■ 平均律第 1巻 15番から、バルトークが読みとったもの ■
2011. 8. 28 中村洋子
★八月も、あとわずか。
半月前、蝉がやっと鳴き始めたと思いましたら、
もう、涼しげな虫の音が、か細く聞こえてきます。
★31日 に、カワイ表参道 「 パウゼ 」 で、開催いたします
「 第 15回 平均律クラヴィーア曲集・アナリーゼ講座 」 の準備で、
≪ Bartók Béla バルトーク (1881~1945) の 校訂版 ≫
( EDITIO MUSICA BUDAPEST ) を、
詳細に、検討しております。
★バルトークは、 Johann Sebastian Bach バッハ ( 1685~1750 )
「 平均律クラヴィーア曲集 」 第 1巻 24曲 と、
第 2巻 24曲 の 計 48曲を、独自の配列で並び替え、
≪ 二冊の曲集 ≫ として、出版しました。
★( バッハのオリジナル ) 「 第 1巻 15番 G dur ( ト長調 ) 」 は、
バルトーク版では、第二冊目の最初の曲です。
第 2曲目は、( オリジナル ) 第 2巻 12番 f moll ( ヘ短調 ) 、
3曲目は、 第 2巻 1番 C dur ( ハ長調 ) が、配置されています。
★≪ G dur → f moll → C dur ≫ という、調の移行は、
「 C dur 」 を、基本にしますと、
≪ 属調 → 下属調の同主短調 → 主調 ≫ という関係にあり、
連続して演奏しますと、一つの大きな流れを、
違和感なく、形作っています。
★ 第 1巻 15番 G dur の 「 Fuga フーガ 」 は、 3声ですので、
第 1提示部 ( Exposition ) は、
主題 ( Subject ) ー 応答 ( Answer ) ー 主題 と、
三回、主題が提示されます。
主題の長さは、 4小節で、
1小節目、 5小節目、 11小節目から、主題が提示されます。
このフーガは大変長く、バルトークは、 4ページを費やしています。
★ 興味深いことに、2ページが終わる 45小節目まで、
「 crescendo 」 記号 は、3回しか、使われていません。
「 diminuendo 」 記号は、 1度も現れません。
★各主題の始まる 1、 5、 11小節目の 2拍目 ( 6拍中の ) から、
「 crescendo 」 が始まり、次に続く 2、 6、 12 小節目の 1拍目まで、
「 crescendo 」 が、記されています。
★テーマの始まりに、 「 crescendo 」 を置くのは、ごく自然であり、
当り前ではないか・・・と思われるかもしれませんが、
当り前であるのなら、わざわざ書き込む必要はない、ともいえます。
★なぜ、バルトークは、ここにだけ、 「 crescendo 」 を、
書き込んだのでしょうか。
バッハ自筆譜には、当然のことながら、 「 crescendo 」 は、
ありません。
★そのヒントは、 やはり ≪ バッハの自筆譜 ≫ にあります。
バルトークは、校訂版の脚注で、バッハの自筆譜については、
ほとんど、触れてはいませんが、わずかに、 二冊目の第 2番
( バッハ・オリジナルでは 第 2巻 12番 f moll ) の脚注に、
「 オリジナルの自筆譜には・・・」 と、書いていることを鑑みますと、
バッハ自筆譜を、深く読み込んだうえで、
校訂版を、構築したのは、間違いないことでしょう。
“ 手の内 ” を、あまり明かしたくないのは、
バルトークに限らず、誰にでもあります。
さらに、バルトークとしては、 「 自分で探究してほしい 」 という、
気持ちも、強かったと、思います。
★バッハの自筆譜で、 「 第 1巻 15番 G dur ( ト長調 ) 」 を見ますと、
3回目のテーマ提示が始まる 「 11小節目 」 について、
1小節 ( 6拍分 ) の前半 1 ~ 3拍が、2段目に書かれ、
後半の 4 ~ 6拍が、3段目に書かれています。
分割されて、記載されているのです。
★なぜ、大切な 「 テーマ 」 が始まる小節を、 真っ二つに分断したのか?
ここにこそ、バルトークがわざわざ、この 11小節目に 「 crescendo 」 を、
記入した理由が、あるのです。
ここから、演繹して、 1小節目 と 5小節目 にも、
「 crescendo 」 を付したことが、納得できます。
★バッハは、平均律 1巻を、1ページ 6段 の楽譜で、記譜しています。
「 第 1巻 15番 G dur ( ト長調 ) 」 は、
プレリュードが、 2ページの 2段目まで占め、
フーガは、 2ページ の 3段目から、
4、 5、 6ページ の 4段目まで記載されています。
このため、フーガの最初のページは、4段分だけということになります。
★フーガ 3段目の、最後の小節 ( 16小節目 ) は、
前半 ( 1 ~ 3拍 ) までしか、書かれておらず、
後半 ( 4 ~ 6拍 ) は、その下の、4段目に書かれています。
一つの小節を二つに分断して書くとは、とても普通ではありません。
しかし、 “ それには、きっと深い理由があるはず ” と、
バルトークは真っ先に、それを考えたに違いありません。
★そして、そこから、前の主題である 11小節目に遡り、
分析しますと、≪ あるモティーフ ≫ が、浮かび上がってきます。
それが、とても重要であり、その結果、
この 「 第 1巻 15番 G dur ( ト長調 ) 」 を、
≪ 二冊目の冒頭の曲 ≫ として、据えるに至ったのです。
★ 15番について、
「 曲が長大なわりには、薄いフーガなので弾きやすいのですよ 」 、
「 主題の長いやつは、えてして薄いフーガが多いんですね」 と、
日本の有名な解説書には、書かれています。
しかし、何を称して 「 薄いフーガ 」 というのでしょうか?
★西洋クラシック音楽の、根源の仕組みにまで到達した、
バルトークの 「 洞察力 」 とは、かなりかけ離れているようです。
私は、このフーガを “ 弾けた ” 、 “ 分かった ” と思う瞬間が、
人生のなかで、あるのかしら? と思うほど、
深く、厚みのある曲である、と思います。
★バルトーク版 「 平均律クラヴィーア曲集 」 や、
Edwin Fischer エドウィン・フィッシャー (1886 ~ 1960) が、
校訂しました 「 Inventionen インヴェンション 」 について、
「 指使いが難しい 」 、あるいは 「 古い 」 として、
“ 蔑む ” 方も、いらっしゃるようです。
★インターネット上では、バッハについて、その楽譜について、
さまざまな方が、とりどり、百花繚乱的に、お書きになっています。
しかし、 「 指使いが難しい 」 、 「 古い 」 などと、
書かれている場合、多分、それを読む価値はないでしょう。
バルトーク、フィッシャー、 Artur Schnabel シュナーベル (1882 ~ 1951) 、
Claudio Arrau クラウディオ・アラウ (1903 ~ 1991 )
などの名校訂は、 「 指が楽に回る ( 弾き易い ) 」 ことを、
目的とは、していません。
★それらは、 ≪ 大作曲家の意図がどこにあるかを、
「 考えさせる 」 ための、手引きです ≫。
「 指使い 」 にしても、その人の手や指の大きさ、
筋肉の強さなど、 十人十色です。
自分で探究して、見つけていくしかありません。
★クラシック音楽の演奏や勉強に、
安易な 「 How to 」 は、ないでしょう。
それをうたう楽譜や、解説は、本物ではありません。
バルトークが発見した ≪ ある重要なモティーフ ≫ については、
アナリーゼ講座で、詳しく、ご説明いたします。
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