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7月 Prozeuglodon atrox Andrews (原鯨類)
文献:Andrews, Charles William 1906. A desctiptive catalogue of the Tertiary Vertebrata of the Fayûm, Egypt. pp. 1-323, plates 1-26. British Museum (Natural History). (エジプト、Fayûmの第三紀脊椎動物の記載カタログ)
Andrewsは、この論文で新属・新種としてProzeuglodon atroxを提示した。それに先立ってAndrews は下記の論文でZeuglodon isis を提示した。
参考文献 Andrews, Charles William 1904. Further Notes on the Mammals of the Eocene of Egypt. Part III, The Geological Magazine, or, Monthly Journal of Geology. New ser. 5, vol. 1, No. 5: 211-215. (エジプトの始新統の哺乳類に関する更なる記録)
この論文は、いくつか種類のFayûmの哺乳類を報告するもので、1906年の論文の一部を先出しにしたもの。Pterodon (肉歯目) の新種、Geniohyus, Megalohyrax, Saghatherium(いずれもハイラックス類)の新種とともに、「Zeuglodon isis, Beadnell MS」というのが書かれている。「まもなく出版されるBeadnell氏の地質に関する論文にその名が出てくる」という。現代の命名規約ではこういう予告のような命名は認められない。その論文はたぶん下記のもので、確かに翌年発行されている。
参考文献 Beadnell, Hugh John Llewellyn 1905. The Topography and Geology of the Fayûm Province of Egypt. Survey Department Cairo, pp. 1-101, pls. 24.(エジプト、Fayûm地域の地形と地質)
この論文は地質・地形(というより古地理)に関するもので、古生物に関する記載はほとんどない。Birket el Qarum 層に関する記事の中で44ページ・47ページにZeuglodon Osiris, Z. Isis, さらにZ. Zitteliの産出が記されているだけで、その区別については大きさの違いがあることだけしか記されていない。もちろん化石の図はないが、発掘地の地図がある。
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Beadnell 1905. Plate 18. 発掘地付近の地質図。スケールはkm。
白:始新世 黄色:漸新世 薄黄色:第四紀の段丘堆積物、「bone pit」(骨の発掘地)の記入がある。この場所はカイロの南西80km付近にある。ここをGoogle Earthの衛星写真で見ると、ほとんど砂漠で何もないところ。始新世の地層の上にある段丘堆積物のところがわずかに明るい色になっているのと、左上にある漸新世の地層との境目の崖が判読できる。Google Mapでは発掘地を通って崖と平行な直線で、左上(西北)のギザ地区と右下のファユム地区の境界線が走る。
Andews 1906 に戻る。243ページにProzeuglodon (新属)の記述が始まる。属の話が長くて、種Prozeuglodon atrox (新種)が出てくるのは254ページ。「現在この一種だけが知られる。」としてあるから、もちろん模式種である。
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Andrews 1906. p. 244, Text-Fig, 80. Prozeuglodon atrox頭蓋スケッチ 全長 60cm
ややこしいことに、Kellogg 1936はProzeuglodon属はみとめたが、それに属する種はP. isisだけとし、P. atrox はそのシノニムとした。従って、現在使われる学名は、Prozeuglodon isis (Andrews, 1904)となる。
Andrews, Charles William (1866-1924) はイギリス、大英博物館(自然史)の学芸員を務めた古生物学者。モンゴルの恐竜などの探検をしたアメリカの探検家・博物学者Roy Chapman Andrews(インディー・ジョーンズのモデルと言われる)とは別人。またHugh John Llewellyn Beadnell(1874-1944)はイギリスの探検家・地理学者・地質学者。
このころのArchaeocetiの研究史の中で、やや特異な先駆者の業績がある。下記のもの。
参考文献 Smith, G. Elliot 1902. The Brain of the Archaeoceti. Proceedings of the Royal Society of London. Vol. 71: 322-331. (Archaeocetiの脳)
この論文はFayûmで発見された鯨類の頭骨の化石(標本は2個)に注目して、その脳函から脳の外形を調べたもの。化石の保存や剖出の不完全なことに言及して、分類については控えめな意見しか述べていないが、絶滅動物の脳の形態から機能の解釈に進もうとした点で非常に先進的な内容となっている。
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Smith 1902. p. 324. Fig. 1. (左) p. 325. Fig. 2.(右)脳の人工キャストの背面観。文字は大きく書き直した
略号 op: olfactory peduncles (嗅柄). fs: fragments of skull. (頭骨破片) ch: cerebral hemisphere (大脳半球). c. cerebellum (小脳). dr: dorsal rostrum(背側突起). ib: irregular boss on the cerebral hemisphere(大脳半球の異常な膨らみ).
これは、このころに脳の外形について現生哺乳類の観察結果を記した論文が多く報告されたのが良い材料になった。化石鯨についてはこういった研究は稀で、南極半島のLlanocetusの産出報告でMitchell (1989)が報告したのが数少ない例のひとつであろう。
Sir Grafton Elliot Smith (1871−1937)は、オーストラリア生まれ・国籍で、イギリスとオーストラリアで研究を行った解剖学者。エジプトのミイラの脳についての研究が有名。