OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

三角点

2014年02月25日 | 今日このごろ
三角点

私の設定したウォーキング範囲は、家から半径2.5kmの円内(以下では「対象円」と記す)である。往復1時間あたりをめやすにしたが、この円を超えると西方や東南方で道の無い山に入ってしまうからでもある。
 国土地理院の地形図を見ると、対象円内には標高を注記してある点が23か所ある。内訳は、三角点が三か所(たぶんいずれも四等三角点)、道路上にある標高点12か所、山頂や尾根などにある標高点8か所。水準点はない。
 三角点は、徳吉と志井の間にある稜線上にひとつ(標高221.8 m)高野の変電所南の山頂にひとつ(標高95.1 m:未訪問)それに守恒小学校の上にある星和台南公園にひとつ(標高55.6 m)である。


1 星和台南公園の三角点 2014.2.24撮影

最後のものは住宅地の中にある公園にあって、ちょっと考えると見通しが悪そうだが、行ってみるとそれなりに高くなっていて見晴らしが良い。実際に測量をする時には、やぐらを立てるのだろうから十分にとなりの三角点が見えるのだろう。徳吉・志井稜線上の三角点の場合は、樹が茂って見晴らしはそれほど良くないがこれもやぐらや伐採で解決できそう。標高もずいぶん高い。ウォーキング実績で、二番目が221.8メートルのこの三角点付近である。最高点は堀越南の山道をずっと登っていったところの250メートル付近。これら二つの山道は別格で、実績上他に100メートルを超えた場所は4か所しかなく、しかもすべて100メートル等高線を超えたかどうか微妙な高さ。もう1か所、対象円からわずかに外れるところを歩いたことがあって、そこでは170メートルの等高線に達したが。


2 徳吉・志井稜線上の三角点 2012.4.11撮影

 未訪問の三角点は家から西の方に行った小山の頂上であるが、いまのところアプローチが見つからない。春になったら探しに行こう。参考のためによその三角点の写真を探したが、私は山登りをしないから、ほとんどない。やっと見つけた藻岩山の上にある三等三角点の写真を下に。この場合は展望台の上にあるからか、大きなコンクリートの台上に真鍮?のプレートが固定してあるが、上の写真のような花崗岩製の標石の方がそれらしくていい。


3 札幌藻岩山の三角点 2008.7.25撮影 やぐらは測量用のものではなさそう。

4 札幌藻岩山の三角点 2008.7.25撮影 やぐらの中央の下にある。

 標高点は、地図上にメートル単位で注記されているが、標石などは無いから、行っても感激はない。道路上にあるもので、一番低いのが横代北町にある6メートル、高いのが鷹羽台の住宅地の中にある73メートル。訪問は簡単で、すべて通った所にあるが、意識していない。山頂・稜線上のもの8か所のうち、行ったことのあるのは2か所だけで、残り6か所は難しそう。
 道を歩いていると、実にいろいろな種類の標石が埋め込んであるが、標高を測るためではなく、所有境界を示すものが多い。


5 道路公団の標識 2014.2.5高津尾で撮影 ステンレス?製

高速道路の側道にたくさん設置してある。


6 北九州市建設局の水準点 2014.1.29撮影 堀越付近 真鍮?製

上の写真は、市の「水準点」であるが、標高は書いてない。国土地理院の設置する水準点は、残念ながら対象円内には無い。主な国道沿いにあるので、近いのは国道10号線か3号線だろう。こんど探しに行こう。

最後の蒸気機関車たち その72 1972年9月

2014年02月21日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その72 1972年9月
The last steam locomotives in Japan. No. 72 (Sep. 1972)


名寄本線の貨物列車は9600型機関車が牽いていた。なぜかこの線の9600型は正面に黄色のV 字型の縞があった。黄色の縞は、炭水車の後面にも塗られていた。


377N 名寄本線沙留駅 1972.9.8 49651 1691列車
Nayoro line†, Saru Station, Hokkaido.
49651は、1975年6月に廃車。
名寄本線を中湧別からたどると、ずっとオホーツク海岸を進み、渚滑で渚滑線が分かれる。さらに海岸を進むが、興部で海と別れて内陸に入る。海沿いの先の方には興浜南線がすこしだけ延びていたが、興浜北線との距離は長く、とうとうつながらないまま廃止となってしまった。この時には、日程の関係で本線だけしか乗ることができなかった。1974年に興浜南北線・渚滑線に乗車したが1985年にはこれら支線が廃止されたばかりではなく、名寄本線も「本線」と名がついていたのに、1989年に廃止された。北海道の国鉄の廃止はものすごいものだった(もともと輸送量が少なかったのも事実だが)。それでも「本線」が全部廃止されたのは名寄本線だけである。本線の廃止は、函館本線の枝線、砂川・上砂川間が廃止されたぐらいしか例が無いだろう。
興部で内陸に向かう名寄本線は上興部と一ノ橋の間でオホーツク海側と日本海側の分水嶺・天北峠を越える。この駅間は11.0kmもあって、信号所もない。ずっと道路が平行しているので、撮影場所に選んだのだろう。


378N 名寄本線一ノ橋・上興部間 1972.9.8 79642 662単行
378-382: Nayoro line†, between Ichinohashi and Kamiokoppe Stations, Hokkaido.


379N 名寄本線一ノ橋・上興部間 1972.9.8 79642 662単行

この場所は峠越えの近くなので煙が多くて写真写りが期待できる、と思っていたが、やってきた上り(=登り)列車はそれほどがんばっていない。機関車の単行だからしかたない。


380N 名寄本線一ノ橋・上興部間 1972.9.8 29681+逆79642 1693列車

下り貨物列車が来た。さきほど単行で行った機関車を先頭の後に逆に付けた重連である。下り(=降り)の列車なので、煙は薄い。


381N 名寄本線一ノ橋・上興部間 1972.9.8 29681+逆79642 1693列車


382N 名寄本線一ノ橋・上興部間 1972.9.8 29681 1693列車

通り過ぎる時に、機関助手が石炭をかき寄せるために炭水車に登っているのが見えた。
79642は、最後まで残った機関車の一つで、1976年3月に廃車された後、愛媛県の八幡浜市で保存されている。29681は、1973年2月に廃車。
登場蒸機 9600(写真377~382)

2020.6.19 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.

旭丘音楽部同窓会紙の復刻

2014年02月17日 | 今日このごろ
同窓会紙の復刻

何度か記したように、約50年前の愛知県立旭丘高校音楽部同窓会紙「ヴォーカライズ」を復刻した。同紙は、99号まで発行されたが、ずっと発行に努力してこられた大先輩の故人Aさんの遺品のなかに、ついに発行されなかった100号のガリ版原紙があることを知り、それを復刻することを思いついたことから、創刊号からの全号の復刻を行った。全部で100万字を超える量であった。ただし、19号と20号は保存されているものの中に見つからなかった。お持ちの方はコピーを送付いただくか現物を貸していただければ幸いである。
 成果は、一月から二月にかけて三か所で公開されているので、ご興味とお暇のある方はご覧いただきたい。
 一つは、同窓会HPにアップしたものをダウンロードする方法。HP「カラスの広場」の中にある。これをご覧になるにはパスワードなどが必要。
 二つ目は、「旭丘高校17期掲示板」にもアップしてある。「17期著作集」の中にある。
 三つ目は、復刻したものを印刷して同窓会事務局に置いてある。これは、三冊に分けて製本したが、一そろいしかないから、同事務局(名古屋市東区代官町)に足を運んでいただく必要がある。


製本したヴォーカライズ

 製本したものには、目次、著者別索引などを追加して見やすくなるよう努力した。また「ヴォーカライズに登場する鉄道」として、私的趣味との関連を勝手に付け足した。厚さ5センチにも達する大冊?である。厚さを考慮して裏表印刷をしたから、ずいぶん手間がかかった。
 すでに多くの方からご感想をいただいた。同窓会員に限らず、同期の皆さんからも当時を思い出されたコメントがあった。概して好意的なご感想で、気をよくしている。

私の化石組標本(その23:最終回)

2014年02月13日 | 鉱物・化石組標本
私の化石組標本(その23)
My set of fossil specimens, part 23 (Last)

標本が全部そろったので、「鉱物組標本」にならってリストを作った。標本数が多いので、番号、属名、省略した産地、分類群だけの記載にとどめた。ついでに英語版を作製して裏面に印刷した。さらに表紙に「化石標本」と記した紙片を貼り付けて完成。なお、本ブログに掲載した後で一部に訂正があったので、標本の番号を変更した。具体的にはデボン紀のマクロスピリファー(旧15番)を石炭紀と誤解していたので、これを移動した。10番アメリカ産マクロスピリファー、11番長安寺産フィリプシア、12番同フェネステラ、13番秋吉台産四射サンゴ、14番青海産プロダクタス、15番雪沢産シフォノデンドロン となった。
 標本数は古生代・中生代・新生代 各24点の計72点。各地質時代のうち、オルドビス紀・シルル紀・暁新世・鮮新世が欠けている。また、始新世・完新世はそれぞれ一点のみだが、まあしかたがないかな。採集したものが三分の二を占めて48点、購入14点、残り10点がいただき物。脊椎動物が13点、無脊椎動物が一番多くて52点、残り7点が植物・原生動物・他である。古生代に脊椎動物がない。一方全体に植物は少ない。いずれも、もとのコレクションの傾向を反映している。
 地域別では、国内が49、外国が23。国内では岐阜県が最も多くて11点、次いで岩手・宮城・福岡各県がなかよく7点ずつ。地図で見るとずいぶんかたよっている。化石の好きな人なら私の住んだ場所(高校まで名古屋、学生時代京都、そして北九州で学芸員)を考慮すれば納得できる傾向だろう。高知県は2点、山口県も3点というのは意外に少ない。私見では、日本の化石産出のベスト3地方は、南部北上・岐阜・高知と思っている。日本以外ではアメリカが最も多くて10点、次いで中国の7点。次いでモロッコの3点。これらは化石商が扱う化石の種類が多いからだろう。ロシアの商品も多いが高価なものが多くてあまり購入できない。


71-1 国内産の化石産地。私の収集したところはかなりかたよっている。
 青は古生代、緑が中生代、橙が新生代。
Fossil localities in Japan: Blue; Paleozoic, Green; Mesozoic, Orange; Cenozoic.


71-2 外国産の化石産地。さらにかたよっている。
 青は古生代、緑が中生代、橙が新生代。
Fossil localities out of Japan:

 前にも記したが、使用した化石の属名は包括的なものを主にしたので、古い時代に命名されたものがほとんど。一番古いのは1768年のCrocodylus で、一番新しいのは1992年のCleviceras 。平均するとちょうど明治維新頃になる。命名者の生年で一番古いのはGlycymeris を命名した1717年のDa Costa 、一番最近の人はKunmingella の命名者Huo の1949年生れ・・・なんだけれども、ここで矛盾がみつかってしまった。「化石組標本 その5」で「Kunmingellaの命名はHuo(雲南大学の侯先光博士だと思う。)1956年」と記したが、そうするとHuoさんが7歳の時命名、となってしまう。何か間違っていて、たぶんHuoさんが二人いる。ネットではとうとう分らなかった。この疑問のあるHuoとClevicerasのHowarthの一人か二人だけがたぶん存命中。全体的に命名者は古いから、さすがにヨーロッパ国籍が多い。出てくる命名者48人(多くの属を命名した人も一人とする。逆に一つの属が複数の研究者の命名のときは両方とも数えた。)のうち、34人がヨーロッパ人(途中で移住した人は両方の国に0.5人とカウント)で、中でもフランス人が最も多い(10人)。次いでドイツ(8.5人)イギリス(7.5人)その他ヨーロッパ人8人。ヨーロッパ以外は、アメリカ(9人)、日本・中国(各2人)、オーストラリア(1人)。命名した時の年齢は、正確に計算していないが、平均50歳ぐらい。若い方で24歳の人もいる。一方79歳で命名した計算になる人もいる。ただしこの人Brongniartの命名出版は、没後のことで、二年ほど前に本人は亡くなっている。ほかに命名と没が同じ年の場合が二件あるが、出版と亡くなられたのとどちらが先かは調べていない。


72 完成した組標本(最後の写真の番号が標本数と同じになるように、前の産地地図を枝番号にした。)

 化石組標本のシリーズはこれでおしまい。このシリーズの最初の部分は「古い鉱物標本」というものだったが、化石に移ってカテゴリー名を改訂した。鉱物標本の記事の中で、唯一輝安鉱標本が失われていたのが気になっているので、代替標本をさがしていたところ、関西在住のSさんから予備標本中にあったものをいただいたので、これを入れることにした。Sさんありがとうございました。

 このシリーズの終了後は、代って別のものを開始する。2000年に訪れた中国の旅行記。

最後の蒸気機関車たち その71 1972年9月

2014年02月09日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その71 1972年9月
The last steam locomotives in Japan. No. 71 (Sep. 1972)


塘路で撮影の後、すこしだけ塘路湖畔を見た。湖岸の小石が平たく丸く、昔海岸だったことを示しているのに感心した。塘路から乗車して網走に向かった。


372N 釧網本線 1972.9.7 C58-412 633列車
Semmo line, Hokkaido.

この写真は順序から釧網本線の塘路と網走の間で撮影。場所の記録がない。


373N 網走駅 1972.9.7 C58-410 635列車
373-375: Sekihoku line, Abashiri Station, Hokkaido.


374N 網走駅 1972.9.7 C58-355

ここまでのC58の廃車状況は次の通り。C58-412:不明、C58-410:1974年9月、C58-355:不明。このC58-355だが、1972年3月まで奈良区に所属して、釧路区に移ってきた機関車である。奈良区の時に一度出会っていて、その時の写真が、本シリーズ「最後の蒸気機関車たち その36」にある。


375N 網走駅付近 1972.9.7 49673 湧網線1990列車

この日は常呂泊。翌9月8日湧網線をまわってから、名寄本線の枝線、中湧別・湧別間を乗り、さらに名寄本線ヘ向かった。


376N 名寄本線中湧別駅 1972.9.8 49666
Nayoro line†, Nakayubetsu Station†, Hokkaido

49673は、1975年7月に、また49666は、1975年6月に廃車。

登場蒸機 C58(写真372~374) 9600(写真375・376)

2020.6.19 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.