僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

♪ 公衆電話の箱の中 ひざを抱えて泣きました

2022年04月06日 | ウォーク・自転車

先日、「好きだった歌謡曲を思い出す日々」というのを書きましたが、それにちなんだ忘れられない思い出があります。

1970年代に活躍したフォークグループ「かぐや姫」の曲で「神田川」の最後のフレーズが大好きだったことを先日書いたのですが

その「神田川」の続編みたいなのが「赤ちょうちん」という歌でした。
僕はこの歌も好きだったのですが、その中に、

♪ あなたと別れた雨の夜
 公衆電話の箱の中
 ひざを抱えて泣きました
 生きてることは ただそれだけで
 哀しいことだと知りました

という歌詞が出てきます。
この歌詞を、突然思い出したのが、ある自転車旅行の時でした。

あれは1980年の8月のこと。
3泊4日で大阪のわが家から飛騨高山へ自転車で走った。この方面には今まで行ったことがなかった。

最初の日は大津・彦根・米原・関ケ原のコースで岐阜まで。

岐阜では泊るつもりにしていた宿泊施設の数カ所がすべて満員で断られ、仕方なく岐阜公園に行き、公園のベンチで寝ることにした。8月なので野宿でも大丈夫だろう、寝袋も持っていたし、ということで「公園泊」に決めたのでした。

 
  岐阜公園の噴水像の前で(1980年8月21日)。

岐阜公園は、頂上に斎藤道三や織田信長の居城だった岐阜城がある金華山や、鵜飼いで名高い長良川に囲まれた、とてもいいところです。だから、こういう場所で野宿をするのも悪くはない、と思いながら、寝袋にくるまってベンチに寝転び、夜空を仰いだ。

ほぼ真上に、金華山頂の岐阜城がうっすらと灯りに照らされ、幻のように浮かんでいる。そして山の向こう側では、「ポーン、ドドド~ン」と花火の音が響きわたる。長良川の鵜飼いが佳境に入ってきているようだ。

そして、そのまま気持ちよく眠ってしまった。
ところが

夜中に雨が降って来た。それも普通の雨ではなく、空がピカッと光ったかと思うと雷が鳴って、かなり強い勢いで降って来たのだ。僕はあわててベンチから飛び起き、寝袋を抱え、片手で自転車を引っ張って近くの売店の軒へ避難した。すると物陰から大きな番犬が現れ、すさまじい声で吠えた。僕はびっくりして、自転車はそのままにして、寝袋と水筒とタオルだけ持ち、すぐ横にあった公衆電話ボックスの中に逃げ込んだ。
狭くて窮屈だけど、他に行くところはなかった。

見知らぬ土地の公園の電話ボックスの中に座り込み、真夜中にただ一人、ガラスの向こう側にベットリくっついているナメクジと顔見合わせて、夜明けを待つ。時々ウトウトしては、はっと目が覚める。なんだか情けない気持ちになってきて、泣きたくなるような時間が流れた。
「こんなことって、三十の男のすることじゃないわ」
みたいな思いもありました。

ということで、
公衆電話の中で夜を明かしたのは、後にも先にもこの時1回だけです。
(そう何回もあって、どうすんねん)

そして2日目は岐阜公園から長良川沿いを北上し、郡上八幡駅で長い休憩をとった後、坂本トンネルを抜け、飛騨高山に到着し、民宿で泊った。

3日目は下呂温泉を経由し、美濃加茂を通って名古屋へ。その夜はオールナイトの映画館へ入って居眠りながら一晩を過ごした。ちなみに映画はポルノ映画の三本立てでした。男と女がイチャイチャするだけの映画だから、見ていてもすぐに眠ってしまいますわ(笑)。

そして最後の4日目、名古屋から伊賀上野を通り、急な山道の多いコースを奈良の天理まで走り、夜に無事わが家に到着しました。

わずか4日間だったけれど、実にいろんな経験をしたわけですが、何と言っても最大の珍体験は、岐阜公園の公衆電話ボックスで夜を過ごしたことでした。

それでふと浮かんだのが、「赤ちょうちん」だったのです。

あなたと別れた雨の夜
 公衆電話の箱の中
 ひざを抱えて 泣きました

それで、僕の場合は

♪ 岐阜で降られた雨の夜
 公衆電話の箱の中
 寝袋抱えて 泣きました

でした(笑)。
 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 阪神 開幕9連敗 巨人は首位... | トップ | わが家の前に5軒の新築住宅が… »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ウォーク・自転車」カテゴリの最新記事