OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

古い本 その81 von Koenigswald, 1933

2021年11月29日 | 化石
 表題は「Beitrrag zur Kenntnis der fossilen Wirbeltiere Javas」
 この本は100ページ以上の大冊で、コピーしたのはほとんど図版だけ。内容は、1章から5章に分かれ、1章「ジャワの化石動物の記載」(食肉類・偶蹄類)、2章「Ngandongの動物相の概要」、3章「Boemiajoeの脊椎動物相の変化に関する長鼻類の重要性」、4章「新属新種の長鼻類Cryptonastodon martini」、5章「新第三系からのサイの遺骸」、というもの。Ngandongは東部ジャワ、Boemiajoeは中部ジャワの地名。興味があるのは、Cryptomastodonの化石で、それは最後の図版であるTafel 28にある。

260 von Koenigswald, 1933 Tafel 28.

 図の1(左上)から3(左下)がholotypeで、標本はSangiran産の右上顎の最後方の臼歯。Sangiranはもちろんジャワ原人の産出地で、人類化石研究史上もっとも有名な場所だろう。左上の図は下から(上顎なので歯冠側)、右上の図は側面、左下は後面、という説明がある。サイズは実物大とのことで、前後の最大径で8.5cmというところだろうか。なお、右下のものはMastodon (Trilophodon) bumiajuensis (Van der Maarel) (Boemiajoe産:現在の学名はSinomastodon bumiajuensis)となっている。
 この図から見ると、標本はDesnostylus臼歯に似ていないでもない。しかし、咬頭の配列や、未咬耗の咬頭の形、咬柱が歯根に向かって太くなることなどで、大きな違いがあって、やはりDesmostylusではない。1983年に Hooijer, D. A. は、「The Solution of the Cryptomastodon Problem」と題してこの種類について色々な論議があり、それを総称して「Cryptomastodon Problem」と名付けた。そして、最近になって次の論文が出された。
Van Essen, Gert van den Bergh and John de Vos, 2006 The final solution of the Cryptomastodon problem, Morphological correlations between supernumerary teeth in stegodonts and elephamts (Proboscidea, Mammalia). Courier Forschungsinstitut Senckenberg, vol. 256: 29-41. (Cryptomastodon問題の最終的な解決-ステゴドン類とゾウ類(長鼻類、哺乳類)の過剰歯の形態学的な比較)

261 “Cryptomastodon” 標本の現在の様子 ネットから

 ここで、Cryptomastodonは長鼻類(おそらくStegodon trigococephalus)の奇形的な過剰歯であるという解釈がされた。他の長鼻類の過剰歯標本を参照した結果である。そんなわけで、この件については一件落着。最初に感じた通り、ジャワ原人の産地から中新世のDesmostylusが出てくるはずはない。なお、Hooijerの論文は次のもの。
Hooijer, Dirk Albert, 1983 The Solution of the Cryptomastodon Problem. Netherlamds Journal of Zoology, vol. 34, no. 2: 228-231. (Cryptomastodon問題の解決)
 この中で、Cryptomastodon martiniとされた標本は、臼歯がStegodon trigonocephalus に関連したもの、他の骨はカメに関するものとし、この学名は捨てられるべきものとした。また、CryptomastodonDesmostylus 類だとOsbornが1936年に言った、と書いているのもここだが、残念ながら全文を入手していないので、Osborn, 1936というとたぶん「The Proboscidea」だろう。この本のVol. 2の最後にIndexがあって、「Desmostylus」の語は。625ページと902ページに出てくるという。625ページは、『各地の「brevirostrine」類のSynopsis』という表で、その中に「Cryptomastodon martini von Koenigswald = Sirenia(?) (cf. Desmostylus) としている部分のこと。ここで「brevirostrine」というのは、長鼻類の顎の長さに注目して三つぐらいの階梯を認識したうちの一つ。確かに遠慮がちではあるがCryptomastodonDesmostylus かも知れないと書いている。
 902ページの方は、901ページから始まる「Appendix of Chapter XIV」の最初の図の中にあるのだが、この章は松本彦七郎による「日本のマストドン・ステゴドン・それにエレファス類の系統」というものである。Desmostylusの出てくるFig. 790 は「Thirteen fossil mammal-bearing Formations of Japan」(日本の13の哺乳類化石を産する地層)という表。

262 Osborn (Matsumoto), 1936. Fig. 790.

 図の中の「Desmostylus」という語は三か所にあるが、どれも日本の本来の「Desmostylus」である。Togari(戸狩)とかHiramaki(平牧)などの懐かしい地名が並ぶ。しかし、Fig. 790 というのもすごい。この本(上下二巻)のFigs. は、たぶん1599ページに出てくるFig. 1244 というのが最後。しかし、文中の挿入図のうち一ページ全体をしめるものはFig.ではなくPlate として扱っている。そういう線画がPlate 25 まで文中にあり、後にPlates 26-30 の5図(歯などの顕微鏡的組織の写真)がまとめて入っている。

2002年SECAD at Dunedin 出席 その18 カンタベリー平原

2021年11月25日 | 昔の旅行
2002年SECAD at Dunedin 出席 その18 カンタベリー平原
Meeting of SECAD in New Zealand, 2002. Part 18.

 12月14日クライストチャーチ駅で発車を待つ。乗車券には座席の指定があって「U3a」となっている。車両入口の横に書いてある「U」が車両記号、4人掛けボックスに番号が振ってあって、その3番目のaからdまでの一席という意味。空席ばかりだから、どこに座っても問題がない。テーブルのついたきれいな座席である。

18-1 客車内 2002.12.14
Seats

 乗客は少ないから移動して撮影する。列車は当初北に向かってカンタベリー平野を進む。

18-2 クライストチャーチ近郊 2002.12.14
Suburbs of Christchurch

 牧場の広がる丘の間をほとんど停車せずに進む。

18-3 クライストチャーチ北方の牧場 2002.12.14
Farm in Suburbs of Christchurch

18-4 時には牛もいる 2002.12.14
Sometimes cattle

18-5 遠くの山には雪が残る 2002.12.14
Mountain snow

 次第に山が近づき、渓谷に沿って登って行く。やっと峠を越える。

Keywords: Christchurch Picton Coastal-Pacific クライストチャーチ ピクトン コースタル・パシフィック 

Abstract. Part 17. Canterbury Plain.
From the Christchurch Station, the train went to north, crossing the Northern part of Canterbury Plain. Many land was occupied by farm. The train climbing along a stream, and reached a pass.

古い本 その80 Desmostylus japonicusの命名

2021年11月21日 | 化石
 Marsh, 1888で認識されたDesmostylusは1998年頃にあまり有名ではなかったらしい。ドイツのZittelは日本の標本写真を見て気づかなかったし、アメリカでもOsbornが気づいていない。Osbornは1881年にColumbia大学の教授になっていたから、American Journal of Scienceのような有力なジャーナルに接する機会がなかったとは思えない。表題の「New Fossil Sirenia」に気づかなかったのであろうか。論文が短かすぎたのだろうか。いずれにしてもMerrian氏から指摘を受けて同意したらしく、すぐにScienceに記事を書いている。
Osborn, Henry F., 1902 A Remarkable New Mammal from Japan, its Relationship to the Californian Genus Desmostylus, Marsh. Science, vol. 16, 713-715. (注目される日本からの新しい哺乳類、CaliforniaのDesmostylus 属(Marsh)との関連)
 この号の発行は10月30日付である。東京帝国大学の紀要の発行は1902年6月30日だから、一年以内にDesmostylusとの関係に気づいたわけである。吉原がこれに反応するのには少し時間がかかり、1914年になって短い論文を地質学雑誌に記した。
Tokunaga, S. and C, Iwasaki, 1914 Notes on Desmostylus japonicus. Journal of the Geological Society of Japan, vol. 21, no. 255: p. 33. (Desmostylus japonicus についてのノート)

257 Tokunaga and Iwasaki, 1914
 
 この論文の掲載号が多くの文献表で誤っている。号数250としているものがあるが、正しくはno. 255である。地質学雑誌は通巻数なので書かないという方法も多くで採用されているが。英文だが、表題も入れて20行ほどの非常に短いものである。主文は「We propose to call it Desmostylus japonicus Tok. et Iw.」に置かれている。新種名を提唱しているのだ。しかし、属名がどの論文によっているのかも書いてないし、標本の指定も前の論文の掲載誌を書いただけ。もちろん絵や写真もない。「美濃産」としてあるから、島根県の標本はホロタイプやパラタイプにならないのだろう。なんといっても、吉原がこのころに改姓して徳永に変わったのも、知らない人には他人が前の記載をそのまま転用して新種を作ったみたいに見えるだろう。氏の論文リスト「徳永重康博士著作目録」(徳永先生記念論文集, 1939:pp. vii-x)を基にして調べると、先ほどのYoshiwara and Iwsaki, 1902など1902年の論文は吉原姓、1903年8月1日刊行のウニ類の論文はTokunagaだが、カッコ内に(formerly Yoshiwara)と書いてある。さらにもう一人の著者のIwasakiは、J. Iwasaki だったのがC. Iwasakiに変わっている。岩崎重三の名前を、1902年の時には論文を執筆した吉原が間違って読んだらしい。この人の論文には英文の単著があってChozo Iwasakiという表記になっているからこちらが正しいのだろう。ネットでは「じゅうぞう」としているリストが多いので注意を要する。
 新種を主張する部分以外に、Osborn, 1902(前出)が海牛類に近いという考えを述べたことと、北海道後志の利別川(場所は現・せたな町または今金町)のマンガン鉱山の頁岩中から同様の歯の化石が出た、ということが短く記されているくらいである。この標本はその後論文に出てくるのであろうか? 1984年にシンポジウムのポストプリントとして発行された「デスモスチルスと古環境」には、それまでに公表された日本産のDesmostylus標本のリストが掲載されている。不思議なことに同じような二つのリストがある。一つは犬塚によるもので、北海道の半島部から8件の産出を記録している。もう一つの松井・他のリストには、西南部北海道からの標本として10件を挙げている(内2件は同一の標本の可能性があるとしている)。前者の「花石標本」というのが後者では「花石I」と「花石II」にあたり、ほかに「小川標本」というのが加わっている。ずっと後になって犬塚, 2000は「Desmostylusの化石産地一覧」として、日本の地名と標本名56件のリストを示した。そのうち、北海道のマンガン鉱山関連として利別川の河口のある現在のせたな町とその上流部の今金町の標本を8件挙げている。前の論文とほとんど同様だが、一部の情報が欠けている。それに文献が文末の文献表になかったりする。いずれの論文にもTokunaga and Iwasaki, 1914にある標本は引用されていないので追跡は容易ではない。
 これらの中の「利別標本」または「トシベツ標本」というのがTokunaga and Iwasaki, 1914にある標本らしく思うが確認できない。いずれにしても標本名が分かったとしても、論文をさかのぼっても写真は掲載してなさそう。Desmostylusの臼歯標本の写真を収集するのは容易ではない。
 この年(1914年)ドイツのAbelは古生物学の教科書ともいうべき書を著した。
Abel, Othenio, 1914. Die vorzeitlichen Säugetiere. (古代の哺乳類) Gustav Fischer. 309 pp., 2 Tab.
 この本にはその頃知られていた多くの絶滅哺乳類の解説があって、興味深いが、ドイツ語のためにおつきあいしにくい。古本は今でも手に入るし、大きな本の割にはそれほど高くはない。

258  Abel, 1914. 表紙(ネットから;私は一部分のコピーしか持っていない)

 211ページから213ページにデスモスチルスの解説があって面白い。このような早い時期のものなのに、Yoshiwara and Iwasaki, 1902 の写真をちゃんと引用している。学名としてはDesmostylus hesperus Marsh を採用している。Abel, 1914は、発行年だけしか表紙に書いてない。同年のDesmstylus japonicus と命名した日本の論文の発行(12月20日)よりも早そうだ。歯などに関する記載も結構当を得ていてすばらしい。分類上はデスモスチルスが長鼻類に入ると考えていたようだ。Desmostylus に関する文の最後の一節は「この動物はサイレン(海牛)とは関係がなく、Desmostylidaeとして、長鼻類に属している。」となっている。
 命名した翌年、徳永はこんどは和文で研究の経緯について記している。
徳永重康, 1915 「デスモスチラス」の分類学上の位置. 地質学雑誌, vol. 22, no. 258: 119-124.
 この文は、地質学雑誌の「雑録」という部分に掲載されている。それと、先に記した「昔の思ひ出」(1939)がここまでの出来事の経緯を詳しく記録している。
 Desmostylusに関するその後の研究については、これ以上追いかけないでおこう。すでにちょっと長すぎて飽きてきた。ここまでのこのブログでは、論文の内容には触れないようにした。とくにこの動物の特殊な歯の形態とその萌出から脱落のシステムは長い論議が必要だったし、現在も完に解決したわけではない。
 さらに、次のような重要なできごとが報告された。ここでは産出に関する出来事を中心にした。
1 樺太気屯の Desmostylusmirabilis” 骨格産出 (Nagao, 1937)
2 佐渡沢根のPaleoparadoxia tabatai 歯の産出 (Tokunaga, 1939)
3 土岐市隠居山のPaleoparadoxia tabatai 骨格の産出 (井尻・亀井, 1961)
4 北海道上徳志別のDesmostylus japonicus 骨格の産出(山口・ほか, 1981)
5 北海道足寄のBehemotops 骨格などの産出 (犬塚, 1987)
6 Desmostylus japonicus のholotype の剖出 (甲能, 2000)

 選択は、私の個人的な意見。挙げてある論文もあまり考えないで選んだ。またDesmostylus の標本について産地をつけて「戸狩標本」とか呼ばずに、正式な登録番号で記すべきという甲能, 2000の意見は正しい。Desmostylus標本の照合をした時にもそれは感じた。ただこのブログは論文ではないし、まだよく調べたリストは作っていないので私の記憶との照合が容易な旧来の名称を使った。日本での束柱類化石の産出は、2000年に犬塚がまとめただけでも89件に達した。なかでも北海道阿寒町知茶布では、大量の束柱類の標本が集まって産した。
 Desmostylusなどの分類上の位置は、1953年にReinhartがDesmostylia(朿柱目)として独立させた。それまでには海牛目以外の長鼻目や奇蹄類に含めるという考えもあった。

 ここで、「古い論文を紹介する」という元の筋道に戻る。次にあげる論文は、インドネシアの化石脊椎動物の報告である。この中で記載された種類を、のちにOsborn, 1936が、海牛類、とくにDesmostylusではないかと記したと聞いたのでそれについて調べるために入手したもの。

259 von Koenigswald, 1933 タイトルページ

von Koenigswald, G. H. Ralph, 1933 Beitrag zur Kenntnis der fossilen Wirbeltiere Javas, I. Teil. Wetenschappelijke Mededeelingen, Dienst van den Mijnbouw in Neder- landsch-Indie. No. 23: 1–127, 28 Tafeln. (ジャワの化石脊椎動物の知識への寄与)
 長くなるので、次回に続く。

2002年SECAD at Dunedin 出席 その17 コースタル・パシフィック号

2021年11月17日 | 昔の旅行
Meeting of SECAD in New Zealand, 2002. Part 14. The Coastal Pacific

 12月14日は東海岸を見るために、ピクトンPictonまで往復した。ほんとうは途中にあるカイコウラKaikouraで下車してホエール・ウォッチングをしたかったのだが、残念ながら時間的余裕がない。ピクトンであまり時間がないから、行って帰るだけ。
 早朝、ホテルを出てタクシーでクライストチャーチ駅に向かう。乗車するのはThe Coastal Pacific号で、730発。到着時刻の記録がない。1993年の時刻表では発車時刻が違うが3時間20分かかっているから、おそらく時刻表で11時ごろ。実際には30分ほど遅延した。

17-1 乗車券の表紙
Cover of the ticket

17-2 乗車券 
Ticket

 乗車券はニュージーランドに到着した8日のクライストチャーチ空港の乗り継ぎ時間に購入してある。上の写真の乗車券に記入してある文字は「くせ字」の上に複写カーボンの乗りが悪くて読めない。スキャンして画像処理したのが次の写真。

17-3 画像処理した乗車券 
Ticket

 以下のような項目の記入がある。座席(U3a) 人数(1人) 使用者名・性別 行きと帰りの日付・列車番号・出発時刻・料金 発行日 支払い方法(現金) 注記(エコノミークラス)
 料金は往復で138NZD(当時のレートで約8,400円)。1993年の時刻表では途中7か所で停車するように書かれているが、最近のネットでは、5か所に減らされているようだ。しかも2016年11月の北カンタベリー地震で不通になっていて、開通予定が2018年の後半となっている。全体として人家の少ないところを走る。クライストチャーチから順に駅名と時間を記す。2002年の停車駅はわからないので、近年の停車駅とし、時間は始発からの積算時間を記した。
Christchurch(0分)Rangiora(35分) Waipara(1時間2分) Kaikoura(3時間0分) Seddon(4時間22分) Blenheim(4時間52分) Picton(5時間20分)。反対方向は5分余分にかかっている。
 駅に着くとすでに列車が到着していた。ディーゼル機関車牽引の客車列車で、3両の客車と前に荷物車両が連結されている。

17-4 コースタル・パシフィック号機関車 2002.12.14
Diesel locomotion of the Coastal Pacific

17-5 乗車した客車 2002.12.14
Passenger car of the train

 プラットホームに入るのにチェックがないから、写真を撮って乗車する。乗車時にもチェックはなく、後で座席に車掌さんが来た。
Keywords: Christchurch Picton Coastal-Pacific Earthquake クライストチャーチ ピクトン コースタル・パシフィック 地震

Abstract. Part 17. The Coastal Pacific .
Next day, 14th, I enjoyed travelling to Picton and returned soon by the Coastal Pacific . I hoped to do whale watching at Kaikoura on the way, but I had no time because the train is operated only one in a day. So, if I visit Kaikoura, I must stay one night during go-and-back.