僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

47年目の結婚記念日と47年目の離婚

2018年03月08日 | 日常のいろいろなこと

先日、僕たちの結婚記念日だったのですが、今日はその話題で。

結婚したのは22歳の時。一応まだ学生でした。新婚旅行から帰って数日後に卒業式があり、そこで久しぶりに会ったいろんな友達に「ボク、結婚してん」と言ったら、ほとんど笑われ、信用してもらえなかったのを覚えています。

知り合ったのは夜間の速記学校でしたが、妻はお兄さんが院長をしていた大阪市内の病院で、事務員として勤めていました。僕はまだ学生ですから無収入です。結婚式の時は就職先は決まっていましたが、それも小さな和楽器店だったので、今になってみれば、お互いの両親、特に妻のほうの両親が、そんな将来どうなるかわからないような学生との結婚をよく許してくれたもんだなぁと思います。もし僕が相手の両親の立場だったら、反対していたかも知れませんね~(笑)。

結婚するまで1年半の交際期間がありましたが、どこの喫茶店やレストランに入っても、たいてい妻がお金を払ってくれました。ま、僕はヒモですわ(笑)。結婚式の費用や新婚旅行のお金や当面の生活費は、うちの親に出してもらいました。あはは。(これ、笑うところか?)

結婚し、就職して、その和楽器店が入っているアベノ近鉄百貨店に出向の店員として働き始めましたが、もちろん百貨店だから日曜日も休めないし、1日中ほぼ立ちっぱなし。おまけにお客は少ないし、ちっともやる気が出ず、家に帰ることだけが楽しみの毎日でした。そんなとき、妻が「お役所を受けたらいいんじゃない?」と勧めてくれました。僕は元々、自分は公務員タイプではないと思っていたのですが、妻にそう言われて、じゃぁ考えてみるか、と思いました。

そして、しばらくして、たまたま新聞の求人欄に松原市役所の職員の募集というのが載っていたので、8月、そこを受けて運良く入ることができました。最初の就職先はわずか3ヵ月余りでやめたことになります。

おかげでその後、市役所で、配属された部署に恵まれた幸運もありましたが、議会事務局や広報係などの仕事は結構楽しんでやれたし、いい上司や仲間にも恵まれました。定年退職まで無事に勤めることができて、まずまず満足のいく生活を送ることができたのも、やはり妻のおかげだったと思っています。

でもねぇ、結婚してから47年もの歳月が経ったとは。

あっという間ですね~ 早いです。

と思っていたら、先日、テレビのワイドショーで「47年目の離婚」という報道が飛び込んできました。なんだ、それは? 47年目ってのが気になるでしょ。

すると僕が大のファンだった「橋幸夫」という名前が出てきて、どうやらこの人が結婚47年目で離婚したということでした。僕はファンだったから、彼がJALのスチュワーデスさんと結婚し、当時は大きなニュースになったこともよく覚えています。お名前を凡子さんといい、「なみこ」と読むこともその時に知りました。でも、結婚したのが僕たちと同じ年(1971年)だったというのは、記憶から消えていたので、へぇ、そうだったのか~という感じ。まぁ、だから同じ47年目ということになるんですよね。

今日の週刊誌の広告によれば、74歳の橋幸夫は離婚して、またすぐ再婚したそうです。テレビで芸能レポーターが「相手の方は50代できれいな女性」と言っていました。「きれいな女性」って、なんだかイージーな表現ですが、数年越しのつき合いというんですから、それが離婚の原因だったのか、とも思えますよね。

でもねぇ、橋さん。何も僕たちの47年目の結婚記念日の時期に、「47年目の離婚」がニュースになるなんてこと、やらないでほしかったよね~

ほっておいてくれ、関係ないやろ、と言われそうですけど(笑)。

 

 

 

 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする