音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ハンガリー映画「人生に乾杯!(81歳の老人が、銀行強盗)」を見る■

2009-07-07 18:08:59 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■
■ハンガリー映画「人生に乾杯!(81歳の老人が、銀行強盗)」を見る■
                   09.7.6 中村洋子


★忙中閑ありで、“81歳の老人が、銀行強盗する”映画を見ました。

バルトークの故郷である「ハンガリー」で07年、制作されました。

1966年生の若い、ガーボル・ロホニ監督。

日本語のタイトルは、「人生に乾杯」ですが、

原題は、「コニェツ」(終わり)で、

副題として「コップの中の最後の一滴」が、付けられています。

主演は、エミル・ケレシュという、実年齢も現在81歳の、

ハンガリーの、大舞台俳優。

妻ヘディを、テリ・フェルディという国民的人気のある女優。

映画の設定では、妻は70歳。


★夫エミルは、共産主義政権時代には、共産党幹部の運転手。

定年の際、その要人用の最高級車「チャイカ」を、譲り受けます。

黒光りするチャイカは、装甲車のように、頑丈で広く大きく、

入念に、整備されています。

アメリカのゴージャスな車と異なり、質実剛健な美しさです。


★夫役のケレシュは、知的で、物静か、存在感があり、

ピアニストの「ウィルヘルム・ケンプ」に、よく似た風貌です。

市場経済の導入後、年金は、平均的労働者の月収の、

3分の1ほどしか入らず、団地の家賃も滞納中です。

電気も止められました。


★遂に、借金取りが、差し押さえにきます。

読書家であるエミルの立派な蔵書を、持ち去ろうとしますが、

妻は、「チャイカはあまり、使っていない。それを・・・」。

夫は、猛反発。

妻は、遂に、何より大切なダイアのイアリングを、

差し出します。

このイアリングは、夫との愛の証し、

結ばれるきっかけとなった、因縁の家宝でした。


★イアリングにまつわるお話は、映画を見てのお楽しみですが、

二人が出会った1950年代、妻は伯爵令嬢だった、という設定。

半世紀たらずの間に、貴族制の残る旧体制、戦後の共産政権、

ハンガリー動乱、ベルリンの壁崩壊後の自由主義体制と、

政治の荒波、強風に翻弄され続けた、ハンガリーの一般国民。

(ちなみに、ハイパーインフレに襲われた1946年には、

ギネスブックで、「史上最高額面の紙幣」と記録されている

「10垓・がい(=10京=10億兆)ペンゲー」紙幣が、発行されています)

その心に刻まれた、癒えない傷、つまり、歴史軸が、

このドラマの背後に、見えない柱として、立っています。


★腰痛の夫は、黙って家を出ます。

愛車チャイカを走らせ、郵便局へ。

カウンターの女性に、短銃を、静かに見せます。

「お嬢さん、頼みがあるんだ」

「有り金全部、この袋に詰めてもらえんかな」

「そうじゃないと、大怪我することになるかもしれん」

カウンターの女性は、顔が引き攣り、声も出せません。

「どうも、ありがとう。良い一日を!」。

波風一つ立てず、老人は、立ち去ります。

真っ黒な短銃「トカレフ」は、重量感に満ちています。


★この夫婦に、恋愛中のアベックの刑事が、絡んできます。

男性刑事は、ベッカムそっくりのイケ面、

女刑事も、ベッカムの妻に似た美女。

このアベック刑事が、追い詰める役です。

楽しく、作っています。


★妻役のフェルディーは、一旦は、

夫の逮捕に、協力しようとしますが、

夫の優しさ、度胸、逞しさ、清々しさに、

あらためて、惚れ直します。

そして、二人で、愛車チャイカを駆り、強盗逃避行。

宝石商に押し入り、イアリングも、取り返します。

妻の誕生日に、温泉リゾートでの、豪華なディナー。


★チャイカは、いまでも猛スピードを出すことができ、

何度も、警察の包囲を、振り切ります。

砂利だらけの急坂も、チャイカは、

駆け上がることができます。

新しい現代の車は、上れません、

敵いません。


★“81歳の老人が強盗”のニュースが、全国に流れ、

生活苦にあえぐ、国民の共感を呼びます。

老人の模倣犯まで、現れます。


★30年前、軍トラックに轢き殺された、息子の墓に参り、

「思い残すのは、海を一度、見たかったこと!」と妻。

ハンガリーは、海のない国だったのですね。

そして、バリケードに猛速で突進、激突、炎上・・・。


★ハンガリーは、「東欧革命」の1989年以降、

市場経済に組み入れられ、外国資本の流入、

安い賃金と、高い文化水準を利用しての、

海外企業の下請け化。

そして、グローバリゼーションに伴い、

多国籍企業による、経済支配へと、

めまぐるしく、変動してきました。


★欧米の金融資本主義が破綻し、その余波で、

深刻な経済危機に、陥っているようです。

年金生活者、農民、小商工業者の生活が、

特に、苦しいようです。

日本の数歩先を、歩んでいるのかもしれません。


★老夫婦の、白い髪、

いつまでも黒く輝く、チャイカと短銃。

その対比が、鋭く、画像として残ります。

朽ち果てるのを、待つだけの老境。

「強盗」はさておき、発奮して、

何かをしてみたい、と思う観客、

老人も、多いかもしれませんね。


★この81歳の主人公は、「チャイカ」と、

「トカレフ」という“武器”、

もはや、流行遅れで、

共産党時代の遺物ともいえる“武器”を、

絶えず整備し、磨き上げ、

最高の性能を、維持していました。

”強盗”をするのであれ、

“知的戦い”をするのであれ、

そのような“自分の武器”を、備え、

絶えず、自分を磨いていることが肝要と、

言外に、いいたいのかもしれませんね。


★困難な状況で、真に力を発揮するのは、案外、

風雪に耐えた、一見“ 古い ”、“ 陳腐 ”と、

みなされている技術、思想であり、

流行を追った、新しいものは、その場限りで、

無力である、と示唆しているようです。


★旧共産党政権下での、耐え難い人権弾圧、

文化芸術思想への抑圧、自由の制限など、

過酷な負の半面、

住居やパンなど、生活必需品は最低限ながら、

まがりなりにも保証してきた、という一面。


★その一方で、自由経済に組み込まれた結果、

年金生活者など弱者が、徹底的に痛めつけられ、

息も絶え絶えに、あえいでいるという現実。

旧体制の怖ろしい権力の、象徴でもあった「チャイカ」、

いまでも逞しく、黒光りする年代物の「チャイカ」を、

“もう一人の主人公”として見せることで、世界に、

その矛盾を、提示しているのでしょう。


★“人生は、パンのみにあらず、自由なくして、息もできず”、

“パンも食べられずして、なんの自由、文化かな”


★このような映画を見て、いつも思うことは、

ヨーロッパの俳優の、層の厚さと、

演技が、年とともに、重厚に、輝きを増す驚きです。

ちょうど、ピアニストの「ウィルヘルム・ケンプ」や、

「アルトゥール・ルービンシュタイン」が、80代に至って、

至極の演奏を残したのと、同じです。


★この映画は、あと、数週間上映されるようです。

お薦めいたします。


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