はマンモス Mammuthus primigenius の臼歯で、アラスカの標本。更新世のもの。186ページの臼歯咬合面写真の標本の側面である。この側面の写真を見ると明らかに下顎臼歯であるから。第1刷の配置が正しい。照明の方向も第1刷の方がよい。
 長くなりそうなので、次回内容を記す。