僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

「ゾロ目の年」はどうなる…?

2015年01月24日 | 日常のいろいろなこと

昨夜のサッカー・アジア杯。見られました?
日本代表がまさかの敗退でア然。う~ん、悔しい。

PK戦にもつれ込んだ時点で、僕は半分あきらめていた。
90分プラス延長30分の戦いでは、ほとんど日本が攻めていた。
なのに1点しか取れなかったのだから、負けても仕方がない。

PK戦では日本代表の「双璧」と言われる本田と香川が外したが、
本田は120分間ずっと、好守の要となってよく動いていた。
やはり足が疲れていて、キックの精度を欠いたのだろうか?
香川のほうは、チャンスをことごとくつぶしていた。
どうも日本代表の試合となると、香川はパッとしない。

PK戦の失敗自体は仕方ない…とは思いながらも、
ぜひともアジア王者の座を守って欲しかっただけに、
こんなに早々と敗退してしまったのは甚だ残念である。


 ………………………………………………………………


…さて、今月、誕生日を迎えてまたひとつ年を取った。
66歳。ゾロ目の年である(笑)。


ゾロ目だから、この1年は、何かいいことがあるのかな~
と思って、これまでの自分の「ゾロ目年齢」を振りかえってみた。

11歳のゾロ目の年は、小学生だったからよく覚えていない。

22歳の年は、3月に結婚した。大学を卒業する直前で、
新婚旅行から帰ってきて数日後、卒業式に出席した。
式で周囲の面々に「僕、先週結婚したんや」と言うと、
みんな「またぁ~」と笑って、1人も信じてくれなかった。
(ま、僕はホラで人を笑わすのが趣味でしたからね~)

33歳の年は、初めてフルマラソン大会に出場して、完走した。
兵庫県の丹波篠山で行われた「篠山マラソン」だった。
ゴールの手前で飛び出してきた小学生の息子たちと、
一緒に走ってゴールインした。

44歳の年は、勤務先だった市役所の人事異動で、
憧れていた広報担当の部署に配属された年だった。
それからの6年間、広報紙を発行する仕事に携わった。
各地域へ出向き、取材をし、写真を撮り、文章を書き、
住民の皆さんに市のいろいろな情報を提供する…
…とてもやりがいのある仕事だった。
そのスタートとなったのが44歳の時だった。

そして55歳の年は…と調べてみれば、1月に、
妻とイタリアのフィレンツェへ旅行している。
僕の誕生日も、その旅先で迎えたのだけれど、
その日は、フィレンツェからピサの斜塔まで、
列車に乗って日帰りで行った日であった。
55歳の誕生日→ピサの斜塔。…ということでした。


…とこうして見ると、「ゾロ目年齢」の年は、
良かったことの印象が強く残っている年のようだ。

では、この66歳ではどうなるのか…?

誕生日から数日後、2ヵ月の一度の心房細動に関する検査の日、
ということで、病院へ行って、いつも通り検査を受けた。
診察のとき、医師から検査結果が伝えられたが…
「特に異状はありませんね。しかし…」
「しかし…何でしょうか?」
「肝臓のガンマの数値がかなり上がっていますね~。
 年末・年始に飲まれる機会が多かったと思いますが、
 肝臓を悪くすると命に関わりますのでお気をつけください」
…と、アルコールの摂り過ぎを注意されてしまった。


わが人生6度目の「ゾロ目年」の始まりは、
「飲み過ぎに注意!」のイエローカードでした。とほほ。

 

 


 

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