ここから足跡関連の属について記す。幾つかの困難があって、属のリストはできなかった。何人かの業績を調べたにすぎない。足跡の分類ではIchunogenusとかIchnospecies という分類単位を使う。翻訳すると生痕属・生痕種ということである。足跡で認識される種は、骨で認識される種との対応が確認されることは非常にまれだし、不明確な種類を科など上位の分類に含めていくと混乱の元となるから、別系統の学名を用いるということ。同じ種類に二つの学名ができることを承知でつけることになる。
ここでは、「中生代の爬虫類の足跡」に限定して調べたいが、実はまとめてある本は少なくて、学名表を作ることも難しい。
最初の論文がわからないが、1830年代にアメリカの足跡化石を多数研究して巨大な鳥の化石と考えた研究者がいた。現在これらの足跡は恐竜が残したものと考えられるようになったが、Owenが「恐竜」という概念を発表したのが1842年のことだから、解らないのもしかたがないとも言える。その研究者Edward Hitchcock (1793-1864)は、古生物学者でAmherst Collegeの学長を務めた人。同時に牧師であって宗教と科学の調和を求めたという。後で引用する論文の肩書きも、名前の前に「Rev.」としてあるのがあるが、これはReverend:牧師のこと。Hitchcockは1836年に足跡の研究を発表した。これが私が見つけた科学的文献のうち最も古い。
⚪︎ Hitchcock, Edward, 1836. Ornithoichnology. Descriptions of the Foot marks of Birds, (Ornithoichnites) on new Red Sndstone in Massachusetts. The American Journal of Science and Arts, vol. 29, 307-340, with 3 Plates.(鳥類生痕学. Massachusetts州のNew Red Sandstoneの鳥類足跡の記載)
1836年までに記載された(そして現在も有効な)中生代陸生爬虫類属はMegalosaurusとIguanodon、それにPterodactylusだけだから、足跡の研究がいかに早かったかが分かる。ここに「陸生」と入れたのは、海生のIchthyosaurus, Plesiosaurus, Mosasaurusの3属は恐竜よりも前に記録されているから。この論文で、Hitchcockは鳥の足跡と決めかかっているが、後には鳥らしくない足跡の追加があったせいか、もう少し控えめな表現に変わったように見える。もう一つ不幸なことに、彼は学名の形式の名称をつけたのだが、はっきりと「属」と書かなかったようだ。そのために新属名として認められることが少ない。種の方はそう書いてあるから現在も有効名になっているものがいくつかある。
437 Hitchcock, 1936. p. 317(部分)
上のコピーはOrnithichnites giganteusの記載の最初のところで、名称にイタリックを使うなど、記載方法に違和感はない。当然のことだが鳥に分類したという「誤り」は命名規約上の有効性に関係しない。
巻末に3枚の図版がついている。Plate番号はなくFigs.21,22が1枚目、Figs. 1-20が2枚目、3枚目に「Proportional View of the Ornithichnites」というそれぞれ折り込みのページである。
438 Hitchcock, 1936. 巻末の図版
彼は5年後にもう一度足跡化石について述べた。内容は一部前のものと重複する。
⚪︎ Hitchcock, Edward, 1841. Fossil Footmarks. In Final Report of the Geology of Massachusetts. Vol. 1. Part 3. Scientific Geology. New Red Sandstone, 464-525, figs. 30-50.J. H. Butler, Northampton. (化石足跡)
この書籍はジャーナルではなくてMassachusetts州の地質について非常に広範囲の調査をまとめたもの。中には初歩的な解説も含まれているが、もっとも重視されているのは、鉱物資源などの経済活動に対する基礎データの収集のようだ。Hitchcockは、この報告書全体の著者となっている。足跡化石に関する本文は62ページ、21図版で、他に図版解説や標本リストを伴う大作である。
439 Hitchcock, 1841. Final Report of the Geology of Massachusetts. Title
足跡の部分に関しては、27種の新属(?)新種を記している。これらすべてを鳥類の足跡と考えているわけではなさそう。476ページに分類表がある。足跡をIchnolites綱にまとめ、目としてDiplodichtinitesを置いた後、Sauroidichnites とOrnithoidichnitesの二つの分類群にわけ、前者にS. Barrattii など10種を、後者(さらに二つに分けた:この分類群は階層がわからない)にO. giganteusなど17種を記載した。この分類には指・趾の特徴を重視しているようだ。付けてある種小名はラテン語をもとにした特徴を用いているが、5種S. Barrattii・S. Jacksoni・S. Emmonsii・S. Bailleyi・O. Deaniiだけが大文字になっていて献名されていることがわかる。最後のDeane博士は、1836年の論文でも触れた人で、後でまた登場する。
440 Hitchcock,1841.Plate 30. Sauroidichnites Barrattii (右端)・他
441 Hitchcock,1841.Plate 36. Ornithoidichnites giganteus
種類ごとに幾つかのスケッチがあって、21図版を伴っている。ちょっとぼけたようになっているのはディジタル化の技術の関係だろうか。
この論文で注目されるのは足跡化石について詳細な研究がされていること。時代を考えるとずいぶんしっかりしている。足跡について「footmarks」を用い、行跡については「Tracks」と区別している。足跡のついた地層面よりも下の面のへこみについても言及し、大きなものは深く(下位にまで)影響し、小さな足跡は浅いところにまでしか影響していないという観察も述べている。現在の「underprint」の概念である。非常に鋭い指摘だが、下の方では形態が変わることをもっと強く言って欲しかった。
442 Hitchcock,1841.Figs.105,104 underprintの説明
また、彼はイギリスの研究についても知っていて、Bridgwater Treatise (vol. 1)をたびたび引用している。この本はイギリスの地質学の教科書的な本で、著者はMegalosaurusを記載したBucklandであり、従って中生代に大型の陸生爬虫類がいたことをHitchcockは知っていた。残念なことに本の正しい題名はBridgewater Treatises で、単語が二つとも間違っている。