OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

テレビのリモートコントローラー

2013年02月26日 | 今日このごろ
テレビのリモートコントローラー

数年間使っている居間のテレビ(S社製)のリモートコントローラー(以下リモコン)には、二種類のリモコンがついていた。テーブルに置くような計算機形のものと、細長いものである。購入一年ぐらいまで、計算機形の方を主に使っていたのだが、次第に反応が悪くなってきた。ボタンを強く押し、グリグリとしないとチャンネルが変わらなくなってきたのだ。電器屋さんに持って行ったら「直すのには時間とお金がかかります。」と言われて、ここ一年ぐらいは細長い方だけを使っていた。


1 修理したテレビリモコン(画像を一部修正)

ところが、昨年末ぐらいから細長い方も反応が悪くなってきた。チャンネル変えが力仕事では困るので、ちょっと開いて様子を見ることにした。計算機形の方には、裏面下端に2個の小ネジと電池ボックスの中に六画星形のネジの3つのネジがある。六角星のチップは持っていないが、マイナスドライバー(小さいもの)で、ネジを外したが、蓋が開かない。プラスチックがはまり込むようになっていて、マイナスドライバーでむりやり開けるしかない。これを開けると、ベークライト?(今どきは違う素材だろうな)のような基盤が見え、さらにネジを4本外すと、ゴムパッドと接点基盤が見える。問題はすぐにわかって、接点部分に粘っこいオイル状の液体が付着している。これをティッシュでふき取ってから元に戻してテレビで試運転すると、ずいぶん改善されたがまだ物足りない。「接点回復スプレー」という物があるので、近くのN日曜大工店に出かけた。店員さんに「接点回復スプレー」の所在を聞いてすぐにあったが、店員さんは「潤滑などに使うクレ5-56で代行できる。」とおっしゃる。家にあったはずと思って帰り、探したが結局見つからないので、再度出かけてそちらを購入。接点回復スプレーの方は900円ぐらい、5-56は容量が2倍くらいあって285円だからずいぶん違う。
家に帰ってさっそくリモコンを開き、スプレーしてふき取りを2回ぐらいして試運転すると、非常に調子が良い。そこで、細長い方も掃除を試みる。やはり電池ボックス内のネジを外したが、蓋が開かない。こちらも無理やり開くのに成功したが、プロは特別な道具があるのだろうか。症状は同じで、粘っこい液体はこちらのほうがひどい。何度もふき取ってから閉じて試運転。こちらもうまく動いた。
そう言えば、一つの部屋の空調リモコンがおなじような症状だったと思い出して、それも治療に成功した。


1 修理した空調リモコン(画像を一部修正)

一年ぐらいでオイルが溜まるとは、ちょっと情けない。接点基盤とゴムパッドの間にあるこのオイル状の物質は何だろう?3つのリモコンに共通な物質らしく、食べかすやホコリ(ゴムパッドの上にはずいぶんあった)では無い。指の脂がパッドを抜けてここに集まるのも考えにくい。テレビリモコンと空調リモコンだから、使う方法も違う。たぶんゴムパッドからしみ出てくる物質と推測する。もしそうだとするとゴムパッドの耐久性はずいぶん向上しているが、まだ素材に改良の必要があるということか。
それにしてもどのリモコンも開くのに苦労する。素人に修理させまいというのだろうか。六角星ネジなどというのを使っているのもその考えだからだろう。また、プラスチック製の蓋を無理に開くから割れそうで心配である。合わせ目にはドライバーの傷がいくつもついてしまったし、空調リモコンには少しヒビが入った。もう少し開けやすい設計にして欲しかった。
一つのリモコンを開いて掃除するのにかかる時間も10分ほどと、蓋を開けること以外は簡単な作業であった。注意点は、再組み立ての時に、電池受けのバネ接点を蓋の溝にうまく入れないといけない。少し傷がついたが、3つのリモコンを修理に出したら、代金が1万円を切ることは無さそうだから、5-56購入285円+交通費で済んだのは大成功。
なお、これを読んだ方が修理してうまくいかなくても責任は取りませんのでよろしく。

鰭脚類フィギュア 2012年収集

2013年02月22日 | 鰭脚類フィギュア
鰭脚類フィギュア 2012年収集

当ブログのシリーズ「鰭脚類フィギュア」は2011年7月20日に第1回を掲載し、昨年2月22日に第26回をもって完結した。終了後ちょうど1年たつので、その間に手元に集まってきたものを紹介する。集まったのは8点であるが、その内の4点は、カロラータ社の海生動物フィギュアセットを家族が沖縄の水族館で買ってきてくれたもの。すでに紹介したものの再入手なので写真は出さない。


ガラス金アシカ

佐世保の水族館で2012年3月に入手したもの。長さ約5cm。第10回に紹介した「金色 セイウチ」と似た作品である。ひれが前後とも金色に着色してある点と、背中が高く持ち上がっているところが同じ。刻印などは無い。今回のは金色のボールを鼻先に持ち上げているので、アシカと判断した。ただ、水族館などのショーでは「オットセイのショー」と言っているところもある。


スモークガラスアシカ

これも佐世保の水族館で2012年3月に入手したもの。長さ約2.5cm.胴体はわずかに茶色がかったグレースモークのガラス製で、赤い縞の入った白色のボールを持ち上げている。刻印などは無い。造型はラフ。表面の摩擦がふつうのガラスと違うような気がする。


軟質小オットセイ

福岡市で家族が手に入れてくれたもの。特徴は何といっても小さいこと。長さ約3.3cm。やや軟質のゴムのような素材で出来ている。腹側に「CHINA」の刻印がある。小さくて柔らかいので子供は口に入れそうで危険。国内で販売できそうにないような気がするが、実際にTKハンズで売られていたそうだ。


ゴマフアザラシ貯金箱

これも家族が手に入れてくれたもの。貯金箱という機能があるので、前の分類では「特殊」に属する。ちょっと大きくて約15cmある.
プラスチック製で、背中で左右二つの部分を接着したもの。背中にコインの投入口がある。顔は右を向いていて、右側の腹側面にアザラシと、なぜか二本の花の図案が描かれている。下面に黒い亜四角形の鍵つき蓋があって、「CE」「Piggies」「mk tresmer」「FINLAND」の刻印がある。Mk tresmer社からは、この類の貯金箱が多数日本に輸入されているようだ。それによると、これはフィンランドの某銀行で配られたものの復刻で、書き込まれた図案に4通りがある(アザラシの他、花・鳥・魚)とのこと。鳥のデザインは最近で、復刻では無いことも記されている。Piggiesといえば、ビートルズの曲にもあるが、豚のこと。なぜ豚が出てくるのか?同じシリーズに豚の造型があって、これを「piggy bank」と呼んでいる。他に白熊などもあるようだが、総称して「piggy bank」と呼ぶ、等ということだろうか。Mk tresmer社のポリ袋に入っていて、上からフィン語・たぶんスウェーデン語・英語・ドイツ語・フランス語・オランダ語・イタリア語で書かれた説明と警告が記してある。説明は「三歳以下の子供には不向き。小さい部品がある。」、警告は「ポリ袋は障害を与える可能性がある。赤ちゃんや小さな子供に近づけないように」と記してある。

今回紹介したのは4種4点。再入手が4点。通算140種171点。関係国は、フィンランドが増えて22国。

また数個入手したら報告しよう。ただ、最近はなかなか増えない。


最後の蒸気機関車たち その42 1971年8月

2013年02月18日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その42 1971年8月
The last steam locomotives in Japan. No. 42 (Aug. 1971)


和歌山線を順に進み、最後に北宇智のスイッチバックを撮影した。


217N 和歌山線西笠田駅 1971.8 C58-193 596列車
Wakayama line, Nishi-Kaseda Station, Wakayama Pref.

バックは紀の川で、景色の良い所である。C58-193は1972年5月に廃車。


218N 和歌山線笠田・西笠田間 1971.8 C58-80 593列車
Wakayama line, between Kaseda and Nishi-Kaseda Stations, Wakayama Pref.

C58-80 は、たびたび出会った機関車で1971年11月廃車。


219N 和歌山線 1971.8 C58?
Wakayama line, Wakayama Pref.


220N 和歌山線北宇智駅 1971.8 C58-361(手前:526列車)C58(向こう:527列車)
220-221 Wakayama line, Kita-Uchi Station, Nara Pref.


221N 和歌山線北宇智駅 1971.8 C58-361(手前:526列車)C58(向こう:527列車)

手前の列車は、まず貨物列車を左に入れ、次いでやってきた客車列車を右に入れる。どれも蒸気機関車牽引の列車であった。すでに日が暮れて機関車もライトを点灯している。それを手持ちで撮影したので。かなり画像が悪い。C58-361は1972年5月廃車。
北宇智のスイッチバックは、停車のため水平な線路が必要なところで、行ってみるとそれほど急勾配ではなく、なぜこんな所がスイッチバックなのだろうと不思議に思った。関西地方では唯一のスイッチバックだったが2007年3月に廃止された。その直前の2007年2月18日に、ここを通過した。スイッチバック解消後は通っていない。

登場蒸機 C58(写真217~221)

2020.6.12 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.


古い鉱物標本(その5)

2013年02月14日 | 鉱物・化石組標本
古い鉱物標本(その5)
An old set of mineral specimens: part 5


Fig. 14 標本16-20 scale: 5cm
Specimen 16-20: stalactite, chlorite schist, piemontite schist, talc schist, quartz.

16 鍾乳石 美濃國不破郡赤坂 (岐阜県大垣市赤坂)
金生山にはかつて小規模な石灰洞があった。だから鍾乳石も当然採集できたのだろうが、現在は採掘が進んで難しそう。この標本は「ストロー」と呼ばれる管状のもので、表面に方解石の結晶ができている。鍾乳石といっても、その赤ちゃんのようなもの。私は観光洞には入ったことはあるが、洞窟調査に行ったことがほとんどない。たった一度、平尾台の洞窟に入ったことがあるだけ。洞窟産の哺乳類化石についてはいくつか研究した。写真の標本は、1979年に研究したトウヨウゾウの乳臼歯(KMNH所蔵)で、私としては初めて自分で研究した洞窟産の哺乳類化石。その直前に、滋賀県産の象化石をたくさん見てきていたから、ちょうど文献や知識が整ったころだった。博物館(当時は準備室)に就職して任された最初の標本だったから、赴任してきた新学芸員の知識をテストされたのかも知れない。


Fig.15 初めて研究した象化石(KMNH所蔵) 北九州市平尾台産

鍾乳石の区画になぜか高師小僧がひとつ紛れ込んでいる。豊橋の高師小僧だろうか。父が生前何か高師小僧について調べていた記憶がある。豊橋駅に隣接する新豊橋駅から豊橋鉄道渥美線(2006年9月乗車)に乗ると、5番目の駅が「高師」で、この地名が高師小僧の名の由来。現在は高師緑地以外は住宅地が広がっている。高師小僧は、植物の根の周りに酸化鉄が沈着したもので、全国に産地があるから豊橋の「本家」高師小僧かどうかが判らない。


Fig. 16 紛れ込んでいた高師小僧。産地不詳

17 緑泥片岩 武蔵國秩父郡野上 (埼玉県秩父市野上)
18 紅簾片岩 武蔵國秩父郡金ケ崎 (埼玉県秩父郡皆野町金崎)
19 滑石片岩 武蔵國秩父郡野上 (埼玉県秩父市野上)
この3点は長瀞の変成岩である。1984年に行ったが、変成岩に興味は無いから、県立自然の博物館に行った他は秩父鉄道から見学しただけで、あとは少し南にある中新世の化石産地を見た。長瀞は東京に近いから変成岩研究の中心だったからそこの石を使ったのだろう。長瀞は、国指定の名勝・天然記念物である。仕事で変成岩の採集に行ったのは四国だった。きれいな渓谷で、紅廉片岩などの三波川の変成岩を採集した。場所も年も覚えていない。
20 普通石英 磐城國石川郡石川 (福島県石川郡石川町)
ここから造岩鉱物に入る。石英の標本というのはどこにもある。石川は、鉱物標本の産地として重要・有名で、結晶が大きいことや各種の鉱物が採集できる。1986年に水郡線でこの付近を通過。32番の黒雲母も石川の標本。残念なことにこの組標本には電気石がない。あれば石川の黒い電気石を用いたのかも知れない。
(つづく)

その後のデータファイル 2013 2月

2013年02月10日 | 今日このごろ
その後のデータファイル 2013 2月

これまでに、当ブログでいろいろなことを取り上げてきたが、その後変化のあったことを記す。

2011年5月12日・15日付け「四つ葉のクローバー」
小倉南区の某公園に生えていたクローバーに高率(一割以上)の四つ葉がある、という内容だった。


写真1 2011年5月撮影の高密度四つ葉(再録)

その後同年秋には公園の管理の関係か、短く刈り取られていた。昨年(2012年)秋に、ひと株抜いてこようかと訪れた時には葉が茂っていたが、驚いたことに四つ葉が見当たらない。
「四つ葉の出現は、それぞれの葉の芽ができる頃に与えられた刺激によるもの」ということだろうか。遺伝的なものではなかった(少なくともこの場合には)というのは、意外。「遺伝的には四つ葉発生の素地を持っているが、春にだけ発現する。」などという場合もあり得るかも。

2011年11月10日付け「姫島へ」
10月に大分県の姫島に行ってステゴドンの門歯(牙)化石を見つけた、という内容だった。
この時発見した化石は、クリーニング完成後の姿を12月19日付けのブログで報告したが、翌2012年発行の東海化石研究会誌「化石の友」にそれに関する文章を書いた。


写真2 2011年10月26日発見のステゴドン門歯化石(再録)


写真3 完成した門歯化石(再録)

その文章はシリーズで、名古屋圏で発見された象化石について調べたもの。全部で6回を予定している。同会誌は一年1冊の刊行だから、2017年に完結する計画。第2回から6回の原稿もすでに執筆・仮投稿が終わっている。2012年2月14日付け記事で、名古屋に行ったついでに岐阜県御嵩町を訪問したのも、このシリーズの内容を確かめるためだった。その時の内容は5回目・6回目頃に出てくる。なお、このシリーズには前身があって、9回の連載をしたが長い間休載していたもの。牙化石の発見を機会に再始動した。

2012年8月6日~12日「コンピュータのモニター故障騒ぎ」
モニター画面の一部が欠損して見えなくなったので増設モニターに切り替えた、という内容だった。


写真4 2012年夏のモニターの状態。右の方は無事だった。(再録)

旧モニターはその後も劣化が進んで、今は見る影も無い。


写真5 現在のモニターの状態。右の方が広く欠損。

右の方に広く欠損部ができた。欠損部の幅が3センチの整数倍なので、どうやら液晶画面はその幅の縦の帯で構成されているらしい。全部で13の帯があって、右端の帯は少し幅が狭い。左から順に、最初の帯には細い線状の欠損が一か所、二番目は無事、3番目は欠損、4から9番は無事、10番から13番が欠損。欠損の明るさは帯毎にちがっていて真っ暗なところと、暗い灰色のところ、白っぽいところがある。前の欠損部は白だったからどれとも異なる。黒さの違いは、壊れた時の液晶の偏光の方向による偶然の産物かな。バックライトは無事なんだろう。
どっちにしても、現在は増設モニターだけしか使っていないから問題はない。修理にお金をかけなくて良かった。