■幸福感に満たされた「ムストネンのヒンデミット演奏」とインド映画「ガンジスに還る」■
~樹木希林「悟りとはいかなる場合にも平気で生きていること」~
2018.12.1 中村洋子
★いよいよ師走です。
いつまでも心に残る映画を見ました。
Shubhashish Bhutiani シュバシシュ・グティアニ監督・脚本の
2016年/インド映画「ガンジスに還る Hotel Salvation」。
監督は、1991年7月生まれで、映画撮影時は24歳でした。
★Salvationは救済という意、年末の風物詩「救世軍鍋」の
救世軍は「Salvation Army」ですね。
★この映画は、キリスト教でなく、ヒンドゥー教のお話です。
死期を悟った老人「Daya ダヤ」が、息子「Rajiv ラジーヴ」に、
バラナシ(日本では、通称ベナレス)で死にたい、
付き添ってくれるよう頼みます。
★老人「ダヤ」を演じた「Lalit Behl ラリット・ベヘル(1949-)の演技が
素晴らしく、この重いテーマの映画を、飄々と、とぼけた軽みの中に、
人間の優しさと存在感、生死の厳しさを演じていました。
★日本の役者さんに例えれば、お顔は似ていませんが、
森繁久彌さんでしょうか。
★ことし亡くなられた樹木希林さんの、おそらく最後のインタビュー、
雑誌「銀座百点」9月号の「百点対談」~平気で生きていく強さ~
(聞き手 山川静夫)で、森繁さんについて「満州へ行ったり、戦争で
子どもを抱えて苦労したこと、経験した生活が全部味わいになっていて、
それがアドリブにも生きているから、勉強になるの。
向田さんも、演出の久世光彦さんも私も、森繁学校の生徒で、
日常のなんでもないところ、むしろ、悲しい時にフッとおかしいことをする
人間というのを教わったのね」と、語っておられます。
★このインド版森繁老人の息子「Rajiv ラジーヴ」を演じるのは、
Adil Hussain アディル・フセイン(1963-)。
仕事に追われるビジネスマンですが、父の願いに応え、
ガンジス河の前にある、死を待つ施設「解脱の家」まで同道します。
★勿論、父の死を望んでいる訳ではないのですが、
この「解脱の家」の滞在期間は、15日間だけ、
という規則になっています。
"15日を過ぎて生きていたらどうしたらいいか"、真面目に悩みます。
しかし、施設の長はすました顔で「名前を変えて再登録するだけ」。
これには笑ってしまいました。
それを繰り返し、18年間滞在している品のいい老婦人もおいでになる。
この映画は、人生賛歌です。
★この映画は、良質のユーモアに満ち、鑑賞中、声を出さずに
笑いっぱなしでした。
希林さんの「悲しい時にフッとおかしいことをする人間」と、
相通じるものがあります。
★人と人とが会話している際の画面の構図は、柱、戸、窓、などが
緊張感を孕んで、空間を切るように配置されています。
Bhutiani グティアニ監督が、どれだけ小津安二郎を勉強したか、
分かります。
天才を知るのは天才のみ、勉強勉強というのは、古今東西の鉄則。
岩波ホール「エキプド・シネマ」ロードショー、2018.12.14まで上映。
★映画の世界で、上記の Bhutiani グティアニ監督を楽しみましたが、
クラシック音楽では、フィンランドの Olli Mustonen オリ・ムストネンさん
(1967-)の、ピアノ演奏、指揮、作曲を楽しみました。
★Mustonen ムストネンさんが、 Paul Hindemith パウル・ヒンデミット
(1895-1963)の「The Four Temperaments 4つの気質ー
ピアノと弦楽オーケストラのための主題と変奏」を、
ピアノ演奏しながら指揮もするコンサートを聴きました。
★Paul Hindemith パウル・ヒンデミット(1895-1963)が、
ナチス・ドイツに迫害され、アメリカ亡命直後の1940年作品ですから、
40代半ばの曲です。
ムストネンも50歳を超えましたので、作曲家も演奏家もインドの
映画監督の倍ほどの年齢です。
★ちょうど20年前の1998年10月、来日したムストネンの
埼玉でのコンサート。
Bach《平均律クラヴィーア曲集》第1巻と、
ショスタコーヴィチ《24の前奏曲とフーガ》を、
交互に弾くという画期的な試みのコンサートを聴きました。
★その時の会場がとても暑く、ムストネンは右腕で汗を拭き拭きの
演奏、好演でした。
面識は全くありませんが、久しぶりにステージを拝見し、
何かとても懐かしい思いがしました。
★今回も、リーディンググラス(老眼鏡)を外しては、
汗を拭いての演奏でした。
さて、そのHindemithヒンデミットの演奏は、
「素晴らしい」の一言に尽きました。
一般的に、Hindemith作品の良い演奏はあまりなく、
「硬く、知的で冷たい曲」になり勝ちです。
★何故なら、曲を見通す力がピアニストに乏しいこと、
やっと、曲の構造を理解しましても、演奏することで精一杯、
そのピアニスト固有の解釈に基づいた演奏のみが持ちうるであろう
詩情 poetic sentiment を表現するまでに、至らない。
これがHindemithの場合、好演が少ない理由でしょう。
★更に、この The Four Temperaments は、ピアノと弦楽オーケストラ
によるピアノコンチェルトと言っても、過言ではありません。
ここで、いくらピアニストが優れていても、今度は、指揮者が、
アナリーゼと演奏にアップアップでは、これもまた、
つまらないオーケストラパートとなります。
★今回のムストネンは、ピアノ演奏が現在望みうるベストと言えるほど、
完璧でした。
日本のホール特有の、ガラスが割れたような強音を発するスタインウェイは
残念ですが、それすらも欠点を上手に制御し、
弱音は、もの柔らかな、うっとりするようなビロードの音色でした。
もっと良い楽器で聴きたかったとも思います。
(私の著書「クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり」のP214参照)
★オーケストラは、弦楽器のみですが、私には何故か
金管や木管の音色すら、聴こえてきました。
彼の指揮の凄さでしょう。
30分ほどの大曲ですが、一瞬の夢のようでした。
このような演奏に出会え、幸せです。
★続く、ムストネン作曲「九重奏曲 第2番(弦楽合奏版 日本初演)
NonettoⅡ(2000年) String Orchestra Version,Japan Premiere」。
伝統的書法の作品、以前チャイコフスキーの「四季」について、
当ブログで書きましたように、この作品も何故か北欧の冷涼な風が
吹いてくるような音色。
そのような音色が、どこから形成されていくのか、
これから考えていきたいと思います。
★続く3曲目は、ムストネンの師である、フィンランドの作曲家
Einojuhani Rautavaara エイノユハニ・ラウタヴァーラ(1928-2016)の
「Cantus Arcticus Concerto for Birds and Orchestra
カントゥス・アルクティクス 鳥と管弦楽のための協奏曲」
★フィンランドで録音された様々な鳥の鳴き声と、
伝統的書法で作曲されたオーケストラの両者を、
協奏曲のように扱うというアイデアです。
鳥の鳴き声を単独、あるいは、オーケストラと組み合わせて
聴かせますが、私には何故か、映画のBGMにしか
聴こえませんでした。
★映画の最後の情景、すべてのドラマが終わり、
登場人物はもういない、森と湖の静かな情景が延々と映し出される、
聴こえるのは、鳥の鳴き声だけ。
そこにオーケストラの叙情的な音楽がかぶさっていく、
というような感じでしょうか。
という訳で、極めて類型的な手法と言えましょう。
映画館で聴きたかった音楽です。
★次に演奏されたJean Sibelius ジャン・シベリウス(1865-1957)の
「ペリアウスとメリザンド」組曲を聴きますと、
なるほど、作曲はこうやってするものだと、
ラウタヴァーラを聴いた後で実感する次第でした。
★映画やコンサートで楽しい時を過ごしましたが、
先ほどの樹木希林さんのインタビューで、
≪最近になって松尾芭蕉や正岡子規ってすごいんだなって
思えるようになったんですね。子規が書いているでしょ、
「悟りという事は如何なる場合にも平気で死ねる事かと
思って居たのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも
平気で生きて居る事であった」って・・・(略)
いつでも、どんな場合でも平気で生きていくという強さ、
それが悟りだと≫
★この希林さんの境地は、実は、映画「ガンジスに還る」に
つながっていると、思えます。
そして20代の監督の若々しい生命力が、この映画を明るくし、
見終わった後、何とも言えぬ幸福感に満たされました。
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