音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■「フーガの技法」は暖かく、命に満ちた和声、絶妙な「Ⅲ」の和音の配置■

2020-09-09 21:04:49 | ■私のアナリーゼ講座■

■「フーガの技法」は暖かく、命に満ちた和声、絶妙な「Ⅲ」の和音の配置■
~アナリーゼ講座をオンラインで再開します:「悲愴」第2楽章~

             2020.9.9 中村洋子

 





★今日は9月9日、重陽の節句です。

扉の向こうには秋が待っているのでしょうか。

ドアや引き戸を開けようとした時、ドアの向こう側にいた人も

同時に開けようとしていて、二人ともビックリという経験は

誰にでもあります。


★先日、郵便配達の方が、我が家の郵便受けに差し込み始めた

時のこと、偶然居合わせた私はその郵便物を家の中から

引き抜いて取ってしまいました。

配達の方はさぞビックリされたことでしょう。

その時思い出した短歌。

≪不実なる手紙いれても わが街のポストは 指を噛んだりしない≫
             杉﨑恒夫「パン屋のパンセ」より


★この時、私は杉﨑さんのポストになった気分でした。

残念ながら届いた郵便物は、味気ない書類やDMばかりで、

不実なる手紙は入っていませんでした。

シューベルト「Winterreise 冬の旅」第13番「Die Post

郵便馬車」のように、昔はPosthorn ポストホルン、

郵便馬車の喇叭に、恋人たちは胸を高鳴らせていたのでしょうね。

不実なる手紙を入れると、指を噛んでしまう、

そんなポストがもし、あったとしたならば、

面白くもあり、そして少々物騒でもあります。

 

 

 


★「Die Kunst der Fuga フーガの技法」のお話の続きです。

一つお断りしておきたいことがあります。

私は、このブログではBachの生前の自筆譜を使って、お話して

おりますが、皆さまがお持ちの楽譜は圧倒的に、

没直後出版の初版譜に基づく実用譜であると、思われます。


自筆譜と初版譜の細かい差異については、今回触れませんが、

一つ重要なことは、小節数の数え方が違う、ということです。

例えば、自筆譜3小節目は、初版譜5、6小節目に、

自筆譜19小節目は、初版譜の37、38小節目に該当する、

というように、初版譜の小節数は、

自筆譜の小節数のほぼ2倍の数になっています。


★これはどういうことか、といいますと、

自筆譜は2分の2拍子でありながら、

1小節が2分音符4個分に相当する記譜法であり、

 

 

初版譜は、1小節に2分音符2個分に相当する、

現代と同じ記譜法だからです。

 

 

自筆譜と同じ記譜法は、平均律2巻9番 E-Dur Fuga でも、

採用されています。


 

自筆譜や、平均律2巻9番「alla breve アラ・ブレーヴェ」は、

当時の伝統的なアラ・ブレーヴェであるのに対し、

初版譜は、新しい様式のアラ・ブレーヴェ(2分の2拍子)を、

採用しています。


★とはいえ、「平均律2巻」23番 H-Dur Fugaは、

その新しい様式で書かれています。

 

 

Bachは同じ曲集で、二種類の ala breve を区別して使っています。

これにつきましては、いずれ当ブログまたは講座で、

ご説明しますが、今回は和声のお話ですので、

この話題はひとまず脇に置き、

自筆譜と初版譜の拍子の記譜法が異なる、ということと、

自筆譜の小節数×2が、ほぼ初版譜の小節数に該当する

ということだけを、先ずは念頭に置いて下さい。

 




★さて、前回約束しました「Die Kunst der Fuga フーガの技法」

素晴らしい和声の一端をお話します。

前回では、自筆譜の見開き2ページの1ページ目最下段について、

書きましたが、今回は、その19小節目、20小節目前半の和声

ついて、少し詳しく見てみます(初版譜では37、38、39小節)。


「フーガの技法」は d-Moll 二短調ですが、

この左ページ最下段右端に位置する19、20小節目のソプラノ声部は、

何故か、C-Dur の主和音の構成音である「c²-e²-g²」が、

際立って目に飛び込んでくるように、

作曲されています。

 


★なお、自筆譜はソプラノ記号、アルト記号、テノール記号、

バス記号の4段譜で記譜されていますが、ここでは、

皆さまが読みやすいように、ソプラノ譜表とアルト譜表を、

高音部譜表(ト音記号による譜表)に、書き換えました。

また、この部分は、テノール声部は休止していますので、これを

省略し、3段譜によって書き写しました。

符尾の向きは、自筆譜とすべて同じ方向に書きました。


★この部分の和声は、どうなっているのでしょうか?

まず19小節目前半の和声を、要約してみます。

4段譜を大譜表に換えますと、こうなります。

 

 

これを大譜表を用いて和声要約します。

 

 

さらに要約を推し進めますと、こうなります。

 



 

是非、音に出して、この甘く切ない和声を味わって下さい。

「フーガの技法」の和声は、決して灰色に塗りこめられた

老年の、暗い和声ではありません。

 

 

 


★暖かくて魅力的、命に満ちた和声なのです。

少し解説しますと、冒頭の和音、それに続く二つ目の和音は、

「主調 d-Moll」 です。

そしてそれは「三和音」ではなく、「七の和音」ですので、

20世紀の映画音楽にも使われそうな、

甘く明るい響きです。

 

 


★続く三つ目の和音は、「F-Dur」にスルスルと転調しています。

なぜ「スルスル」なのか、といいますと、

冒頭和音「d-Moll Ⅵ₇」と、2番目の和音「d-MollⅣ₇」は、

「F-Dur」に読み換えますと、

「F-DurⅣ₇」と「F-DurⅡ₇」となり、

「d-Moll」でありながら、「F-Dur」と聴き取ることも

可能だからです。


 


★つまり、冒頭和音と2番目の和音を聴いている時

その和音は「d-Moll」主調に属しながら

「F-Dur」の和音としても通用するという二面性をもっているがため、

この二つの和音を、F-Dur「Ⅳ₇」と「Ⅱ₇」とも感じ取りつつ、

次には、スルスルと「F-Dur」ドミナント属七の和音に、

進行できるのです。

属七の和音が進行する先は、本来は主和音のはずです。

順当に主和音に進行したとしますと、

「フーガの技法」第1曲目は、こんな曲になっていたでしょう。

 

 

このように主和音に進行してしまいますと、

音楽がここで「終止」して、滞ってしまいます。

 

 

Bachが書きましたように、

 

 

ここを「Ⅲ」の和音にしますと、F-Dur の明るく

はっきりした長三和音の主和音ではなく、

短三和音の何か物問いたげな、それゆえ、

音楽の流れ自体が、“答え”を求めるかのように、

先へ先へと進んでいく絶妙な和音といえましょう。



 

 


★この「Ⅲ」の和音につきましては、私の著書

≪クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり!≫の中で、

Chopin、Debussy、Rachmaninovの「Ⅲ」の和音について、

色々な角度から光を当てています

どうぞ読み返して下さい。


★同様の「Ⅲ」の和音による和声進行が、

自筆譜20小節目(初版譜39小節目)にも、あります。

 


 

ここで気が付きますのは、19小節目から20小節目前半にかけて、

先ほど述べましたように、ソプラノ声部に C-Dur ハ長調の主和音

「c²-e²-g²」が、現れます。


★Bachは、「Ⅲ」の和音を巧みに配することによって、

あからさまなC-Dur を、避けているのです。

しかし、この1ページ最下段右端に C-Dur の主和音の構成音

「c²-e²-g²」が配置されていますのは、

紛れもない重要な事実です。


★今日のお話はここまでですが、Bachが d-Moll と C-Dur を

どう、捉えていたかを考える参考として、

私の著書≪クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり!≫の

100~111ページ

『バッハ「「無伴奏チェロ組曲全6曲」の調性がもつ本当の意味』を、

もう一度お読み下さい。

 

 


★コロナによる緊急事態宣言により、延期していました

「アナリーゼ講座」を、再開することになりました。

ただ、コロナ禍はまだ終息しておりませんので、

「オンライン講座」となります。

初めての経験ですが、パソコンかスマホがあれば、

どなたでも受講が易々とできますよう、これからご案内に

努めたいと思います。。


アナリーゼ講座の曲目は≪Beethoven(1770-1827)

ベートーヴェン ピアノソナタ第8番 Klaviersonate c-Moll Op.13

悲愴 (Grande Sonate Pathétique) 第2楽章≫です。

 

■日時:2020年10月31日(土)14:30-17:00(休憩1回)

https://www.academia-music.com/user_data/analyzation_lecture

 

 




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