生きる力とは、こんき げんき のんき の3つである…
というのを、何かで読んだことがある。
たしかにね~
「こんき」がなければ、やりたいことも継続できない。
「げんき」がなければ、これはもう生きるだけで精一杯である。
でも「のんき」が生きる力として重要であるとは、にわかには思いにくい。
思いにくいけれども、これがいかに大事なものか、最近少しわかってきた。
だいたい僕はせっかちで、おまけに欲が深い。
あれもこれもと願ってしまう悪い癖がある。
結局どれも中途半端に終わってしまうのだ。
そんなことを、ず~っと繰り返してきた。
そして気がつけば、人生下り坂である。ぐすん。
先日、新聞の人生相談の欄に、僕と同世代で、よく似た性格の男性から、そんな悩み(?)に関する相談が載っていたので、興味深く読んだ。
それに対する識者の回答が、ふるっていた。
生涯成長、一生進歩などという幻想は捨てて、下り坂にふさわしく、わたしが幸せならOKという「自己満足」の世界に生きることですね。でないとあなたは一生、「幻滅と焦り」のなかで過ごすことになるでしょう。幸せとは「自己満足」です。
…という回答だった。ふ~む、含蓄に富んでいるなぁ。
「自己満足」という言葉に対しては、これまであまり良くないイメージを持っていたけれど、別にそういうことでもないわけで、自分が幸せだと思うことが本当の幸せなんだ、という感じでいいんだよね。目からウロコ、でしょうか。
これは言い換えると、のんきに暮らしなさいということでもあるようで…。
あるお医者さんが言っていたが、がんの患者さんにかかわった時、病状を気に病まない人の進行が遅かったことがあったそうである。「無頓着が一番いいのかもしれませんね」という言葉がそれに続いていた。
これも、ある意味では「のんきのすすめ」であろう。
ものごとに熱心であったり神経を使ったりするのは大切だけど、それをストレスにしてしまうとよくない。つまり、生きていく上で、心のリラックスがいかに重要かということを教えられる話である。
耳鳴りに悩まされている身にとって、この話は特に身に沁みる。
さて、そんなとき、同じ耳鳴りに悩む yukari さんから、
「これ、のんさんに似ていませんか?」といただいたのが、
↓
↑
である。
えへへ~。僕の顔はこんな可愛いことはないのですが、
「のん…」というところが、すご~く親しみを感じます。
いただいた何枚もの「のんきりん」の絵を見ていると、
しみじみと、心がなごんできます。
毎日をあくせくして送るのも、のんびりと送るのも共に人生なら、
できれば、のんびりとかまえて、ゆったりと過ごしたい。
最近、つくづくそう思うのです。
これからは、のんきりんの精神で行ってみよ~と思っています。
「今日ものんきにくらしています」
今日からこのフレーズを、ブログのサブタイトルに使っています。
私なんぞ「今日もあくせく暮らしています・・・」ですからねぇ
基本的に一人っ子のマイペースでのんびりやさんだったハズなんですが、ここのところイイ年になったのもあって、かなり無理して過ごしています。
しかし、あののんきりんのメモ帳がサブタイトルになるとは!
わたしも忘れていた「のんき」を少しでも生活に取り戻していきたいです
僕も一人っ子なので、マイペースでのんびりやさんだったのかなぁ…? と過去を振り返って考えてみるのですが、なんだかのんびりしているようであくせくし、マイペースのようで他人の視線を気にする…という二重人格性が見えてくるだけで、どうも、自分の性格というものがよくわかりません 。
ともあれこのブログは今後、「のんきのすすめ」をコンセプトとして続けていこうと思っています。
ほのぼのとした絵のメモ帳をいただき、のんきりんの存在を教えてもらったことに、改めて感謝します。
ありがとうございました~ 。
ソフトランディングの秘訣、そのヒントが「のんき」にあるという、
深い思想につながっていくのは、びんさんの教養の成せるところでしょうね。
言われてみれば…
びんさんにがおっしゃるように、「のんき」を掘り下げてみればみるほど、
その底にただならぬ鉱脈が流れていることを感じます。
「林住期」「遊行期」には、坂道をゆっくりと、成熟した豊かな下降をいかに楽しむか…
そう考えると、「人生下り坂」の意味も、ガラリと変わってきますよね。
びんさんの言葉を心に深く刻みつけて、「のんき」を実践していきたいと思います。