■「フーガの技法」自筆譜冒頭の自由句《レミファソラ》が、全曲の屋台骨を形成■
~この自由句が平均律1、2巻との掛け橋、「フーガの技法」アナリーゼその3~
2020.8.27 中村洋子
★酷暑が続いていますが、食卓に射し込む陽射しが、
いつの間にか長く、伸びているのに驚かされます。
★≪晩夏(おそなつ)の西日さし入る店頭に
どれも発熱の黄なるオレンジ≫
杉﨑恒夫「食卓の音楽」
★近頃はフルーツもスーパーで買うことが多いのですが、
街の八百屋さんの店先には、日除けのテントの下に、
西瓜(スイカ)が、ゴロンと並んでいたりします。
やや奥まって開け放たれたガラス戸の奥には、
オレンジが行儀よく、並んでいるのかしら。
晩夏の西日は、熱い舌先でオレンジを舐め回しているよう。
★今回は、Bach「フーガの技法」の続き、第3回です。
1742年のBach自筆譜には、Bachによる「表紙」は存在しません。
後に娘婿のAltnickol Johann Cristoph アルトニコル(1719-1759)
によって書き込まれた題名は「Die Kunst der Fuga」です。
この「Fuga」は、イタリア語またはラテン語ですが、没後出版の
初版楽譜は「Die Kunst der Fuge」と、なっています。
この「Fuge」は、ドイツ語です。
★このため当ブログでは、自筆に言及する時は「Fuga」、
初版譜の時は「Fuge」というふうに、厳密ではないまでも、
緩やかに区別していきたいと、思います。
★「フーガの技法」各曲について、自筆譜では順番にⅠ Ⅱ Ⅲ・・と
番号がふってあるのみです。
初版譜は、各曲に「Contrapunctus 1、2、3・・・」と番号があり、
「Fuga」「Fuge」の文字もありません。
Bachはこの立派なフーガ群に「Fuga(Fuge)」の題名を
与えなかったのは何故なのか。
「Counterpoint (Contrapunctus)」という言葉に集約された
「Bachの構想」は何かを、これからじっくり学んでいくつもりです。
★ところで、 Fuga の勉強というと「この声部には Subject 」
「この声部はCounter subject」、あるいは「この部分は提示部
(Exposition)、ここは嬉遊部(Episode)・・・」というように、
何となく図式のように全体を見渡して、それでよし、とされ勝ち
ですが、それだけではFugaの「探求」の入口にも、
立ったことにはなりません。
★ヨーロッパのクラシック音楽は、単旋律でない限り、
2声であっても、あるいは、たった2つの音が同時に
存在するだけでも、そこに必ず生まれるのが
「Harmony(和声)」です。
和声と対位法は、表裏一体なのです。
★「フーガの技法」の勉強で、第1曲目のSubjectが2曲目、3曲目で、
どう変容して展開されていくか、その展開だけにとかく
目を奪われがちですが、この曲集の類稀な和声にも、
もっと注目すべきでしょう。
★Bachがこの曲集の各曲に、自筆譜では題名をつけず、
没後出版には「Contrapunctus 1 2 3・・・」としたのは、
フーガでありながら、フーガの範疇すらも超えた作品であることを、
自負したからかもしれません。
★前回ブログでお話しました自筆譜の1段目中央3小節目冒頭の
アルト声部について、もう一度思い出してみましょう。
ソプラノ声部は、Answer(応答)ですが、
このアルト声部「d¹ e¹ f¹ g¹ a¹(レ ミ ファ ソ ラ)」は、
いわゆる自由句で、
フーガの中で Subject 主題と Answer応答、Counter-subject 等の
ことさら重要な役割は担っていません。
このため「自由句」と言うのですが、この長大な曲集
Die Kunst der Fuga の第1曲1段目「中央」という位置は、
底知れない重要性をもっています。
★ここでハッと気づくことは、平均律1巻24番 h-Moll との関連です。
私は現在、コロナ禍で中断していますが、平均律1巻アナリーゼ講座を
1~8番まで開催しました。
https://www.academia-music.com/user_data/analyzation_lecture
その中で、1巻全24曲の中で、24番 h-Moll が特異な位置を占めて
いる事、即ち1~8番までの曲のほとんどが明確に、矢印を24番の
方に向けているとともに、24番ははっきりと平均律2巻を
指向している、ということをじっくりご説明しました。
★これを言い換えますと、Bachは平均律1巻を作曲中に、既にかなり
はっきりとした平均律2巻の「構想」を描いていたであろうことです。
そして、平均律2巻の自筆譜は、1738~42年に書かれています。
平均律2巻と「フーガの技法」については、
私の著作《クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり》の
207ページを、是非お読みください。
★「フーガの技法」の自筆譜も、1742年に書かれていますから、
この二つの曲集は、同時期に並行して作曲されたことになります。
2巻の構想を明らかに胸に秘めた上で作曲された「1巻24番h-Moll」の
プレリュードPraeludium24(自筆譜ではこのようにラテン語で
表記) は、このように始まります。
★試みにこの1巻24番h-Moll のPraeludiumを、
短3度下の 「d-Moll 」に移調してみましょう。
★「フーガの技法」3小節目のアルト声部冒頭「d¹ e¹ f¹ g¹ a¹」は、
驚くべきことに、「d-Moll」 に移調した1巻24番のプレリュードの
「d e f g a」に、見事に対応しています。
ここに平均律1巻→平均律2巻→フーガの技法の掛け橋を
読み解くカギがあります。
★ちなみに、平均律1巻24番 h-Moll の冒頭の「主音H」から
「主音h」に上行していく音階は、≪ Matthäus-Passion
マタイ受難曲 ≫ の第1曲目6小節目の e-Moll の上行音階と同様、
ゴルゴダの坂を上るイエスの歩みを象徴しているともいえましょう。
これにつきましては、
私の著作《クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり》の314ページ
『≪調性をどう解釈するか≫という問いへの具体的な解答は
「バスのオクターブにわたる音階上行形」』を、お読み下さい。
★お話を戻しますと、「フーガの技法」自筆譜3小節目の
ソプラノ声部は、 Answer 応答 ですが、その冒頭2分音符の
「 a¹ d² 」は、これもまたd-Moll に移調した平均律1巻24番の
アルト声部「 a¹ d² 」と、一致します。
★まとめますと、「フーガの技法」自筆譜3小節目のアルト声部
「d¹ e¹ f¹ g¹ a¹」を、単なる埋め草として見落としますと、
「フーガの技法」の屋台骨に気付かない、という残念な結果
になります。
言うまでもないことですが、Bachは自筆譜をただ漫然と
書き連ねることなど決してしない作曲家です。
★試みに、自筆譜1ページ1段の《中央》に「d¹ e¹ f¹ g¹ a¹」が
位置していますが、それでは自筆譜1ページ最下段の《中央》は、
どうなっているのでしょうか。
Bachの自筆譜は、1~8番まで1ページが5段で書かれています
(2番のみ追加の1段があります)。
ですから最下段は「5段目」となり、その中央の小節は19小節目です。
自筆譜は、ソプラノ、アルト、テノール、バス記号の4段譜ですが、
20小節前半までを、分かりやすいように、ソプラノとアルト声部を
ト音譜表に、書き換えてみます。
テノール声部はお休みですので、そのままにしておきます。
★1段目の中央3小節目から、ほぼ真下に視線を落としますと、
5段目中央19小節目に行き着きます。
★そして、19小節目から20小節目にかけて、3小節目の
「d¹ e¹ f¹ g¹ a¹」が、見事に展開されているばかりではなく、
19、20小節目のソプラノ声部だけを見てみますと、
d-Moll 主音「d¹からd²」まで、オクターブにわたる音階上行形が
形成されているのです。
更に驚くべきことには、19小節目から20小節目前半のアルト声部の
2分音符を取り出してみますと、「c¹ e¹ g¹ ド ミ ソ」になります。
自筆譜は、この三つの音が、大変に目立ちます。
★その同じ部分のソプラノ声部を見ますと、アルト声部を
追い掛けるように、これもまた、「c² e² g²」があります。
「二短調 d-Moll」の曲なのに、なぜか「ド ミ ソ」なのです。
本来なら「d-Moll」の主和音「レ ファ ラ」をここに置きます。
そうしますと非常に、分かりやすくなります。
しかし、Bachはあえてそうしませんでした。
これについては、次回ブログでご説明します。
★この譜例は、自筆譜通り、ソプラノ譜表、アルト譜表で
書き写します。
★この「ド ミ ソ」が、いかに際立つように書かれているかも、
よく分かります。
これが「フーガの技法」1曲目冒頭左ページ最後の部分の音です。
ここでの和声については次回ブログでまた、ご説明します。
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