音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■National Edition EKIER版の Chopin・Ballade 2番は、ショパンの意図どおりか?-②■

2011-08-14 20:53:47 | ■私のアナリーゼ講座■

■ナショナル・エディション、 エキエル版 の Chopin-Ballade 2番は、ショパンの意図どおりか?-②■
                                      2011.8.14 中村洋子

★前回は、Chopin ショパンのフレーズの特徴を書きましたが

今回は、それに関連して、ショパンが、このバラード2番の

冒頭を、どのように書き始めていたか、分析します。


★自筆譜を見ますと、驚くべきことが、発見できます。

現在、私たちが知っています  「 決定稿 」 の 1、 2小節は、

右手、左手ともに、 「C」  の repeated notes です。

1小節目は、8分の 6拍子の 3拍目に 「C」 の 8分音符、

4拍目に 「C」 の 4分音符、6拍目に 「C」 の 8分音符、があります。

この曲の冒頭 1小節目は、 6拍子の 3拍目から始まり、

1、2拍目が存在しない 「 不完全小節 」 です。

ところが、自筆譜を見ますと、最初は、

次のように、複雑に書かれていました。


冒頭の音符は、 「C」 で、それは、現在の第 1小節の前に、

アウフタクトの 8分音符として書かれていました。

その次に、 1小節目の 1拍目として、 「C」 の 4分音符を、

置いていました。

このため、 ≪ 8分音符のアウフタクトを伴った、

「 完全小節 」の1小節目 ≫  というのが、

ショパンの、当初の構想でした。


★これは、常識的な分かりやすい構成です。

それを、ショパンは推敲した結果、2つの音、つまり、

6拍目・アウフタクト 「 C 」 と、 1小節目の 1拍目  「 C 」、

それに、小節線を、削除していました。

縦線と斜線でそれらを消してありますが、上記の音符は、読み取れます。


★ここで重要なのは、スラーによって表現されるフレージングが、

自筆譜で、どのように記載されているか・・・ということです。


右手については、現在の 1小節 3拍目の少し前から始まり、

しかも、放物線状ではなく、五線譜にほぼ平行に、低くたなびくように、

6小節目まで、続きます

しかし、このスラーの終わりは、前回ブログでの説明のように、

5拍目で終わり、次のスラーは  ≪ 0、5拍 ≫ の空白の後、

「 5、5拍目 」 から、始まります


★左手スラーは、削除された 1拍目の 「 C 」 の少し後から、

始まっています。

つまり、現行の冒頭音符、つまり  3拍目 8分音符より、

少し前から、スラーは始まっているのです。

 


★作曲家は、いつの時点で、スラーを書き込むのでしょうか?

音符を記譜し終わった後に、スラーは記譜するものなのです。

では、ショパンは、いつの時点で、

アウフタクトと 1拍目  「C」  を、削除したのでしょうか。


★二通りの考え方が、できます。

一つは、削除前にスラーを書き込んでいた場合です。

右手は、1拍目の強拍の 4分音符  「C」  の後から、

スラーが始まる、という不自然な形になります。

左手は、 1拍目から始まっているように、

見ることは、無理に見ますと可能です。

しかし、右手のスラーについては、削除前に書かれていた、

とみることは、ほとんど無理です。

左手スラーは、アウフタクトにはスラーがかからず、

1拍目からフレーズが始まる、という解釈も可能ですが、

その場合、右と左のスラーを、別々の時点に書いた、

としか、解釈できません。

やはり、この推測は、かなり無理があります。


★削除した後に、スラーを書き込んだ場合ですが、

私は、これが正解であると、思います。

つまり、冒頭の 3拍目  「 C 」  が始まる前から、

このスラーによってくくられるフレーズが、

既に、始まっているということになります。

音の打鍵を意味する  「 音符 」 の位置と、

フレーズとは、前回のブログで解説いたしましたように、

一致しては、いないのです。

 

 


★ここでもう一つ、重要なことは、

ペダルの記号を、冒頭音 ( 3拍目  8分音符 ) の下に記譜し、

3小節目 3拍目の直後に、ペダルの足を放す記号を付しています。

1、2小節は、「 C 」 の repeated notes のみですから、

この和声が、「 トニック F A C 」  の  「 C 」 か、

「 ドミナント C E G 」 の  「 C 」 であるのかは、

分かりません。


★3小節目の、1拍目から 3拍目までは、

「 トニック F A C 」 の和音です。

1、2小節目の、やや曖昧な響きのなかから、

3小節のトニックが、生まれ出てくる、というイメージです。


ショパンが削除した音符の  「 時間軸 」

( 8分音符と、4分音符を合わせた長さ ) から、

既に、音楽が、フレーズが始まっている、といえます。

初めての 「 C 」 が、両手で打鍵された時、

そこから、音楽が始まるのではなく、

霧の中から、少しずつ、音楽が生まれ出し、

その最初に、はっきり見える音が、

冒頭の開始音である、というように、

ショパンが意図していたのではないかと、思います。


このように、曲が始まっていなければ、

この曲の価値は、半減していたことでしょう。

そこにショパンの天才が、発揮されていたのです。

これがショパンの偉大さです。

このように、推敲を重ねるのは、バッハと同じです。

 

 


★National Edition エキエル版は、

ここでの右手と左手スラーを、冒頭音の符頭と符尾から、

申し訳程度に、1ミリ弱ほど左のところから、始めています。

また、脚注には、冒頭のアウフタクトなどの削除や、

どうして、このスラーを微妙な位置から始めたか、

については、なにも、記載していません。


★PETERS ペータース版 ( A New Critical Edtion = Jim Samson ) は、

右手スラーについては、通常の楽譜の記譜法のように、

冒頭音の符頭から、始めています。

左手スラーは、通常ならば、符尾のすぐ下から、始めるところを、

かなり下の方に、かなり距離を置いて始めています。

この距離に対し、注意深い演奏者は、

「 どうして、こんなに下から始めているのだろうか? 」 と、

違和感を、感じるでしょう。

脚注では、その理由について、何も触れていません。


エキエル版が、ナショナル・エディション 原典版

Chopin Ballades Urtext 

 National Edition  Edited  by  Jan Ekier として、

「 Urtext 」  を、標榜する以上、

これらの点を、脚注などに、明記すべきである、と思います。


演奏家にとって、最も知りたい情報は、

実は、作曲家がどのように書いていたか、ということです。

それを、正確に伝える楽譜を ≪ Urtext ≫  と、いうのです。

 

 


★EKIER 版や PETERS 版 の編集者は、ここの部分で、

ショパンが ≪ 通常でないフレーズ ≫ にしていることに、

気付いてはいるものの、その意図を十分に読み取れず、

念のために、スラーの記譜でそれらしく、

ほのめかしたのでしょう。

しかし、この点こそが、この曲で最も重要なことなのです。


★演奏の ‘ コツ ’ を一つ、お話します。

この曲を弾き始める前に、ショパンが削除した、

≪ アウフタクトの C と、1小節目 1拍目の C  ≫ を、

心の中で演奏し、3拍目から、決定稿のように、

「 C 」 を、弾き始めてください。

幻想的な、素晴らしい音楽が、

自然に、湧き上がってくることでしょう。

 

 

                                       ※copyright ©Yoko Nakamura


▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたしま▽△▼▲

 

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