■「フルトヴェングラーかカラヤンか」 ヴェルナー・テーリヒェン著を読む■
~ゴールデンウィークの緑陰読書~
2024.4.30 中村洋子
★毎年ゴールデンウィークは、私の「読書週間」です。
「フルトヴェングラーかカラヤンか」ヴェルナー・テーリヒェン著
(中公文庫)。
≪PAUKENSCHLÄGE FURTWÄNGLER ODER KARAJAN≫
by Werner Thärichen
が、今年の本です。
★近くの大型書店を訪れる際、真っ先に訪れるコーナーは
「在庫僅少本コーナー」です。
時々、いろいろな出版社の在庫僅少本が、まとめられています。
大半は文庫本で、一部に単行本もあります。
今回は、「中央公論新社」特集でした。
近頃「こんな良い本が在庫僅少?増刷しなかったら、
絶版になってしまう?」と、驚くことが多いです。
文庫本ですと、比較的手に届きやすい価格ですので、
「もう買えなくなるかも」と、つい多種多様の本をゴッソリ
求めてしまいます。
多忙な毎日、大きな仕事机の隅っこに、
これらの文庫本が、うず高く積みあがっています。
★新聞によりますと、《書店の減少に歯止めがかからない。
出版文化産業振興財団(JPIC)の調査で、昨年9月時点で、
全国の「書店ゼロ」市町村は、26.2%に悪化》だそうです。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/245933
★さて今回求めましたヴェルナー・テーリヒェン著
「フルトヴェングラーかカラヤンか」(中公文庫)ですが、
新潮社から、題名が“そっくりさん“の
「証言・フルトヴェングラーかカラヤンか」川口マーン恵美著も、
出ていますので、混同されないようご注意。
★このテーリヒェン著「フルトヴェングラーかカラヤンか」は、
「芸術」と「商業主義」に関する鋭い洞察、
「音楽の真実」を問いかける、深い内容の「良書」です。
この本は1988年、音楽之友社から単行本で出版され、
その後、2021年に中公文庫本となります。
★昔、単行本で読んだ、という記憶はあるのですが、
若かった当時では気が付かない、あるいは理解できなかった
ことが、経験を経た今、ダイレクトに胸に迫ってきます。
「良書」とはそういうものでしょう。
★ヴェルナー・テーリヒェン(1921年ドイツ・ノイアルデンベルク生
ー2008年ベルリン没)は、ティンパニ奏者で、作曲家でもあります。
1948~1984年までベルリンフィルハーモニー管弦楽団に在籍。
フルトヴェングラーとカラヤンのもとで、主席ティンパニ奏者と
楽団幹事を務めました。
ベルリン芸術大学指揮科教授、東京芸大の名誉教授でした。
★この本の全ては、まだ読んでいないのですが、
深く共感できるところ、興味深いエピソードなどをいくつか
挙げてみたいと思います。
★テーリヒェンは、思慮深く、誠実なお人柄ですが、
彼の観察眼を通して見た、いろいろな「出来事」「ハプニング」、
それに対する、フルトヴェングラーやカラヤン、さらにベルリンフィル
楽団員の反応、対応を読んでいきますと、
喝采を叫んだり、爽快感を味わうことができます。
「真実」を語っているからだと、思います。
★2023年4月30日の当ブログでの「ピアニスト F・グルダの話」に
通ずるものがあります。
F・グルダ「俺の人生まるごとスキャンダル グルダは語る」
田辺秀樹訳(筑摩書房)を読む
~ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、グールド等の評価、Mozartについて~
https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/1af637c2c597392ecf447fd2d9ca4a00
★この本は1987年に、ベルリンM&T Verlag (M&T出版社)から
出版されましたが、日本での単行本用に、
「日本語版に寄せて」という文章が、テーリヒェンから寄せられ、
巻頭に置かれています。
これを読みますと、テーリヒェンが、わざわざ日本語版に
文章を寄せた思いが、痛いほど伝わってきます。
著者自身によるこの本の「要約」、とも言えます。
★「日本語版に寄せて」で、テーリヒェンが最も訴えたかったことは、
ベルリンフィルに限らず、音楽界が、「商業主義」に
侵されている、ということへの強い懸念と憤りです。
冒頭で、ベルリンフィルが1957年、日本を初めて訪れた際の
素晴らしい思いでを綴ります。
★ベルリンフィルは、北は仙台から、温暖な南日本まで数多くの
都市を訪れた。聴衆は2時間も前から客席で待っていた。
完璧な演奏に目を見張るだけでなく、「心の奥底」まで触れ合う
感激を一緒に経験した。双方が与え合う体験を新たに味あわせ
てくれた。
《作曲家は、人々が集い、楽器が鳴り響き、歌の声と歌詞とが、
共にいる人々の琴線に触れることのできる演奏会場のような
空間を思い描いて音楽を書くのである。日本の聴衆は
そのような触れ合いがどれほど大事か、よく分かっている。》
このため団員も、日本の格別な雰囲気の虜になったのです。
しかし、その後、日本での演奏は増えましたが、訪問する
都市は減り、最後は、東京と大阪だけになり、プログラムも
マンネリに陥った。
聴衆の幅は、どんどん狭まっていった。
★≪音楽を愛し、芸術を伝えたいと思うか、それとも「商品」を
「売って」売上記録を更新する(どちらに重点を置くか)≫
≪(オーケストラと聴衆が)「何か」を与え合うかということの比重が
次第に軽くなり、かわって、権力と地位と富を手に入れるために、
「どのように」動き回るかに重点がおかれるになった。利益を追求
する連中がのさばってくる中で、芸術がその犠牲になってはなら
ない。≫
≪(この傾向は)実は他の職業でも、また他の国々でも同じ
ように存在していることに気づかされた。世間一般が成長よ、
進歩よとはやし立てる傾向を捨てて、心の内面に目を向ける
ことが差し迫って必要であるように思われる。≫
★日本初訪問の際、≪たくさんの人に、私たちの音楽行為
(~musizierenムジツィーレン)の有り様をよく知ってもらおう
と思った。≫と書いています。
そのため日本各地を回り、テレビやレコードでは味わえない、
音楽によって人と人との触れ合いを作り出し、
≪完璧なできばえに眼を見張るだけでなく、感情と感動の
様々な世界も掲示されねばなるまい。「心の奥底」まで
届かねばならない感激は、身近にいてこそ伝わるものだ。》
とも記しています。
★私が考えますのに、津々浦々を回り、音楽によって聴衆と
心の交流を図る、という「musizierenムジツィーレン」では
「効率よく儲けることはできない」のです。
移動に時間を取られる、観客数は東京、大阪に遠く及ばない、
地方では、入場券の単価も低く、収益が上がらない。
日本の主催者も、すぐそれに気が付いたので、
開催地は東京、大阪だけ、曲目は限られた名曲だけに
絞られ、あまり知られていない名曲、意欲的な新作などは
完全に排除されていったのでしょう。
現在は、それがさらに複雑に変化しています。
★〈「カラヤン像」の成立〉という小見出しの項にも、
面白い事実が、書かれていいました。
≪カラヤン演奏会の料金は、どんなことがあっても他の演奏会の
それより高くなければならなかった。初めの頃は(中村注、
ベルリンフィル首席指揮者に就任した頃)、彼の演奏会の入りは
他の有名な指揮者ほどよくなかった。
そのため、入場料金を吊り上げて、事が例外に属する出来事
であることを印象づけようとしたのである。
そうでもしなければ、カラヤンと他の指揮者の伎倆の違いなど
すぐには目立たなかったかもしれない。
だが、金を払う段になると人の多くは敏感になるものだ。≫
★よく分かります。もし、私がその当時ドイツにいたならば、
カラヤン以外で聴いてみたい指揮者は沢山いました。
現代の「ブランドファッション」も、同じだと思います。
その洋服やバッグの原価はどう考えても、知れているように
思えますが、門衛付きの厳めしく煌びやかな店構え、
目の玉が飛び出るほどの価格、
セレブが身にまとっている・・・など、その製品にヒラヒラと
付随している「付加価値」によって、
ブランドのお値段は決まるのでしょう。
「入場料金を吊り上げ」たカラヤンは、
その先駆者だったのかもしれません。
★カラヤンは、演奏会の料金を高くしただけではなく、
《例えば、演奏会の開始時刻の様にさして重要でないことでも、
必ず他とは違うようになっていて、公演が特別な催し物である
ことを聴衆に暗示する。》
開始時間までも、「特別な自分」の演出に使われました。
≪カラヤンと彼のフィルハーモニーという特別な祝祭的イヴェントは
単に耳の饗宴にとどまらず、視覚も娯(たの)しませねばならない
というように、舞台上には、普通の枠をはみ出た数の楽員が
勢ぞろいして、いやが上にも、人の目を引く。
ところが客演の指揮者たちは、家の主人カラヤンと同数の
弦楽器奏者および、管楽器の倍増を要求しても
徒労に終わった。≫
大編成のオーケストラも、自分以外の客演の指揮者には
認めないのです。
★彼の“帝王”ぶりは、後から振り返ると、まるで「児戯」に
等しいと思えるのは、私だけではないでしょう。
こんなエピソードもあります。
≪フルトヴェングラーの指揮が、最も濃密になるのは
繊細きわまる、静かな箇所であり、音量の強い個所では響きは
抑制が効き、崇高でなければならなかった。カラヤンは静かな個所
でも強い表現を求め、フォルティッシモでは無慈悲な大音量を
要求しさえした。≫
★テーリヒェンの同僚のティンパニー奏者は、聴覚の酷使のため
難聴になってしまいます。
後にテーリヒェン自身も、大きく激しい音響による、つらい耳鳴りに
昼夜な悩まされるようになります。
テーリヒェンはカラヤンの演奏会には、耳栓をして自分のティンパニの
音から耳を守らなければならなかったのです。
《何人かの木管奏者も、背後のトランペット奏者やトロンボーン
奏者が、楽器を自分たちに向けたときには、耳栓をしていた。
このようなフォルティッシモの強音が我慢できないという苦情が、
いくつもカラヤンによせられた》
しかし、カラヤンは強烈な音量だけは断念しようと
しなかったのです。
★ロンドン公演の練習の折、ティンパニーがやかましすぎると
トランペット奏者たちがカラヤンに苦情を申し立てました。
テーリヒェンもそう思ったのですが、カラヤンは音量を落とそう
とせず、そのかわりに、ティンパニとトランペットの間に、
レコード録音で使うような透明な隔壁を立てました。
その結果、何が起こったのでしょう。
トランペット奏者はティンパニの轟音から逃れることができましたが
テーリヒェンは自分が作り出す120デシベルの音に加えて、
隔壁から反射される音まで、我慢する羽目になります。
テーリヒェンは、カラヤンの意図に猛烈に反対しますが、カラヤンも
強烈な響きを失いたくないために、「あなたもさっさと砲兵隊へ
行くことを考えた方がよかったのに」と嫌味を言い、譲りませんでした。
豪華なベルリンフィルの音響は、奏者の健康の犠牲の上に
成り立っていたのですね。
★私が夢想するのは、もしカラヤンがトリックのような手法で、
フルトヴェングラー亡き後、ベルリンフィルの首席指揮者の地位を
手に入れることなく、例えばチェリビダッケがその地位を得ていた
としたならば、現代のこの目を覆うばかりのクラシック音楽の
商業主義は、少しは方向が違ったかもしれません。
フルトヴェングラーの演奏は、いまだに「新しいマスタリング」や
「発見された録音」等、少しでも過去にない録音であれば、
愛好家は手に入れようとします。
永遠に愛され尊敬される芸術家です。
★カラヤンどうでしょうか。
生前の"栄光"を、維持しているでしょうか。
★次回のブログでは、テーリヒェンの接した、そして心から
敬愛したフルトヴェングラーについてお話を続けます。
一つだけ、テーリヒェンの「フルトヴェングラー体験」を。
≪ある日のこと、私はティンパニに向かって腰かけ、
ある客演指揮者の稽古が続いている間、前に広げた
総譜を追い、楽器編成の細部に没頭していた。…
中略…私はごく寛いだ気持ちで総譜に没頭し、
演奏を追いかけていればよかった。≫
テーリヒェンはティンパニ奏者であると同時に、作曲家です。
ティンパニのパートは、一曲の中で、大活躍する時と、
ずっとお休みの時もあります。
きっとティンパニの活躍が少ない曲だったのでしょうね。
彼はリハーサルをしている時に、あまり使わないティンパニの
上に、その曲のスコアを置き、作品研究に没頭していました。
この時のリハーサルは合奏の揃い具合、テンポと強弱の決定、
ピッチの修正等、坦々と進行していたのでしょう。
《私はごく寛いだ気持ちで総譜に没頭し、演奏を追いかけて
いればよかった。突如として音色が一変した。もう全力を投入
する本番ででもあるかのような「温かさ」と「充実」が現れた。
狐につままれたように私は総譜から眼を上げ、指揮棒の
斬新な魔術が奇跡でも起こしたのかと確かめようとしたが、
指揮者の身の回りには何一つ変わったことはなかった。
次に同僚たちに眼を移すと、彼らは皆ホールの端の扉の方を
見ていた。そこにフルトヴェングラーが立っていたのだった。》
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