僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

4年半ぶりの再会 2

2013年10月11日 | 日常のいろいろなこと


僕が約38年間勤めた市役所での仕事というのはどういうものだったのか…を、誰もそんな話は聞きたくないわ、という声に逆らいながら(笑)、ざっと書いてみようと思います。


僕は学校を卒業してすぐ、ある和楽器店に就職した。大学4年の時に学生結婚したので、とりあえずどこでもいいから就職しなければ…と思い、大学のクラブで邦楽(琴・尺八)を演奏していた関係上、そういう和楽器を取り扱っている店で働こうと思い、そこへ就職した。


仕事は、阿倍野近鉄百貨店4階に入っていたその和楽器の売り場の店員だった。百貨店だから土・日曜も出勤だし、一日中立ちっぱなしだし、お客が少ないので売り上げも少ない。何より店自体が個人経営で、入ってみてわかったことだが、業績も下火になっていた。世間を知らないまま社会に出た僕だが、将来への不安が日増しに大きくなってきた。妻が時々「市役所とかの公務員になったら?」と言っていたこともあり、僕はさっそく転職をすることに決めた。


当時は市役所職員の中途採用が新聞の求人欄によく載っていたので、近隣都市であった松原市の職員募集を毎日新聞で見つけて、まだ試験も受けていないのに、さっさと和楽器店に退職願を出した。勤めてわずか3ヶ月だったが、今でもあの百貨店で働いた3ヶ月は、10年くらい働いたような気がするほど長かった。


その年(1971年・昭和46年)の8月から市役所に勤め始めた。最初の部署は「秘書課・市史編さん室」というところだった。当時「松原市史」が全何巻かで発行される計画だったので、専用の部署ができ、そこへ最初に配属された職員が僕だったというわけ。資料だらけの個室にポツンと入れられて、執筆委員のいろんな大学や高校の先生たちが訪れ、その人たちのお相手をしながら指示に従い、事務を執る…という仕事が始まった。


市役所というのは住民票とか税とか、健康保険とか福祉とか教育とか、市民の人たちの便宜を図る組織なのに、自分は市民とはまるで接触のない場所に配属されたことで、気分も塞ぎがちな1年半を送った。が、1973(昭和48)年に課税課へ移り、ここで初めて市役所らしい仕事に巡り合い、大勢の同世代の仲間と一緒に仕事を始めることになった。しかし、職場の雰囲気と仕事にすっかりなじんだ2年後に、また僕に異動の辞令が来た。どうもコロコロと職場が変わる。今度は、議会事務局という、なんの仕事をしているのやらわからないところへ異動した。1975(昭和50)年のことだった。


それから実に16年間、議会事務局で過ごした。26歳から42歳までそこにいたのである。おかげで市議会議員とすっかり顔見知りになった。しかし、ここも長年いると嫌気がさしてくる。当時「人事異動への希望」というアンケート調査があり、僕は「他の課へ行きたい」と便箋に何枚ものレポートを書いた。どうやらそれが人事担当者に通じたのか、翌年、総務課の文書法規係というところへ異動させてもらった。1991年のことで、もう昭和ではなく平成(3年)になっていた。


前回のブログで、〇谷クンと久しぶりに会ったことを書いたけれど、彼とはこの時に一緒に仕事をした。しかしそこはわずか2年いただけで、僕はまた移動した。なんだかねぇ…。2年やそこらで異動することが多いかと思えば、議会事務局のように16年もいたりと、極端に長いか短いかどちらかだった。


その次に行ったのが広報の担当だった。どこのご家庭にも役所が発行する「広報〇〇」というのが配布されてきますよね。あの広報紙を作る担当で、もともと文章を書いたり新聞を作ったりするのが好きな僕には歓迎すべき仕事だった。


ところで当時の広報紙作りは、レイアウト用紙や原稿や写真を印刷業者に渡して、戻ってきたゲラを見てチェックし、また印刷業者に戻す、という作業をしていたわけだが、その頃はパソコンを使って紙面を作ることが全国各地の広報紙で現れ始めていた。うちの広報にも業者がやってきてそれを勧めている時だったが、広報の先輩たちはことごとく断っていた。彼らには新しいことを始めるのを嫌がる傾向があった。


しかし、いずれはそうなるのだから早いうちがいいでしょう…と、僕は上司たちを説得し、「でも、操作とか、できるのか?」という問いにも「習ったら絶対できますよ」と、僕は若い職員たちに「大丈夫だよね?」と念を押し、彼らの同意を得た。20数年の役所生活で、最も仕事にやりがいを感じた時だった。


そのころはまだウィンドウズは存在しておらず、広報紙作成にはマックのパソコンが最適だったのでそれを導入し、専門家から操作方法を習い、自分たちでレイアウトや見出し、背景色や全体バランスなどを考えながら、新しい広報紙作りを始めたのである。思い出深い時代だった。


このとき、僕と同時期に広報へ異動してきた来た女性がいた。〇川さんという僕の息子たちより2、3歳年上だけ…という若い子だった。ぽわ~んとした雰囲気でおとなしい女性だったが、仕事への意欲は満々だった。僕が覚えたてのパソコンでの編集操作を彼女に教えたのだが、とても物覚えがよく、スイスイと覚えていくのには驚いた。若い人の頭の柔らかさにはとてもついていけない…とまだ40代だった僕も、このときすでに思い知らされたものである。


広報の仕事を6年間したあと、僕は再び議会事務局へ異動となり、役所人生の残りの10年間をそこで過ごし、2009(平成21)年に定年退職をした。結局、役所生活約38年のうち26年を議会事務局で過ごしたことになる。


 ……………………………………………………………………………………


そして話は現在に戻ります。話の趣がガラッと変わりますのであしからず。


先週の土曜日のことです。


土曜日はモミィがスイミングスクールへ行く日だ。朝8時に家を出て、駅前のコスパへ3人で行く。そこへ着くと、妻がモミィを連れて更衣室へ行き、僕は見学席に座る。やがて妻が戻ってきて、一緒にモミイたちのプールの様子を眺め、スクールが終わると妻はまた更衣室に向かう…という流れである。


妻が更衣室に行ってからモミィと戻ってくるまで10分ほど時間があるので、僕は場所を移動し、壁を背にした長椅子に座り、うつむいてぼんやりしていた。しばらくすると、僕の真ん前に一人の女性が立ち、僕がもたれている壁の上の方を熱心に眺めていることに気づいた。視線を上げて女性の顔を見ると、どこかで見た顔である。は~て、と思い、チラリチラリと上目で顔をうかがう。が、思っている人かどうか、確信が持てない。よく似ているけれど、ちょっと違うような…。彼女は壁の上のほう、つまり僕の頭の上を凝視している。壁に何かのポスターが貼ってあるようで、それを見ているのだろう。


僕はまた視線を戻して、目を閉じようとした。その時…


「あぁ…?」という声が聞こえた。前の女性である。「〇〇さん!」と僕の名を呼んだので、僕ももう一度彼女の顔を見た。メガネをかけていたのでわかりにくかったが、やっぱりそうだった。あの広報で6年間一緒に仕事をした〇川さんだったのだ。「ポスターばかり一生懸命見ていて、〇〇さんだということに気がつきませんでした。お久しぶりで~す」と〇川さん。「ホントにねぇ、元気?」「はい、おかげさまで」と言いながら、僕の隣へ座った。


彼女とは、僕が広報係を出てからは、顔を合わせた時に立ち話を交わす程度だったけど、やがて彼女は結婚し、赤ちゃんもできた。その赤ちゃんが…なんと、三つ子ちゃんだと聞いたときにはびっくりした。双子ちゃんはよく聞くけれど、自分の知人で三つ子ちゃんというのは、初めてのことだ。


翌年の年賀状には、同じ顔をした男の子3人が並んでいる写真が添えられてあった。とても微笑ましい写真だった。そしてその後一度だけ、〇川さんがその子たちとスーパーで買い物をしているところを偶然出会ったことがある。初めてこの目で見た3人は、キャアキャアと歓声を上げながら、売り場の間を走り回っていた。その時は3、4歳ぐらいだったと思う。僕もまだ退職前だった。


その〇川さんと、このスイミングスクールでばったり出会ったのである。これもまた、退職以来4年半ぶりの再開である。少し痩せて顔つきが変わったような気がした。三つ子ちゃんを育ててきたのだから、そりゃ痩せもするだろうね~。「ちょっと痩せたかな?」と言うと、「えぇ、これでもかなり戻ったんですよ」と〇川さんは笑った。


「ところで、三つ子ちゃんは…?」と僕が聞くと「パパが更衣室に行ってくれているので、今、着替えている途中だと思います」と〇川さん。男の子は男子用更衣室だから、ご主人が行っている…ということである。「いつも土曜日…? それにしては会ったことないけど」と僕が再び聞いたら、「ふだんは日曜日なんですけど、明日運動会なので、今日に振り替えました」ということだった。


「三つ子ちゃんはもう小学生でしょ? 何年生になったの?」と僕が聞く。
「2年生です」
えっ? じゃぁ、モミィと一緒だったんだ。ふ~ん、そうだったのか。2005(平成17年)生まれなんだ。

そこへ着替えを済ませたモミィが来た。後ろに妻もいた。〇川さんは一度、他の若い人たちと一緒にわが家に遊びに来たことがあるので、妻も彼女のことは知っている。


「お久しぶりです」と〇川さんは妻に会釈したあと、モミィに「こんにちは~」と手を差し伸べると、モミィもちょっと緊張した面持ちで「こんにちは」と返答した。「むかし、いっしょに、お仕事をしていたのよ」と、僕のほうを向きながらモミィに説明する〇川さんであった。


子どもたちは着替えるのが遅いので、まだまだかかりますから…と言う〇川さんに、「では、お先にね~」と手を振ってその場を離れた。


この週は月曜日に〇谷クンと会い、土曜日に〇川さんと会った。いずれも4年半ぶりの再開だった。退職すると、長年勤めてきた職場でのいろいろな仕事も、かなりのスピードで記憶の中から消えていく。それだけに、こういう出会いは、ひときわ深~い感慨を覚えるんですよね。


長々と書きましたが、おつき合いいただき、ありがとうございました!

 

 

 

 

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2 コメント

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私は (コバヤシ)
2013-10-11 22:55:17
毎日のんさんと再会しています。
石川河川敷でお会いしましょう。
返信する
毎日… (のん)
2013-10-12 20:22:50
いつも読んでくれているんですね。
ありがとう。
力が湧いてきます。

石川河川敷で会って、一緒に走りますか?
でも「シュポー!」のコバヤシ君にはかないません。
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