音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■National Edition EKIER版の Chopin・Ballade Nr.2 は、ショパンの意図どおりか?-③■

2011-08-16 17:36:42 | ■私のアナリーゼ講座■

■ナショナル・エディション エキエル版 のショパン・バラード 2番は、ショパンの意図どおりか?ー③■

~ バラード 2番、46小節目 「 フェルマータ 」 の意味するもの ~                 

                2011・8・16  中村洋子


「 Andantino アンダンティーノ 」  で始まった

「 Chopin・Ballade Nr.2 ショパン・バラード 2番 」 の、

 第 1部は、46小節で終わり、47小節からは、

「 Presto con fuoco プレスト・コン・フオーコ 」

( 火のようなプレスト ) となります。


★ 「 ショパン自筆譜 」  では、

その 46小節目から 47小節目にかけ、

二つの fermata フェルマータが、書かれています。

46小節目は、最初に左手の  「 F 」  から始まり、

それは、  「  F  F  C  F  A  C  F  」  という、

分散和音です。

指定はありませんが、おそらく、

「 A  (かたかなイ音 )  C( 1点ハ音 )  F( 1点ヘ音 )」  は、

右手で弾き、その後、 「 A ( 1点 イ音 ) 」  による

repeated notes が、6個 置かれます。


一つ目の 「 フェルマータ 」 は、高音部譜表

( 大譜表の上段 ) の、6個目の 「 A 」 の符尾の、

ほんの少し右側 ( 小節線寄り ) に、書き込まれ、

最後尾は、小節線にまで、達しています。

形は、押し潰されたような、方物線に近い形です。


★ショパンは、大譜表の小節線を書く際、

高音部譜表から低音部譜表まで、一本の線で、

一気に、書き下ろすことをせずに、

高音部譜表は高音部譜表、低音部譜表は低音部譜表の、

領域内だけに、縦線を書いています。

そのため、高音部譜表と低音部譜表との間は、空白です。

 


もう一つの 「 フェルマータ 」 は、

低音部譜表の 46小節と 47小節の間の、

「 小節線 」 の真上に、あります。

力強く描かれ、形はほぼ半球型です。

二つの、フェルマータの黒丸の位置は、

はっきりと、ずれています。


★この精緻なショパン自筆譜を、見ておりますと、

乱雑に、あるいは、急いで書いたために、

二つのフェルマータの位置がずれている、とは、

とても、思えません。


二つのフェルマータは、異なった役割を担っているのです。

 「 repeated note A の上のフェルマータ 」 は、一般的な定義である

「 その音を引き伸ばす 」 という、意味です。

低音部譜表の小節線の上にある 「 フェルマータ 」 は、

「音楽の一つのまとまり」 が、そこで終わったという印です。

その具体例として、バッハのコラールで、フレーズの最後の音に、

フェルマータが付されているのが、大変よく見受けられます。


★また、複数のフレーズによって作られる、

もっと大きな、音楽のまとまりの最後の部分に、

フェルマータが、置かれることも、あります。


★「 平均律クラヴィーア曲集 」 の、 「 プレリュード」  の、

終止線の上と下に、フェルマータが置かれ、

それに続く 「 フーガ 」 の、終止線の、

上下にも、フェルマータを、バッハは必ず書いています。


★プレリュードとフーガで、1曲を構成しますので、

プレリュードが終わった後の、フェルマータは、

前半部の終了記号、という位置づけになります

フーガ終了時のフェルマータは、曲の終了を意味します。


バラード 2番の場合、低音部譜表のフェルマータは、

曲の最初の大きな部分が、終了することを、演奏者に知らせ、

次の 「 Presto con fuoco  」  への突入の “合図” です。

 


★この自筆譜は、1ページを  「 5段 」 の譜割りで、

記譜していますが、素晴らしいことに、

3段目は、 43小節目から 47小節目までの 5小節が、

書かれています。

その結果、 「 46、47小節目 」 が、1段に収められ、

「 Presto con fuoco  」  の始まりの、47小節目は、

3段目の右端に、置かれています


★私が所有しています実用譜は、すべて、

46小節目を、段の右端に置き、

47小節目から、次の段を始めています

これは、 “ 曲が次の Presto con fuoco  に移るから、

段を改めるべきである ”  という、

単純な、思い込みによるものでしょう。

楽譜を、小奇麗に整えたい、ということもあるでしょう。


なぜ、ショパンが実用譜のように整った形で、書かなかったか・・・?

実は、ここにこそ、ショパンのフレージングの妙味が、存在するのです。

この曲が、傑作である所以の一つでもあるのです。

詳しいご説明は、31日のアナリーゼ講座で、いたします。

 


★このフェルマータを、エキエル版をはじめとする、

実用譜で、どのように記載しているか、見てみます。


National Edition EKIER エキエル版では、

46小節と 47小節の間の小節線の、真上と真下に

フェルマータが、書かれています

下のフェルマータは、形が上下逆に、ひっくり返った形状です。

この二つのフェルマータは、音符の上にないため、

楽曲の区切りという意味しか、表していません。


右手の 「 A ( 1点 イ音 ) を引き伸ばして欲しい 」 という、

ショパンの意図は、見事に無視されています。

“ 44小節目から 46小節目終わりまで、 「 smorzando 」

( 段々とゆっくり、そして弱く ) があるため、

最後の 「 A ( 1点 イ音 ) 」 は、結果として引き伸ばされるので、

フェルマータと同じ効果となる ” と、弁明されるかもしれません。


★しかし、自筆譜では、「 smorzando 」  は、

最後の 「 A 」 の一つ手前までしか、 「 ‐ ‐ ‐ 」 が、

書かれていません。

ところが、 EKIER エキエル版は、

「 smorzando 」  の  「 ‐ ‐ ‐  」  を、

最後の、「 A 」  まで、延ばして書いています。

「 smorzando 」 によって引き伸ばされた 「 A 」 も、

フェルマータによって伸ばされた  「 A 」 も、時間的長さは、

同じかもしれませんが、前者は、ゆっくりと刻まれた拍子の上に、

奏せられる音で、後者は、そこで一度、拍子の刻みを止めることから、

演奏上、大きな違いとなって現れます


★この大雑把な記譜を見ますと、エキエル版を Urtext とするのは、

無理がある、といえるでしょう。

 

 

★ちなみに、PETERS ペータース版 ( A New Critical Edtion

= Jim Samson ) は、右手 「 A 」 の上に、

小さくフェルマータを一つ、記載しているのみです。

楽曲を分ける意味のフェルマータは、記載されていません。


PADEREWSKI パデレフスキ版は、エキエル版と同様に、

小節線の上下にフェルマータが、記されていますが、

小節線が、複縦線となっています。

「 smorzando 」  の  「 ‐ ‐ ‐ 」  の、

最後の  「 ‐ 」  の位置は、ショパンの、自筆譜どおりです

この版は、音楽の区切りとしてのフェルマータを、

強調しているようです。


MIKULI ミクリ版は、右手最後の  「 A ( 1点 イ音 ) 」 の上 に、

小さなフェルマータが記載され、最初のアルペジオで奏された

「 A ( かたかな イ音 = 1点 イ音 の 1オクターブ下 ) 」  を、

バスとする和音の下に、大きなフェルマータを、書いています。

この版は、 「 F dur の主和音(トニック) 」  を、長く引き伸ばす、

という意図が、色濃く出ています。


CORTOT コルトー版は、最後の  「 A ( 1点 イ音 )」  の上にのみ、

フェルマータが、記されていますが、

それに続く小節線を、音楽の区切りを表す

「  複縦線  」 としていますので、自筆譜のフェルマータの意味に、

ある程度、近いかもしれません。


★このように、見てきますと、現在、

本当の意味での 「  Urtext  」 は、存在しないようです。

 

※参照:以前のブログ記事です。

http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/0b34c43946486f6bdb1578753ef22ab9

 

 

                               ※copyright ©Yoko Nakamura

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