■■ バッハ・インヴェンション12番の直筆譜から、読み取れること ■■
09.7.25 中村洋子
★7月28日(火)午前10時から、
カワイ表参道「コンサートサロン・パウゼ」で、
「第12回 バッハ・インヴェンション アナリーゼ講座」を、
開催いたします。
きょうは、じっくりと、テキスト作りをいたしました。
バッハの「インヴェンション&シンフォニア」は、
幸いにも、バッハ自身の直筆譜が、15曲づつ、全30曲が、
すべて、残されています。
★前回のブログで、ショパン「エチュードOp25-1」の
手稿譜について、書きましたように、
作曲家自身の直筆が、残されている以上、
何をおいても、たとえ小さなことでも、
その作曲家が譜面に残した意図を、優先すべきであると、
私は、思います。
その小さなことが、実は、大変に大きなことを、
示唆している、ということが、あるからです。
★「インヴェンション12番」は、≪21小節≫という、
極小の、小節数で、できています。
私が、所有しております楽譜、例えば、「ヘンレ版」、
「新バッハ全集」(ベーレンライター版)、
「ヴィーン原典版(Ratz/Fuessl/Jonas)」、
「ヴィーン原典版(Leisinger/Jonas)」などの、
譜割り(1段に、何小節を書くか)は、
最初の1段には、1小節だけを書き、それ以降は、
1段に2小節ずつ、計11段として、記譜しています。
★ところが、バッハの直筆は、以下のようになっております。
1段目:3小節目の3拍目まで(変則的な記譜)
2段目:3小節目の4拍目から、6小節目2拍目まで(変則的)
3段目:6小節目3拍目から、8小節目の最後まで(通常の記譜)
4段目:9小節目から、11小節目の最後まで(通常)
5段目:12小節目から、15小節目2拍目まで(変則的)
6段目:15小節目3拍目から、18小節目2拍目まで(変則的)
7段目:18小節目3拍目から、最後の21小節の最後まで(通常)
★まるで、詩の韻律のように、変則×2の後に通常×2、
変則×2の後に通常×1と、計7段に、納めています。
★そのような譜割りにしたことに対する、(これから述べます)
私の見解に対して、予想される反論を、挙げてみます。
① バッハ時代は、紙が極めて貴重であり、
バッハは倹約家で、なるべく、詰めて書いたのであろう。
② どのような譜割りをするかは、本質的なことではない。
③ バッハは、極めて、早書きの人であったため、
譜割りについては、特別に配慮せず、かなり無頓着であった。
★私の見解は、以下のようです。
「インヴェンション&シンフォニア」は、15番までどの曲も、
1曲につき、2ページを使って、書いています。
1ページは、必ず、3段になっています。
2ページも、3段で書かれています。
つまり、計6段で書かれています。
★しかし、例外は、この「インヴェンション12番」と、
「シンフォニア11番」です。
この2曲は、2ページ目が、4段で書かれています。
上記のように、「12番」は、1段目と2段目の終わりが、
小節線で終わっておらず、途中まで書き、その続きを、
次の段から始めるという、大変に「変則的」な、書き方です。
5、6段目も同様で、小節線では終わっていません。
これは、紙を節約するということとは、
全く、関係のない次元のことでしょう。
★すぐれて、「作曲上の理由」なのです。
★ここで、お気付きになられた方も、いらっしゃると思います。
ショパンは、バッハから、何を学び、自分の作曲の源泉としたかに、
関係してきます。
この「インヴェンション12番」は、「8分の12拍子」と記されています。
楽典上では、8分の3拍子が、4個複合された「複合拍子」と、
いうことに、なります。
★皆さまは、この曲を、≪4拍子≫として、
演奏されていると、思います。
≪4拍子≫としてみた場合、この曲の1拍は、
16分音符6個から、できています。
16分音符6個からなる1拍が、4個集まった拍子。
ショパンの、「エチュードOp25-1」に、
重なって、見えてきませんか?
この曲も、ショパンのエチュードも、4拍子として、
機械的に、拍を刻み、演奏することは、おそらく、
作曲家の意図には、沿っていない、と思われます。
★バッハは、この直筆譜から、「演奏法」について、
さらに「作曲法」についても、無限にたくさんのことを、
後世の私たちに、語り掛けてくれています。
それは、バッハが自分で書いた「序文」の言葉、
≪すべて正確に、かつ、上手に演奏できるようにし、
同時に、優れた着想(インヴェンション)を
得ることができるようにし、さらに、それを巧みに展開し、
特に、カンタービレ奏法を身につける、
さらに将来、作曲をする際に味わうであろう、
(その苦楽を)事前に、十分に積極的に体験する≫
と、ぴたりと、一致します。
★この直筆譜で、バッハの息子や弟子たちは、勉強しました。
大バッハが、言葉で教えるより先に、
楽譜を目で見る、つまり「視覚」で、どう弾くか、
どう作曲するかを、教えているのです。
★先ほど述べました、ヘンレ、ベーレンライター、
ヴィーン原典版とも、すべて、
最初の1段には、1小節だけを書いています。
私には、それは、とても間延びした書き方で、
音楽のもつ緊張感から、ほど遠い記譜であり、
学習者が、その楽譜通りに、1小節目だけを強調して、
弾いてしまい勝ちなのは、とても残念なことです。
★以上、直筆譜から、読み取れることの、
ほんの一端を、書きました。
★「インヴェンション・アナリーゼ講座」では、
なぜ、バッハが「変則的」に、小節の途中で段落を変えたか、
その「理由と狙い」について、詳しく、ご説明します。
さらに、それを、演奏にどう活かすかも、お話しするつもりです。
それらを、理解することにより、必然的に「暗譜」が、
容易になります。
これらは、すべて、ショパンにも、その他の作曲家にも、
当然のことながら、応用できるのです。
(山本隆博さんの漆器に、茗荷、唐辛子、アスパラガスの葉)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.7.25 中村洋子
★7月28日(火)午前10時から、
カワイ表参道「コンサートサロン・パウゼ」で、
「第12回 バッハ・インヴェンション アナリーゼ講座」を、
開催いたします。
きょうは、じっくりと、テキスト作りをいたしました。
バッハの「インヴェンション&シンフォニア」は、
幸いにも、バッハ自身の直筆譜が、15曲づつ、全30曲が、
すべて、残されています。
★前回のブログで、ショパン「エチュードOp25-1」の
手稿譜について、書きましたように、
作曲家自身の直筆が、残されている以上、
何をおいても、たとえ小さなことでも、
その作曲家が譜面に残した意図を、優先すべきであると、
私は、思います。
その小さなことが、実は、大変に大きなことを、
示唆している、ということが、あるからです。
★「インヴェンション12番」は、≪21小節≫という、
極小の、小節数で、できています。
私が、所有しております楽譜、例えば、「ヘンレ版」、
「新バッハ全集」(ベーレンライター版)、
「ヴィーン原典版(Ratz/Fuessl/Jonas)」、
「ヴィーン原典版(Leisinger/Jonas)」などの、
譜割り(1段に、何小節を書くか)は、
最初の1段には、1小節だけを書き、それ以降は、
1段に2小節ずつ、計11段として、記譜しています。
★ところが、バッハの直筆は、以下のようになっております。
1段目:3小節目の3拍目まで(変則的な記譜)
2段目:3小節目の4拍目から、6小節目2拍目まで(変則的)
3段目:6小節目3拍目から、8小節目の最後まで(通常の記譜)
4段目:9小節目から、11小節目の最後まで(通常)
5段目:12小節目から、15小節目2拍目まで(変則的)
6段目:15小節目3拍目から、18小節目2拍目まで(変則的)
7段目:18小節目3拍目から、最後の21小節の最後まで(通常)
★まるで、詩の韻律のように、変則×2の後に通常×2、
変則×2の後に通常×1と、計7段に、納めています。
★そのような譜割りにしたことに対する、(これから述べます)
私の見解に対して、予想される反論を、挙げてみます。
① バッハ時代は、紙が極めて貴重であり、
バッハは倹約家で、なるべく、詰めて書いたのであろう。
② どのような譜割りをするかは、本質的なことではない。
③ バッハは、極めて、早書きの人であったため、
譜割りについては、特別に配慮せず、かなり無頓着であった。
★私の見解は、以下のようです。
「インヴェンション&シンフォニア」は、15番までどの曲も、
1曲につき、2ページを使って、書いています。
1ページは、必ず、3段になっています。
2ページも、3段で書かれています。
つまり、計6段で書かれています。
★しかし、例外は、この「インヴェンション12番」と、
「シンフォニア11番」です。
この2曲は、2ページ目が、4段で書かれています。
上記のように、「12番」は、1段目と2段目の終わりが、
小節線で終わっておらず、途中まで書き、その続きを、
次の段から始めるという、大変に「変則的」な、書き方です。
5、6段目も同様で、小節線では終わっていません。
これは、紙を節約するということとは、
全く、関係のない次元のことでしょう。
★すぐれて、「作曲上の理由」なのです。
★ここで、お気付きになられた方も、いらっしゃると思います。
ショパンは、バッハから、何を学び、自分の作曲の源泉としたかに、
関係してきます。
この「インヴェンション12番」は、「8分の12拍子」と記されています。
楽典上では、8分の3拍子が、4個複合された「複合拍子」と、
いうことに、なります。
★皆さまは、この曲を、≪4拍子≫として、
演奏されていると、思います。
≪4拍子≫としてみた場合、この曲の1拍は、
16分音符6個から、できています。
16分音符6個からなる1拍が、4個集まった拍子。
ショパンの、「エチュードOp25-1」に、
重なって、見えてきませんか?
この曲も、ショパンのエチュードも、4拍子として、
機械的に、拍を刻み、演奏することは、おそらく、
作曲家の意図には、沿っていない、と思われます。
★バッハは、この直筆譜から、「演奏法」について、
さらに「作曲法」についても、無限にたくさんのことを、
後世の私たちに、語り掛けてくれています。
それは、バッハが自分で書いた「序文」の言葉、
≪すべて正確に、かつ、上手に演奏できるようにし、
同時に、優れた着想(インヴェンション)を
得ることができるようにし、さらに、それを巧みに展開し、
特に、カンタービレ奏法を身につける、
さらに将来、作曲をする際に味わうであろう、
(その苦楽を)事前に、十分に積極的に体験する≫
と、ぴたりと、一致します。
★この直筆譜で、バッハの息子や弟子たちは、勉強しました。
大バッハが、言葉で教えるより先に、
楽譜を目で見る、つまり「視覚」で、どう弾くか、
どう作曲するかを、教えているのです。
★先ほど述べました、ヘンレ、ベーレンライター、
ヴィーン原典版とも、すべて、
最初の1段には、1小節だけを書いています。
私には、それは、とても間延びした書き方で、
音楽のもつ緊張感から、ほど遠い記譜であり、
学習者が、その楽譜通りに、1小節目だけを強調して、
弾いてしまい勝ちなのは、とても残念なことです。
★以上、直筆譜から、読み取れることの、
ほんの一端を、書きました。
★「インヴェンション・アナリーゼ講座」では、
なぜ、バッハが「変則的」に、小節の途中で段落を変えたか、
その「理由と狙い」について、詳しく、ご説明します。
さらに、それを、演奏にどう活かすかも、お話しするつもりです。
それらを、理解することにより、必然的に「暗譜」が、
容易になります。
これらは、すべて、ショパンにも、その他の作曲家にも、
当然のことながら、応用できるのです。
(山本隆博さんの漆器に、茗荷、唐辛子、アスパラガスの葉)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲