■ショパン「エチュードOp 25-1」の、手稿譜とエキエル版との相違点
その4 ■
09.7.22 中村洋子
★ショパン「エチュードOp 25-1」について、①09/5/31 ②6/12
③7/13と、3回にわたって、手稿譜とエキエル版との違いを、
書いてきましたが、今回は、その4回目です。
★この一曲を、子細に検討することにより、
ショパンの他の曲についても、どのように解釈するべきか、
分かると、思います。
手稿譜(ファクシミリ版)は、そんなに簡単に入手できません。
ここで、その細部を、ご説明したいと思います。
★ショパンは、「エチュードOp 25」を、3カ国で、
同時に、出版しています。
・フランス版初版は、1837年10月、パリ・シュレジンガー社
M.Schlesinger。
フランス版の2回目の出版は、1842年12月、パリ・ルモワンヌ出版、
H.Lemoine、数ヶ所の訂正あり。
★・ドイツ初版は、1837年10月、
ライプツィヒ・ブライトコップフ & ヘルテル社
Breitkopf & Haertel。
第2版も、1852年、Breitkopf & Haertelから。
★・イギリス初版は、1837年10月 ロンドン・ウェッセル社
Wessel & Co.
第2版も、1848年にWessel & Co.から出版され、多数の修正あり。
★上記のような、出版事情と、ショパン自身が、
自作に対し、固定的な奏法を示したわけではない、という理由から、
“これが、絶対に正しい”という版は、存在しません。
★しかし、唯一、現存するショパンの手稿譜から、
読み取れることを、学びますと、
ショパンが、その楽譜を書いた時点で、どのように考え、
どのような奏法をとったかが、手にとるように、分かります。
★21世紀の現時点では、それを学びつくすことが、
ショパンに、最も近づくことである、と思います。
★今回は、6月12日に第一回目として書きました、
≪「手稿譜」と「エキエル版」との相違点≫の続きです。
★12小節目:
「手稿譜」は、1拍目から 「cresc.」が始まり、
4拍目6連符の2番目の音で、終わる。
「エキエル版」は、1拍目から 「dim.」が始まり、
3拍目6連符の2番目の音より、少し前で、終わる。
3拍目6連符の3番目の音から、「cresc.」が始まり、
12小節目と13小節目を区切る小節線の直前で、
「cresc.」が、終わる。
★私の考え:
ショパンは、最初に書いた12小節目の左手パートの部分に、
ペンで、斜線をたくさん引き、完全に消し去っています。
その真下に、現行の左手パートを、書き直しています。
13小節目から、新しく展開を始めるにあたり、
どのように、12小節目を閉じるか、推敲した生々しい跡です。
★3拍目と4拍目の、右手と左手の両方に現れる
「E」ナチュラルは、1拍目の「Es」と、13小節目の1拍目
「F」をつなぐ、「経過音」ですが、「導音機能」も喚起させ、
浮き上がって聞こえるような、際立った音です。
「dim.」しながらも、その中から、導音的な際立った音が、
浮かび上がってくるという効果を、ショパンは、
推敲によって、狙った、といえます。
★「エキエル版」では、「12小節」を、
前半は「dim.」、後半を「cresc.」としています。
極めて常識的な、あまりに単純な発想です。
1拍目のソプラノ「B」は、倚音で、2拍目のソプラノ「As」が、
倚音の解決音ですから、「dim.」とし、
3拍目、4拍目は、導音的な「E」が、次の小節の
主音的な「F」に向かうため、「cresc.」としたのでしょう。
しかし、ショパンは、いつも、常識の裏をかき、
そこに芸術の機微を、見出した人です。
はたして、この「エキエル版」が、ショパンの発想かどうか?。
★同じく、12小節目の右手の「Es」、「E」、13小節目「F」を、
アルトの声部、同様に、左手の「Es」、「E」、「F」を、
テノールの声部と、考えて、弾くべきでしょう。
さらに、内声に、2声部ありますから、
この12小節は、結局、「6声部の音楽」と、なっているのです。
★この曲での、ショパンの書式は、「cresc.」 と
「 dim.」について、「始める位置」と「終える位置」が、
拍頭や、次ぎに来る拍の直前には、ほとんどの場合、
置いていません。
★ピアノで正確に、ショパンの意図どおりに、弾きますと、
「 cresc.」 の開始が、「アウフタクトの意味」をもったり、
この12小節目のように、「dim.」が、4拍目の頭部で、
終わらないため、4拍目の6連符の音が、全部均等ではなく、
一番目と二番目の音のなかで、依然として、
「 dim.が続いている・・・」、と意識しながら、
演奏をすることになります。
その結果として、巧まずして、大変に、
繊細な演奏になっていく、と言うことができます。
★12小節目と13小節目とを区切る小節線 :
「手稿譜」では、小節線上に、「6」という数字が、記されている。
「エキエル版」には、この「6」という数字は、記されていない。
ショパンは、この1枚目の楽譜には、この数字を「6」までしか、
記していません。
その後は、全3枚の楽譜のうち、3枚目の41小節目の前に「2」、
43小節目の前に「3」、47小節目の前に 「5」、そして、
終止線上に「6」の数字が、読み取れます。
★私の考え:
数字の記入されている、1枚目の12小節間と、
3枚目の部分には、大きな類似点があります。
(3枚目39小節目の前に「1」という数字が記されていませんが)、
この「2小節づつの単位」は、詩の「韻律」、「拍節」と
同じ様な意味を、もっていると、思われます。
★ことし6月7日に、カワイ・表参道で開きました、
アナリーゼ講座「前奏曲とは何か」で、お話しました、
「Metrum メトラム」に、深く関係します。
★その詩の韻律や拍節が、機械的に表現されるのを
避けるため、「 cresc.」 と「 dim. 」や、
ペダルを踏む位置を、あえて、≪「韻律」や「拍節」と、
一致させないようにする≫のが、ショパンの演奏です。
★完全に一致させて、弾きますと、興奮度は高まります。
昨今のコンクールでは、
そのような演奏が、聴かれるかもしれませんが、
ショパンの欲した、意図した音楽ではないでしょう。
★余談ながら、ショパンは、12小節目左手2拍目を、
「反復記号 Faulenzer(ファウレンツァー)」を使って、
書いています。
1拍目と、同じであるからです。
★Faulenzerは、ドイツ語で「怠け者」という意味です。
ショパンは、12小節以前で「Faulenzer」を、
使うことが、可能な部分でも、
一切、「Faulenzer」を、使っていません。
たとえ、分散和音であっても、
一音一音に、深い意味があるからです。
バッハが「平均律クラヴィーア曲集第1巻」1番の前奏曲で、
分散和音の一音一音に意味をもたせ、
単なる分散和音としていないのと、同じ意味合いです。
★ショパンは、「12小節目の左手2拍目」から、「Faulenzer」を、
使い始め、14、17、19小節目でも「Faulenzer」を使っています。
このことは、次のようなことを意味している、と思われます。
★「提示の部分」である「12小節目」までは、
一点一画を揺るがせにしない、緊迫した構成感で作ろう、
という意識でしたが、ここで一転、それが変化し、
それ以降は、緊張感を解き放ち、
「大きな感情のうねりの音楽」を、志向した。
「反復記号 Faulenzer(ファウレンツァー)」を
使ったことから、そのようなショパンの、
意識の変化が、読み取れます。
★次回は、13小節目以降の比較です。
(伝通院・本堂の夜景)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
その4 ■
09.7.22 中村洋子
★ショパン「エチュードOp 25-1」について、①09/5/31 ②6/12
③7/13と、3回にわたって、手稿譜とエキエル版との違いを、
書いてきましたが、今回は、その4回目です。
★この一曲を、子細に検討することにより、
ショパンの他の曲についても、どのように解釈するべきか、
分かると、思います。
手稿譜(ファクシミリ版)は、そんなに簡単に入手できません。
ここで、その細部を、ご説明したいと思います。
★ショパンは、「エチュードOp 25」を、3カ国で、
同時に、出版しています。
・フランス版初版は、1837年10月、パリ・シュレジンガー社
M.Schlesinger。
フランス版の2回目の出版は、1842年12月、パリ・ルモワンヌ出版、
H.Lemoine、数ヶ所の訂正あり。
★・ドイツ初版は、1837年10月、
ライプツィヒ・ブライトコップフ & ヘルテル社
Breitkopf & Haertel。
第2版も、1852年、Breitkopf & Haertelから。
★・イギリス初版は、1837年10月 ロンドン・ウェッセル社
Wessel & Co.
第2版も、1848年にWessel & Co.から出版され、多数の修正あり。
★上記のような、出版事情と、ショパン自身が、
自作に対し、固定的な奏法を示したわけではない、という理由から、
“これが、絶対に正しい”という版は、存在しません。
★しかし、唯一、現存するショパンの手稿譜から、
読み取れることを、学びますと、
ショパンが、その楽譜を書いた時点で、どのように考え、
どのような奏法をとったかが、手にとるように、分かります。
★21世紀の現時点では、それを学びつくすことが、
ショパンに、最も近づくことである、と思います。
★今回は、6月12日に第一回目として書きました、
≪「手稿譜」と「エキエル版」との相違点≫の続きです。
★12小節目:
「手稿譜」は、1拍目から 「cresc.」が始まり、
4拍目6連符の2番目の音で、終わる。
「エキエル版」は、1拍目から 「dim.」が始まり、
3拍目6連符の2番目の音より、少し前で、終わる。
3拍目6連符の3番目の音から、「cresc.」が始まり、
12小節目と13小節目を区切る小節線の直前で、
「cresc.」が、終わる。
★私の考え:
ショパンは、最初に書いた12小節目の左手パートの部分に、
ペンで、斜線をたくさん引き、完全に消し去っています。
その真下に、現行の左手パートを、書き直しています。
13小節目から、新しく展開を始めるにあたり、
どのように、12小節目を閉じるか、推敲した生々しい跡です。
★3拍目と4拍目の、右手と左手の両方に現れる
「E」ナチュラルは、1拍目の「Es」と、13小節目の1拍目
「F」をつなぐ、「経過音」ですが、「導音機能」も喚起させ、
浮き上がって聞こえるような、際立った音です。
「dim.」しながらも、その中から、導音的な際立った音が、
浮かび上がってくるという効果を、ショパンは、
推敲によって、狙った、といえます。
★「エキエル版」では、「12小節」を、
前半は「dim.」、後半を「cresc.」としています。
極めて常識的な、あまりに単純な発想です。
1拍目のソプラノ「B」は、倚音で、2拍目のソプラノ「As」が、
倚音の解決音ですから、「dim.」とし、
3拍目、4拍目は、導音的な「E」が、次の小節の
主音的な「F」に向かうため、「cresc.」としたのでしょう。
しかし、ショパンは、いつも、常識の裏をかき、
そこに芸術の機微を、見出した人です。
はたして、この「エキエル版」が、ショパンの発想かどうか?。
★同じく、12小節目の右手の「Es」、「E」、13小節目「F」を、
アルトの声部、同様に、左手の「Es」、「E」、「F」を、
テノールの声部と、考えて、弾くべきでしょう。
さらに、内声に、2声部ありますから、
この12小節は、結局、「6声部の音楽」と、なっているのです。
★この曲での、ショパンの書式は、「cresc.」 と
「 dim.」について、「始める位置」と「終える位置」が、
拍頭や、次ぎに来る拍の直前には、ほとんどの場合、
置いていません。
★ピアノで正確に、ショパンの意図どおりに、弾きますと、
「 cresc.」 の開始が、「アウフタクトの意味」をもったり、
この12小節目のように、「dim.」が、4拍目の頭部で、
終わらないため、4拍目の6連符の音が、全部均等ではなく、
一番目と二番目の音のなかで、依然として、
「 dim.が続いている・・・」、と意識しながら、
演奏をすることになります。
その結果として、巧まずして、大変に、
繊細な演奏になっていく、と言うことができます。
★12小節目と13小節目とを区切る小節線 :
「手稿譜」では、小節線上に、「6」という数字が、記されている。
「エキエル版」には、この「6」という数字は、記されていない。
ショパンは、この1枚目の楽譜には、この数字を「6」までしか、
記していません。
その後は、全3枚の楽譜のうち、3枚目の41小節目の前に「2」、
43小節目の前に「3」、47小節目の前に 「5」、そして、
終止線上に「6」の数字が、読み取れます。
★私の考え:
数字の記入されている、1枚目の12小節間と、
3枚目の部分には、大きな類似点があります。
(3枚目39小節目の前に「1」という数字が記されていませんが)、
この「2小節づつの単位」は、詩の「韻律」、「拍節」と
同じ様な意味を、もっていると、思われます。
★ことし6月7日に、カワイ・表参道で開きました、
アナリーゼ講座「前奏曲とは何か」で、お話しました、
「Metrum メトラム」に、深く関係します。
★その詩の韻律や拍節が、機械的に表現されるのを
避けるため、「 cresc.」 と「 dim. 」や、
ペダルを踏む位置を、あえて、≪「韻律」や「拍節」と、
一致させないようにする≫のが、ショパンの演奏です。
★完全に一致させて、弾きますと、興奮度は高まります。
昨今のコンクールでは、
そのような演奏が、聴かれるかもしれませんが、
ショパンの欲した、意図した音楽ではないでしょう。
★余談ながら、ショパンは、12小節目左手2拍目を、
「反復記号 Faulenzer(ファウレンツァー)」を使って、
書いています。
1拍目と、同じであるからです。
★Faulenzerは、ドイツ語で「怠け者」という意味です。
ショパンは、12小節以前で「Faulenzer」を、
使うことが、可能な部分でも、
一切、「Faulenzer」を、使っていません。
たとえ、分散和音であっても、
一音一音に、深い意味があるからです。
バッハが「平均律クラヴィーア曲集第1巻」1番の前奏曲で、
分散和音の一音一音に意味をもたせ、
単なる分散和音としていないのと、同じ意味合いです。
★ショパンは、「12小節目の左手2拍目」から、「Faulenzer」を、
使い始め、14、17、19小節目でも「Faulenzer」を使っています。
このことは、次のようなことを意味している、と思われます。
★「提示の部分」である「12小節目」までは、
一点一画を揺るがせにしない、緊迫した構成感で作ろう、
という意識でしたが、ここで一転、それが変化し、
それ以降は、緊張感を解き放ち、
「大きな感情のうねりの音楽」を、志向した。
「反復記号 Faulenzer(ファウレンツァー)」を
使ったことから、そのようなショパンの、
意識の変化が、読み取れます。
★次回は、13小節目以降の比較です。
(伝通院・本堂の夜景)
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