OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

つくばと宮城県に行ってきました その1

2015年06月30日 | 旅行
つくばと宮城県に行ってきました その1

 こんどの旅行は、6月26日から29日までの3泊4日、その主目的は、茨城県つくば市の産業技術総合研究所などで開催された古生物学会に参加すること。この研究所はもとの地質調査所で、つくばに研究施設が移転した国立科学博物館や筑波大学と合同で6月26日(金)から28日(日)に開催されたもの。そのうち私が出席したのは、26日(金)の懇親会と27日(土)の個人講演などであった。
 初日は夜の懇親会からの出席だから、朝北九州をでても十分に到着できる。どんな切符で行こうかいろいろ考えた。つくば行きのパック旅行は販売されていないから、飛行機の利用は安くならない。そこで新幹線で行くことにした。それなら、「ジパングクラブ」を利用すれば、だいぶん(初回から3回は2割引、その後は3割引)安くなる。

1 購入した往復切符

 ついでに仙台付近まで行ってくるから、往復割引のさらにジパング割引になる。つくばに行くついでに仙台というのもちょっと変だが、最近の私の長距離旅行はそんなのばかりだった。昨年12月には東京のついでに札幌へ、今年4月日は京都のついでに群馬に、という調子。仙台付近に何をしにいったのかは後で記す。
 26日(金)朝1021の「のぞみ20号」で東京へ。山手線で秋葉原に出て、つくばエクスプレスに乗車。終点の一つ手前の研究学園で降りて、四時半頃ホテルにチェックインする。懇親会は19時からだから、17時半を過ぎてから終点つくば駅に移動。会場のホテルに行くつもりだったが、見当たらない。実は駅を出る時に方向を90度間違っていたらしく、通行中の方に聞いて、やっと到着する。
 懇親会は盛況だった。多くの方とお話したのでやや疲れた。

2 懇親会 2015.6.26 つくば市

 ホテルのサービスでつくば駅まで送迎バスで送ってもらう。下車して周りを見回すが方向がよく分らない。先ほど迷ったのも当然。終点のあたりでつくばエクスプレスは地下鉄だから駅舎が無く、地上にいてもよく分らないのだ。ホテルに帰って、つりそうな脚のマッサージをして就寝。
 なお、デジカメが壊れたので、今回から新しいカメラに移行した。前と同じCyber-shotであるが、バージョンが新しいから使い方がよく分らない。


孔子鳥化石産出地をたずねて その32 IVPP常設展示室

2015年06月28日 | 昔の旅行
孔子鳥化石産出地をたずねて その32 IVPP常設展示室
Visit to the Locality of Confuciusornis: Part 32. Exhibition rooms of IVPP.

2000年6月1日からのシンポジウム会場の古脊椎・古人類研究所の展示を見ている。
 大きな恐竜や、古第三紀の哺乳類など参考になるものも多いが、残念なことにカメラの調子が悪い。コリフォドン類や炭獣類など、私が現在研究中のものに関連する資料を重点的に撮影する。


80 展示室の恐竜 2000.6.3 IVPP
80 Dinosaur exhibition in IVPP.


81 展示室のコリフォドン 2000.6.3 IVPP
81 Coryphodon exhibition in IVPP.

 夕食はMさんと新華社の朱さんといっしょにという約束をした(金子さんはすでに帰ってしまった。またH先生とT先生は別の約束があるという)が、朱さんが「申し訳ないが、他の方と一緒で良いか」と言う。また知り合いが増えるのもいいかとOKすると、他の方というのは、ゲダート夫妻であると分かり、もちろん歓迎する。こんどは、ホテル近くの上海料理店に行くことになる。上海は朱さんの故郷に近いはずであり、料理の選択を任すことができる。ここで遅くまで歓談し、ワインも入ってみんな上機嫌である。ゲダートさんとプロトプテルムの話がはずみ、ぜひシアトルに来いとおっしゃる(これは2002年に実現した)。こちらも日本に、とくに北九州においでになれば産地に案内しますよと答える。支払いの段になり値段は思ったより安いので今日の分は私持ち。今回はお金に余裕があるつもりであった、その時は。遅くなったので朱さんをタクシーに乗せて帰し、こちらはホテルへ歩く。
★学名について
☆コリフォドン属 Coryphodon の命名はOwen 1845と、古い。Pantodonta 汎歯類 というマイナーな目に属する。アメリカ・カナダ・イギリス・中国などから8種以上が知られ、暁新世から始新世の動物。近年九州からも産出が報告されている。中国の属名「冠歯獣」。写真の標本は、(記録がないので確かでないが)C. dabuensis Zhai 1978で、新疆ウイグル自治区のDabuという所に産したもの(始新世)。種小名はもちろん地名から。属名の由来はCoryphoはギリシャ語の頂上や尖ったという意味らしい。頂上の方だと、中国名が「冠歯獣」なのだから、頭の頂上に特徴があるようにも思えるが、角があるわけではない。尖ったの意味の方だと、臼歯がとくに尖っているようには見えないから、巨大な上顎犬歯のことを言っているのだろうか。


私の使った切符 その3 1966年7月

2015年06月25日 | 鉄道
私の使った切符 その3 1966年7月

★1966.7.23 二条(山陰本線)から熱田(東海道本線)ゆき手書き記入乗車券
これは硬券ではなく、記入式の乗車券(サイズは縦7.3横9.6センチ)。このシリーズ最初に紹介した二条から熱田ゆきのものと、発着は同じであるが、径路が違っていて、二条(山陰本線)豊岡(宮津線)西舞鶴(小浜線)敦賀(北陸本線)米原(東海道本線)熱田という径路。豊岡に立ち寄ったのは、玄武洞を見たり、天橋立観光などの目的があったため。だから豊岡で途中下車して玄武洞まで切符を購入し(たぶん車内で購入)、帰途は玄武洞から豊岡まで駅で購入、もとの切符で丹後神野(宮津線)に向かったから、次に記す切符が手元に残ったわけである。

3-1 1966年7月北近畿旅行の切符

★1966.7.24 玄武洞から豊岡(いずれも山陰本線)ゆき乗車券
 玄武洞は駅から渡し舟で対岸に行った所にある。

3-2 1968年3月、雪の玄武洞(再掲)

 この旅行の名古屋到着は7月25日。だから途中2泊したことになる。宿泊地の記録も記憶も無い。23日出発で最初の採集地は夜久野(下車駅は山陰本線の下夜久野駅)、玄武洞駅の切符が24日発行だから、一泊目は豊岡かな。24日は玄武洞と天橋立を見て宮津か舞鶴に宿泊だったのだろう。


孔子鳥化石産出地をたずねて その31 たくさんの鳥

2015年06月22日 | 昔の旅行
孔子鳥化石産出地をたずねて その31 たくさんの鳥
Visit to the Locality of Confuciusornis: Part 31. Too many birds.

では、2000年頃の鳥類化石等の研究状況をふりかえってみよう。

孔子鳥以外の鳥も紹介しよう。
☆華夏鳥 Cathayornis Zhou et al. 1992 にはC. aberransis Hou 2002, C. chabuensis Li et al. 2008, C. yandica Zhou et al. 1992(タイプ種)の三種が含まれる。C. yandicaは波羅赤産。Catheyはキャセイ航空の名と同じで中国の古名で、契丹から来ている。華夏となっているが、夏は「盛ん」と言った意味。Ornisは鳥。命名者はZhou Zhonghe 周忠和(IVPP)他。文献Z.-h. Zhou, F. Jin, and J.-y. Zhang. 1992. [Preliminary report on a Mesozoic bird from Liaoning, China]. Kexue Tongbao 1992(5):435-437。
☆波羅赤鳥 Boluochia Zhou 1995 には一種B. zhengiが記載されている。文献Z. Zhou. 1995. Discovery of a new enantiornithine bird from the Early Cretaceous of Liaoning, China. Vertebrata PalAsiatica 33(2):99-113。
☆朝陽鳥 Chaoyangia Hou et Zhang 1993には一種 C. beishanensisが記載されている。文献L. Hou and J. Zhang. 1993. [A new fossil bird from Lower Cretaceous of Liaoning]. Vertebrata PalAsiatica 31(3):217-224。Chaoyangは朝陽、種小名のbeishanは波羅赤の産出地の名前。
☆甘粛鳥Gansus Hou and Liu 1984には一種G. yumenensisが記載されている。この種類は遼寧省ではなく、その名の通り甘粛省の玉門市昌馬の産出。
☆鄂托克鳥 Otogornis Hou 1994にはOtogornis genghisiが記載されている。これも遼寧省ではなく、内モンゴルの産出。鄂托克はオルドス市の一行政区オトク旗の漢字表記。
☆中華鳥竜 Sinosauropteryx prima Ji et Ji 1996 文献Q. Ji and S. Ji. 1996. [On discovery of the earliest bird fossil in China and the origin of birds]. Chinese Geology 10(233):30-33。一属一種。Sino: 中国、pteryx: 翼、prima: 第一の、という意味。
☆中国鳥竜 Sinornithosaurus Xu et al. 1999 文献X. Xu, X.-L. Wang, and X.-C. Wu. 1999. A dromaeosaurid dinosaur with a filamentous integument from the Yixian Formation of China. Nature 401:262-266 で新属、そして模式種S. millenii を記載した。四合屯産。この種の中国名は「千禧中国鳥竜」。もちろん西暦が2000年になるのを記念した種小名。


78 千禧中国鳥竜
78 Sinornithosaurus millenii Xu et al.

 他にS. haoiana Liu et al. 2004 がある。これは義県市Baitaigou産。
☆ミクロラプトルMicroraptor Xu et al. 2000 中国名「小盗竜」。文献X. Xu, Z. Zhou, and X. Wang. 2000. The smallest known non-avian theropod dinosaur. Nature 408:705-708。模式種はM. zhaoianusだが、後に記載されたM. gui Xu et al. 2003(顧氏小盗竜)の方が有名。


79 ミクロラプトル・グイ
79 Microraptor gui

 羽毛が保存されていて、前肢の後ろ側のほか、尾の先端部、後肢の後ろ側にも長い羽があるのが見える。現在の鳥の飛び方とは全く違う使い方をしていたことになる。
☆尾羽鳥Caudipteryx Ji et al. 1998 論文Q. Ji, P. J. Currie, M. A. Norell and S.-A. Ji. 1998. Two feathered dinosaurs from northeastern China. Nature 393:753-762。C. zouiを模式種として記載。後にC. dongi Zhou and Wang 2000も記載された。Caudi は「尾」のこと。

今回は2000年当時知られていた熱河生物群中の羽毛恐竜・鳥の属を挙げた。それら属の中に記載されている種については、2000年よりも後に記録されているものにも触れた。その後の15年間で、さらに多くの属が提唱されている。


私の使った切符 その2 1966年3月

2015年06月19日 | 鉄道
私の使った切符 その2 1966年3月

★四国周遊券 名古屋発の四国周遊
 学生時代の旅行ではずいぶんお世話になった既成の周遊券である。私たちは「均一周遊乗車券」と呼んでいた。単に「周遊券」というのは、旅行先で指定された観光地二つ以上を回って、もとにもどるオーダーメードの周遊券。それに対して、均一周遊券は「北海道」「四国」など範囲を指定した既製品。その圏内で自由に乗降できるから、計画の定まっていない私の旅行に向いていた。



2-1~2-3 四国周遊券 表紙とA券片・B券片。1966.3.2発行(3.8から使用)

 均一周遊券は表紙(日本交通公社=後のJTB=と印刷)にはさんだ、A券片(区域までの乗車に使用)とB券片(区域内と帰途に使用)からなっていて、A券片は区域に入った最初の下車駅で駅員に渡す。私の切符帳にはなぜか両方とも揃っているからちょっと不正をしたことになる。
 A券片には発行した交通公社(名古屋栄町)印、学割印などの他、京都・尾道の途中下車印が捺されている。この周遊券では、周遊区域内は乗り降り自由、周遊区域までの往復にいくつかの径路から選択できるようになっていた。四国の出入りは、当然宇高連絡船✝と仁堀連絡船✝(1982年廃止)に限られていたが、この旅行では仁堀連絡を選択する形にして、尾道で途中下車、そこから私営の連絡船で今治港に渡った。

2-4 尾道-今治フェリー船上から。場所はどこだろう?1966.3.9

 今治で合唱団の四国演奏旅行に途中から合流した。しかも名古屋から京都までは夜行急行「瀬戸」に乗車して、高校の2期後輩の修学旅行に紛れ込むという、往路からむちゃな旅行だった。
 B券片に途中下車印が新居浜(予讃本線)だけ捺してある。途中下車印を捺してくれない駅が多かった。新居浜と高松で演奏会があり、その後宇高連絡船✝で岡山に渡った。乗船したのは「伊予丸✝」という記録がある。岡山から再び四国にもどり、徳島県小松島で他の1人と合流してこんどは化石の採集に向かったのだ。

2-5 大歩危付近。急行「よしの川」から撮影。1966.3.16

 徳島から高知に「よしの川」で移動した。写真は大歩危付近で撮影したもので、後方の車両から前方を撮ったもの。当時の急行は両数が多くてカーブでは先頭が撮れたのだ。さらに高知県の佐川町などで化石を採集し、帰ったのは有効期限最終日の3月19日と記録されている。
★土佐山田駅(土讃線) 入場券
 最終日に土佐山田駅で入場券を購入。下車したのは龍河洞を訪れるため。

2-6 土佐山田駅入場券。1966.3.19

 それにしても、カメラはもとより、演奏会のステージ服(学生服)や楽譜、採集用の服や採集具など、どのくらい重い荷物を持って旅行したのか不思議である。しかも手荷物の印が捺してないが、採集した化石はどうやって送ったのだろうか。宅配便のシステムはまだなく、郵便も荷物運送は稀だった。送るとすれば日通の荷物だろうか。鉄道小荷物に比べて手荷物が安いから、小荷物は使っていないだろう。